プール
「阿部~、プール行こうぜっ!」
音楽室に向かう廊下で、田島が大声で呼び止めた。
その後ろには、キョドりながらも阿部を見つけて嬉しそうな三橋がいて、
小さく「あ、阿部くん」とつぶやく。
「毎日部活で、行く暇あるかよ」
「明日、ミーティングだけだし、室内プールなら遅くまでやってんだぜ」
「なんのための休息日だと思ってんだ」
「三橋は行くってよ。な?」
「う、ひ」
阿部の視線を感じて、三橋はビクビクと頷く。
三橋が行くなら心配だからオレもついて行くか、などと阿部が考えていると、
やはり次の教室に向かう途中の篠岡がクラスの女子と一緒に通りかかった。
すかさず、田島が声をかける。
「しのーか!みんなでプール行こうぜっ」
篠岡が立ち止まり、困ったような表情になった。
「私はいいよ」
「なーんでー?ヤロウばっかで行ってもムサイしさー」
「行きたくないの」
「あ、今週セーリ?じゃあ来週にするからさ!」
おいコラ田島、直球ど真ん中にも程がある!
無言で阿部が田島をひっぱたく。
しのーか先行くね、とクラスメイトは引きつりながら去って行った。
「来週でも、再来週でも絶対行かない」
篠岡は頑なに固辞する。全く空気を読まない田島は、「なぁんでー」と
しつこく聞いていたが、そのうち「あ、栄口も声かけよ」と言い出した。
「阿部、花井たちにも言っといて!あとしのーかの説得よろしくなっ」
そういい残して、三橋を促して1組に向かう。
こんだけ空気悪くした挙句に暗い顔したマネジと2人きりにして、
一体オレにどーしろと?
阿部は田島を呪いつつ、隣の篠岡に声をかけた。
「ま、気にすんなよ。田島は悪気がないただのバカだから」
「別に、田島くんに怒った訳じゃないよ」
「じゃあ何?」
それから篠岡はうつむいたまま少し黙り込んで、言いにくそうに口を開いた。
「……男の子って、やっぱり胸が大きい方が良いよね?」
日頃モモカンに接している野球部員の前では、篠岡は水着になる勇気が
ないのだ。
いくら阿部でも、ここは胸のサイズが控えめな篠岡が、否定の言葉を
期待していることくらいは判る。
「そんなの、人それぞれだろ」
「じゃあ、阿部くんは?」
ふいに、真剣な表情で篠岡が阿部を見上げた。
「オレ?」
「だって、監督ってメロンとか……ううん、バレーボールとか
サッカーボールくらいあるかも。女の私が見ても凄く魅力的で、
羨ましい」
阿部は脳内にあの豊満なバストを思い浮かべ、慌てて打ち消した。
モモカンは規格外だっつーの。確かに、目のやり場にこまることは
あるが、それは男の本能だから仕方ない、と言って通じるか判らない。
とにかく、反論しないとダメだと自分に言い聞かせる。
「いや、オレは小さい方が……」
それまで泣きそうだった篠岡の表情が、少し柔らかくなった。
「本当?」
阿部は緊張していた。
篠岡がこれだけオレの反応を気にしてるってことはつまり……?
今まで、身近にモモカンという大人の女性がいたせいか、少し篠岡は
子供っぽいと思ってたけど。
「ホントホント。むしろ、野球部員だから、野球サイズで十分…」
興奮のあまり、もはや何が言いたいのかわからない。
バカかオレは!とオノレに突っ込みを入れ、同時に地雷を踏んだのでは、
と慌てて考える。
アレ?野球だって結構ボール大きいよな?
手に馴染んだボールのサイズを再現してみる。
ユビ短い投手はフォーク投げれねーし……。
半円にしたって、篠岡じゃ足りないんじゃないか?
ってことは、フォローになってない?
手をにぎにぎしながら考える。三橋がいたらボール出させるのに。
「あ、阿部くんの、ヘンタイ……」
篠岡は完全に引いていた。阿部の手つきを見て、教科書で胸を隠す。
「えっ?ボールだよ、コレ」
「そんな人だと思わなかった……」
涙目の篠岡が怯えながら離れようとする。
「アレ?阿部、先に行って席取っとくんじゃなかったのー?」
間の悪い事に、水谷と花井がやってきた。すぐに篠岡の異変に気づく。
「篠岡?もしかして泣いてるの?」
「何言ったんだ阿部、説明しろ」
説明したら、余計に篠岡が傷つくだろーが。
花井と水谷の責める声を遠くで聞きながら、阿部はどこで間違えたんだろうと
考えていた。
最終更新:2008年01月06日 02:26