4-648-653 和モモ
――――この出会いを、『運命』と言うのだろうか――――
「ふっ…!ああっあッ!!」
無意識に逃げようとする腰を引き寄せ、
オレは硬くなった自身を更に奥までねじこむ。
途端に上がる嬌声と、弾む乳房。
室内に響く、身体を打ち付ける激しい音。
女の身体から絶え間なく溢れる蜜を掬い、
繋がりの上にある小さな膨らみに擦りつける。
それだけで女は上半身を震わせて喘ぎ、
シーツの上に通常とは違う愛液の染みを作った。
視覚と聴覚からの、目の眩むような刺激に、
オレの方が先に限界を迎えそうになる。
片手を腰から離し胸の先端を引っ掻くと、
女も限界が近いのかますます甘い吐息を零す。
「ぁあっ……、はっ、手、を……」
「…どうした…?」
「お願い、あぅ、んっ!手を繋い…でぇ!あ、イク、あ、あ、あぁ!」
そのささやかな懇願に、オレは女の両手を掴み、
ベッドに縛りつける様に組み敷く。
艶やかな髪が白いシーツ上に広がった。
より密着した身体、押し潰された乳房。
角度が変わったことで更なる刺激を感じたのか、
女は目を見開き、オレの手を握りしめ、何かを叫ぶ。
限界だ。耳元に口付けながら、オレは腰を打ち付けた。
「―――――くうっ!いけ、よっ!」
「や、
「―――――くうっ!いけ、よっ!」
「や、ああああぁ――――――!!!」
同時に最奥が収縮し、オレは堪えきれず、果てた。
薄暗い中ぼんやりと天井を見上げると、
そこには蛍光塗料で描かれた星空。
ごてごてと飾りたてた室内に相応しいといえるが、
オレには全くもって似合わない。
少女趣味なのはこういうホテルの定番とはいえ、
いつ来ても落ち着かないのは何故だろう。
室内に響くのは、微かな水音のみ。
オレは、シャワーを浴びている女に思いを巡らせた。
見知らぬ女――――変な女だった。
出会いは偶然。
出向先での慣れない営業と上司の失敗の尻拭い。
昔から陰に日向に努力を重ねてきたが、
それを苦痛と思った事はない。
そんな自分にとってすら、理不尽に思える日々。
オレは、嫌になるほど眩い日差しの中、
鬱鬱とした気持ちで街を歩いていた。
『きゃっ…』
『うわっ』
出会い頭にぶつかり、お互い尻餅をついてしまう。
内心苛々としつつも、前を見ていなかったのは自分だ。
慌てて立ち上がり、未だ座り込んだままの女の手をとった。
『大丈夫ですか?すみません、考え事を…』
言葉は途中で途切れた。
オレの手をとった女が立ち上がらず、
その手をじっと見つめたまま動かなかったから。
『………あの………………?』
『あなた野球、好き?』
訝しげに問いかけたオレに、女はぽつりと呟いた。
正直、驚いた。
オレは小中高・大学・社会人と野球を続けてきて、
捕手として甲子園に出場した事もある。
プロも視野に入れていたが、肝心な高三で初戦敗退。
進学した大学三年生時には肩を故障し、
タイミングを逃したまま社会人野球へと進んだ。
――――そう、先月までは。
本社からあっさりと告げられた『休部』の知らせ。
『黒字になれば再開するから』との担当者の言葉を、
チームメイトの誰もが信じなかった。
そう、事実上の『廃部』だ。
野球選手として入社したオレに残されていた選択肢は、
退社か、一営業員としての出向だった。
オレの様にチームに未練があったり、
新しい行き先の当てのない奴等は皆、
会社に残って方々に散って行った。
オレは、この街に、飛ばされてきたのだ。
そんな不幸なオレの手を掴んだ女は、
ようやく立ち上がった。
見かけによらず凄い力でオレの腕を引っ張り歩き出す。
『ちょっ…』
『あなた、その顔だとどうせ昼から仕事サボるつもりだったでしょ!』
女の根拠のない断言に、しかし内心ギクリとする。
………日常や未来、何もかもにオレは疲れ果てていた。
女が急に立ち止まり、くるりと振り返る。
『凄く奇遇よね、私もなのよ』
にっこりと首を傾けた拍子に、長い髪がさらりと揺れる。
………その女の微笑と強い視線に、妙な既視感を覚えた。
まるで、一度会っているかの様な、不思議な感覚―――――
そしてオレは、正面からその表情を見て、
女がとてつもなく迫力のある美人だということに、
ようやく気付いたのだった。
ゆっくりと煙草に火を点ける。
これも、野球から離れたここ一ヶ月で覚えた事だ。
未だ美味いモノとは思えないが、ただなんとなく口にしている。
浴室のシャワー音が止み、途端に静寂が広がった。
それが何とはなしに嫌で、オレはBGMがわりにテレビをつける。
途端に映ったのは、今や全国的に有名になった二人の男だった。
ほんの少しだが、オレも関わりを持った事がある。
カワイイ奴等だった。
もう十年近くも昔の話だから、記憶も曖昧だが。
この番組は、どうやら地元プロ野球球団の若手対談特集らしい。
いわゆるローカル番組だ。
テレビに映るこの二人は、若くして不動のサードと、正捕手。
高卒と大卒の違いはあれど、高校時代の元チームメイト同士。
突出したキャラや顔立ちで、その球団でもダントツの人気選手だ。
オレは興味を引かれてテレビの音量を上げた。
『では、次の質問です。
お二人の、野球を語る上で外せない人物の名前を教えて下さい』
ある程度年月の経った選手に聞く質問じゃあないだろ、
オレは二人に同情しつつ苦笑する。
だが画面の二人は、その使い古された質問に、
むしろ嬉しそうに答えた。
『んなの決まってるよなー』
『ああ』
『そりゃもー、高校ん時の監督!ゲンミツに!』
『だからお前、いい加減“厳密”の使い方覚えろって………
けど、そうっスね。家族や、今まで支え指導して下さった方々にも感謝してますが、
高校の時の監督は別格でした』
『監督いなかったら、ヤなキャッチャーだったもんなー』
『……うるせ、お前こそ、その身長で今みたいなパワーつかなかっただろ。
ゲ・ン・ミ・ツ・に』
『ぐわっヒデー!しかもあのプロテイン攻撃思い出した!
やっぱ性格ワリーよなー女ファンも騙されてるよなー!』
まだまだガキっぽさの抜けないやり取りが続き、
司会者の『では当時の映像を……』という言葉で画面が切り替わった。
―――――オレは、持っていた煙草を落とした。
勿論慌てて拾ったが、視線は画面から動かない。
ああ、オレは、どうして忘れていたんだろう!
全体的に痩せて。
顔つきも頬もあの時とは変わってるけど。
それでも変わらない強い眼差しがあったのに!
画面上には、彼等の高校時代の映像。
懐かしの甲子園。
灼熱のグラウンド、流れる汗と涙、熱い声援、声援、声援!
マウンドで抱き合い、先を競ってベンチへ駆ける球児達。
そして、涙を流しながら、一人一人、
『良くやったね』と頭を撫でる、
オレも見惚れた事のある、
女性の、監督―――――
『辛いことも、今でもたくさんあります。
けど、そんな時はあの三年間を思い出します、必ず』
画面中の端正な顔立ちの正捕手は、カメラを見つめて口を開く。
『………忘れたことなんて、一度もないです』
「………アンタ、こんなところで、オレとこんなことしてていいんスか」
オレは画面から視線を外さないまま、
いつの間にやら現れた背後の気配に問いかける。
身についた習性か、無意識に目上に対する言葉遣いになっていた。
だが彼女は、その変化にさして気にした風もなく。
「………いいのよ」
とだけ呟いた。
オレは、彼女の方を振り返らない。
彼女がシャワーを終えたら、もう一度抱こうと思っていた。
肌は手に吸い付く様に滑らかで。
このゴツい手にも収まりきらない程の乳房。
細い腰、感度の良い身体。
ナカに入れた途端に訪れた、背筋の震える感覚。
何もかもが極上品だった。
ここ一ヶ月の不幸続きの中で得た解放感だったから尚更。
だけど。
背後で、衣擦れの音が聞こえる。
ガラステーブルに何かを置く音がして。
「――――楽しかったわ、ありがとう」
パタン、とドアの閉まる、静かな音。
オレは一人、取り残された。
なんだ、この気持ちは。
言葉に出来ない、切なさに似た、何か。
ゆっくりとテーブルを振り返ると、
数枚の紙幣の上に置かれた小箱に気付く。
そっと手に取り開くと、白い手袋と、黒とブルーのリストバンド。
「………誰にあげるつもりだったんスか」
いや、多分、本当はわかってる。
この色は、あの男のトレードマークだったはずだ。
オレはその手袋を握り締めた。手に馴染む、捕手用のモノ。
『あなた野球、好き?』
『お願い、手を繋いで』
オレの手を握ったあの女は、きっと気付いただろう。
キャッチャー特有の手の平に。
だけど、固かった指先が、柔らかくなりつつあることに。
「ちくしょう……」
無性に、チームメイトに会いたかった。
故郷へ、帰りたい。
諦めたく、ない。
このまま野球を諦めて、たまるか!
オレは最低限の身支度を整え、荷物を次々と鞄に放り込む。
ソファに放りっぱなしの背広とネクタイを引っ掴み、
扉へ向かいかけ。
ふと思いつき、踵を返す。
一旦は鞄に仕舞った手袋とリストバンド、
胸ポケットに入れた煙草とライターを、
未だトークを繰り広げる画面上の男のツラに向かって叩きつける。
後はもう、振り返らなかった。
――――やっぱり、今日は、『幸運』が訪れたのかもしれない――――
最終更新:2008年01月06日 20:01