7組




男子の授業は早めに終わり、更衣室に向かう途中だった。
「おー、女子ソフトやってるぜ!」
水谷がグラウンドを指差す。
女子の授業はソフトボールで、体操服姿の女子がグローブを持って
散らばっているのが見えた。
「うわ、あんなボール球、手ぇ出すか!」
バットを構える生徒を見て花井がうめき、その横で不機嫌な顔で
阿部がつぶやく。
「投手が悪すぎる」
「なあ、阿部のリードで挽回出来ねえの?」
「捕るよりオレが投げた方が早い」
「うはっ。いえてる~!」
「ここは一応、控え投手のオレが!」
眺めながら好き勝手を言うのは楽しい。
「あ、次篠岡が打つぞ!」
打席にマネジの篠岡が立つ。彼女は、中学時代はソフト部で遊撃手だった。
マネジの時にはありえない好戦的な目で、ピッチャーを見据える。
1人だけ、他の生徒とはまるで立ち振る舞いが違い目を引いた。
昔取った杵柄。快音が響き、篠岡は楽々どシロウトの甘い球を
長打に持って行った。
「せーぇのっ!」
見とれる阿部と花井に、水谷が音頭を取る。
「しのーか!ナイバッチィー!!!!」
日頃のお返しとばかりに、3人は思いっきり声を張り上げた。
篠岡は声援に気づいて、キョロキョロと周りを見回す。
フェンス越しの野球部員を見つけると、恥ずかしそうに手を振った。
「マネジにしとくの勿体ねー」
「水谷の代わりに打席立たせてーな」
「阿部、聞こえてるよーん」
どれだけ野球が好きでも、篠岡は女だから甲子園を目指す資格がない。
篠岡は自発的にマネジになったので、罪悪感を持つ必要はないのだが。
「なあ、昼休みちょっと押してもいいか?」
考え込んでいた花井が提案した。
「はあ?」

試合終了の挨拶が済み、女子生徒たちは道具をダンボールに放り込んでいく。
まず、体育教師に「片付けは責任持ってやりますので」と花井が断ってから、
3人同時にグラウンドに踏み込んだ。
阿部は捕手の生徒に声を掛けキャッチャーミットを手にし、花井はバットを
手にし、水谷は片付けられようとしていたサードベースを足で抑えこむ。
「どうしたの、みんな」
篠岡が怪訝な表情でたずねる。他の女子もいきなり侵入してきた男子に
とまどっている。
花井が篠岡に声をかける。
「篠岡、中学時代のポジションどこだった?」
「ショート、だけど……」
「じゃ、そのへん立って」
「ええっ?」
花井の言っている意味が判らず、篠岡は阿部に助けを求める。
「2アウト満塁。取ったらバックホームな!」
キャッチャーミットをパシンと鳴らして阿部が不敵に笑う。
「オレがサードランナーだからなー」
塁を踏みながら水谷がわめく。
ボールとバットを手にした花井の、「時間ないから1球だけ。守備につけ」
という言葉に、ようやく篠岡は自分がやるべきことを悟った。
昔馴染んだ自分の定位置に掛けて行く。
「よし来い!」
思わず、笑みがこぼれた。
みんなと、ソフトボールだけど……一緒にプレーが出来るなんて。
面白がる7、8組の女子のヤジの中、花井がまさにドンピシャというフライを
上げた。
篠岡のグラブがボールをしっかり挟み込む。それを確認して水谷が塁を蹴った。
狙うは阿部のミットだ。力いっぱいボールを投げる。
ボールはバウンドして阿部のミットに届き、すかさず走りこんできた水谷を
刺した。
歓声が上がる。
「アーウトォー!」
「しのーか凄ぉい!」

男子の野球部員をアウトにするという快挙に、女子は大喜びだ。
「花井くんが動かなくても取れるトコに上げてくれたからだよ」
篠岡は照れながらホームに駆け寄る。
「それに、阿部くんだから思いっきり投げられたの」
「いい送球だったよ。花井の代わりは無理でも、こいつの代役は出来るな」
阿部はそう答えて、ちらりと水谷を見る。
「そ、それだけはご勘弁を~」
情けない声を出す水谷に笑いがおこる。
もちろん、水谷が本気を出してないことは篠岡には判っている。
この学校で、このクラスで私って本当に幸せモノだ。
今以上にマネジを頑張ろう、と篠岡は心に誓った。

「おもしろかったなー」
倉庫の鍵を受け取り、道具一式を抱えた3人の顔は晴れ晴れとしていた。
「花井の計画、ナイスなー」
「ウチのクラスにはメンツ揃ってたから思いついたんだ」
「9組も部員、3人だぜ」
阿部が三橋と田島、泉の3人を思い浮かべながら言うと、
花井が首を振った。
「正捕手がいないと成り立たねーんだ。あと、適度に抜けた水谷」
「ハイハイ、どーせオレは笑い担当ですよー」
「確かに、三橋に手加減を期待するのはギャンブルだな」
うなづきながら、阿部は「この3人だから出来たのかも」と思った。
それは花井や水谷も同じで、どこか誇らしげだ。
倉庫に入り、道具を置く。それで用事は終った。
「出たら先生に鍵を返してくるから、先に更衣室行ってろ」
そう花井が言い、さて戻るか、と3人で出口に向かおうとしたその時。
ドアの向こうから、女子生徒たちの活きの良い声が聞こえてきた。

「いやー、野球部ってなにげにイイ男揃いだよねー」
聞き覚えのある、我が7組の女子だ。
3人の動きが止まり、思わず聞き耳を立てる。
「今日気づいたの?ウチの野球部は、日本一カッコイイんだよ!」
この声は篠岡だ。
「阿部っていつも無愛想だけど、最後の笑顔可愛いかったぁー」
「私は花井くんだな。好青年、長身、顔だちも整ってるし」
思わず顔が緩む阿部と花井。水谷が面白がって、2人をくすぐって
声を出させようと手を伸ばす。と、
「なんと言っても、水谷だよね」
予期せず自分の名前を呼ばれ、ギクリとする水谷を、他の2人が注目する。
「絶対、ソンしてるよ!」
「そうそう。阿部や花井がアレだから気づきにくいけど、キャラ変えれば
十分イケメンで通るのに惜しい!」
「でも1番、話しやすいよね」
赤面する水谷に、花井と阿部が小声で「水谷が?マジかよー」「シュミ悪ぃ」
などとからかう。
「阿部くんは、ピッチャーの三橋くんに凄く優しいよ。花井くんは主将なの。
いつも1番声出して頑張ってるんだよ。水谷くんは、時々仕事手伝ってくれたり、
気遣ってくれるし、みんな、凄く良い人たちなんだよー。野球やってる時は
200倍くらいカッコイイの」
まるで自分が褒められたかのように答える篠岡は、本当に嬉しそうだ。
見えなくても、その幸せそうな表情が思い浮かぶ。
「……200パーセント、の間違いだよな?」
「チ。どんだけ伸び代広いんだよ」
「あはっ。オレら野球やってて良かったなぁ~」
憎まれ口を叩きながらも、彼女がマネジである幸せをかみ締める面々。
思いつきだったけど、あの笑顔が見られて良かった。
他のクラスの連中には悪いけど、これも7組の特権だよな。
出て行くタイミングを逃したこともあり、ゆるゆると床に座りつつ
「ぜってー甲子園連れて行こうな」と改めて意志の確認をするのだった。


「で?しのーかのタイプってどれよ?」
おお。マネジのいない時に、部員の間で何度も話題になるネタだ。
ナイスな質問をありがとう!
3人は顔を見合わせそわそわと会話に耳を傾ける。
「みんなカッコイイから。他のクラスにも、凄ーいピッチャーとか
4番とかみんな……」
「ソレも聞き飽きた。さ、白状しなさい!」
「同じ中学の阿部が怪しい」「主将とマネジが1番美しいわよ」
「水谷と良く話してるんじゃない?」と次々に問い詰められて、
篠岡はしどろもどろになった。
「私は、野球が好きな人なら、それだけで条件クリアというか…」
短い沈黙が出来た。1人の生徒の顔から笑みが消え、固い口調になる。
「しのーか、あんた男子に人気あるんだから、もっと欲持ちなよね」
「よ、欲って?」
「しのーかは視野狭すぎ。他の部とか上級生とか、選択肢いっくら
でもあるのに勿体無いわ!」
「うん。しっかりモノのマネジなのに、自分のことは抜けてるよ。
アタシ、しのーかには落ち着いた大人な人が良いと思う」
水谷は、雲行きが怪しい方向に向かっているのを感じた。
この流れだと、会話の行く先の予想はつく。
「とにかく、他のクラスは知らないけど、グラウンドに乱入して
あんな子供っぽいことやっちゃう、ウチの連中は大却下!」
「そうそう、ガキだよねー」
「ガキ」の一言に阿部はショックを受け、発案者の花井は
うなだれている。水谷は1人でウケていた。
ガキでごめんなー。
主将と副主将込みで、ノリノリでやっちゃったもんな、オレら。
あ、2人ともまだ落ち込んでる。花井と阿部は打たれ慣れてないから、
こういう時弱いんだよなぁ、オレと違って。

篠岡は、「そのギャップが良いのに」「野球知らない人は…」
などと抵抗していたが、他の生徒の方がヒートアップしてきた。
「ますます、あんな野球バカ連中にしのーかを渡すのは許せなく
なってきた。断固阻止するからね!」
「何言ってるのー。みんな別に私のことなんて何とも…」
「んな訳ないでしょぉ!」
篠岡を取り囲んだ生徒たちが口々に叫ぶ。
「連中の顔見た?」
「揃ってしのーかにメロメロなのに、気づかないあんたも
相当なおバカ!」
「そ、そうなのー?」
うわ。クリティカルヒット。さすが女はちゃんと見てるな!
確かにオレら、アホっぽかったかもなー。あはは。
水谷もダメージはあるが、仲間を観察しながらどこか他人事の
ように受け止めていた。
笑い出しそうな自分とは対照的に、頭を抱えたり、引きつったり、
余裕がない阿部と花井を見るのは楽しい。
「しのーか、心配だから好きな人で来たら、必ず私らに相談しなよ。
どんな男か見極めてあげるから」
「うん、ありがとー。その時はよろしくね」
篠岡は完全に丸め込まれて答える。
その後、「しのーかを7組の野球バカから護る会」が結成され、
しだいに会話の声が遠のいていった。
すっかり毒気を抜かれた3人は、のろのろと立ち上がった。
「さてと、さっさと着替えて教室戻るか」
花井が力なく言う。その隣で、阿部がブツブツ呟く。
「顔に出てるって……イヤイヤ、高校球児舐めんなよ。酒、煙草、
女の『不祥事』に繋がる誘惑に近寄る訳ねーだろーが」
「うんうん、そうだよな」


水谷は、負け惜しみにしか聞こえないそれに苦笑いする。
……オレはこの3人で篠岡を喜ばせることが出来て、嬉しかったん
だけど、花井と阿部はそうじゃないのかな。
「ああ言われてったけどよ、オレはしのーかとソフト出来て
楽しかったよ。お前らはどう?」
水谷の言葉に、花井と阿部は顔を見合わせる。
「面白かった」
「ああ」
いつのまにか、妙な連帯感が生まれていた。
うん、後悔はしていない。
彼らはガキのような笑顔で、体育倉庫を後にした。


終わりです。





最終更新:2008年01月06日 02:38