カイロ周辺域アクイファー開発計画は、カイロと周辺地区の人々を干ばつから救済する ことを目的としたエンジニアリングプロジェクト。最終的に破綻したこの計画には、水源を巡ってエジプトとナイル川同盟(
NRC)間で差し迫っていた戦争を回避する狙いがあった。
2040年、NRC加盟国がケニアに続き、ナイル川沿い地域における地元ダム計画の資金確保を求めて
コモンディフェンスパクト(CDP)にこそって調印すると、エジプトはそれ以前に交わされていた水利権の地域協定に違反する可能性について懸念を表明した,
ダム計画の着手によってエジプト国内におけるナイル川の水位が下がり始めたことを受け、2048年、エジプトのウィンズロー •アコード同盟国であるアメリカ、サウジアラビア 、日本の出資によって、カイロと周辺域の砂漠の地下に眠る自然の砂岩带水層を活用し ようという大がかりな共同事業が進められた。
こうして、とてつもない大きさの移動式造水プラントが建造ざれた,ゆっくりと移動す るこの巨大なキャタピラー車両は、掘削と採掘を行うプラットフォームでありながら、 シルトの分離と浄水を行うシステムも備えており、下層の岩盤にある多孔質の砂岩水檐 まで掘り下げ、それを拡大、拡張させて、エジプトの人々に十分な飲料水を供給することを目的としたものだった。
気候変動の結果として地球気温が上昇を続けたことで、サ八ラ砂漠がエジプトの人口集中地域にまで深く広がり、エジプトの人口はナイル川沿いとカイロに集中することにな った。流れ込む砂には勝てず、おびただしい数の村や町が放棄された。
2050年、移動してきた入々に家を提供することを目的とした大規模なエンジニアリングプロジェクトがカイロで開始された。これは、空にそびえる各戸独立式の巨大な200階建て 高層ビルを建築するという計画である。
2053年のケニア、2055年のスーダンなど、CDPの資金援助を受けたNRC加盟国によるナイル 川のダム計画がそれそれ開始されると、エジプトに届く水量は20%減少してエジプトの農 業生産が落ち込み、緊張が高まった。
アクイファー計画をよそにエチオピアがダムを完成させた2059年、必要な水董をかろうじ て得られるに過ぎなくなっていたエジプトはNRCに宣戦布告した。現代史において、水利 権を巡って行われる初めての戦争である。
紛争開始から2年を経て、カイロ周辺域アクイファー計画は水に困窮していた人々に水を 届け始めたが、戦争状態にある国が得た安心感は長く続かなかった。稼働からわずか1年 後、構造的に弱い带水層が崩壊し始め、カイロと周辺地域で弱い地震と地盤沈下が発生 し、新しい水道システムは機能を失った。さらに、街の高層住宅計画にも甚大な構造的 ダメージがもたらされた。
喉の渴きを訴える住民が水不足で塞動を起こして銃後の混乱が生じたため、2063年にエジプト軍は
NRCの領土から撤退し、いまや勢いづいた侵略軍に抗戦する状況に至る。現在カイロは
NRC軍に包囲されており、長くは持ちこたえられないと見ている。
移動式の造水プラントは破棄され、サハラの砂に飲み込まれたままの状態だ。
最終更新:2015年11月18日 18:37