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コラム003

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匿名ユーザー

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2005/10/08

終戦60周年記念・極東国際軍事裁判(提起)


日本人としてこのテーマは一度は考えてみる必要があるだろう。


なぜなら、第二次世界大戦が終結し、日本が新生「日本」として生まれ変わる
重大な出来事であったからだ。

  • 戦後の焼け野原から、世界第2位の経済大国に登りつめた日本


明治維新も今日の近代日本の基礎が誕生した衝撃的な出来事であったが、
今回のテーマもそれに負けず劣らずである。

今年は終戦60周年でもあり、その意味でも少し考えてみよう。


極東国際軍事裁判


極東国際軍事裁判、通称・東京裁判は、1946年(昭和21年)5月3日より審理が開始し、
1948年(昭和23年)11月12日に判決が下された。

  • 判決を聞く東條英機


この東京裁判は名前こそ裁判であるが、その内容たるやおおよそ
裁判とはとてもいえないものであった。

裁判というのは通常、中立的な判事が被害者・加害者双方の言い分を聞き、判決を下すというものだ。

しかし東京裁判では、判事はすべて戦勝国から選ばれ、
中立的な判事はほぼ皆無だった。

証人のすべてに偽証罪を問わず、日本側の主張はほぼ却下された。
まるで被害者が加害者を一方的に罰する異常な裁判である。

アメリカによる原爆使用や無差別爆撃などの行為は、
この裁判の対象にならなかったのは、言わずもがなである。

  • 原爆投下によって10万人以上が死亡した。被害者の多くは非戦闘員であり、これは明らかな国際法違反である。


国際軍事裁判が行われた経緯


こうした裁判の経緯について、当時のアメリカ国内からも批判があがるほどであった。

東京裁判の詳細については調べてもらうとして、なぜこのような裁判が行われたのだろう?

それは第一次世界大戦からの教訓によるものだ。

敗戦国ドイツに対して連合国側は、戦犯処理をドイツ国内での裁判に委ねた。
しかし、戦犯とされ起訴されたものは、ほとんど罪を問われなかった(最高刑はたった懲役2年だった)。
連合国側はこの裁判は無意味であるとして、戦犯を引き渡すよう要求。だがこれをドイツは断固拒否した。


そこで次のような教訓が生まれた。

(1) 敵戦犯を敵国の裁判に委ねない.
(2) 犯罪者の処分を休戦の条件とする.
(3) 戦犯の起訴は可及的速やかに裁判する.そうでないならば証人は消滅,証拠は隠滅される.
(4) 裁判の主たる準備は戦勝国当局において行う.
(5) 驚くべき犯罪によって戦犯が処分されるのは当然であると,敵国の世論を喚起する.
(6) ライプチヒ裁判は連合軍側の意見の不一致に基づくものであったから,今度は真に結合して協力態勢をとる.

↑森田正覚「ロスバニオス刑場の流星群」,芙蓉書房,より抜粋


東京裁判はこの教訓をもとに行われたのだ。


こうした裁判への疑問


だが教訓を元にしたとはいえ、裁判であるにもかかわらず東京裁判のような不公平な裁判が行われていいものだろうか?

かといって、敗戦国の国内裁判に委ねても意味はないだろう。

では、今後同じような事態に接したとき、一体どうすればよいのだろうか?


それでは、少し考えてもらおうか(´ー`)y─┛~~

タイ━━━━||Φ|(|´|Д|`|)|Φ||━━━━ホ!!されたフセインの処遇とかw


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