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後醍醐天皇とは京都市で生まれ、足利尊氏新田義貞と共に鎌倉幕府滅亡させた天皇

概要

1318年に即位
鎌倉幕府の倒幕が幕府にバレてしまい、正中の変発生
両統迭立に基づき光厳天皇皇太子とする。
その後、建武の新政を開いた(元弘の変)。

幕府側だった足利尊氏は、倒幕に加わり六波羅探題を攻め落とした。
更に新田義貞により、あっという間に鎌倉を攻略

しかし三種の神器を取り上げられ、光明天皇即位させる。
一度は花山院に幽閉されるものの、密かに逃げ出し皇位の正当性を主張した。

その後、南北朝時代が始まるが病気により亡くなった。

実は……

無礼講を開いていたが、その内容は、とても有名
幕府批判などを軽々しく講じていたらしい。

護良親王

36人の子の中に含まれる護良親王は1334年、東光寺に幽閉された。そして中先代の乱が起こる。

明治維新後、親王を弔い東光寺跡に鎌倉宮が建てられた。

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人物
最終更新:2026年05月17日 05:36