アットウィキロゴ
frame_decoration

水戸黄門(みとこうもん、徳川光圀)とは、水戸藩藩主ドラマについては水戸黄門(ドラマ)参照

概要

1628年に、水戸藩の初代藩主徳川頼房徳川家康の11男)の三男として生まれ、1661年に第2代藩主となった。

政治に力を注ぎ、湿地帯を埋め立てて城下町を広げたり、上水道を作ったり、神社整理したりした。

また、度々領内を回って々の生活安定に務め、ききんに備えるを作り、煙草などの生産奨励した。

大きいを作って、蝦夷地との交易もした。

1690年に引退し、隠居所の西山荘に住んで、1700年に73歳で病死した。

業績で一番有名なものは、全国から史料を集めて大日本史という大掛かりな歴史書を作らせたこと。

その史料を集める為に日本各地を回ったのは、佐々木助三郎モデルと言われる佐々宗淳たち。

また、集まった史料の整理に腕を振るった安積澹泊は、渥美格之進のモデルと言われている。

引退すると、中納言というを与えられた。

中納言は黄門侍郎という役職にあたることから「黄門」とも呼ばれていたので水戸黄門と呼ばれるようになった。

江戸時代末期から講釈師講談を語る)などの人たちが、水戸黄門は優れた殿様であり、諸国を漫遊して悪人を懲らしめたというを作ってきた。

これらの作り話が、講談芝居映画ドラマなどになっていったのである。

タグ:

人物
最終更新:2026年08月28日 09:27