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滝廉太郎(たきれんたろう)とは明治時代作曲家音楽教科書で誰もが目にしただろう。

概要

荒城の月などの名曲は、メロディでも使われている。

生い立ち

1879年、大分県竹田市で生まれ、西洋音楽普及の一端を担った。幼少期は転校を繰り返していた。15歳、現在東京音楽学校へ進む。しかし父親役人を務めており、子供にも同じを目指してほしいところ。それに対し従兄は音楽の才能を論じ、父親を納得させた。ピアノ演奏で才能を発揮鬼才と呼ばれるほどの演奏技術を身に付ける。1898年、音楽学校を主席卒業

成果

1901年、中等唱歌集楽曲掲載された。これは、もはや世界に名を知れるほどであるといっていいだろう。因みに幼稚園唱歌集にも載せられた。ドイツのラプツィヒ音楽院へ留学、ただ2か月後に結核を患い入院病院治療するも回復の見込みがなく僅か1年ばかりで帰国する。1903年、日本療養を続けるも23歳で死去ロンドンテムズ川停泊していた時、土井晩翠と出会った。

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人物
最終更新:2026年05月30日 11:46