【2000? > 09? > 12 佐藤順子(当時28歳、女)スイス・ツェルマット】

【2000/09/12前後 佐藤順子(当時28歳、女)スイス・ツェルマット】

http://members.at.infoseek.co.jp/tracer/index.html

【氏 名】  佐藤 順子 【年 齢】  当時28歳(かなり若く見える)
【特 徴】  身長153cm  痩せ気味(40~45kg)  ショートヘア(当時)
       話すと表情が変わる  首に大き目のホクロ
現在の状況
 ツェルマット警察は順子が行方不明となった2000年9月から2ヶ月に渡り遭難の線で捜査(詳細はこのページへ)をしたが手掛かりは得られず2000年11月4日に一度捜査を打ち切りました。
 遭難と結論付けるには不審な点(詳細はこのページへ)があり、私達はこのHP、マスコミを通じ新たな情報を求めました。
 外務省、在ジュネーブ日本国総領事館、他たくさんの方々のご協力を戴き現地警察に再捜査を依頼した結果、2001年9月にようやく再捜査・捜索へとこぎつけました。
 ご協力をいただいた皆様、本当にありがとうございます。
 その再捜査・捜索に立ち会うため、家族と友人代表がツェルマットを訪れました。
 その際の捜索では順子に関連するものは一切見つからず、また捜査についても疑問点、不審点等警察と直接話し、すべて明らかにするよう依頼し、警察もそれに応えてくれましたが、その後明るいニュースは入ってきておりません。
 私達は家族共々日々順子の無事を願い、信じ、まだ自分達にできる事はないか、試行錯誤しております。
2000/9/11(順子行方不明前日)からの詳細
(主に現地警察からの報告による)
2000/9/11 ツェルマットのユースホステルにチェックイン
2000/9/12 順子、行方不明となる
(最後に順子を見たのはユースホステルで朝食を共にした女性であり、この日はユースホステル従業員を含め他に全く順子を見たと言う人はいない)
ユースホステル側が順子が「16日まで戻らない」とのメッセージを残したと勘違いしていた為、通報が遅れる
(16日まで戻らないのは他の人だったらしい・この点に関してはユースホステルの記憶は曖昧であり、詳細は不明)。
2000/9/16 11:45頃 ユースホステルが上記勘違いに気づき、警察に第一報
15:00頃 緊急救助隊へ通報され、同隊捜索開始
2000/9/18 正式な捜索命令が出る
2000/9/19 ゴルナーグラット(Gornergrat)地域をヘリで2時間捜索
2000/9/22 順子両親現地到着
2000/9/23 ヘリに両親同乗し、ヘルンリ(Hornli)登山小屋、マッターホルン(Matterhorn)およびメッテルホルン(Mettelhorn)地域を捜索
同時に徒歩による捜索隊も出動
2000/9/27 スネガ(Sunnegga)方面、ロートホルン(Rothorn)地域徒歩で捜索
山岳ガイド中心とした地上捜索隊による捜査
ヘリ出動
2000/9/28
~2000/10/6
ツェルマットTV放送の10分間隔のニュースにおいて、行方不明事件を顔写真と共に報道し関連情報収集につき協力を求めた
狩猟シーズンにもかかわらずハンターからの情報も無し
2000/9/29 地元の新聞に顔写真入りの記事を掲載し、情報を求めた
その他の捜査 空路:スイスからの出国記録なし
顔写真入りのチラシを市内数箇所に掲示(15枚:両親により準備)
2000/11/4 ツェルマット警察は遭難と判断し捜査を打ち切る
2000/11/5以降、日本での動き
2000/11/17 日本国内での本件に関する最初の報道 読売新聞夕刊に掲載
2000/11/20 外務大臣に本件に関するお力添えをお願いする
(両親・友人が手紙を書く)
2000/11/27 当ホームページを開設
2000/11/30 ホームページドイツ語版立ち上げ(ツェルマットの日常語はドイツ語)
(Tさん、翻訳のご協力ありがとうございます!)
2000/12/7 外務省邦人保護課訪問(家族、友人)現地での捜索状況などをご説明戴く。現地警察の遭難との見方だけでなく、遭難以外の事件の可能性も含めて再捜査をして戴きたいという思いを伝える。ただし再捜査には目撃情報等の新たな情報が必要である
2000/12/9 日経新聞夕刊掲載
2000/12/11 TBS「ニュースの森」にて約5分放送
関東版に限り更に約10分の特集として放送
2000/12/11 友人代表の1人がスイスへ。
HPを通じご紹介頂いた方、ご協力頂いた方訪問。
スイスのテレビ局(Tele24)と面会(2000/12/29帰国)
2001/1/12 TV朝日「スーパーJチャンネル」放送
2001/1/22 家族(母と弟)がスイス訪問(2001/2/6帰国)
順子のツェルマットでの足取りを追い警察、ユースホステルの主人、弁護士と面談。
警察に再捜査を依頼。
ポスター、カードをチューリッヒ、ベルリン、インターラーケン、ツェルマットで掲示板依頼、配布。
2001/2/3 読売新聞(夕刊)掲載
2001/2/5 TV朝日「スーパーJチャンネル」放送
2001/2/15 TV朝日「スーパーJチャンネル」放送
2001/5/30 スイス大使館訪問
2001/6/30 欧州大使館へ協力依頼の手紙とカードを送付
2001/7/16 日本ユース協会訪問
2001/8中旬 スイスユースホステル協会へ協力依頼の手紙とカードを送付
2001/8/30 産経新聞夕刊(武蔵野版)掲載
2001/8/31 産経新聞朝刊(大阪版)掲載
2001/9/2 家族と友人が再捜査のため、訪問(2001/9/9帰国)
2001/9/11 TV朝日「スーパーJチャンネル」放送
2001/9/19 警視庁刑事部国際捜査課訪問。
今後の捜査についてアドバイスを頂く。
2002/8/17 来日中のスイスの弁護士と面会。スイスでの現況報告を聞き、
今後について相談。
2002/8/20 衆議院議員平沢勝栄氏と面会。捜査についてアドバイスを頂き、
今後の協力を依頼。
2003/1/18 日本TVスーパースペシャル「FBI超能力捜査官」放送
2003/秋 日本TVスーパースペシャル「FBI超能力捜査官」続報放送予定
現   在 スイス及び近隣諸国に配布・掲示用のポスター、カード作成・配布をしております。
スイス・近隣諸国在住の皆さん、配布・掲示にご協力戴けるようでしたら御連絡ください!
junkosatou@hotmail.com
(カラープリンターをお持ちの方,、御協力いただけるようでしたらこちらからプリントアウトし,配布・掲示いただけると幸甚です)
こちら→ (ポスター・カードのファイルへ

<ポスター・カードの作成にあたり(アイディア・翻訳・デザイン・印刷など)御協力戴いた皆様,有難う御座いました>
印刷協力: 株式会社ローヤル企画殿 http://www.loyal.co.jp
  
不審点
  行方不明後、東京の自宅に無言電話が何度もあり。
以下日本時間(ちなみにスイス時間は-7時間 / 夏時間)
2000/9/20 20:30 無言電話あり。日本語ではないと思われる話し声が受話器の向こうから聞こえた。
2000/9/27 08:28 無言電話あり。
2000/9/27 08:29 無言電話 電話向こうは騒がしい。
2000/9/28 08:29 無言電話 「もしもし」と言ったら切れた。
2000/9/29 08:13 電話に出たらすぐに切れた。
  ※この電話に就き、発信地など調査を試みたが、かかってきた電話番号がわからない限り調査することは不可能とのこと。


 旅行期間中毎日欠かさず日記をつけていたが、行方不明となる前日(2000/9/11)の日記が記されていない。(しかし、日記と同じノートに毎日付けている小遣帳は2000/9/11分も記載されている。)


 行方不明になる前後(2000/9/11~12頃)の目撃証言などによる彼女の行動は、家族や友人たちの認識する彼女の性格によるものからかけ離れている。旅行中の彼女の日記からも彼女の慎重さは良くわかる。


 2000/9/12に彼女と一緒に朝食をとった方以外、彼女が行方不明となったツェルマットユースホステルの同宿者は誰も彼女と話しておらず、顔に覚えが無いとの証言。それまでの日記には同宿者と今までのスケジュール・これからのスケジュールの情報交換等活発な交流が記されており、ツェルマットでの彼女の態度・行動などは不自然。


 順子と思われる人に対して声を掛けている同宿者もいるが、それに対して順子は返事すらせず、いつもの順子を知るものからはこれは不自然。


 現地に実際行った方々の話を多く聞いたが、行方不明となった(と思われる)9/12は好天であったとの事で一般的に旅行者が行動する範囲には遭難しそうな場所は存在しない。(順子は足に血マメが前日できており、ハイキングも無理はできないと推測される)


 ハイキングコースには人気のない森もあり、そこで不審な男性に後をつけられたという日本人女性からのメールあり。


 順子は軽装のまま出かけており、山登りをするつもりだったら寒がりの順子は防寒具を持っていくのではないか。
これまでの調査・確認の結果
<外務省からの情報>
在ジュネーブ日本国総領事館より外務省に下記連絡あり。
(1)ジュネーブ総領事はツェルマット警察に連絡を取り、本件関連情報収集にかかる今後の進捗状況を照会したところ、ツェルマット警察は次のとおり述べた。
 なおジュネーブ総領事よりは、ツェルマット警察側のこれまでの努力に謝意を表すと共に、本件にかかる協力を今後とも引き続き得たい旨改めて要請した。

(a)ツェルマット警察は、スイス国内のみならず、国際刑事警察機構を通じてイタリア、オーストリアまで範囲を広げ、引き続き本件関連情報の収集に努めている。例えば、佐藤順子氏の2000/9/6付けの日誌(ザルツブルグで不審な男にまとわりつかれた旨の記載あり(→日記へ)をもとに、ザルツブルグ警察にも情報提供を依頼しているが、残念ながら今日までいかなる新情報ももたらされていない。
(b)ジュネーブ総領事より、「記憶喪失等の理由で、本人も回りのものも素性が不明のままスイス国内の病院等に保護・収容されている可能性は無いか」と質したのに対し(これは佐藤順子を探す会から外務省に質したもの)スイス国内の全ての病院ではないが、ツェルマットを中心とした病院施設に対しては情報提供を依頼しているところ、その可能性はまず考えられない。またその他の病院に就いても、仮に国籍等身元不明な人物が入院した場合、警察当局に何らかの形で連絡照会が来るシステムとなっている。

(2)当地ジュネーブにおいては、佐藤順子氏の母の当館来訪時の依頼もあり、順子氏の顔写真入りポスターを、市内定期観光バス発着所・切符売り場、ジュネーブ州警察各派出所 (含む空港、駅等)及び市観光案内所に配布・掲示してもらっており、また、当館を含め、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部、JETRO(日本貿易振興会・当地日本人クラブ事務所)及び日本語補修校の各事務所内でも同様の措置をとりながら広く関連情報の収集に努めているが、今日に至るまで新たな情報には接していない。なお、在スイス日本大使館を通じ、不審電話のスイス国内からの発信の有無を在ベルンSWISSCOMに照会してみたが、右確認は出来ないとの回答があった由。
 これらの情報は参考までに、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部、在スイス大使館、在フランス大使館、在マルセイユ総領事館、在ドイツ大使館、在イタリア大使館、在ミラノ総領事館、在オーストリア大使館に連絡した。


<現地からの情報>
 順子が行方不明となった2000/9/12、ウンターロートホルン(ツェルマットからケーブルカーでスネガまで行き、ロープウェーで2駅。標高3,100m。因みにツェルマットは標高1,620m)にて目撃情報あり。目撃者はスイス人の女性であり、スイス国内で放送されたテレビ番組を見て目撃情報を警察に申し出たものである。

※この目撃情報により2001年9月に再捜索したが何も発見されなかった。


<順子のクレジットカードの使用履歴>
行方不明後は使用された記録なし。

(使用された場合はすぐ連絡がくるよう手配済)


<銀行のキャッシュカードの使用履歴>
順子はCITY BANKのキャッシュカードを利用しており、旅行中も何度かそこの口座から現金を引き出していたが、2000/9/10を最後に使用された記録は無い。


<無言電話>
  NTT,KDD,府中警察に本件の経緯を説明し発信元の確認を依頼したが、確認は不可能であると回答された。

(電話番号がわからないと不可能)


<スイスからの出国記録>
順子がスイスから出国した可能性を探るためスイスのパスポートコントロールを確認すると言う考えもあるが、それは不可能。(スイスへの出入国に関してはパスポートを見せるだけでスタンプすら押さない。→2000/12に友人代表の一人がスイスを訪問したときの経験による。)

※2001/9に警視庁刑事部国際捜査課を訪問した際、身元不明者の照会があった場合に備えインターポールに順子のデータを登録してもらうよう依頼。


<旅行前・旅行中の順子の精神状態>
残された日記を読む限り、何かを思いつめている様子は伺えない。
(日記(抜粋)はこちらへ→ )  念の為に過去に宗教・政治等の活動に順子が関わっていたか確認したが、そのような活動記録は発見できなかった。
最終更新:2005年07月05日 03:48
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。