牛魔王

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西遊記の牛魔王とは別人。 殉教十一烈士の二人に数えられる夫婦漫才師「アホとめぐみ」の師匠格。 カリスマ性が高く、圧倒的とも言える人望・暴力・性衝動に裏打ちされた言動によって、大東亜戦後、地下生活を送る末端ホロゾンタ教徒たちの結束を固めた。 500円基金は、牛の力により軌道に乗ったと言い切って良い。 この人物がいなければ、戦後ホロゾンタの空中分解は避けられなかったであろうと、教団の内外を問わぬ高い評価を得ており、我が国におけるホロゾンタ中興の祖とも謳われる義侠の人。 広く布教活動に勤しむため、大手塾に就職した彼は、あたかも三国志の関羽が近所の子どもを集め四書五経を教えたように、徳と仁で人心を魅了したと言われる。
卒論提出を諦めかけた きのやまを叱責するために出撃した牛

没後、現在に至るまで、彼の御霊を自宅の社に勧請して日夜の拝礼を欠かさぬ者が後を絶たない等、政財界から名も無き市井の人々に至るまで、深い追慕の念を受けている。 また、近年ではテレビゲームやカードゲーム等にも度々取り上げられ、殊に若年層においては伊達政宗・真田幸村と並ぶ屈指の知名度を誇っている。 歴女と呼ばれる女性群が、その墓所に日参して涙することも珍しくない。 老若男女を問わず多くの日本人から深く愛され、その容姿をマスコットキャラクター化した「牛にゃん」は、平成22年度ゆるキャラ大賞を獲得した。
牛魔王を模したゆるキャラ「牛にゃん」


生涯

船の上に生涯を浮かべたのは芭蕉であったが、芭蕉と聞いて編者がついつい心の中で一人ごちてしまうのが、マッドドッグ・バションである。国際プロレスにおいて、ラッシャー木村と死闘を演じた。ブッチャー・バションは、実兄。それと、僭越ではあるが、1980年代、関西の土曜日深夜ラジオ番組であった、浜村淳司会の「サタデーバチョン」も、二回に一回は口ずさんでしまう。

そんなことはどうでもいい。牛魔王の話である。芭蕉が船の上なら、彼はそう、牛の上であった。子々孫々引き継がれてきた馬子の仕事を、彼の代で牛に乗り換えるという大英断を下す。七歳にして、家督を継いだ彼が最初に下したのが先に述べた英断であった。「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」の標語は、彼の手作りである。馬のスピードより、牛の確実性を重視した彼は、英断当初は他の業者に大敗を喫するが、じわじわと勢力地図を塗り替えていき、最終的には西日本を完全に制圧する。東日本は、言わずと知れたヤマト運輸である。猫と牛の戦いは冷ややかな嘲笑を持って馬子たちに見られていたが、その両者が確実に顧客の信用を得るようになると、馬子たちも捨て置けなくなり、馬子協会の名を持って圧力をかけたりもしたが時既に遅し。ユーザーの心は、次世代へと移っていたのであった。



墓所

爆死したカンボジア奥地に建立された牛魔王憤怒立像は、本人とは似ても似つかぬ像である事が却って話題となり、現在ではアンコール遺跡を凌ぐ観光スポットと化した

逸話

常人には度し難いほどの豪放磊落な気性と、激しい性衝動に則った行動を生活の根幹に置き、その波乱に満ちた一生の中で、児戯にも似た事件を度々起こした。

どんな力にも屈せぬ『ブレーカー手上げ事件』
戦中から戦後10年ほどまでの間、教徒たちは常に官憲の目を欺きながらの地下生活を余儀なくされていた。 潜伏先の下宿の屋根裏に棲息するクマネズミを捕獲し、三日に一度の夕餉とするなど、その劣悪な栄養状態は酸鼻を極める有様であったという。 こういった酷烈とも言える惨状に胸を痛めた牛は、極度の栄養失調状態に陥った教徒の救済と、同志同朋の親睦を深める事を主眼においた集会(サバト)を企画・立案・決行した。 その最初の集会での椿事。 充分な給電を得られぬという劣勢下にもかかわらず、2台のホットプレートを使用してギョウザを調理していたホロゾンタ一味は、度重なるブレーカー落ちに悩まされ続け、もはや心神耗弱の状態に陥らんとしていた。 この逆境を打開翻転させるため、決然と立ち上がった義侠の人、牛は、今まさに落ちんとするブレーカースイッチをしかと見据えたかと思うや、躊躇うことなく右手を差し伸ばし、その肉厚の掌でスイッチを押し上げた。 裁きの雷とも思えるほどの漏電流に全身を貫かれながら、決してその右手を放そうとはしない牛の清冽な勇姿を目の当たりにし、その場に居合わせたホロゾンタ信徒は皆、牛の身を挺した殉教精神に深く心を打たれ、明滅する裸電球の下、血涙に頬をふるわせながらギョウザを食したという。 「聖ファティマの血涙」または「雷帝の餃子騒動」とも呼ばれるのはこのためである。 美談として語られる事の多いこの事件であるが、あまりの漏電流のため、この直後、発火・炎上し家屋全焼に至った。 また「どんな力にも屈せぬ」とは、この時、牛が電流に全身を貫かれながら絶叫した不退転の決意を示すホロゾンタの呪文である。 その勇姿は、あたかも錦絵に描いた猛牛がそのまま抜け出してきたかの様で、後に首班の小鳥によって「右折曲がらずビームにはビーム」と詠まれるほどの見事な益荒男振りであったという。

また、この事件以降、教団内ではこぞって親睦会を企画・決行する事が流行し、信者がめいめいに持ち寄った食材で互いの空腹を補填しあうという互助の精神が初めて芽生えた。 当初は、パンに比べて価格が高いという理由から、米飯が食膳に出されることは少なかったという。 1976年から食膳に米飯が登場するようになり、食育とあいまって米飯を中心とした日本型食生活の促進が期待されるようになっている。 国会でも、まだまだ米飯食を増やしたいと意向が示された。 近年では週に3回程度、米飯が出るようになっており、さらに週4回まで増やすことが検討されている。 また、余った分は欲しい者に対して開放するほか、デザートや人気メニューについては導師の指導の下、ジャンケンや特配などの方法で争いが無いように分配されるなど、「集団内のルールを作りながら問題を解決する」といった基本的な社会性の教材的な扱われ方も見られる。 1990年代よりは食育という「食事の教育的側面」が注目されるようになり、郷土料理の取り込みや地域産品の活用も見られるが、その一方で余剰地域産品の重要な消費先ともなっており、地域農林水産業の影響も見て取れる。 牛乳では2004年度の消費量は385,543キロリットル(前年度比-2.7%)となっており、これは加工用乳含めた全牛乳生産量の9.8%であるが、この消費量の微減傾向は2005年に前後する牛乳供給過剰問題の一因にも挙げられている(畜産情報ネットワーク推進協議会調べ)。


創意工夫で何事も打開しようとする『いいちこ一升瓶ポット加熱事件』
ポット破壊


いつもふざけてばかりいる男を奈良から最終電車で呼び出し、ただただ一晩正座させた『友情事件』


等々、枚挙にいとまがない。

この後、カンボジアでの地雷除去作業ボランティア中に、爆死。 カンボジア政府の『偉大な他国の友人20人』に筆頭で選ばれた。
最終更新:2014年01月04日 00:18