セム

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本名はセムQらしい。 少しうつむきがちの姿勢からそう呼ばれたとの説もある。Qは、魯迅『阿Q正伝』からの引用という説もあるが、無知蒙昧な愚民の典型である阿Qとは違って、彼女は清廉で聡明な女性であった。見た目は地味であったが、黒目の大きい、瓜実顔の美人であったと伝えられる。 川本のアメフト勧誘を断るという英断により、歴史に名を刻むこととなる。

戦後発見された見廻り組の記録の中に「セム」という文字が頻出する。その立場上、伏見奉行所に自由に行き来出来たセムが、尊皇浪士たちに捕縛情報や取り調べ内容などを密かに伝えていたという記録である。その身に危険が及ぶと伏見奉行書に逃げ込み、虎口から脱出したらしい。彼女の情報漏洩により、多くの浪士が命拾いをしており、その悔しさが見廻り組の記録からはにじみ出ている。例えば、セムの情報がなければ、桂小五郎は二回死んでいたらしい。仮に、セムとセムQが同一人物であるなら、ホロゾンタとの関係も今後考えねばならないテーマである。

生涯

四年間の年期を終え、近江に帰郷した後は、近江商人に嫁ぎ、子を二人もうけ、幸せな人生を送ったという。その子ども二人が設立した会社こそが、メンソレータムで有名な現代の近江兄弟社である。

墓所

近江の愛飲寺

応仁の乱以降、戦国時代に羽柴秀吉にその地位を奪われるまで近江を長く統治していた戦闘僧侶集団 月山(がっさん)の総本山。月山は、どの宗派からも距離をおいて仏教の教理を研究する集団であった。支持母体は近江商人であるとされるが、詳しくは不明である。ただ、その潤沢な資金力を考えると、近江商人の力なしには不可能とされる。当時最新鋭とされた鉄砲を2千丁装備していたとも言われ、それは本山の保護だけではなく、近江そのものの治安を担っていたと古文書からは読み取れる。ただ、原理主義が陥りやすい余りにストイックな行動様式に対する要求は、多くの粛清を生んだとも言われる。その隙をついた懐柔工作によって、内部分裂を秀吉によって起こされ、わずか2週間で月山は、瓦解した。現在残る愛飲寺は、戦後、建て直されたものである。

逸話

夏の夜の深夜、京に巣食う脱藩浪士どもの襲撃を受けそうになったことがあった。しかし、襲撃直前、障子に映る行灯の光で浮かび上がったセムの影を見た浪士どもの心は何故か静まってしまい、誰からともなくそこを立ち去ったという。

彼女が後生に残した名言は「蟹は自分の甲羅に合わせて穴を掘る」である。若い頃に思い上がっていた人間も、人生を知るにつれ、この言葉の重みを思い知るようになる。
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セムQの大好物のアブラガニ

結婚して数年が経ち、そろそろ倦怠期かと自覚する時期のことだった。子どもも出来、順調な人生を歩んでいるかのように見えるセムQだったが、その実、彼女には大きな不安があった。それは、このまま性の喜びを知らないまま女として終わりを迎えるのか、という恐怖であった。真面目な良妻賢母の典型であった彼女にも、時として人生を捨ててしまいたい程の激しい性衝動に襲われることがあった。そしてそれは、前の穴ではなく、後ろの穴にぶち込んで欲しいという衝動であった。しかし、淡泊な夫にそんな大それた事を言い出せるはずもなく、かといってオナニーはプライドが許さないのと罪悪感で行えず、ただただ彼女は悶々とした日々を送っていた。
そんな彼女が、世界初のアナルプラグを考案したのは、むしろ必然である。
最終更新:2012年04月03日 20:48