東大入試03年前期 理系問6
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かつて東京大学の入学試験で出題された有名な問題であるが、1=2の証明を用いれば朝飯前なのだ。
しかも数学者気取りのかっこつけた証明が可能である。
証明)
この命題を直接証明することも可能だが、 後のためにより強い命題を示してその系として導くことにする。 すべての数は等しいのでπ=2.05かつπ=3.05かつπ=4.05 従って、円周率は3.05より小さく、かつ3.05と等しく、かつ3.05より大きい。 この系として円周率は3.05より大きいことが導かれる。
※上の証明の別の系として円周率が3.05以下であることも導かれる。
したがってこの命題は「真であり、かつ偽である。」東大ならではの不思議な問題といえるだろう。
大ペナ、ついに完全に閉鎖されましたね。4月25日の事で、過疎が原因だったようです。完全に大ペナを離れていて閉鎖の一因となった私が言うのも無責任ですがやはりどこか寂しいというか、無常を思わざるを得ないというのが本心です。大ちゃんは今までお疲れ様でした。そして楽しみを提供していただき本当にありがとうございました。そして最期まで大ペナでプレイされていた皆様もお疲れ様でした。
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第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 | 第5回 | 第6回 | 第7回 | 第8回 | 第9回 | 第10回 |
1 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 | 2 | 3 | 2 | 2 |
第11回 | 第12回 | 第13回 | 第14回 | 第15回 | 第16回 | 第17回 | 第18回 | 第19回 | 第20回 |
1 | 2 | 2 | 1 | 2 | 1 | 3 | 2 | 2 | 3 |
第21回 | 第22回 | 第23回 | 第24回 | 第25回 | 第26回 | 第27回 | 第28回 | 第29回 | 第30回 |
4 | 2 | 4 | 2 | 4 | 1 |
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テスト時代の成績は忘れたが名簿を見てみると本番の第1回につながる名前が散見される。ラビニアはその後も名前を変えつつ常に令嬢を自称していた東大wikiの主な執筆者である私なので確実に同一人物であるとして、イケメン・Dr.T・ママン・モッツァレラ・斑木ふらん各氏も同一人物であろう。松家ネタとそれに派生する横浜ネタは、実際のプロ野球において現役の東大出身選手は当時横浜在籍の松家一人であり命名の元ネタとなりやすいと考えられるので同一人物であるとは断言できない。他に名前をまったく変えて参加した選手もいるかも知れないがさすがにそこまではわからない。順位は、ええと確か3位ぐらいだったかな?ちゃんと資料とっておけば良かった。
野手名簿
投手名簿
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これが赤門の権威か。全国各地から実力者が次々と集まり当初の予想では優勝候補筆頭と目された。果たして選手たちは前評判というプレッシャーにも負けずに見事4連覇を達成した。その一方で大学優勝決定戦では地方六大学勢になかなか勝てずにいたが初期メンバーの最終年度となる第4回、ついに日本一となり有終の美を飾った。
打撃は俊足吉村裕基から始まり総合的に優れたラビニア、ひーやん・永井浩二の両大砲などバランスに優れていた。投手陣は特にリリーフが安定していた。無論先発も近藤茂一など安泰だった。それぞれがそれぞれの持つ力を最大限に発揮できたからこそ4連覇は達成できたのである。
野手名簿
投手名簿
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盛者必衰の理は東大とて例外ではなかった。第1期メンバーが多数転生した東大であるが野手に比べて投手の転生が少ない。これが原因か個々の選手は優秀でAクラスは確保するもチームとしては勝ちきれず早稲田・明治の後塵を拝す結果となった。
ただ戦力はそこまで悪くない。エルズベリーは磐石のトップバッターとして君臨し、盗塁王3回を記録。パンダボアヌ、小宮山宏ら中軸も確実な仕事をした。また、東大初の野手MVP受賞者である濱田総長もこの時期に入学した。投手も名有り選手は健闘したが名無し選手が多いのはそれだけで辛い。
野手名簿
投手名簿
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しだいに入学時期がばらけてきた第3期。東大は安定してAクラスを確保した。第11回には2位の明治大学を0.5ゲーム差で振り切り久々の優勝を果たし、全国も制覇した。また、4年生で卒業せず5年生を選択する選手も複数出現したのも特徴である。彼らは総じて素晴らしい成績を叩き出して東大の勝利に貢献した。そしてそのことが入学時期のずれにも関係している。同じ時期に卒業と入学を行うよりある程度ばらけたほうがリスク回避にもなるしええことよ。
野手はフランスパン、駿台学、まろゆき、神尾観鈴と総じて安定した力を発揮した。坐禅、変態ユータス君といったこの時期の後半に入学した選手は第3期と第4期を股にかけて活躍した。
投手は野手と比較するとやや小粒ながらnitro2、アリスなどタイトルを獲得した選手もいた。第12回入団の金田は第4期のエースとして君臨し、数々のタイトルを獲得した。
野手名簿
投手名簿
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第4期のはじめ、いきなり早稲田に体よくやられた。東大は100試合で62勝37敗1分けに対し早稲田は96試合で64勝32敗2分け。わずか0,5ゲーム差で涙を飲んだ。しかし次回において見事雪辱を果たした。
また第16回は早稲田のほうが強力な選手を擁していた(本塁打ランキング上位5位まで早稲田の選手が独占、打点は4人打率は3人といった具合)。しかしどうにか食らいついていき、最終盤の10連勝でどうにか優勝を勝ち取った。総じて早稲田との決戦に明け暮れた期間であったと言える。勝ち進めば阪南大学と対戦するがこれまた強力。何連覇中だ阪南。
さて、第4期の選手は複数回優勝しただけあってASやB9に選出された選手が多めである。具体的にはへいへ、(ヽ´ω`)ぬ、ABOTT等である。もちろん彼らはそれに見合うだけの成績を残してきたので当然であると言えるが。
投手陣に関して、先発のエースとして君臨したリーダは本来リリーフ希望だったようだが1年目から12勝防御率2点台の圧倒的活躍を見せたので、スタミナの数値がやや少ないとわかっていながらも先発として4年間を過ごさせてしまった。すまんな。第16回に入団したリリーフカルテットも主戦場は第5期ではあるがそれぞれがよく活躍した。まあ4人中3人はさっさと先発に転向したけど。
野手名簿
投手名簿
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第5期のスタートである第17回、あっさりと慶應に抜かれた。早稲田は相変わらず強いし、優勝争いよりもむしろ明治との3位争いに必死だった感がある。
第18回の1日目は12月24日だったのでこの日名無し化した選手はいわゆるリア充であると見ていいだろう。生意気な。結果は2位だったが優勝は前回4位の明治で、早稲田はまさかの4位という激戦だった。やはりいつBクラスとなっても不思議ではない。
第19回は明治の一人舞台であった。打撃も投手もぶっちぎりで首位を独走。5年生の活躍著しくとても手を出せない強さだった。明治のはるか下界にて5割前後の3~4チームほどによる争いといった様相。東大は最終的な順位は2位だったが4位でもおかしくなかった。ACD各一人ずつで他はEやFという打者のパワー不足は深刻だ。規定到達して防御率2点台の投手が3人、だが2桁勝利には3人とも到達せずという無援護状態はさすがにかわいそう。走塁と打率はかなり安定していただけに一発がほしいところ。
年末年始に開かれた第20回は詳細不明ながらも3位。ASに一人しか選ばれていないという事は前半戦はいまいちだったものの後半戦に本領発揮したか、突出した選手がいないながらもシーズンを通して粘り強く戦ったのか。
個々の選手に関しては大砲不足ではあったもののよくまとまっていた。貴重な大砲ベッキー(トム)はB9を3度獲得。乙女村田も第19回にMVPを獲得するなどタイトルは少ないながらも輝いた選手はいた。投手は前期入団の選手や不動のストッパー神威などがいたが名無しも多かった。
野手名簿
投手名簿
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第21回はさらに苦しい戦いとなった。Bクラス突入待ったなし。そして案の定初のBクラスとなった。ベストナインは神威ひとり。ひーとりーひーとりー神威ー(神威ー)などと歌っている場合ではない。何気に芝草哲なる名無しが奪三振のタイトルを獲得しているあたりがさらにみじめな気持ちにさせる。
こうなった原因は正月のどさくさにまぎれてポジションや守備位置を変え損ねた点や人がなかなか集まらず弱い名無しを消せなかった点があげられるだろう。やはり人は城、人は石垣、人は堀という事か。
第22回は2位と持ち直した。しかしまさか1位法政とは。ついこないだまで下位に低迷していたような。まあ阪南リーグと比較すると順位の流動性という面白みがあるとも言える。結局法政は初優勝&日本一の栄冠を手に入れた。おめでとう。東大も負けてはいられない。
第23回の前半戦はとりあえず上位。優勝できるといいな。
しかし現実は厳しかった。Aクラス守れるといいな、に目標を下方修正せざるを得ない。 しかし現実はもっと厳しかった。結局法政明治に加えて早稲田にも抜かれて4位でフィニッシュ。切ない結果に終わった。防御率と得点率を見るともっと上でもいいのに。後、タイトル上位に無名選手が多いのはちょっと悔しい。
それはそうとして1月11日にメンテと称して止まって以来アクセス大杉とか不穏な表記も飛び出して今後が読めない。とにかく早急に復帰してほしい。などと言っていたら1月15日に復旧した。このオフでどれだけ人が減るかな。でもとりあえず戻ったので良かった。
かくして第24回は始まった。しかしバグとか大丈夫なのだろうか。本当に回していいのか不安になってくる。試合数がおかしくなってるし。管理者の「問題ない」という言葉を信じて後半戦は回したがやっぱり85試合で全球団と対戦終了となった。問題ないのなら良いのだが。
第25回は全体的にものすごく人数が減った感じ。それは東大も例外ではなく、野手2人投手5人の計7人でのプレイを余儀なくされた。最終順位も4位と踏んだり蹴ったり。それでもまだあきらめる事はしない。仮にこのペナント自体が壊死するならその時までは続けようと思う。その前に東大が消滅したらやめるだろうけど。
第26回も引き続き過疎の中進む。それでも一人増えてくれたのだからありがたい限りだ。過疎ゆえにASでは名有り投手5人全員が選出という珍しい事態となった。成績が全員文句なしならば良かったのだが中には防御率5点台の先発も含まれていた。続けているだけで選出の理由となるレベルの過疎具合はどうにかせねば。
ペナントの結果は見事優勝。前回の優勝は第16回なので本当に久しぶりの歓喜である。そして決定戦は、どうなったんだろう。来た時にはもう見られなくなっていた。開催されたのかも不明である。新しいペナントは実質新規だしwiki編集はここで一旦区切りを付けたい。最後に優勝で終われて良かった。
Bクラスを複数経験した原因は一にも二にも過疎化進行である。東大は比較的参加人数が多かったもののやはり試合回しが遅くなるなどの影響は見られた。また、名無し選手が強くなったので名有り選手が2人や3人というチームの順位が上がるという皮肉な現象も起きた。
過疎化進行の原因としてはマンネリ化に年末年始と重なるという時期的な不運もあったが、このペナントの価値を貶めるような不穏な話も多かった。実際に新たな大学ペナントが出来たりと混乱を極め、最終的にはここもリセットして装いも新たに再出発となった。こんな時期にも残ってくれた人はそれだけでもすばらしい。また、新規入団してくれた皆様に対しても来てくれた事にとても感謝している。みんな本当にありがとう。苦しい時期が長かったが最期の優勝で報われた気がする。
過疎化進行のお陰でAS出場者はやたらと多い。前述のように東大所属の名有り投手全員がASに出場したり、初音ミク投手に至っては5回出場という学制が変わらない限り破られることのない大記録を打ち立ててしまった。これはさすがにバグだと思うが。初音ミクはちゃんと4年で卒業しているのだから。
タイトルは強力な名無し選手がほとんど獲得していった中、小田部投手は複数のタイトルを獲得して名有りの意地を見せた。 野手名簿
投手名簿
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