「マンドラゴラの根っこに蛙の右手、ええっと、それから……」
様々な物をぽいぽい鍋に投げ入れ、怪しい紫色をした液体を掻き回すオレの御主人。無臭なのが逆に怖いその液体。バレンタインに向けてチョコレートの試作品を作っているらしいが、明らかにチョコレートには見えない。というか未だに何よりも重要な材料である筈のチョコレートが入っていない。
この魔女のことだ、チョコレートすら手作りすると言い出しそう……否、まさか、今沸騰しているこの液体がチョコレートだとでも言うのか。普通は市販品の板チョコに手を加える、又はそれを材料に生チョコだとか、ブラウニーだとか、フォンダンショコラだとかを作るのではないのか。
…ああ、魔女相手に“普通”なんて言葉を持ち出したって意味がなかったんだった。オレとしたことが、つい。
今年も御主人の友人達が散々な目に遭うのだろうな……例えばほら、あの一つ結びの――
「フェンリル?」
そう、フェンリルとか。
手を止めている御主人の視線の先には、見慣れたドア。その向こうから感じる、フェンリルの気配と、匂い。…噂をすれば何とやら、だ。
「どうしたの?
入っておいでよ」
中々入って来ないフェンリルに、御主人が優しく声を掛ける。ドアの向こうの気配は何かを躊躇っているのか、ゆるゆると揺れては霞んで、落ち着きがない。
御主人は不思議そうに首を傾げ、ぱたぱたとスリッパを鳴らしながらドアに駆け寄る。「フェンリル?」と御主人がドアを開けた、瞬間。
「アリス」
「わっ」
フェンリルの掠れた声に、御主人の驚いた声。
フェンリルに抱き締められた御主人は少し慌てるような仕草をした後、ゆっくり、その背中へ腕を回した。アリス、ともう一度呼んだフェンリルに、なあに、と返す御主人。もう二人の世界に入ってやがる。
「……はあ」
溜め息を吐いて肩を竦めて目を逸らし、再びぐつぐつと鳴り出した鍋の火を止める。二人に背を向けて定位置に丸まると、無意識にまたオレの口から溜め息が漏れた。
あーあ、アツいアツい。
作者:在原