私は、暗闇の中を一人ぼっちで走っていた。
目的地も現在地も分からないまま、がむしゃらに足を動かし続ける。
どれだけ走っても何も見えない闇が続き、さすがに心細くなってきた。
そのとき、にゃーん、と微かに猫の鳴き声が聞こえた。
私は立ち止まり、後ろを振り返る。そこには一匹の黒猫がちょこんと座っていた。
彼は何かを訴えるように、こちらをじっと見つめている。
『………………ス……』
声が聞こえる。
『……きろ……ア……ス……』
何?
何て言ってるの?
「ほら、起きろアリス!」
アリス「はっ!」
気が付くと、私は教室の席に座っていた。隣では私の友達が心配そうにこちらを見ている。
友1「……あんた当てられてるよ」
アリス「へ?」
先生「セレーネ」
アリス「は、はいっ!!」
名前を呼ばれ、慌ててその場で立ち上がる。教室の一番前では先生が呆れた顔で立っていた。どうやら、授業中に寝てしまっていたらしい。
先生「今の所もう一回説明してみろ」
アリス「きっ、聞いてませんでした……」
教室にドッと笑い声が起こる。恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。
先生「ったく。ちゃんと聞いとけよ?」
アリス「はい……」
私はうつむきながら席に座り、開いてあった教科書で顔を隠した。
――――――
アリス「ふぃーっ、疲れたぁー!」
私は立ち上がり、大きく伸びをする。今日の授業は全部終わった。補習も特にないから、あとは家に帰るだけだ。
クレア「お疲れアリス」
アリス「あ、お疲れ姐さん!」
彼女の名前はクレア。授業中に私を起こしてくれた子であり、私の親友だ。魔法の扱いがとっても上手で、学年でもトップレベルの実力者らしい。多くのクラスメイトからは『姐さん』の愛称で呼ばれ、皆から慕われている。
クレア「だからその呼び方は止めなって……」
アリス「えへへ、冗談冗談。」
私が茶化すとクレアはいつも迷惑そうな素振りを見せる。でも本当はまんざらでもないんだってことを私は知っている。
クレア「ったく。
で、今日は居残り?」
アリス「ううん、何もないよー。一緒に帰ろ!」
クレア「ああ、良いよ」
アリス「やたっ!」
私は小さくガッツポーズした。手早く帰り支度を済ませ、学校をあとにする。
――――――
クレア「それにしても、あんたが居眠りなんて珍しいね」
帰り道で彼女にそう言われた。
アリス「うーん、真面目に聞いてたのにな……いつ寝ちゃったのか覚えてないや」
クレア「午前中は話しかけてもずーっと上の空だったし……大丈夫?
昨日ちゃんと寝た?」
アリス「昨日は、えーっと……」
えっと……あ、あれ?
私昨日何してたっけ?
必死に頭を働かせてみるが、何一つ思い出せない。それどころか、上の空だったという午前中の事さえも記憶に残っていない。
クレア「どうした?
大丈夫?」
クレアが心配そうに尋ねた。無意識のうちに立ち止まってしまっていたらしい。
アリス「あ、ううん! 大丈夫!
ちょっと昨日は夜更かししちゃって……」
クレア「…………」
私は咄嗟に笑顔を作り、その場は適当に誤魔化した。思い出せないのは気になるけど、こんなことで彼女を心配させるわけにはいかないだろう。
クレア「……ふぅん。テスト近いからって無理しすぎんなよ」
アリス「き、気を付けるであります!」
彼女は私の言動に違和感を感じたようだが、それについて追及して来ようとはしなかった。
――――――
アリス「ただいまぁー」
木製の軽い扉を開けて自分の家に入る。靴を脱ぎ、暗い部屋の中から手探りで照明を探し当てて明かりを灯した。
一人暮らしを始めたのは、今の学校に通うことになってすぐのことだ。
初めの頃は家が恋しくなったりしたけど、今ではすっかり慣れ、たいていのことは上手くこなせるようになってきた。
むしろ、家に居たときよりも自由な時間が増えたから、こっちに来て良かったと思っている。
鞄を部屋に放り投げ、羽織っていたコートを脱ぐ。そしてそれをハンガーに掛けようとしたとき、コートのポケットからコロン、と何かが転がり落ちた。
アリス「……?」
見ると、どうやらそれはペンダントのようだ。私はそれを拾い上げて観察してみた。何の変哲もない金属の鎖に、綺麗な宝石がぶら下がっている。
アリス「なんだろ、これ……。
ちょっと付けて見よっかな」
ペンダントを首からかけて、鏡を覗いてみた。うん、似合う。
アリス「なんか、温かい感じがする……」
宝石には強い魔力が込められてるようだった。どこか懐かしい感じがしたが、いくら考えても思い出せそうに無かった。そもそも、昨日の事も、今朝の事さえも思い出せないのだ。一体私はどうなってしまったんだろう。
アリス「ううー、今日は色々考え過ぎて疲れてきた……何か甘いもの食べたい……あ!」
そうだ、思い出した。
昨日は街に出て、美味しい美味しいプリンを買いに行ったんだった。さっきは記憶喪失かと心配してたけど、やっぱり大した事じゃなかった。ただ私がボケてただけらしい。なんだ、そんなことだったのか。
安心したら余計に甘いものが欲しくなった。確かプリンは大事に冷蔵庫にしまってあるはずだ。
アリス「プリン、プリン、おいしいプリンー♪」
鼻歌まじりに冷蔵庫を開ける。デザートは一番上の段に……
アリス「……ない……」
おかしい。念のため他の段も調べたが、どこにも見当たらない。となると、プリンは誰かに盗まれたのかも知れない。
――あれ?
この感じ、前にも……
私は冷蔵庫を閉め、寝室に向かう。ベッドの下を覗き込むと、目付きの悪い黒猫が、プリンを美味しそうにほおばっていた。
オパール「…………」ムシャムシャ
彼の名前はオパール。私の飼い猫だけど、室内に居ることはほとんどなくて、外を自由気ままに歩き回っている。お腹が空いたときにだけ帰ってくるので、こんな風に私の楽しみまで取られる事がたまにある。
アリス「オパール……?」ゴゴゴ
にゃっ、と小さく鳴き、彼はベッドから素早く逃げ出した。
アリス「待てー!
私のプリン返しなさい!」
オパールは狭い部屋の中をちょこまかと逃げ回る。
――なんだろう、胸騒ぎがする……
アリス「今日という今日は許さないんだから!!」
飛び掛かっては逃げられ、また飛び掛かっては逃げられの繰り返し。オパールは余裕の表情を浮かべている。
しかし、彼は気付いていなかった。自分が少しずつ追い詰められているということに……。
アリス「ほら、イイコだから大人しくしててね……?」
じりじりとオパールに近付く。彼はそれに合わせて後ずさる。するとオパールの後ろ足が壁にぶつかった。自由に逃げ回っているように見えて、実は少しずつ部屋の隅に追い詰めていたのだ。
アリス「もう逃げ場はないわよ?
観念しなさい!」
――何だろう、この違和感は……
まさに目の前のプリン泥棒を捕まえようかというその瞬間、胸のペンダントがまばゆく光り始めた。
アリス「な……何!?」
光はどんどん強くなっていき、やがて目を開けていられないくらいの光となり、部屋全体を包み込んだ。
――――――
気が付くと、私は荒廃した街の中に立っていた。
さっきまで家に居たはずなのに、訳が分からない。訳が分からないはずなんだけど、不思議と気持ちは落ち着いていた。何となくだけど、私はこの場所を知っている気がする。
「アリス!?」
誰かが私の名前を呼ぶ。それは、どこか懐かしい感じのする声だった。
ゆっくりと後ろを振り返る。そこには女性が一人、驚いた顔で立ち尽くしていた。彼女は私と目が合うと、ふっと安心した表情に変わった。
フェンリル「 おかえり
」
彼女の姿を一目見た瞬間、私は全てを思い出した。
アリス「フェンリル!!」
思わず彼女の胸にダイブし、そのまま強く抱き締める。彼女はちょっと苦しそうにしてるけど、そんなことにはお構い無し。だって、もう二度と会えないと思ってた相手が、目の前にいるんだもん。もう絶対離さないからね!
アリス「――ただいま!!」
作者:パラソル