視界いっぱいに広がる青空。
「あ」
白衣を着た青年ともとれる女性、井ノ本透伊は自分が落下しているという事に気付いた時には、既に着地寸前だった。
まずい、このままじゃ死ぬ―――と強く目を閉じた透伊の背中に、地面ではない、柔らかい何かがぶつかった。
「……いてて…、…?」
結構な高さから落下したにも関わらず、体へのダメージは思ったより少ない。首を傾げながら下を見ると、金髪の人物が透伊に潰される形でうつ伏せに倒れていた。
「ッだ、大丈夫ですか?」
慌てて立ち上がり、金髪の…恐らく女性であろう彼女に、手を差し出す。
しかし金髪の、基、延暦寺家に住むろっとちゃんは差し出された手に気付いていないのかはたまた無視しているのか、見向きもせずに立ち上がり、彼女自身の持ち物であろうネコが描かれた黒いエコバッグを覗き込む。
上の方に入れられていた、パックの中の割れた卵を見つめ、一言。
「……殺す」
瞬間。
透伊の顳を蹴り抜かんと勢い良く振られた左足は、透伊が慌ててしゃがんだ事によりブロック塀に衝突し、凹ませ、罅を入れた。
「…うわ…」
透伊は引き攣った笑みを浮かべながら、目の前に立つろっとちゃんから距離を取り、その左足を睨む。
彼女はコンクリートを蹴ったのだ。きっとその足もタダでは済まない筈、と考え、反撃の隙を狙う。…が、ろっとちゃんは依然棒立ちのまま。
透伊の読みは、当たっていた。
コンクリートに罅を入れる程の蹴りを放ったろっとちゃんの左足は勿論無傷では済まず、踵の骨が砕け、内出血を起こしている。
しかし、透伊は知らなかった。
本来なら酷い痛みで座り込んでいるところだが、ろっとちゃんは自らの頬に手を当て、苦悶の表情とはかけ離れた恍惚とした表情を浮かべる。
「…ァあ…ン、はァ…」
熱っぽい吐息を漏らしながら小刻みに体を震えさせる様は、まるで情事中のそれだ。
酷い痛みすら快楽だとでも言うようなろっとちゃんの言動に、透伊の顔から笑みが消え失せた。
そう。ろっとちゃんは、筋金入りの苦痛愛好家―――アルゴフィリアだったのだ。
作者:在原