作者:はちまる
夜が来た。
日が沈みきった瞬間、訪れた闇が一挙に消し飛び、華やかなネオンの光が都市から溢れだす。
ネオンに輝く、無人であるはずのビル群。
それを、見下ろす者があった。
高く空を貫く摩天楼の天辺に、風になびくままに影を晒すその姿。
仮面に覆われたその表情(かお)は窺い知れず、仮面の隙間から漏れる、クツクツと怪しい忍び笑いだけが彼の感情の一片を悟らせるのみだ。
やがて、三日月が鋭く切り裂く空を背に、彼は両足をたわませる。
満を時して、彼は空へ身を投げた。
あまりに直線的な放物線を描き跳ぶ、その影の正体。
それは、夜に蠢く魑魅魍魎か、或いは……
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「うーん……」
アリスと、その飼い猫たるオパールが現在根城にしている高層マンションの最上階。
彼女が入居するまでは、本当の意味での無人であったにも関わらず、そのマンションは、ゴミのひとつもない、異様に整えられた空間だった。
今でこそ、アリスが住む部屋は、少々魔女っ子アイテムの散らばるお茶目な部屋に変身したが、その苦労は大抵のものではなかった。
閑話休題。
広い間取りの部屋に備え付けられたベッドの上で精一杯のびをしするアリス。
日の光が眩しい。
既に中天に差し掛かった太陽は、やはりどこか無機質で、嘘くささを感じるものだ。
だが、それでも太陽は太陽。
アリスは彼女の枕元で丸くなって寝ているオパールの耳をくすぐるように撫であげると、勢いをつけて立ち上がった。
「よーし、洗濯物を取り込まなくちゃ」
気合いひとつ、アリスは洗濯物を取り込むべくベランダに向かった。
鼻歌交じりに、オレンジの籠に乾いた服を投げ入れていくアリス。
魔法でぱぱーっとできるようになれたらなー、と常々思うアリスだが、操作の魔法はあまり得意ではないのだから仕方ない。
洗濯物も残りわずか、便利な角ハンガーから下着を外していくと。
「あれ?」
パンツの隙間から、真っ白な封筒がひらひらと落ちて来た。
アリス=セレーネ嬢へ
下着ドロ太より
「下着ドロ太?」
聞き覚えのない名前だ。
こちらに飛ばされてから、何人かの人たちと知り合ったが、こんなふざけた名前の人物はいなかったはずである。
アリスは、首を傾げながら封を切った。
“明日の0時、夜に咲き誇る夕顔の如き麗しの魔女どのの身につける、秘所を覆う神秘の衣服を頂戴しに参る。 下着ドロ太”
「……」
もう一度、読み返す。
「………」
更にもう一度、読み返「何よこれーっ!!」した。
哀れ、投げ捨てられる純白の手紙。
なにか音がした気もするが、そんな事気にしてられない。
打ち捨てられた手紙を一瞥し、アリスは高らかに宣言した。
「いいじゃない、受けてたつわ!下着ドロ太!!」
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だだだだだ……
コンクリートの階段を踏み抜く勢いで駆け上がる、獣の少女。
その必死さは、まるで戦場の只中に身を置いているかのようだ。
「たのもーっ!!」
あからさまに高級感の漂う高層マンションの最上階の扉を、勢いのままノックする少女。
「いいじゃない、受けてたつわ!下着ドロ太!!」
突然扉の向こうから聞こえてきた、耳をつんざくような怒声に、少女はびくりと体を震わせた。
だが、それで平静を取り戻した少女は、今度は落ち着きを払って扉をノックした。
「アリスさん?」
返事がないのをいいことに、チェーンも掛かっていない、不用心な扉を少しだけ開き、少女は内側を覗き見る。
ベランダから決然とした面持ちで出てきたアリスが、少女に気づいたのか歩みを止めた。
ぼふん。
アリスの顔が、煙をたてて真っ赤になった。
「あ、あれ?コウちゃん?もしかして、聞こえてた??」
「うん。ずいぶん大きな声だったね」
ニヤリと意地悪そうに口角を吊り上げる紅。
それはどこか憎めない、愛嬌のある表情で、アリスもつられるように苦笑した。
「いらっしゃい。中に入りなよ」
「うん。お邪魔します」
靴をぞんざいに脱ぎ捨て、紅は魔女的な怪しさ爆裂のアリスの部屋へ上がる。
アリスと部屋のちゃぶ台に対になって座りこむと、紅は急に真面目な顔つきになった。
「あのさ、私、朝起きたら、こんなものを見つけて」
そうして差し出す開封済みの純白の封筒。
それを見て、アリスは息を飲んだ。
「それで、アリスさんも多分、似たようなものがあったんだよね?」
「うん。おんなじの」
頷いて自らの封筒をちゃぶ台の上に置くアリス。
それをジッと見つめて、紅は呟いた。
「どうしようか」
「……どうしようかって、もちろん私の魔法で火だるまにしてあげるつもりだよ?」
「うん。私もそんな変態火だるまにした挙句、八つ裂きにしちゃってもいいくらい。でも、殺すのはやだよ……」
人殺しは嫌だ。
万感の思いがこめられたその言葉は、重い。
アリスは神妙に頷いた。
突然、紅がニヤリと笑った。
「……でも、こういうこと考える人には、お仕置きがいると思うんだ。そうだよね?」
まるで、イタズラ好きな子どものように、彼女は言うのだ。
なら。
「うん。魔女にだって、ルールを犯したらそれなりの制裁があるわ。その悪いひとだって、お仕置きしたほうがいいに決まってる!」
全身全霊をこめて、イタズラを仕掛けてやろう。
そして、乙女たちは額を寄せ合って日が暮れるまで言葉を交わし合った。
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挑戦状4
その日の夜は、新月だった。
この奇妙で不気味な世界の只中にあって、月は変わらず満ち欠けを繰り返す。
相変わらず、辺りが夕闇に包まれると弾けるネオンの明かりに仮面の奥の瞳を眩し気に細め、彼は明かりの隙間へと消えた。
場所はアリス宅。
紅は既に、自分の住処から、下着類のみを全てアリスの部屋に運んでいた。
「アリスさん、準備は?」
「うん、大丈夫!ちょっと疲れて魔法はもう使えないけど、オパールも協力してくれるもんね」
「にゃー」
あんまり乗り気じゃニャいのに、とでも言いた気な、めんどくさそうな返事をかえすが、主人は気にも止めない。
「さあ、早く来なさい。下着ドロ太!」
夜は更けていく……。
路地の闇から姿を表すドロ太。
彼の変態的な嗅覚は、霧崎紅の下着が既に彼女の住処にはない事を直感していた。
ゆえに、彼が狙うのはただひとつ。
アリス=セレーネの部屋のみ。
彼は遂に、彼女の住処たる高層マンションまで辿り着いた。
そして、一歩、マンションの広々としたエントランスホールに、足を踏み入れる。
「!!?」
現れたカボチャを模した魔法陣と、浮遊する無数の小さなカボチャ。
紅蓮に輝く魔法陣から巻き起こる小さな炎の渦の群れが、エントランスホールを薄く照らし出した。
朧に照らされたエントランスホールに浮遊するカボチャたちが、ケタケタと笑う。
「……」
身を低くして、一気に駆け抜ける姿勢を示すドロ太。
そんな彼に向かって、小さなカボチャたちは一斉に突撃を仕掛けてきた。
「……ッ!」
至近距離まで近づくと破裂する、小さなカボチャたちの爆風を彼はするするとすり抜けていく。
彼は、いっそ芸術的なまでに爆風と小さな炎の嵐をかわし続け、階段の下まで辿り着いた。
それから些かの逡巡も見せず、何が待ち受けているかわからない茨の道を、ただ突き進む。
彼にとっての桃源郷は、彼の手の届く距離にあった。
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ドロ太が最上階まで辿り着くまでに、一体幾つのトラップが仕掛けられていた事か。
だが、ドロ太はその全てを乗り越え、この場所まで到達した。
彼の身を包んでいた衣服は焼け焦げ、もはや見る影もなく、その肉体には、苦難を乗り越えた漢の証が彫り込まれていた。
だが、彼の目的はもうすぐそこにあるのだ。
無機質な蛍光灯に照らされる廊下の突き当たり。
アリス=セレーネの部屋の扉の前に、まるで宝を護る守護獣のように鎮座する少女がいた。
「霧崎紅ですか……、まずは貴女の下着を貰い受けるっ!」
そして、戦いは始まった。
ギンと射竦める、強烈な眼光を放つ紅。
「ぐるぁあーーっっ!!」
その瞳は紅く、彼女の咆哮の共に、灰色とも銀ともつかない短い髪が降り乱された。
接触。
紅の強化された視力を以てして、ドロ太の動きを捉えるのはやっとだ。
その速度は正しく音速。
「ぐ、うぅっ」
体を転がし、なんとかドロ太の魔手からのがれる紅。
だが、追撃は続く。
紅は、下着を盗もうとするドロ太の手をなんとか引っ掴み、怪力のままに床に叩きつけた。
仮面の奥から漏れ出る、呻き声。
しかし、その程度でドロ太の妄執を止めることなどできはしない。
即座に伸ばされた、ドロ太の両足が、鉄棒の前回りでもするかのようにクルリと回り、蹴りを放つ。
紅は咄嗟に手を離し、後ろへ飛びのいだ。
これは好機とばかりに、ドロ太は紅に追いすがる。
ずってん。
ドロ太は何かにズボンの裾を引っ張られて、転んだ。
「にゃあ」
黒猫だ。
くっ、と臍を噛み、ドロ太はめげずに立ち上がろうと足に力を込めた。
が。
その頭を、踏まれた。
「アリスさん!」
「いえっさー!」
テンポのいい掛け声と、体に巻きつく荒縄の感触。
「「捕縛かんりょー!!」」
「にゃー!」
ぱん、と響くハイタッチの音で、ドロ太はようやく自分の置かれた状況を理解した。
後日。
飛ばされた者たちの間で、ネオンの明かりが一際輝くカジノの看板に吊り下げられた、ぱんつ一丁に仮面を着けた変態が度々目撃されたという。
完