ポリシア、お仕事する

小さな欠伸をひとつ溢して、ポリシアはとある高層ビルを見上げた。大塚から「新人」が来たと報告を受け、嫌々ながらも足を伸ばしたこのビルは、彼女が監視を任されているエリアの、中心付近に位置している。

今回の仕事は―といっても大塚から頼まれたわけではなく、個人で判断したのだが―「新人」の調査だった。面倒くさがりな彼女にとって、ここまで面倒な仕事はなかなかにない。世界についての説明、生活環境の調査、敵か味方か中立かの見極め、戦闘手段と能力の確認、飛ばされてからの人間関係、等々。激しい戦闘になる可能性も高い。今後深く関わることになるであろう「新人」について考えて、ポリシアは頭が痛くなる思いだった。
 
すうと目を細めて、もう一度ビルを見上げた。原形を留めていて、尚且つ人が住める環境の高層ビルは、担当エリアにはここだけだ。エリアのシンボルのようなこれに人が住み出したと思うと、背中の手首がむずむずした気がした。
面倒な仕事のときはどうも、どうでもいいことを考えるようだ。頭の隅にシンボルだのなんだのを追いやって、生活音を探す。水の音、電気の音、風の音。これじゃないな、ここは外したかな。ふいに。ざわざわする鼓膜に、しなやかな音が混じった。
「にゃあ」
「…ねこ」

声を追った目線の先、ビルの最上階のベランダに、小さな黒い影があった。ヘッドホン型集音器のおかげで耳はいいが、生憎視力は人並みだから確信は持てないが、たぶん黒猫。
「にゃう」
「あ」
眺めているうちに、影はベランダの奥に引っ込んでしまった。微かな足音と一緒に鈴の音を拾ったが、飼い猫だろうか。カチカチと背中の爪を鳴らしながら、予測を立てていく。一つ、今の影が「新人」である。二つ、影は「原住民」である。三つ、影の飼い主が別にいる。
「うーん」
面倒な要素が増えたような。なんだか苛々してきて、足元の小石を蹴り飛ばした。まさか小石のせいで戦闘が始まるなんて思わずに。
 

たまたま蹴りあげた小石。それはビルのエントランスに転がって、爆音を響かせた。
「!?石すごいな!!!!」
そういうことではないのは理解しているが、おかしなことを口走るくらいには驚いた。背中で風を煽り、とりあえずエントランスの砂ぼこりを吹き飛ばす。見えてきたのは、瓦礫と、カウンターと、火の玉。
「ここお化け屋敷だったっけ」
火の玉がふよふよと浮いていた。周りに目を滑らせても、危険物は特に無い。試しに、それに小石を投げつけた。間髪を入れずに爆音。決まりだ。あれは爆発物で、接触すると爆発する。わかったのはいいが、ポリシアの背中を考えると、どうやってもすり抜けられない。先程の影と爆発で既に自分の存在はバレているはず。それでもまだ、人の気配はない。待ち伏せか、自分が気が付いていないだけか。どちらにしても、ポリシアに選択肢はない。
「…だる」
ここに火の玉殲滅作戦もとい小石での地道な的当てが始まるのだった。
 

「疲れた…」
火の玉を処理し終わったとき、ポリシアはもう帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。エントランスにみっちり詰まった大小様々な火の玉を、逃げるときの為にも全て爆発させたのだから、それも仕方ないこと。彼女にしては頑張ったほうだ。深くため息を吐いて、エレベーターへと向かう。危険は高まるが、普段から使っている形跡があるので、少なくとも故障はない。階段は自分が通れる幅ではなかった。
ボタンを押して箱を待つ間、また思考に沈む。派手に爆発したのに崩れないビル。爆発する火の玉。小さな影。「新人」の能力。火を使う悪魔なら知っている。あれを魔法と呼んでいたような。火の玉。魔法。小さな影。鳴き声。黒猫。崩れないビル。
「…魔法使い?」
そんなおとぎ話じゃないんだから。でもこの世界ならアリなのか。魔法なら面倒だな。苦手なんだよな…。
「チン」
箱が届いた音で引き戻される。このとき彼女は完璧に油断していた。「新人」は部屋に籠もって迎え撃つつもりだと考えていたし、爆音が耳に残って音を拾うのが疎かになっていた。扉が開く。
「パンプキンファイア!」
「え」
幼い体に直撃、そして爆音。背中の片手で受け身を、片手で2発目を防ぎながら思った。
「痛い…また言弁さんに油断するなって怒られる…」
爆音が響いた。

 

爆音、爆音、爆音。耳が割れそうだ。ヘッドホンがあるからそんなことはあり得ないが。
「ちょっとは、反応、したら、どうですか!」
もう息が上がってきているあたり、「新人」は籠城戦には向かないようだ。ポリシアの背中は、刃物以外ではなかなか傷がつかないくらい丈夫で、パンプキンファイアとやらはあまり気にしていなかった。正直、最初の1発が一番痛かった。あと黒猫が引っ掻いてくるのが地味に痛い。
「ねぇ、ちょっと休憩しませんか?!」
ポリシアは声を張り上げた。普段あまり使わない喉がひりひりする。
「そう言って、油断させよう、なんて、無駄よ!」
「話を聞いてくれるだけでいい!」
爆発の間隔が長くなってきている。限界が近そうだ。「私は武器を持ってない!攻撃手段がないんです!話を聞いてほしいだけなんです!」
勿論嘘だ。背中が最大にして唯一の武器なのだから。
「…じゃあ、攻撃、しないで、ね?」
「わかりました」
爆音が止んだ。頭が揺れている気がする。
「名前を教えてはくれませんか?私はポリシアといいます」
「…アリス=セレーネよ」
「可愛い名前ですね」
「そ、そう?」
「とても可愛いと思います」
「…ありがと」
一時休戦に持ち込めたようだ。こちらの話に理解を示してくれるといいけど。掌に隠れて、またひとつため息を吐いた。
 

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最終更新:2014年05月27日 22:15