作者:わんこ
「ああ――……」
神原結はため息を付きながらうつむいた。
今日はものすごく気分が悪い。所謂「女の子の日☆」というやつである。体調はそこまで悪くないが、どうにもイライラして収まりがつかず、普段はそこまで気にならない主や透伊の言動にさえカンに触るものだから、今は一人で街を歩いている。
「ああもう、腹が立つわねぇ……!」
結とは少し離れたところで、レイチェルは眉間にしわを寄せながら親指の爪を噛んでいた。
今日は何もかもうまくいかない。フェンリルが言うところの「厄日」というやつだ。
何もないところで転び、お気に入りのブーツにペンキを付けてしまい、遊び相手も軒並み外出、食料を探して出歩くも人間の一人にすら出会わない。
世界の中心は自分であると信じて疑わない少女にとって、この苛立ちを向ける矛先が欲しいところであった。
そんなレイチェルが街中で誰かと肩などぶつければ、これ幸いとばかりに荒事が起こるのは明白であった。
「あっはははははは!!」
吹き荒れる砂埃の中、高笑いを上げるレイチェル。彼女が手を振りかざすたび、地面が割れ、氷山のように尖った岩肌が結の足元を襲う。
「ふんっ!」
揺れ動く地面をものともせずに、小さな銃を片手に戦場を駆ける結。不動のレイチェルの死角に回り込み、迷いなく発砲を繰り返す。
「舐めないでくれる? この雑魚がッッ!!」
レイチェルが吠え、空間が歪む。結の放った銃弾はどれも、レイチェルに届く直前に力なく地面に落ちた。
「チッ。そうか、奴は重力を操る力を持っていたな……!」
舌打ちをして、素早く距離をとる結。彼女の肉体が力の解放を求めてガタガタ痙攣を起こしていたが、頭の中はまだ冷静だ。青い乗用車を飛び越え、死角から死角に素早く移動する。
「オラオラ! 逃げてんじゃないわよ眼帯女ァ!!」
追い討ちをかけるように岩の塊が飛んでくるが、振り向きざまに右手で難なく払いのけ、粉々に砕く。
「くっ!」
横倒しになったトレーラーの影に飛び込むと、銃を投げ捨て、腰に携帯している手榴弾を手に取る。
「はぁっ……はぁっ……! くそ、人外めっ!」
胸に手を当て、息を整えながら悪態をつく結。あのレイチェルとかいう悪魔、「ここ」で出会った者のなかでも特にたちが悪い。
「隠れてんじゃないわよ、ドブネズミがァ!!」
近づく叫び声で大体の位置を把握すると、後ろ手に手榴弾を投げ込む結。
「ッ!! この……うぐッ!!」
軽い炸裂音にうめき声。首尾よく命中したようだ。
「よし、今のうちに脱出を……」
結が動こうとした瞬間、
「グオォアァアア!!」
大きな塊が頭上を飛び越え、目の前に落ちた。車だ。
「……ッ!!」
一瞬息を呑むが、すぐにトレーラーに背中を付けると、太ももに巻いたベルトからナイフを引き抜く。
「はっ……はっ……はっ……!」
あんなものがまともに当たればただでは済まない。早鐘を打つ心臓を押さえつけ、肩で息をする。どこかで額を切ったのだろう、目の中に血が入ってきた。
「ッッアァァァア!! 殺す!! 殺す殺す!! ぐちゃぐちゃに引き裂いてハラワタ引きずり出して眼球握りつぶしてもとの顔が分からないようにしてやるああああ!!」
完全にキレた悪魔のヒステリックな吠え声が、ビリビリと空気を揺らす。
敵は冷静さを完全に失っている。目をこすりながら物陰から様子を伺い、チャンスを探していると。
「ダメだッ! レイチェルさん!!」
声を上げながらレイチェルに向かっていく人影が。
「……!」
(あれはたしか……霧崎、紅……とかいったか)
トレーラーの影から少しだけ顔を出し、その姿を確認する結。自分とほんの少し離れたところで、パーカー姿の少女は悪魔と対峙していた。
「……そこをどきなさい、紅。邪魔するなら殺すわよ」
突然の来客に全く動じず、低い声で言うレイチェル。左手は先ほどの手榴弾で焼けただれ、目の中には既に感情などなかった。
「嫌だ、どかないよ! こんなに暴れて……とりあえず落ち着こうよ。何があったか私に教えてよ。話聞くからさ……」
「貴女に言う義務はないわ」
「じゃあ私もここを退かないよ! 友達を無視なんてできないよ!」
紅も一歩も引かず、逆にレイチェルに詰め寄る。
(今が逃げるチャンス……!)
状況の変化を受けて、結の脳が叫ぶ。しかし体が思うように動かない。額の出血が思ったより多く、意識が朦朧としている。目を閉じないように傷を抑えながら、二人の様子を覗うので一杯だった。
「ねぇ、お願いだからさ、そんな怖い顔しないでよ……」
紅がレイチェルに近づき、肩に触れようとした瞬間。
ずぷっ、という生々しい音がした。
「……あ……っ?」
紅の体が大きく痙攣し、動きが止まる。よく見ると、レイチェルの腕が紅の腹部に伸びていた。
(みぞおちを殴って気絶させたのか……?)
そう思う結だったが、違っていた。
「え、レイチェ……ゴボッ」
紅が大きく咳き込み、大量の血を吐き出す。それは腹からぼたぼたと流れるものと混ざり、地面に大きな血だまりを作っていった。
「言ったでしょう……? 邪魔すれば殺す、って」
拳ではなかった。手刀が、紅の下腹部に深々と刺さってた。
否、それだけでは飽き足りなかった。
ぶじゅるるるる……っ。
レイチェルが手を引き抜いた。
紅の腸も一緒に。
(――――ッ!!)
でろりと赤黒くヌメるそれはびくびくと震え、お互いの服を赤く染め上げていく。
「あぁぁああああぁあぁッッああぁああ!!!」
鼓膜が破れそうな、身の毛もよだつ紅の絶叫が響きわたる。
その声が、結の頭を栓を飛ばした。
「貴ィィィ様ァァァッァアァア!!!」
叫ぶと同時に飛びかかり、レイチェルと紅の間に体をねじ込む。
「――ッ!? おまッ」
紅を突き飛ばすと、構える暇も与えずナイフを一閃。柔らかな感触と共に刃がレイチェルの細い首の半分ほどまで埋まった。
「ぐぅッ」
ねじ切られる直前で、瞬時に翼を広げ距離を取るレイチェル。しかし今の一撃は効いたようで、真っ赤な血が首から溢れ出し、すでに紅の血を浴びた服を深く染め直していく。
「ぁああぁ…………ぐぅぅあ……!! ヒュッ、げほっ! げほッ! ぉぶっ!」
首を押さえ、前かがみの姿勢で咳き込むレイチェル。
「ヒュッ……人間の……ぶん、分際で……ヒューッ……やるじゃ、な……」
気管から空気を漏らながら呟く。鬼の形相で結を一度睨みつけると、そのままうつ伏せに倒れた。
「はッ、はッ、はッ……あぁ、ああぁ……!」
結の体にも限界が来ていた。全身がガタガタと震え、ナイフを取り落とし、拾おうとして倒れこんだ。
「おやおや、なんとまぁ。こんなところに重傷者が三名も。これはこれは……治療しがいがあるというものですね」
突如現れた若い男の言葉を聞かないまま、結は意識を暗闇に手放したのだった。
以下、ポリシアによるレポート
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XXXX年○月○日○時頃発生した戦闘の観察報告
対象
・神原結
・霧崎紅
・レイチェル
被害
・神原結:重症
・霧崎紅:重症
・レイチェル:重症
・周辺施設:被害甚大
その他
・該当者三名ともまず絶命を免れない致命傷であったが、近くを通りがかった藤堂斎により介抱・治療され回復する。
・なお、被害規模がAランクを超えたため、観察規定第13項の第1条に基づき、当事者たちの事件、および事件前後の記憶は抹消される。
以上
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(終わり)