白い壁紙に、黒い窓枠。
 暖かな陽射しの差し込む客間。
 本来安心感を与える役目の一室は今や見る影もなく。
 乱雑に散らばるアンティーク家具の残骸と、無造作に転がる無数の亡骸が異変を訴える。

「────答えろ、龍華(ロンホア)。俺の〝家族〟を殺したのは誰だ」

 重厚な殺意の滲む低声が響く。
 それを発したのは、眼光鋭いスキンヘッドの巨漢。
 名を呼延光──中国最大の帮会『飛雲帮』の元凶手にして、後に『飛雲帮』を終わらせた男。

「貴様が家族殺しに関わっていることは、他の凶手から聞いている」

 鋼鉄と化した呼延の剛腕が、龍華と呼ばれた男の首を絞め上げる。
 苦慮の声を洩らす痩せ気味の男は、酷く拷問に掛けられたのか右手の五指がへし折れていた。

「はは、……っ…………」
「なにが可笑しい」

 だというのに龍華は、生殺与奪を完全に握られているにも関わらず笑ってみせた。
 全てを投げ出し、諦め、まるで自ら終わりを望むかのような遠い瞳。
 その瞳を睨みつけて、呼延は静かに力を込める。

 声帯を震わせることすらままならず、熱い塊が喉奥を塞ぐ感覚。
 出口を失った気管は役目を果たせず、言葉の成り損ないたちが唇の隙間から洩れ出る。
 たちまち醜く鬱血する顔色は、腕利きの暗殺者とは思えぬほど擦り切れたもので。
 そんな男の姿に、呼延はどこか寂寥を覚えた。


 ────影縫の龍華(ロンホア)。


 呼延光の処刑が下されるより以前のこと。
 かつて飛雲帮の幹部として名を馳せていた凶手が、いまやこんな辺鄙な三次団体の詰所で燻っている。
 肩まで伸びた髪は年不相応なほど白髪が混じり、情けなく垂れた目の下には酷いクマが目立つ。
 時の流れは残酷だと片付けるには、あまりに無視できない変貌ぶりであった。

「誰が殺した、……か…………そんなもの、私が知りたいよ」

 辛うじて呼吸を許す程度に力を弛めれば、龍華は投げ出すようにぽつぽつと紡ぐ。
 重たい咳払いの後、深呼吸で息を整えた末に泣きそうな顔を露呈して。
 龍華は、呼延の肩を掴みかかった。

「光(グァン)、昔のよしみで忠告しておいてやる」

 鬼気迫る語気からは狂気さえ孕む。
 先程のやさぐれた姿から一転、剣呑な雰囲気に呼延は僅かに眉を顰め、無言で続きを促した。

「真実を追い求めようとするなッ! 〝あれ〟は……我々が関与していいものではない……!」

 縋るように、願うように。
 飛雲帮の元幹部は、必死に嘆く。
 共に酒を酌み交わした同志として。
 挫折を知らぬ全盛期を思い返しながら、龍華は〝忠告〟する。

「────くだらん」

 それは、慈悲だったのかもしれない。
 呼延光の指が万力のように唸った瞬間、ポキリと頚椎の折れる音が響く。
 そうして死に損ないの凶手がまた一人、呆気なく散った。





 呼延光の謀殺が実行されたのは、およそ10年も前に遡る。
 24歳という異例の若さにして幹部の座に登り詰め、飛雲帮最強の凶手と呼ばれた逸材。
 従順な犬として飼い慣らすには手に余る呼延は、敵に回れば下手な戦術兵器よりも脅威となる。
 一個人が持つ武としては過剰な呼延光という爆弾を、組織は容認出来なかった。

 しかし、飛雲帮には鉄の掟があった。
 如何なる理由があろうとも、身内を殺してはならない──飛雲帮の設立以来守られ続けている、半ば戒めのような意向である。
 だがそんな古くからの習わしを破ることになろうとも、呼延光という存在の抹消は不可欠と迫られ、組織の上層部は一丸となって見て見ぬふりを決め込んだ。

 しかし当然、彼の処刑に抗議を唱える者も多数現れた。
 呼延が育て上げた弟子たちに加えて、しきたりを重んじる古参も声を上げ、内紛も時間の問題であった。
 凶手の反乱を恐れた飛雲帮は、帮会全体に抑止力をかける必要に迫られた。

 そうして選んだ手段が、反乱分子の抹消である。
 呼延光と特に関わりの深かった四人の弟子を選抜し、処刑することが決定された。

 しかし当然、これ以上身内を手に掛けることは上層部から良しとされなかった。
 呼延光の謀殺は、最初で最後の身内殺しとなったのだ。

 ならば、弟子達は如何にして見せしめにされたのか。
 飛雲帮内部の反徒や罪人を裁くため、以前よりとある処刑法が定められた。

 ──〝島流し〟である。

 近年では類を見ない古来の刑罰。
 それだけでも珍妙ではあるが、この処刑の最も異様な点は、流刑地の詳細がごく一握りの上役にしか知らされていないということだ。
 島の座標と一隻の船を渡されるだけで、それ以上は何も知らされない。
 処刑人には多額の報酬が支払われることも、不気味さに拍車をかけていた。


 そうして迎えた執行日。
 呼延の部下四名は、強力な麻酔によって眠らされ船内倉庫へ詰め込まれた。
 流罪の立ち会い人は船舶操縦士を含め、忠誠心の強い幹部三人が抜擢された。



 ──筋骨隆々の巨漢、〝雷脚〟の風(フォン)。
 ──痩せぎすの暗器使い、〝影縫〟の龍華(ロンホア)。
 ──黒い中折帽子の男、〝空際〟の李(リー)。


 船内に漂う重々しい空気には緊張も滲む。
 一体どれだけ移動しただろうか。飛雲帮の本拠地からはかなり離れている。
 時の流れが極端に遅くなったような感覚は、悪寒にも似ていた。

「着いたぞ」

 月明かりが水面を照らす中、流刑地と定められた座標に辿り着き、マリンエンジンを停めた。
 天然の島とは思えない石製の船着場へ小型船を付け、呼延の部下を砂浜へ運び出す。
 恐ろしいほどの手際だった。掛かった時間は5分にも満たなかっただろう。
 仕事が早いというよりも、まるでこの島に長居したくなかったように見えた。

「奇妙な島だな」

 それを発したのは、指揮役の風(フォン)。
 寡黙な彼が言葉を発したことに、二人の幹部は驚きよりも共感を示した。

 一般的に、島流しと聞いて思い浮かべるのは無人島、あるいは禁足地のような人の手から離れた場所だろう。
 なのにこの島は船着場が用意され、あまつさえ石垣の階段や、海岸民家まで建ち並んでいる。
 まるで頻繁に貿易でも行われているようかのようで、木々の高さを越える風力発電所も目に留まった。

 明らかな文明の象徴。
 だというのに、人の気配がまるで感じられない。
 文明レベルに対して活気が無さすぎるのだ。
 深夜だからという理由を加味しても、明かりが少なすぎる。
 一見無人島と比べて生活は容易そうなのに、なにか禍々しさに近い感覚が本能を刺激してくる。

「撤収するぞ」
「ああ」

 表情と声色は変えず、三人は急ぎその場を離れようとする。
 まさにその瞬間。
 ふわりと、生ぬるい風が頬を撫でた。


「────こんばんは、人間さんたち。ねえ、あなたたちどこから来たの?」


 振り返る。
 そこに居たのは、宵闇に映える赤いチャイナ服を着た銀髪の少女。
 年は10歳ほどだろうか。あどけない笑顔が月光に照らされて、彫像のように白く引き立つ。
 天然のスポットライトを浴びる様は、まるで世界が彼女の為に動いているかのような──そんな印象さえ受けた。


「警戒しろ」

 風に言われるまでもない。
 見た目こそ少女のそれだが、手練の凶手達は目前の存在が常軌を逸したモノであると察知した。
 暗殺者三人が集まって足音も拾えず接近を許した。そんな現実味のない事態が、なによりの証左である。

 嗅いだことのない濃密な死臭が鼻腔を突く。
 鼓動が早まり、本能が警鐘を鳴らす。
 無闇な殺しはしないという信条をかなぐり捨て、どうすればこの少女を殺せるかと全力で脳を稼働させた。

「龍華、状況を伝えろ」
「超力が使えん。奴の力か、この場が関係しているのかは不明だ」
「了解した」

 風の呼び掛けに、龍華が淡々と告げる。
 超力が使えないという最大級の異常事態においても、取り乱すような未熟者は一人とていない。
 風は無言でハンドサインを送り、龍華と李が即座に陣形を整える。

「月を見るためにね、お散歩していたの。そしたら人間さんたちと出会えて、本当に嬉しいわ。これってお月様の導きかしら」

 三人は答えない。

「浜辺に転がっている人間さんたちはお友達? ぐっすり眠ってるみたい。とってもいい子たちなのね」

 動いたのは雷脚の風。
 強靭な左脚のバネを縮ませ、熾烈に伸ばす。
 地面に跡が残るほどの一足跳びで少女の懐へ肉薄し、〝雷脚〟の名の通り稲妻のような斧刃脚を炸裂させた。

「ねえ」

 それが触れる寸前。
 少女は、雷脚の横を通り過ぎる。


「人が喋っている最中に、おいたしちゃダメでしょう?」


 その小さな手に、風の首を持って。
 無理矢理ちぎられた頭部へ、優しい口調で語りかけていた。



 龍華と李の行動は迅速だった。
 動揺で身体を固めるよりも早く、隊列を組み直す。
 崩れる風の巨体を目隠しに〝影縫〟が少女の背後へと回り込み、カランビットナイフを首筋へ振るう。
 同時に〝空際〟は愛銃のHK45に手を掛け、抜いた事すら認知させない早撃ちを見舞った。

 回避不能の弾丸と、気配のない刃。
 同時に降り掛かる死の予兆へ、少女は。

「まあ」

 と、笑った。

 マッハで放たれた45ACP弾は親指と人差し指で摘まれ、ナイフの刃は根元から砕け散る。
 呆然に費やした僅かな時間は、永遠にも感じられた。

「プレゼントありがとう。でもね、私の好みじゃないわ」

 少女は、ぴんと指で銃弾を弾く。
 瞬間、生じたソニックブームが砂埃を巻き上げ、静かな海に波を起こす。
 元が一発の銃弾だとは到底思えない爆撃じみた衝撃を浴びて、〝空際〟の上半身は血霞と化した。

「──、──ッ!」

 掠れた悲鳴が喉奥から漏れる。
 とうに忘我に追いやっていた恐怖が、全身の筋肉を蝕む。

 ──これは本当に現実なのか。
 ──こいつは、一体なんなんだ。

 唯一生き残った〝影縫〟は、自分が飛雲帮の幹部などではなく一人の人間であると思い知らされた。

「ねえ、ねえ。かわいい人間さん、お名前を教えて?」

 怪物がなにかを言った。
 龍華は、その後のことを覚えていない。
 もしかしたら名乗ったのかもしれないし、いの一番に逃走したのかもしれない。
 意識を取り戻した頃には既に島を離れ、船を操縦していた。

 かの島から生き残ったことは、幸運なのだろう。
 けれど龍華はあの少女の瞳を、間近で見てしまった。
 敵意も殺意もなく、まるで愛玩動物を値踏みするかのような眼差しを。

 それから毎日、夢を見る。
 たった一人の可憐な少女に、惨たらしく殺される夢を。
 四肢を裂かれ、首を撥ねられ、目を抉られ──人の体を弄ぶように、じっくりと。
 そんな悪夢を、復讐鬼と化した呼延光の手にかけられるまでの10年間、一日も欠かすことなく見続けた。
 もうとっくに、龍華は正気ではなかったのだ。


 脅威を取り除き、中国全土へ勢力を伸ばした飛雲帮。
 傘下や枝先の三次団体まで含めれば、それは小国の軍事力に匹敵するとも言える。
 それを10年がかりとは言え単独で終わらせた呼延光は、確かに排除すべき存在であったのかもしれない。

 けれど、その選択は。
 果たして本当に、〝正解〟だったのだろうか。
 鋼のような忠誠心を持っていたはずの龍華は、死の瞬間まで疑問を抱き続けていた。


 ◆



 ──ブラックペンタゴン1F、補助電気室。

 戦闘開始から数分も経たずにして、戦場は凄惨なものとなっていた。
 破壊された設備の残骸が足の踏み場を無くし、切断された配線からは火花が散る。
 複雑怪奇な中身が剥き出しになった配電盤は、とうに修復など不可能であろう。
 照明は砕け散り、明滅する配電盤のランプや火花だけが物悲しく光る。

 それを仕出かしたのは、〝血濡れの令嬢〟ルクレツィア。
 彼女が力を込めれば、触れるもの全てがぐにゃりと形を変える。
 ほらこうしている今も、二桁トンにも届く白い配電盤を、まるで少し大きなバットでも扱うかのように薙ぎ払っていた。

 ぶおんと、暴風が舞う。
 宙吊りになったコードが踊り、ぶち当たったモルタル壁が凹み盛大な音を立てた。
 暴力の権化と化したルクレツィアの攻撃を、ひらりひらりと踊り躱すのは〝白銀の死神〟銀鈴。
 密室で繰り返される破壊行為を前にしても、彼女の柔肌は傷一つついていなかった。

 ──パンッ!

 銃声が響き、ルクレツィアの腕が脱力する。
 右腕の腱が撃ち抜かれたのだと、気がついた頃には配電盤を落としていた。
 ルクレツィアの等身を遥かに凌ぐそれを、サッカーボールのように銃撃の主へ蹴り飛ばす。
 しかしそれが届く頃には、銀鈴の姿は掻き消えていた。

 ────すばしっこいですね。

 苛立ちというよりも、もどかしい。
 悠々と羽ばたく蝶を追いかける少女にでもなったような気分だった。
 脚力にものを言わせた瞬足で銀鈴のいた場所を追うが、物陰からの一閃にうなじを刈り取られた。

 噴き出す血液が無機質な電気室を彩る。
 ルクレツィアは壁を背にし、視線を辺りへ配らせた。

 視界の左端で影が動く。
 思考よりも速く、獲物を前にした猛獣の如く飛びかかる。
 しかし、そこに銀鈴の姿はなかった。

「────っ、──!」

 揺れる配線コード。
 それに気を取られた瞬間、真横からの銃弾が側頭部を撃ち抜いた。
 刈り取られる意識の中で、銀鈴の笑い声を聞いた気がする。


 銀鈴は、人間の事を深く理解している。
 どうすれば壊れるのか、どうすれば壊れないのか。
 どんな時に、どんな行動を取るのか。
 気の遠くなるほどの人体実験と観察を重ねて、銀鈴は人間という生き物を記憶していた。

 この戦いにおいてもそう。
 半ば本能に操られて動くルクレツィアは、どうすれば自分の思い通りになるかと思案して。
 試したのがさっきの行動。天井から垂れる配線コードへ破片を投擲し、揺らしてみせた。


「ねえ、ルクレツィア」

 掻き乱された脳が思考を取り戻す中、銀鈴の声が響く。
 即座に声の元へ破壊槌の如き腕を振るうが、手ごたえはない。
 色を取り戻していく世界の中心、配電盤の残骸の上で淑女が窮屈そうに佇んでいた。

「この場所、踊るには狭いわ」
「ええ、私もそう思っていました」

 両者の意見は合致。
 ルクレツィアは配電盤を持ち上げ、豪速球でぶん投げる。
 髪先すら触れさせず華麗に躱す銀鈴。暴力的な質量に見舞われた扉は、呆気なく吹き飛んだ。

 廊下から差し込む照明が銀鈴に逆光を浴びせる。
 神秘的とも取れるそれへ、ルクレツィアは弾丸の如く飛び込んだ。
 細腕に見合わない剛力が銀鈴を捕らえ、共に廊下へと投げ出される。
 このまま華奢な身体を締め上げようとしたところで、脇下に鋭い痛みが走った。

 ────刺された?

 左腕が脱力し、銀鈴の脱出を許してしまう。
 的確に神経を断たれたせいか、中々力が入らない。
 冷たい金属の感触を無理やり引き抜いて、それが変形した設備の一部であると気がついた。

「本当に丈夫なのね、ルクレツィア」
「銀鈴さんも、とても踊りが上手ですね」

 互いに片足を引き、一礼。
 高貴な身分の者のみが集められる舞踏会のような、洗練された淑女の言動。
 しかし二人の身体は赤黒い血に濡れて、まるでB級スプラッタのような光景だった。


 ────再び舞踏が繰り広げられる。


 場所を変え、武器を変え。
 休む間もなく、命懸けのダンスが続く。
 戦闘開始から20分、30分──いやそれ以上か。
 時間も忘れて、銀鈴とルクレツィアは踊り続けた。

 一体どれほど移動しただろう。
 二人の通った跡は、須らく破壊の残り香が染み付いていく。
 ここがどこかも気に留めず、気が付けば景色が変わっているのも当然。
 銀鈴もルクレツィアも、お互いの姿しか映っていないのだから。


「踊り疲れてしまったかしら?」
「まさか」

 異変が起きたのは南東ブロック連絡通路。
 身体中に裂傷と銃創を作るルクレツィア。それ自体は見慣れた光景である。
 しかし、一度でも彼女と相対した者が見れば明らかな異常が見て取れるだろう。

 ────傷の治りが遅い。

 普段ならば数秒で治癒出来た傷が、2分以上前から残り続けている。
 同時に、飢えた獣の如きルクレツィアの攻撃が幾らか緩慢になりつつある。
 対峙する銀鈴は勿論、彼女自身もそれを自覚していた。

「そう、安心したわ」

 銀鈴がなにかをした訳ではない。
 度重なる戦闘を経て、ルクレツィアが消耗しているのだ。

「まだまだ楽しみたいもの」

 ジルドレイ、ソフィア、りんか、紗奈、そして銀鈴。
 刑務開始から計五人の受刑者と戦い、常人であれば死に至るダメージを負い続けてきた。
 血濡れの令嬢の二つ名に相応しい激戦を繰り広げて、それまで負ってきた傷は全部チャラ?
 いいや、ルクレツィアの超力はそんなに都合のいいモノではない。

 ルクレツィアの回復能力は超力の一環に過ぎないのだ。
 摩訶不思議な魔法というわけではなく、いわば爆発的な新陳代謝による自然治癒。
 超力製の黒煙を摂取したことで得られた回復能力は、〝再生〟とはまるで性質が異なるのだ。

 治癒に回すエネルギーは相応のものとなる。
 ここまで一切飲まず食わずでやってきたルクレツィアの肉体は、度重なる摩耗によって底が見え始めてきた。
 ネイティブ世代は強力なネオスを持ち合わせているが、その分燃費が悪く消耗が激しい。
 痛みや疲労を自覚出来ないルクレツィアから回復能力を抜けば、ブリキ人形にも等しい。

「銀鈴さん、私嬉しいんです」

 けれど、令嬢は笑う。
 初めての感覚、初めての高揚。
 この舞踏を中断するなんて正気じゃない。

「あなたは、私と向き合ってくれる」

 ああ、死の恐怖とは。
 ああ、生への渇望とは。
 こんなにも心地良いものだったのか。

「だから、果てるまで踊りたいんです」

 自分と向き合う者は皆、怖がっていた。
 目を合わせようとせず、化け物を見るかのように恐れ戦いた。
 敵も、味方も、召使いも、家族も。
 対峙する人間は全員、刺すような敵意を隠そうとしなかった。

 なのに、銀鈴は。
 自分と向き合い、愛してくれる。
 拷問に痛みを見出していた自分のように、愛を込めて虐げてくれる。
 ルクレツィア・ファルネーゼという人間の命を、握ってくれる。

「付き合ってくれますか、銀鈴さん」
「ええ、喜んで」

 ────踊れ、踊れ。
 ────回れ、回れ。

 生きるとは、死ぬとは。
 痛みとは、疲れとは。
 喉から手が出る程に追い求めたそれを、目の前の闇は教えてくれるかもしれない。
 ニケやソフィアのような、超力を刈り取る者とは異なる得体の知れない力で、分厚い鎧を丸裸にされる。

 三日月を描く口元は、淑女の面影もなく。
 超力に振り回されて、まともに送れなかった幼少期をやり直すように。
 とても、とても────無邪気な顔だった。


◾︎
NEXT→熱き血潮のカプリチオ(後奏)

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最終更新:2025年07月16日 21:44