澄み渡る青空の下、海風が穏やかに吹き抜けていた。
巨大な船の甲板からは、広がる水平線が目に飛び込んでくる。
波は船の横腹に優しく寄せては返し、柔らかく白い泡を立てていた。
風と波の音が刻む心地よいリズムに目を閉じる。
大きく息を吸うと潮の香りが肺に満ち、べたついた風が頬を撫でる。
かつての激しい戦いの名残は、この清らかな波に浚われて消えていくようである。
――――山折村の騒動から7年の時が過ぎた。
僕、天原創は空と海に囲まれる青い世界に居た。
僕が立っているのは200mを超える巨大船の甲板である。
潮風に吹かれるたびに失われた小指の先が僅かに疼く。
誤解しないでいただきたいのだが、僕は別に優雅なバカンスに来ているわけではない。
では、何故僕がこんな青に囲まれた世界に居るのか?
それを説明するにはまずこの7年の世界情勢を語る必要がある。
この7年で世界の情勢は大きく変容していた。
まずはあの騒動から世界がどうなったかの話をしよう。
山折村の騒動が終息して一ヵ月ほど経過した頃の話だ。
未名崎錬による『Z計画』と『山折村の闇』に関する告発が行われた。
『Z計画』の自体が全世界的な機密事項である。
その告発ともなれば告発者が事前に消されてもおかしくはない事態である。
しかし、未名崎錬の行った告発は、どういう訳かどこからも差し止められることなく公表された。
それ自体がかなり不自然な出来事だが、何も知らない世間がそこに気づくはずもなかった。
この告発関して、ネット上では陰謀論に狂った男のよくある与太話と言う意見が大多数であり、そういった方向である程度の盛り上がりを見せたが。
あまり注目を集めることは出来ず、真に世間を動かすような大きな流れを作ることはなかった。
その折り目が変わったのはそれから程なくして。
山折村のバイオハザードを上空から映した動画がどこからか流出したのである。
動画はすぐさま削除されたようだが、今の時代、公開された情報はあっという間に拡散されるものだ。
むしろ、その迅速な削除が動画の信憑性を煽ったのか、動画は爆発的に拡散された。その情報がセンセーショナルであればなおさらだ。
はたから見れば、その動きまでが計算尽くのようでもある。
世論は大きく変わった。
すぐさま未名崎錬の告発と動画が照らしあわされ、どこからかそれを裏付けるような情報が次々と飛び出していった。
中には山折村の位置を調べあげ、突撃するものまで出てきた。そうして行方不明になる配信者が続出する事となり一種の社会問題にまで発展する事態となる。
国内の世論の波はもはや制御不可能な大きさまでに膨らみ、その余波は海を越え世界を巻き込んでいった。
世界の滅びを伝える『Z計画』の情報流出は世界に多くの混乱を生んだ。
滅びに絶望した人々や情報を秘匿していた不審により暴動にまで発展して流血沙汰に発展した国も少なくない。
その混乱で生じた負傷者は数え切れず、死者は8000万名以上とされている。
この事態に対する厳しいマスコミの追求に日本政府は追い詰められるように『Z計画』の存在を暗に認める事となった。
同時期、示し合わせたように日米間で共同研究に関する協定を表明。
日米地球保護協定(JU Earth Protection Pact 通称:JUEPP)が結ばれた。
暴動の広がる中、その他の国もこの流れを無視する事はできなくなり。
滅びと言う絶望に対して否定し続けるよりは、希望と言う特効薬を掲げる明確なヴィジョンを打ち出した方がいいと判断する国も出始めてきた。
EUではまずドイツとイタリアが『Z計画』の存在を認め、JUEPPへの参加を要請。
国民の世論に押されイギリスを始めとしたEU各国も追従する動きを見せ、その動きは中東、中南米にまで広がっていった。
これによりJUEPPから世界保存連盟(Global Preservation Alliance 通称:GPA)に名を改められる。
国連加盟国の半数以上がGPAへと参加した段階で、大国のなかでは最後まで『Z計画』の存在を否認していた中露も観念したようにGPAへの参加を表明した。
GPAは治安維持を目的とした国際連合軍を結成。
各国で行われる暴動の大半は治安維持部隊によって鎮圧され、維持活動が行われることとなった。
この動きに対する反発する動きや抵抗組織も生まれたが、結果として世界の治安はそれなりに落ち着いたようだ。
そうして、研究所の思惑通り世界は滅びと言う共通の敵に対して手を取り合うことなった。
各国で秘密裏に行われていた研究も大半が表向きには公開される運びとなった。
それで表沙汰にできない非人道的な実験や研究がやりにくくなったというデメリットはあったのだろうが。
『Z計画』立ち上げから8年、既にその手の研究だけでは煮詰まっている段階であり、新たな風を呼び込むこの流れは各国の研究機関にとっても渡りに船だったようだ。
水面下で行われていた非人道的実験で得た裏のデータもふんだんに生かされているようで、最初から表で手を取り合うよりある意味ではいい状況だったようである、これも思惑通りなのだろうか。
当然の流れとして、その発端となった山折村で発生したバイオハザードの存在も世間に知られる所となった。
同時に、研究所の存在が公になった事により、第二の山折村になるのはごめんだと周辺住民から研究所に対する大規模な反対運動が巻き起こった。
流石に自分たちの命がかかった研究目的からして取り壊せとまでは言わなかったが、研究所は転居を余儀なくされた。
世論の後押しによって目論みが叶った代償に、世論の圧力によって移転を余儀なくされたのはままならないモノである。
そうして、騒動を受け研究所は拠点をいくつか転々と移し、最終的に落ち着いたのがこの青い海の上である。
つまり、この船こそが現在の研究所の活動拠点なのだ。
そして山折村から研究所に移送され、東京の研究所での軟禁生活が始まって1週間ほど経過した時の話だ。
上でどういうパワーゲームが行われたのか知らないが、研究所を通して所属する諜報局から研究所の警備及び協力員として働くよう辞令が下った。
そんな訳で現在の僕は研究所の協力員と言う名の立場で殆ど軟禁されているような状態であり。
蟹工船のような過酷な環境ではなく、太平洋のど真ん中で停留する豪華客船のような巨大な船舶での暮らしは快適であるのだが、ここ数年陸地を踏んだことがないと言う海の男もびっくりな生活をしている。
だが、ここに居るのはエージェントとしての仕事だけと言う訳ではない。
元女王である彼女が不当な扱いをされないかの監視と牽制と言う個人的な騎士(ナイト)の役割もあった。
研究所に運ばれた後も珠さんは意識を取り戻すことはなかった。
しばらく眠り続けた後、意識を取り戻したのは三日後の事だった。
状況を理解していない彼女に事情を説明する必要があった。
彼女の意識が女王に乗っ取られてからこれまでに起きた出来事は誤魔化せるような話でもない。
見知らぬ研究所の大人が行うよりも、顔見知りが行った方がいいだろうという判断もあり僕は自ら説明役を買って出た。
元女王の精神的負荷を考えてか、研究所側もこの提案を受け入れた。
研究者たちに退席願い、研究所の一室で僕は山折村で起きた出来事の顛末を彼女に説明した。
事情の説明を受けている間、彼女は取り乱すでもなく凜とした様子でその事実を受け入れていた。
女王に乗っ取られていた際の彼女の意識がどうなっていたのかは分からないが、もしかしたら最初から彼女は知っていたのかもしれない。
同じ経験をした人間として彼女に故郷の滅亡を伝えるのは心苦しかったが、同じ経験をした人間だから伝えられることもある。
少しだけ、自分の話をした。潜入調査員としての偽りの経歴ではなく、本当の自分の話を。
そして、研究所に軟禁された現在の状況、元女王として研究材料にされる未来も伝えた。
研究所には伝わらないよう、自由を望むのであれば絶対に何とかするとも伝えた。
彼女にとって研究所の連中は僕にとっての魔王と同じ恨むべき存在だ。
別派による犯行であり直接的な関与は否定しているが、世界を救うと言う大義の為に村を犠牲にしたことに変わりはない。
そんな相手に協力するなんて、耐えがたい精神的苦痛を被る行為だろう。
だが、彼女は恨み言一つ吐くことなく、自ら研究への協力を申し出た。
自分が世界を救う一助になるのであればと彼女は言った。
あの村で起きた出来事が意味のある事であったと、スヴィアに貰った命は意味があったのだとその価値を証明するために。
それこそが、喪われたモノを残す事だと、そう言っているようでもあった。
彼女の実際の心情までは慮れない。
だが、強い人だと、素直にそう思った。
その後、元女王の体に念入りな身体検査が行われ、彼女の生命活動は人間とは違う法則で行われているという結果が出た。
これは女王になった後遺症と言うより、怪異によって命を蘇生された影響であるという事らしい。
その体を嘆くでもなく、彼女は怪異となってまで自分を生かした恩師に感謝をするように命を抱きしめていた。
それから、元女王の協力と山折村で獲得した多くの成果もあり、[HEウイルス]は数年で[HE-031]と言う完成品へと到達した。
そこにアメリカが行っていた遺伝子操作による極限環境でも生存可能な人類を作るという『超人計画』が合流され、[HEUウイルス]と名を改めより先へ向けた研究開発が現在も行われている。
その他の国の成果としては、アメリカとロシアが共同開発した宇宙壁によってガンマ線バーストの被害は4割減と言う予測が出ている。
中国の掲げる地下都市計画とバイオシールドの構築技術は各国に共有され、南米で行われるバイオプラントによる持続的なエネルギー開発と食料供給に生かされていた。
イギリスの進めていた遺伝子バンクとクローンによる人類再生計画は凍結されたが、そこで培われた遺伝子工学は[HEU計画]にも多大な影響を与えている。
オセアニアではガンマ線が海水に遮られる特性を利用して、海洋ベースとなる深海基地を作成して生態系維持に勤しんでいる。
インドの行う瞑想と意識進化による精神的防衛も、異能の実在が明らかになった今となってはバカにできない話である。
巨大な共通の敵に一致団結するのもまた人の本質だ。
一つでは足りなくても、多方面から相互作用を及ぼし、滅びの回避に向かって一致団結している。
多くの混乱あったけれど世界各国が手を取り合って、世界はいい方に回っているのだろう。
世界を巻き込む大きなうねりを前に、小さな村の行く末など気に留める者はいない。
あの地獄はきっと、人類史と言う大きな視点で見れば正義だったのだろう。
■
海を眺めて物思いに耽っていると、海に照り返された日の光が目に入り、太陽が頂点に近い事に気づいた。
それでランチの約束があった事を思い出して僕は少しだけ足早に食堂に向かう。
ランチの時間にも関わらず食堂の席はまばらだった。
研究員と言う生き物が規則正しい生活を送る訳がない、と言うのを差し引いても今日は少ない。
食堂の外の廊下はバタバタとしており本日の研究者たちは特別忙しそうである。
世間がせわしなく働く平日に一人休日を楽しんでいるような不思議な気分である。
ガラガラの食堂を悠々とカウンターまで移動して、日替わりランチを2つ注文した。
本日のメニューは鮭のムニエルのようだ。
食事の乗ったプレートを両手に持って食堂のテーブルを通り過ぎ船の食堂から移動する。
待ち合わせ場所はここではなく海を望むバルコニーである。
待ち合わせ相手は周囲を一望できるそこでの食事を好んでいた。
「お食事ですか。天原さん」
「長谷川博士」
その途中でスーツの上から白衣を纏った妙齢の美人と鉢合った。
現在の研究責任者である長谷川真琴である。
慌ただしい様子からして食堂に向かう訳ではなさそうである。
「お忙しそうですね」
「ええ。いよいよ明日ですから」
明日。その言葉に僕も表情を引き締める。
来るべき日に向けて、研究所は忙しく働いているようだ。
「明日、ですか……」
「ええ。染木博士の悲願ですから。その人が誰よりも、この日を楽しみにしていたでしょうから」
そう思いを馳せるように長谷川博士は手にしていた書類の束を胸元で強く握りしめた。
[HEウイルス]開発の最高責任者、染木百之助博士。
染木博士は研究の完成を目前とした昨年、死亡した。
特に何の裏も陰謀もない老衰、つまりは寿命である。131歳だった。
旧日本軍が山折村にて行った不老不死実験の関係者である染木は祖母と同じように実験室で未完成の細菌を二次被害的に感染していた。
だが彼らは、人よりも老化が遅いというだけで彼らは不死ではない。
老化現象が常人の半分の速度だったとしても戦後から85年、常人だとしても90前後の肉体年齢という事になる。大往生である。
直接見たわけではないが、所長である終里も80年来の友人の死にすっかり気落ちしているという話だ。
そう言えば、山折村から研究所に連行された僕たちを出迎えたのも老研究者だった。
珠さんは目覚めることなく眠り続けていたが、彼女を背負ったまま研究所の門をくぐったところで食わせ者の老人と対峙する。
処遇に関して警戒心を全開にして応じていた僕に対して、老研究者は実にあっけらかんとした様子で額にある火傷の様な跡を掻いて。
『拷問? 人体実験? シナイシナイ。ナンか意味あるソレ?
無駄なストレスかけても実験結果のノイズにしかならないヨ。ソリャ、スト耐実験も必要な時はヤルけどサ。
ストレス反応に関してはアノ村で十分すぎるほどデータは採れたからネェ。暫くは必要ないかナァ』
暗に必要であれば非人道的行為も辞さないと言っているようなものだが。
少なくとも、当面はその手の実験は行なう気はないようであった。
『アァソウなの? キミ桜宮くんのお孫さん? 懐かしいナァ。ワタシねぇキミのお母さんのおしめ替えた事もあるんだヨ』
そして事情聴取なのか雑談なのかよくわからないやり取りをしている中で、こちらの出自を知った染木老人はそんな何とも微妙な情報を伝えてきた。
ともあれ老研究者の言葉に偽りはなく、定期的な投薬と問診、血液採取と全身検査を行うくらいのもので、少なくとも非人道的な扱いを受ける事はなかった。
「お忙しいところ足止めしても申し訳ないですし、それでは僕はこれで」
「ええ、珠ちゃんにもよろしくお伝えください」
簡単な挨拶を交わして分かれる。
研究員たちとの関係はこんなところだ。
相容れぬ相手でも、数年を同じ釜の飯を食って過ごせば少しは気安くもなるだろう。
■
「あ、こっちこっち」
海を臨む船のデッキから元気よく手を振る少女が一人。
そこには、7年と言う歳月ですっかり伸びた髪を潮風に靡かせた少女――――日野珠が待っていた。
「お待たせしました。珠さん」
「いつも。ありがとうね、創くん」
すっかりこの呼び方にも慣れてしまった。
少女らしいかわいらしさは、成熟した女性の美しさに変わっていた。
外見は彼女のお姉さんに似てきたように思えるが活発な性格は相変わらずだ。
「また魚かぁ。お肉食べたいなぁ」
「それは次の補給がくるまで我慢ですね」
物資は2週間に1度ヘリで運ばれてくる。
補給の直前になると色々と不足する物資も出てくる。
海上での軟禁生活も慣れたものだが、食事環境に関しては不満があるようだ。
「それに、もうじきこの生活もおしまいですから」
「そっかぁ。別に名残惜しくはないけど。普通の生活に戻るのかぁ」
明日。全てが終わる運命の日。
研究員たちがバタバタと忙しそうにしているのもそれが原因だ。
世界崩壊の日『Zディ』を翌年に控えGPAは計画のマイルストーンを公開した。
その中で『Zディ』に備えるための『Xディ』として[HEUウイルス]の散布日が決定された。
国連の行った意思調査によって全世界の8割弱がGPAの計画を支持。
反対する過激派組織なんてのも生まれてしまったが、実施しなければ世界が滅ぶのだ、実質的に他の選択肢はなく計画は実施される運びとなった。
その『Xディ』が明日である。
今日は文字通り世界の変わる前夜だ。
それが完了すれば協力員である僕らはお役御免となる。
「珠さんは、どうするんですか?」
「どう、って言われてもなぁ、故郷もないわけだし」
彼女の故郷である山折村は滅んだ。
あの地で戦った者として、その結末に疑う余地はない。
少なくとも僕らを輸送した特殊部隊の男からそう聞いている。
特殊部隊の連中との接触はあれが最後だった。
山折村に派遣されていた特殊部隊の連中も同じく研究所と連携を取っているらしいが一度も接触はない。
船上に缶詰になっている自分の立場では知れる情報は少ないが、共に提携している研究所の本拠地という事もあり、風の噂を伝え聞く事もある。
その噂によると、あの事件を担当した隊長は独断専行の責任を取って辞任。
現場で成果を上げた男が新隊長として着任したという話だが、事実関係は定かではない。
詳細を確認するすべはないし、別段確認するつもりもない。
元より存在しない組織である。もう会うこともないだろう。
ともあれ故郷が滅び、それからの7年を研究所で過ごした彼女に帰る場所などない。
僕も同じ立場だが、エージェントとしての立場と師匠に叩き込まれた一人で生きる術がある。
残酷な質問だが、彼女の前途を思えば確認しない訳にもいかない。
「協力員として報酬は出ているはずですので当面の金銭面は心配いらないと思います。
機関から住居の支援や生活の補助を受ける事も出来ますので、必要であれば僕に言っていただければ」
珠さんはため息をつく。
今後の身の振り方について真面目に離したつもりだったが、どういう訳か不満げだ。
「情緒がないなぁ、創くんは」
「?」
「ま、その辺は頼らなくても働き口くらいなんとかなるでしょ、これでも短大卒だかんね。通信教育だけど」
幸いと言うかなんというか、検査の時間以外は自由時間であり船内での行動の自由は認められていた。
もちろん外出は許されないが、そもそも海の上では逃げようもない。
船内には研究員の運動不足解消のためにジムと言った設備も充実している。
だが研究者は基本的に運動嫌いなのか普段は閑散としており、利用者は僕と珠さんくらいのものだった。
それ以外だと正直、勉強くらいしかすることがない。
様々な学術書が取り揃えられており、周囲には天才的な研究者だらけのこの船は学習環境としては最高と言っていい環境だった。
特に長谷川博士は意外に面倒見がよく、彼女の勉強をよく見てくれた。
そうして、船上からの通信教育で大学に通い見事昨年卒業を果たした。
彼女はこの状況にあってもしっかりと未来を見ている。
「まさかいきなり一人で暮らすつもりですか? 世界がどうなるのかもわかりません、ある程度は機関の支援を受けた方がいいかと」
「こらこらマイナス思考はいかんよぉ、創くん」
[HEUウイルス]が散布されれば人類は異能と言う新しい力を得ることになる。
滅びを回避した所で、良い方に転がっていくのか、それとも悪い方に転がっていくのか。
世界がどう変化するのか、少なくとも僕には予測もつかない。
「きっと、いい未来が待ってるよ」
そう言って、水平線を望むバルコニーから世界を端まで眺める。
そう確信しているのではなく、そう彼女は信じているのだ。
それは願いのようでもあった。
「強いですね」
「まあ、信じるだけならタダだかんね」
そう言って、シシシとイタズラに笑う。
出会った時のまま、彼女らしい太陽のような笑顔で。
やはり彼女にはそのような顔が似合っている。
それから自然と山折村の話になった。
意識的に避けていたわけではないが、7年間この話題について殆ど話すことはかなった。
世界の犠牲になった悲劇の村の話ではなく、楽しかった思い出や仲の良かった友人たちの話。
そんな、どうでもいいような大切な話をした。
「そういえばさぁ」
珠さんが鮭のムニエルにナイフを入れながら、何気ない様子で、山折村に残された最後の謎に切り込んだ。
「春ちゃんは春陽さんと誰の子孫だったのかな?」
普通に考えれば後妻を取ってその間に生まれた子供というコトになるのだろうが。
伝え聞く春陽の人柄を思えば、妻である祈に操を立てて後妻などとらなかったという印象もわかる。
その疑問に、僕は自分なりの考えを述べた。
「それは、祈さんでしょう」
「けど、2人の子供は義理の娘であるうさぎさんだけだったんだよね?」
それでは血縁関係ある春姫は生まれない。
勝手な想像ですが、と前置きをして話始める。
語りは名探偵から諜報員にバントタッチして7年前にバスで語られた推理の続きを行おう。
「八尾比丘尼の肉で隠山祈は蘇らなかった。
それは蘇生に失敗したのではなく、別の命を蘇らせたとは考えられないでしょうか?」
「どいうこと?」
珠さんは首をかしげる。
よくわかっていない彼女に向けて、はっきりと答えを告げた。
「彼女は春陽さんの子を妊娠していたのではないでしょうか?」
「つまり、蘇ったのはいのりさんじゃなくて、腹の中にいた子供だったって事?」
そんな事実はどこにも記録されていない。
つまり、自覚症状すらない妊娠初期であった可能性は高い。
その意見を受けて、珠さんは考え込むように腕を組んで、うーんと唸った後。
「…………ちょっと無理がない?」
「僕もそう思います。まあ、素人推理なんてこんなものですよ」
胎児が蘇ったところで、母体が死んでは助からないだろうとか。
その後の記録が一つも残っていないのはどうしたのだとか。
少しでも考えればボロボロと矛盾点がでてくる。
名探偵ではないのだ。快刀乱麻を断つ名推理とはいかない。
そうであったらいいな、と言う希望を語っただけである。
「ごちそうさまでした、と」
昼食と一緒に話題も終り、珠さんが空になったプレートを持って立ち上がる。
「創くんのも片付けておくね」
「ありがとうございます」
一人取り残されて、彼女に倣って水平線を臨む。
山折村から続く物語もこれで本当にひと段落する。
これより先、古い世界は終わりを告げて、異能が当たり前の新しい世界が待っている。
結果だけ見ればあの女王が望んだ細菌との共存であるのだが。
皮肉にもあの女王の反乱が細菌の意思を明らかにし、人間はそれを制御する方法を生み出した。
細菌の自由意志と言う物は剥奪され、人間の都合のいい道具になった。それが本来の正しき形であるかのように。
その現状に、明確な意思を持った細菌と言葉を交わした唯一の人間として思うところはある。
だが、彼女を殺した自分に、何も語るべき資格はない。
そこに後悔などあるはずもないが、そうまでして手に入れた未来は素晴らしき未来になるのだろうか。
「終りの先に何があるのでしょうか?」
両手にプレートをもってバルコニーを後にしようとしていた彼女に問いかけていた。
彼女は足を止めて首だけで振り返り、当然のように言ってのける。
「次の何かが始まるんじゃない?」
世界の変わる前夜。
不安と希望を胸に抱いて僕ら眠る。
未来がより良いものであるといいと祈りながら、新しい世界を出迎える。
■
.
.
.
.
.
.
.
.
.
..
..
...
.....
..........XX年後。
とある小学校の朝。
授業前の教室の騒がしさはいつの時代も変わらない。
とりとめのないお喋りの声が教室の外まで響き渡り騒がしい空気に包まれていた。
「ふぁ~お~っす」 「おはぁ~」
「おはようございます!!」
「おはよう~」 「ケンちゃんおはよう」
「おはよう」
「なんか顔青くね?」 「お~す」
「あ、宿題忘れちゃった! ゆっくんの宿題コピーさせてよ!」
「やべっ腹痛くなってきた」
「ダメだよ、って言うかコピーガードされてるしょ」
「今度の休みどこいく?」
「うんこマンじゃん」 「実は3組にそれを突破できる異能をもってるやつがいてさ」
「なぁ、昨日の配信見た?」
「俺ん家でよくね?」 「えぇ? そんなの異能検診で見つかるしょ?」
「ちげぇよ! うんこじゃねえよ! けど保健室行くわ」
「へっへ、実はさぁ、俺の異能と組み合わせればできちゃうんだよ、コンボだよコンボ」
「見た見た、あの都市伝説ってマジなのかな?」
「お前んち飽きたわ」
「バカだなぁ、ホントじゃないから都市伝説なんだろ?」 「マジぃ? 激アツじゃん」
「はぁ? 新しいゲーム落としたけどお前にはやらしてやんねぇ」
「あれはマジっぽかったけど。山奥の川に居るって言うカッパ、動画もあったし」
「昔は異能もなかったんでしょ?」
「いや、嘘だって怒んなって」
「変身型の異能使ったどっか変態でしょそれ、1000年生きてる不老不死の研究者の方がマジっぽくね?」
「よかった、ギリギリセーフ」 「うっそ~、どうやって暮らしてたの~?」
「1000年は流石に嘘でしょ、じゃあ悪名高い犯罪者だけが閉じ込められる秘密の刑務所があるとか」
「せんせー、おそいねー」 「なら最初に異能が確認されたのがどこか知ってる?」
「それはあんじゃない? アルカなんとかってのも昔あったらしいし」 「知らない~。アメリカのどっかじゃないの~?」
「あと、そう。山の奥深くにあるっていう、迷い込んだら二度と出られない村」 「ぶっぶー。日本なんだって」
「あ~。あれはマジっぽかったね、個人の異能って感じでもなかったし」 「へぇ~。そぅなんだ~」
「村の名前も言ってたね、たしか……」 「なんか、なんかどこかの田舎らしいよ、名前はえっと……」
「「――――――――山折村って言うんだって――――――――」」
最終更新:2024年08月25日 21:04