第14回トーナメント:予選②
No.6039
【スタンド名】
フィール・ソー・ムーン
【本体】
本結 久良來(モトイ クララ)
【能力】
本体が身につけているリボンを操る
No.6066
【スタンド名】
ブラッドスポーツ
【本体】
立府 途知明(タテフ トチアキ)
【能力】
血溜まりの内部に潜る
フィール・ソー・ムーン vs ブラッドスポーツ
【STAGE:対戦者の自宅】◆Vsyfe2xP/6
閑散とした田舎街、真夜中の交差点。
人影は無く、塗装の剥げた信号機はいつ通るやも分からない運転手達に向けて虚ろに赤い点滅を繰り返している。
路脇を抜ける冷たい風の合間に、何処からか、決して遠くはない所からぽたぽたと雫が落ちる音も響いてくる。
赤、消え、赤。また消え、赤、消える。
「ゴホッ……ゲホ…… 」
ところで、交差点の少し先から一人の男が俯き加減で歩いてきていた。
体調が優れないようで、彼が苦しそうに咳き込む度に、淡く白い吐息が漏れ出して直ぐに後ろの闇へと溶けていく。
視界の端にてらてらと輝く街灯と信号が見え始めたので、強張っていた男の表情にも幾ばくかの安堵が浮かぶ。
「多分、ここいらだな」
ようやく交差点の入り口に差し掛かると、男は急に辺りをキョロキョロと見回し始めた。
男の着ていた黒のコートがその度に揺れて、同系色の背景を滲ませる。
やがて信号機の下に供えられたお菓子と缶ジュース、それに真っ赤な花束の存在に気が付くと、男は懐から同じように深紅に染まった封筒を取り出し、
「お前としては絶対に出たくないだろうが、今回ばかりは絶対に断れんぞ。
一応俺も、他の奴に出来ないか掛け合ってはみたんだけどな」
誰ともなく口にした。
赤、消え、赤、当然、消え、赤、消えない、赤、消え、赤、赤、赤、赤、赤。
『役立たずめ』
赤、止まらず、赤、赤、消え、赤、赤黒く、赤、赤、ドロリとした、赤。
男の足下から地鳴りのような、又は唸りのように吐き捨てられた返答があった。
見れば、アスファルトの地面にマンホール程の大きさの水溜まりができている。
そして、不意に男の鼻先を掠めたのは錆びた鉄のような臭いだった。
紛れもなく、流れ出た人間の血液のそれである。
男はウンザリした様子で、だが仕方のないといった風な溜め息を吐いた。
「心配するなよ、兄弟。
俺は何時だってお前の味方だからな。 可能な限り、お前の有利になるよう事を運んださ」
『…………』
「まず、相手は女だろ。 しかも高校一年生で性格はおっとりゆったりな到底戦いには向いていない人種だよ。
彼女はこれまで、スタンドを使って誰かを傷付けたこともないからな」
『…………』
「虫も嫌いだし、苦かったり酸っぱかったりする食べ物も嫌で、学食に出たピーマンは必ず残すらしい」
『…………』
「もしかして、これでもまだ怖いのか?
勇気が出せないのか?
この子くらい弱くないと駄目なのか? 」
応えのない会話を一旦切り上げて、男は真上を指差した。
その先には信号機に括り付けられた、赤信号の点滅の度に現れるモノ。
「臆病者め」
今も夜風にだらりと揺れる、手足先から血を垂らす小柄な少女の死体の事を指して、男は顔色一つ変えずに言い切った。
彼は所謂、屑である。
『……封筒を寄越せ』
男は暫くの沈黙を貫いた後に、小脇の封筒を投げ捨てる。
ゴポゴポと気色の悪い音を立てながら、面に書かれた殺人鬼、立府途知明(たてふ とちあき)の名が、徐々に血溜まりの中へと消えていく。
閑散とした田舎街、真夜中の交差点。
人影は去り、残されたのは赤、消え、朱、赤、赤、赤、赤、赤、朱……それもとうとう、最初から存在しなかったかのように消えてしまったのだった。
キラキラネーム、なんて馬鹿にされることもあるけれど……。
本結 久良來(もとい くらら)、それが私の名前である。
『何時までも変わらずに、幸福を享受できる子になりますように』
大病を患い、若くしてこの世を去った私の父は、そんな暖かで優しい想いをこの名前に込めたそうだ。
私が物心付く前に亡くなってしまったから、これが私と父との数少ない大事な繋がりなのだ。
そして有り難いことに、私はその名が示す通り、多くの幸運に助けられて人よりも幸せな人生を送ってこれた、と個人的には思っている。
大分……いや、 かなりマイペースな性格の私は、受験競争だとか部活のレギュラー争いなんかとは一生無縁の蚊帳の外。
きっと普通に学校を卒業して華やかな表舞台には立てないまま何となく生きていくんだろうなって考えてたから。
でも、実際にそうはならなかった訳で。
小学五年生の春、ある日家の郵便受けに入れられていた降星学園の入学案内。
きっと、どこかの誰かがネットで取り寄せた物が配達員のミスで間違ってウチに届けられたんだ。
思えば、これが最初の幸運だったのかも。
降星学園─── 広大な大平洋の海原にぽつりと浮かぶ孤島 『星野古島』に建てられた全寮制の超マンモス校。
島全体が大規模な学園都市として機能していて、目の眩むような高額の入学金と授業料を引き換えに無条件での入学と世界最高峰の教育が受けられると毎年全国から生徒が殺到しているらしい。
もう一つ、この学園には他の学校に見られない奇妙な特待生制度が設けられていて、母子家庭で金銭的な余裕も無かった私はその試験に合格することで降星学園に入学できていたりする。
ずばり、『スタンド』を使うことができるかどうか。
それが特待生制度を利用して入学するための唯一の試験内容。
『スタンド』は謂わば、ヴィジョンを持った超能力だ。
炎を操る、物を尖らせる、透明になる……その能力やヴィジョンの種類は様々で、まぁ基本的にはスタンドを使える人同士でしか視ることも触ることもできない。
かくいう私も、小学生として迎える最後の冬に、ある出来事が切っ掛けで『スタンド』が使えるようになっちゃってて。
今までの人生の中で、これを手に入れたことが一番の幸運だったと言っても良い、これからも末永く幸せを与えてくれると思う。
母から後で聞いた話では、生前の父も私と同じように『スタンド』が使えたみたいで
「やっぱり、あなた達は親子なのねぇ」
なんて嬉しそうに笑っていたっけ。
ともあれ、そんな思いがけない幸運の連続で、私には沢山の友達と、おんなじ力……おんなじ悩みにおんなじ秘密を共有できる仲間ができて、本当に今日まで幸せだったなぁなんて、改めて沁々と感じてた。
「あー……本結、放課後ちょっと学園長室まで来てくれるか。
大事な話があるから、忘れるなよ」
でもまさか、このスタンドが私にとっての『不幸』を運ぶ原因になってしまうなんて……その時の私は夢にも思っていなかったんだ。
「あっ、私ちょっと古沢先生に『学園長室に来いっ』て言われてるから、今日は先に帰ってていいよぉ」
「なんだなんだ? あんた、何かやらかしたの? 」
降星学園、校舎二階『四の三』教室前。
放課後を告げるチャイムが鳴った後、私はいつも一緒に帰っている友達にさよならをして校舎の四階にある学園長室に向かった。
私が先生に呼び出されるのは初めての事だったからか、友人達は物珍しそうに目を輝かせて、あること無いこと言いたい放題だ。
「クララ、まさか留年しちゃうの!? 」
「ち、違うよぉ……! 私、頭はそんなに悪くないもん。
むしろ良いもん。
惑火ちゃんよりは良いもん」
「あーあ、遂に援交がバレたのか」
「そんなことしてないよ! 失礼だなぁ、もうっ! 」
階段を一段一段昇る度に、件の目的地に近付く度に心臓を針金で突かれるような感覚に襲われる。
帰り際、みんなは冗談混じりに言っていたんだろうけど、私の胸はずっと得も言われぬ不安で一杯だった。
学園長から直々に怒られるような事をした覚えはまるで無かった。
だけど結局、べっとりと張り付いた嫌な予感だけは頭の奥から離れなかった。
「ううぅ~~……なんだか緊張するなぁ」
そんなこんなで、四階の廊下の右奥、突き当たりにある学園長室の前室に着いた。
ここには降星学園の創立から現在に至るまでの歴史を記した資料や校舎の模型が誇らしげに展示されている。
その中で一際目を引くのは、学園長室に繋がる木製の立派な扉。こんなものは昔やったゲームの中でしか見たことがない。
私は気の進まない自分を奮い立たせて、恐る恐る扉をノックした。
「来たか、入っていいぞ! 」
威勢の良さから、それが私のクラスの担任教師、古沢先生の声だとすぐに分かった。
まだ二十代前半の血気盛んな先生で、私はちょっと苦手なタイプだ。
「はい、失礼します」
「……おお、君が本結 久良來さんか。
いや失敬。この学校はいかんせん生徒が多すぎるから、中々個々人の顔や名前を覚えられないんだ。
尤も、普段から生徒と接する機会が皆無なのが一番の原因なんだがね」
部屋に入ると、中央奧に置かれている執務机に座った白髪混じりの男の人が物腰柔らかな口調で話し掛けてきた。
この人が、どうやら学園長みたいだ。
この部屋は奧の壁が全面ガラス張りになっていて、沈みかけた夕日が差し込んでいるから、学園長の顔はよく見えない。
「君も、私と会うのは初めてだろう。
学校行事の全てを各学年の校長先生に任せてあるからね。
改めて、私がこの降星学園の学園長『アラン・スミシー』だ。
まぁ立ち話もなんだし、そこのソファに座りたまえ」
「はい……初めまして。 えっと、あのぅ……それで私、何でここに呼び出されたんでしょうか?
……? これ、が理由ですか? 」
取り敢えず促されるまま来客用のソファに腰掛けると、テーブルの上に無造作に置かれた赤い封筒が目に飛び込んできた。
封筒には白文字でハッキリと『本結 久良來様へ』 と書かれている。
「ああ、そうだ。
早速だが、その中に入っている招待状を出して読んでみてくれ」
「あっ、はい……」
古沢先生の指示に従って、私はその封筒を手に取り、揺すりながら引っくり返して中身を膝の上に落とす。
出てきたのは黒の便箋だ。
『本結 久良來様。
おめでとうございます!
貴女様はこの程、我が運営の主催するスタンド使いによる、スタンド使いのための、 スタンド使いのトーナメントの栄えある出場者に選ばれました!
さて、このトーナメントでは指定された対戦相手との殺し合いやゲーム等を通して、どちらがよりスタンドを上手く扱えるのかを競っていただきます。
なお、一回戦の使用ステージは貴女様の御自宅、つまり貴女様が現在お住まいになられている降星学園第三女子寮、通称『蝶子寮』の121号室に決定しております。
試合開始時刻は、貴女様がこの招待状を受け取ってから一時間後とします。
ちなみに、このトーナメントを棄権することは出来ませんので悪しからず。
決して遅れることの無きよう、くれぐれも、後悔の無きよう……』
そんな文章が認められていた。
目眩がして、次に吐き気が押し寄せる。
まさか……そんな……どうして私が?
思いがけない不条理に私の意識は一気に闇に飲まれそうになって、なんとか寸でで踏み止まって。
「その様子だと、同室の豊念寺惑火(ホウネンジ マドカ)から少しは話を聞いて知っていたようだな。
この『トーナメント』、準優勝した豊念寺も含めて以前から何人かこの学校の生徒が出場しているんだが……。
内、六年二組の椎名凛堂(シイナ リンドウ)という女子生徒が命を落としかけたこともある危険なものだ」
古沢先生はそこまで言うと顎に手を当てて、ウ~ンと低く唸った。
「学園長、やはり本結をトーナメントに出場させるのはあまりにも危険なのでは……。
死亡者は未だに出ていないと言っても、こいつは誰かを傷付けたり、ましてやスタンドを使って戦うなんて考えられないって風な性格なんです。
まともに戦えるかどうかも……」
「そうですか。
勿論、これは単なる遊びではないですから、本来ならば本結さんにはトーナメントを棄権してもらいたいところです。
しかし……」
「…………」
二人の会話は、私の頭の中まで入ってこないで、ボヤけた視界の目の前で白い靄になって広がっていく。
私は、何時だったか惑火ちゃんが奇妙なトーナメントに出場したこと、そこで出会ったスタンド使いとの激闘を楽しそうに語っていたのを思い出していた。
羨ましいな。
私にとって、戦いは恐怖でしかないから。
「恐れているのは、『トーナメントを棄権できない』の一文と、これまでは招待状を出場者に直接届けていたのが今回に限っては学園を通して送り付けてきた点です」
学園長のくぐもった声が聞こえて、私は薄まっていた現実の世界に引き戻された。
「確かに、どこか脅迫めいた不穏な意図をこの文面からは感じ取れますね」
「相手方の罠、かもしれません」
「そうすると、トーナメント運営の目的はなんでしょうか?
本結を罠に掛ける理由が思い付きません。それに、我が降星学園を敵に回しかねない行為だと彼方も理解しているでしょうし」
「ふぅむ……。
ともあれ、です。 既に試合開始まで残り50分しかありません。
私達がここで頭を抱えていても解決する問題では無いでしょう。
……本結さん、大丈夫ですか? 」
大丈夫、な訳ないよぉ!
なんて口が裂けても学園長に向かっては言えない、どうにかして私は思わず出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。
それから遅れて学園長の『大丈夫』の意味を察して、背筋に嫌な悪寒が走る。
いやいや、笑えないよ。コレは。
「え、あ……大丈夫っです……て?
それはその……まさかトーナメントに出てくれってコトでしょうか……? 」
学園長は混乱でしどろもどろになる私の目をじっと見据えて、ゆっくりと口を開いた。
「私はこの学園の長として、この学園の宝である『優秀』な生徒の安全を第一に考えています。
しかしながら、このトーナメントを主催している運営とやらは、その『優秀』さに目を付けて幾度と無く無謀な挑戦を煽ってくるのです。
故にこの挑戦から逃げるのは、彼らから我が校の生徒に『無能』のレッテルを貼られるも同義」
つまり、え……?
「貴女もまだ学生とは言え、一端のスタンド使いです 。
スタンド使いというのは皆、誰しもが心の奧底に大なり小なりの闘争心を隠し持っているもの。
大事なことは困難に立ち向かう意思と、こんなんに負けてたまるかという意地ですよ」
え? え?
「安心しろ。 降星学園の名に懸けて、お前を死なせるような真似はさせん。
いざとなったら俺も助太刀に入るッ! 」
「ホホホ、それならば本結さんも怖いものなしですね」
え? は?
「頼みましたよ、貴女の背にはこの学園が今まで築き上げてきた威信が掛かっているのですから。
大いに結果を期待して待っています、本結久良來さん」
「…………」
「返事はッ!?」
「はっ、はい! 分かりましたッ! 」
「良かった、お前ならそう言ってくれると信じていた! 」
「あっ、あああ~~~……」
……ヒドイよ!
これじゃあ無理矢理っ、強引も強引すぎるよ!
ああ、そうか!
きっと私が学園長室に来る前から、先生達でトーナメントについて何時間も話し合っていて、とうに結論は出ていたんだ!
私に状況を説明する前にすぐ招待状を読ませたのも、一時間のタイムリミットにかこつけて棄権を選択する余地を与えなくするためだよ、絶対!
「それと急いだ方が良いぞ、本結。
学寮エリアは校舎からちょっとばかし離れにあるからな。って、毎日通ってるんだから知ってるってんだよな? スマンスマン。
ああ、あと、豊念寺には今日一日部屋を空けておくよう伝えてあるから……そこんところは心配するな」
「は、はい……」
ほらやっぱり、最初から私を出場させる気満々だったんだ。
ははは、私の古沢先生の評価が苦手から嫌いになったよ、おめでとう!
「失礼しました……」
「それじゃあ、健闘を祈るッ! 」
「精一杯、頑張ってきなさい」
私は二人に向かって力無く御辞儀をしてから学園長室を後にした。
扉を閉め終わる直前、暖かな隙間風に乗って微かに聞こえてきたのは
「多分、彼女は駄目だろうがね」
「ええ」
…………。
………………?
なんだろ。
奥歯の奥に気持ちの悪い感触があって、それがとても奇妙な違和感だと気付いたけれど、もうなんか何かを考えるのも面倒くさくなっちゃった。
上空から見ると建物が星形に展開されているらしい団地のような学寮エリア。
噴水付きの公園や24時間営業のコンビニなんかも近くにあるので、寮生活で何かに不自由したことは入学以来一度もない。
「あと10分ぐらいかなぁ、試合まで」
学寮の一つ、蝶子寮は降星学園に在籍している四年生の女子生徒だけが入居できる全245室からなる七階立ての学寮である。
何年かに一度は設備や内装を新調しているおかげで、寮内は新築と見紛うばかりの綺麗さと清潔さを保っている。
個室じゃなくて二人の相部屋になっているのが少し不満だったけど、それで同室の惑火ちゃんと仲良くなれたのもあるからプラスマイナス0って感じかな。
「あれぇ? 」
蝶子寮に着いた私は、思わず首を傾げた。
寮の入り口のところで寮監のおばちゃんが辺りに散らばった落ち葉を掃除しているのが見えたからだ。
珍しいな、と思った。
面倒臭がりの彼女は日中殆ど管理人室から出てこないし、この時間は確か夕食の買い出しに行っている時間だった。
「あら、久良來ちゃんおかえり! 今日は惑火ちゃん達と一緒じゃないのねぇ? 」
「ちょっと用事がありまして~~……。
惑火ちゃん、もう部屋に帰っていますか? 」
「いや、まだみたいよ。
というか今日はまだ誰も帰ってきてないのよねぇ。
どうしてかしら? 」
「そ、そうなんですかぁ」
十中八九、あの学園長が裏から手を回したのだろうな。
他の生徒に危険が及ぶかもしれないし、試合に割って入られる可能性もあるし。
「あっ、そう言えばさっき、知らない男の人が寮の中に入っていったわね」
「えっ? 」
「誰なのかしらね、あの人。
フフフフ」
「誰って、明らかにそれ不審者なのに何で止めなかったんですかぁっ!? 」
「どうしたの、落ち着いて?
だってさ……今からヤるんだからその必要は無いでしょうよ。 フフフフフフ」
「ひっ……」
なんなの……。
おばさんが、狂ったように笑ってる。
あれ、今すぐここから逃げろって私の直感が騒ぎ立ててる。
「じ、じゃあ私はこれでっ! 」
「でしょうね。フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ」
後ろから響くおばさんの笑い声に追い立てられながら、私は自分の部屋まで全速力で駆け抜けた。
寮には備え付けのエレベーターもあったけど、とにかく立ち止まってしまうのが何より怖かったのもあって。
奇しくも学園長室に行った時と同じ、階段を使って四階まで。
「はぁ~~……、はぁ~~……」
絶対に変だ。
あの招待状を読んでから、会う人会う人全員が正体不明の『変』ばかりだ。
ほんと、どうしてこうなっちゃったんだろう……。
◇ ◇ ◇
蝶子寮、四階『121号室』、つまり私の自室前。
「これって、『血』、だよね……」
部屋の前に血溜まりができていた。
扉の下の、僅かな隙間から流れ出してきて、溜まったもののようだ。
「カギも……開いてるし」
先客がいる、イコール、私の対戦者。
もしくは変態。
「た、ただいまぁ~~」
ドアノブを掴むとヌチャリとした感触があった。
もはや恐怖するのも疲れてきたので、私はこれを完全スルー。
大方察しも付いている。
部屋のカーテンは閉められたまま、血の飛び散った玄関には見慣れない男物の革靴。
なんとも言えない生臭さと静まり返った薄暗さが私を重たく包み込んだ。
「ゲホッ、ゴホッ……、ああ~~失敬失敬。どうも最近風邪気味なんだよね」
「ッ!!」
私はびくりと体を震わせて、そのまま身動きが取れなくなった。
男が咳をする音と、私に声を掛ける声。
この闇の何処かに人が潜んでいるようだ。
「貴方、どなたですかぁ! なんで私の部屋に居るのぉ! 」
「おっと、ビックリさせちゃったか。
大丈夫大丈夫落ち着いて、さぁ今電気を点けるよ」
…………。
「……あ、電気のスイッチがあるのそっちだったわ。
ゴメン、代わりに点けてもらえる? 」
「はぁ……」
私はなんだか拍子抜けしながら、玄関横にある照明のスイッチを押した。
暗闇が消えて全てが浮き彫りになると、黒づくめの男が私のベッドの上で胡座を掻いているのが見えた。
「よし! ありがとな!
じゃあ、手始めに自己紹介から始めるか。
俺は今回のトーナメント一回戦の勝敗を決めるために派遣された『立会人』ね。
悪いんだけど、今回は身分だけ。俺の名前は伏せさせてもらうよ」
「『立会人』? 」
「そう。
両者にとって公正に試合を進めるためにはやっぱり立会人が要るだろう?
だから運営の人間、俺らが居るんだよね」
「そうなんですかぁ……。
友人にトーナメントの経験者が居るんですけど、それは初耳でした」
「立会人は最低限、試合の勝敗を見届けるだけでいいからね。
最初から最後まで姿を現さない人も少なくないよ」
「へぇ~~……」
「おっと、そろそろ時間だね。
既に君の対戦者『立府途知明』はこの部屋に着いているし、トーナメント一回戦を始めるとしよう」
「? 他に誰も居ませんよ? 」
軽く見回してみても、私と立会人さん以外、人影は見当たらない。
どこかに隠れているのかな?
「いやいや、居るから。
で、今回のルールを説明するね。
相手を殺すか、もしくは部屋の外にリングアウトさせて反則敗けにするか。
これで行こうと思うんだけど、異論は無いな? 無いね、よし」
「へ? 相手を、コロス……? 」
「はいそれでは、よーいスタート」
「ちょ、ちょっと待……いぎっ!? 」
右腕に鋭い痛みが走って、私は堪らずに声を上げてしまった。
焼きごてを当てられたかのような刺々しい熱さと同時に、それが流れ出ていく瞬間の冷たい感覚。
『…………』
「す、スタンド攻撃ッ!? あ……あ……」
「ほらほら、どーした? 戦わなければ生き残れないぞ~~。
それともここで死ぬのか~~? 」
「え、な、分かんな……分かんない分かんないッ!! 痛い痛い痛いッ……うぐぅっ!? 」
今度は右足を殴られた。
私の頭は終始真っ白だったけど、それが普通の人間の仕業ではないことだけは瞬時に理解する。
ネズミに似た顔付きの、下半身ががらんどうになっている血塗れのスタンドが視界の端に見切れて消えたからだ。
「『フィール・ソー・ムーン』ッ! 」
「お、やっと出したか。
えーと、俺の記憶が正しければ君のはリボンのスタンドだったね」
足首に巻いていたリボンを解いて、私の体の周りを螺旋状に回転させる。
簡易なシールド代わりだ。
次に敵スタンドが近付いてきた時、一気に巻き付いてがんじがらめにしてやる!
「 ほら、かかってきなさいよぉッ! もぉっ! 」
「いきなり好戦的になったねぇ、君」
『…………』
『ウケケケケッ!』
「来たッ! 」
『ウケッ! 』
「な、消えた……!? 」
『ウケケケケッ!!』
「このスタンドぉ……!
って、うわっ! おえっ、血!? 」
何故に見落としていたんだろう。
住み慣れた部屋が、さながら連続殺人鬼の隠れ家のようになっていることに。
床に大きな血溜まりがあった。
壁に無数の血飛沫があった。
私がこの部屋に入ってくる時、扉の前にあったものと同じような。
(血溜まりに関係した能力、スタンドがいきなり居なくなったのも、もしかしたら……)
成る程、今日の私は冴えているな。
敵の本体が見えなかったのも、この能力を使っていたせいと考えれば合点がいく。
「そのスタンド、ずばり血溜まりの中に潜ることができるッ! それが貴方の能力ってことぉ!
多分! 」
『ウケケ! ウケ……ルッ!! 』
「ってぁ、うわぁッ! いやッ! 」
「あーあ、血溜まりの中に引きずり込まれちゃったか。
勘は良かったんだけど、こうなったらもう負けかね。
いやはや、結構呆気無さすぎたなぁ……この試合」
「ごぼっ……がぼ、ぐ……」
口一杯に広がる、不快感。
右も左も赤、赤、赤。
どこまで広く、深いのか。
血の池地獄に落とされて、私の体はどんどん底へと沈んでいく。
「ぐぅ…………」
息が、苦しい。
息が、できない……。
『ウケ! ウケルゥーーッ!!』
目の前で人の形が揺れている。
傍らでスタンドが笑っている。
あれが、私の対戦相手……立府さんか。
あぁっ、もうダメみたい。
いよいよ意識が暗中の先で途切れそうになってきたので。
私も笑って、彼に手を伸ばした。
「捕まえた、よぉ」
『…………ケーッ!?』
ツインテールには二本のリボン。
右のリボンは蜘蛛の糸、私を天国まで引き上げてくれる。
左のリボンは貴方のために。
勿論、どちらも蜘蛛の糸。
二度と貴方を離さない……いや、上に着いたら離すけど。
好きな人でもないし。
「ぷはぁ! はぁ……はぁ……!
た、助かったぁギリギリ! 」
『…………』
「いやぁ驚いたね、全く。こりゃ驚いた。
あそこから逆転一発、戻ってくるとは……正直かなり見くびっていたよ。
君が幼げな女子高生だからってね」
立会人は疎らに手を叩いて、あまり嬉しくなさそうに言う。
私はリボンで全身を拘束したミイラ男状態の対戦相手の体を床に上げつつ、立会人をキッとして睨み付けてやった。
初めて抱いたこの感情、このモヤモヤイライラが、学園長が言っていた闘争心って奴なのかな。
「で、殺したの? 」
「いえ……殺してないですよぉ。
リボンで動けなくしただけですから」
立会人の問いに答えつつ、対戦相手に巻き付けていた左のリボンをシルシルと回収していく。
血のせいで真っ赤に染まってしまったから、この試合が終わったら新しいのに替えないとなぁ。
「ふぅん。おっとりしたように見えて、案外Sっ気があるんだね。
でもさ、ところでさ、死んでるよね、彼」
「……私の話、聞いてましたかぁ? だからですね、殺してないですって」
「君こそ、俺はこいつが死んでるって言っただけだぜ? 」
そう言って、立会人は俯せに倒れたままの立府さんの腹を蹴り上げた。
「ひぇっ……」
私が巻いたリボンが外れて、立会人が乱暴に体を裏返したことで、床に突っ伏していた立府さんの顔が露になった。
立府……さん……の顔?
「古沢せんせ? あれ? どーして? 」
「死んでる……の? 私の対戦相手って古沢せんせなの? へ? 」
腕を、脚を、頭を、戦いのためだけに動かしていた糸が、私の糸がぷつりと切れてしまっていた。
昂っていた闘争心は音を立てて崩れ去り、私の心は宙に投げ出された。
「ケケケ……」
「ウケ……ウケケケケケッ!
チョーーーゥ、ウケるんですけどォオォッ!!
ほんっとうに一々反応が可愛い奴だなお前はァアッ!!」
「あ……かはっ……」
喉が押し潰され、逃げ遅れた息が弱々しく漏れる。
後ろから、凡そ人間のものとは思えない力で首根っこを掴まれ軽々と持ち上げられた。
このトーナメントの、両者にとって公正な筈の立会人さんに。
「立会人だぁ? そんなもん始めっから居ねぇんだよ、バーーカッ!
俺がお前の対戦者、『立府途知明』なんだよォォーーーッ!!」
「う……ぐ……」
「死ねや、死ねッ!!
そこでくたばってる野郎みてーに、すぐにあの世に送ってやるからよォォーーッ!! 」
「くっ……『フィール・ソー……」
「無駄無駄無駄ッ!!
『ブラッド・スポーツ』ッ!
お前のリボンよりも、俺のスタンドの方がパワーは上ッ!
俺の体に触れる前に悉く引きちぎってやるよォッ!!」
「ぎ…………」
どうすれば、 勝てるのか。
この悪魔を倒す方法をずっと考えていた。
「ん? 何してんだお前。
リボンを後ろの壁に……突き刺した? 」
これはあくまでトーナメントの試合。
立会人が居ないのなら、必然的に勝敗のルールは出場者同士で決めるもの。
だったら、私が勝つには立府途知明を殺害するか。
或いは、この男の立ち位置を利用してもう一つの勝利条件を!
「ぬっ……!? うおおおおおおおっ!? 」
スリングショットの要領で、リボンを急激に収縮させて私の体を立府ごと背後の壁に備え付けられたダスト・シュートに叩き付けるッ!
「んぐっ! ……ったぁ! はぁはぁ……」
「おおっ、俺が落ちるだとォォォッ!!
『ブラッド・スポーツ』ゥゥ!
り……リボンに引っ張られて戻れんッ!」
衝突の衝撃に立府が私の体を離した隙に、すかさず『フィール・ソー・ムーン』でダスト・シュートと立府を繋げた。
わたしが身に付けていた八本のリボンを総動員して、奈落へ引きずり込んでやった。
「はぁ……リングアウトは……反則敗けとする、でしたよね。
『立会人』さん? 」
「貴様ァァァァッ!! 許さねぇぞッ! 許さねぇッ! 俺はいつか必ず戻ってくるぞォォォォッ………………」
立府は捨て台詞を吐き、鬼の形相をして、チューブのあちこちにぶつかる音を立てて落ちていった。
「あ、あははは……みんな、勝ったよぉ」
そうして。
とうに限界を迎えていた私の意識は安心したかのように暗転し、試合の記憶はここで途切れてしまったのだった。
…………。
…………………。
「がああああッ!! くっせぇ! くっせぇ! クソがあぁぉぁッ!!!」
ダスト・シュートの終着点、地下に設けられたゴミ集積場に立府は降り立っていた。
落下した衝撃で生ゴミの山に腰まで埋まってしまったが、『ブラッド・スポーツ』を使いどうにか退かしたのだった。
「あああああッ!! 俺がッ! 」
「『負ける訳がない』、ってか。立府」
円筒状のコンクリ壁を反射して、憐れんだような男の声で場内は満たされる。
程無くして、轟々とした機械音と共に搬入口のシャッターが上がっていく。
「テメェ……よくもノコノコ俺の前に現れやがったな。
ご丁寧に風邪まで移しやがってよ」
「おいおい、そう怒るなよ。
俺だってやれるだけのことはやったさ。
本結久良來の担任教師、降星学園の学園長、寮監の中年女性……俺のスタンド能力で作り出した『幻』は、確かに彼女の精神を疲弊させた」
男はシャッターの真下に立って、自分を睨み続けている立府を諭すように話している。
「あんまりやりすぎると俺も上層部に消されかねんから、程々にだけどな。
それでも彼女は最後まで、希望を捨てずにお前を打ち負かした。
ほんの少しだが感動したよ、彼女が清く正しい闘争心を宿してくれたことにね」
「黙って聞いてりゃ、ふざけたこと言ってんじゃねぇぞッ!!」
足元に転がった空き缶をこれでもかと、これでもかと踏み潰し、立府は吼える。
「あのアマ、ぶっ殺してやる……。
トーナメントもクソも関係ねぇッ!
このままじゃあ終われねぇんだよッ!!
まだあの部屋に居るだろうから殺っちまってもいいよなぁ、ええ!? 」
「っと、それは困る。
本結久良來はこれからトーナメントの二回戦が控えているからな。
……どっちみち、お前は生きてここから出ることは叶わない」
ガタンとゴミ山を震わせる程の爆音。
一度は解放されたシャッターが、再び下がり始めた。
「ああっ!? なんてったッ!?」
「降星学園『学園長』から直々に抗議があったみたいでな。
流石に、無関係の教師を殺したのは不味かったんじゃないか?
俺の『幻』の件も学園側は把握しているみたいで、執行人にと名指しで選ばれたよ」
男は、スタンドを発現する。
「兄弟、お互い死ぬ時は同年同月同日にだって、昔はよく言っていたよな」
男は煙草を取り出して、火を着ける。
シャッターはガタガタと音を立てて、中頃まで下がっていた。
「安心しろ。これは『幻』だよ。
お前の心が燃え尽きるまで……じゃあな、元気でな」
「じょ、冗談だろ*?躡?躡?莟*
男が去り際に放り投げた煙草は、大きな弧を描いて、山積みにされた漫画の束の上に乗っかって。
立ち上った炎が何かを燃やすことはないだろう。溶かすことはないだろう。熱さを感じさせることも、ただ一人、彼を除いては。
立府の悲痛な叫びは、シャッターが閉まり切ると同時に誰にも聞こえなくなった。
★★★ 勝者 ★★★
No.6039
【スタンド名】
フィール・ソー・ムーン
【本体】
本結 久良來(モトイ クララ)
【能力】
本体が身につけているリボンを操る
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最終更新:2022年04月17日 14:47