第14回トーナメント:決勝③
No.6039
【スタンド名】
フィール・ソー・ムーン
【本体】
本結 久良來(モトイ クララ)
【能力】
本体が身につけているリボンを操る
No.7156
【スタンド名】
ディメンション・トリッパー
【本体】
三船 重兵衛(ミフネ ジュウベエ)
【能力】
触れたものを急加速させる
フィール・ソー・ムーン vs ディメンション・トリッパー
【STAGE:学校】◆Zb4sdv40uw
誰もいない公園のたった一つの外灯の元、黙々と体を動かす青年の影が砂に踊る。
弧を描くように足を滑らせ、その流れに呼応するかのように両腕を回すように動かす。
空気を乱さないように、風と舞うように一定の動作を繰り返す。
もうどれだけそれを続けているのか、額に浮かぶ汗と、足元の砂に浮かぶ風紋だけが時間の経過を物語っていた。
やがて肺腑の空気全てを一筋の糸ように細く、長く吐き出すと、全身をゆっくりと脱力させた。
そのとき、待っていたかのように公園の暗がりから力強い拍手の音。
「見事な体さばきだった、重兵衛君。その動きは柔術かな? 私は日本の武道には詳しくないが『柔能く剛を制す』という特有のコンセプトとその理論体系には前々から興味があってね。武装した相手と効率よく対峙するには有用な戦略だ」
「合気道ですよ…………お久しぶりです、ヘイスティングスさん」
明朗な日本語を話しながら近づいてくるスーツ姿の金髪の男、グレゴリー・ヘイスティングの登場に、青年、三船重兵衛(みふねじゅうべえ)は一瞬面食らったような表情を見せたが、すぐに表情を隠すように頭を下げた。
グレゴリーは大げさに肩をすくめながら青年に身振りで頭を上げるように促す。
「私の事はグレッグと呼んでくれといつも言っているだろう? 今は上司と部下の関係ですらないのだから、なおさらだ」
「…………まぁ、癖みたいなものですよ」
「嘘はよくないぜ、重兵衛君。巡子ちゃんと話すときはしっかり私のことをグレッグさんと呼んでくれているそうじゃあないか」
鷹揚に肩を叩きながらにこやかに語りかけるグレゴリーに、重兵衛は苦い顔で顔を背ける。
グレゴリーの容易く人の間合いに踏み込む姿勢に、重兵衛は昔から居心地の悪さを感じていた。
その重兵衛の愛想の悪ささえ照れているかのようにあしらい、自分のペースで強引に話を進める。
不覚にも重兵衛は気疲れする気持ちとともに、どこか懐かしさを感じていた。
「面と向かっては流石に…………そんな感じです。それで、巡子ちゃんには他に何を聞いたんですか?」
このままペースを握られていては一向に本題に入りそうにない、そう感じた重兵衛はグレゴリーにそう尋ねた。
重兵衛の予想通り、我が意を得たりと言った表情となったグレゴリーはいつもの調子で語り出す。
「そう、今日は我らが巡子嬢に、君が宗旨替えをしたという話を聞いてわざわざ足を運んだわけだ。どうだろう、もう一度私と一緒に働かないか。今度はアンカーの正式なメンバーとしてね」
グレゴリーの暴力的ともいえる笑顔に、重兵衛は表情が暗くなるのを隠せなかった。
確かに、先刻のトーナメント第二回戦において、重兵衛は以前同じアンカーという組織に所属していた八坂巡子という少女との対戦で、以前の自分では考えられないような感情を抱いた。
誰かの期待を極端に嫌っている、その自分が他でもない自分自身の力に期待した。
勝負を終わった今でも、拭い難いその熱は胸の奥に残っているが、しかし。
「別に…………考え方が変わったわけじゃあありませんよ。ただ、勝利に少しだけ酔って、心にもないことを言った…………それだけの話です」
誰かの期待を背負おうと思えるだけの覚悟を、未だに重兵衛は持ち合わせてはいなかった。
ため息をつきながら並べた言葉を、グレゴリーはしかし全く耳を貸そうとしない。
「嘘はよくないといっているだろ、重兵衛君。人は自分に期待せず生きていくことなど出来ない。まして深夜の公園で一人黙々と鍛錬を積むなどといったことはね」
「これは………………ただ明日の勝利で日々の安息を得たいが為に『誰も失望させたくない』
目を合わさず、地面に向かって落とすように言葉を紡ぐ重兵衛に、グレゴリーが言葉を被せる。
「君と初めて会ったとき、君はそう言った。私は今でも、それが君の本心だと思っている」
「…………『だから、僕に期待しないで欲しい』。僕はそう続けたはずです」
「ふむ、君がどんな過去を生きてきたのかは私にはわからない。だが、これだけははっきりと言える。自分に失望している人間が何かを成すことなど出来はしない。背負うほど期待は重たいものだが、前へ進もうとするとき、背中を押してくれるのは何時だってその期待だ」
苦い言葉が重兵衛の胸に刺さる。
胸の奥から嘔吐感のように過去の記憶がこみ上げて来る。
背に重くのしかかる期待を振りほどいて、逃げ出した過去。
あの日から一歩も、自分は前に進んでいないような気がする。
「あなたも…………僕に期待するんですか?」
なじる様に、あるいはすがるように吐き出された言葉。
グレゴリーはそんな曖昧な感情など意に介さず、いつもどおりニヤリと笑いながら言った。
「ああ、君と初めて出会ったときから、君の未来には期待していたよ」
「…………………………」
古い蛍光灯の稼動音と、自身の鼓動だけが聞こえるほどの純粋な沈黙。
やがて何かを瞳の奥に押し込むように強く目を瞑った後、重兵衛がおもむろに口を開いた。
「今はまだ………………ごめんなさい、ヘイスティングスさん。今日はもう遅いので、明日に備えます」
あくまでも社交辞令的な言葉を残して、重兵衛は深夜の公園を後にする。
あの時抱いた自身への期待は未だ重兵衛の心を甘く焦がしているが。
深く根を張った植物のような冷たさもまた、重兵衛の心を掴んで離すことはなかった。
険しい顔でしばらくその場に佇んでいたグレゴリーも、やがて深いため息をついてその公園を後にした。
絶海の孤島に佇むスタンド使いの学び舎、降星学園。その寮の一室。
座布団を三枚並べてうつぶせに倒れこむ少女と、その様子を覗き込む少女がいた。
トーナメント初戦、この部屋で行われた死闘により部屋の中は血液や損壊など凄惨なことになっていた…………はずだった。
だが、その対戦で勝利した対戦者、本結(もとい) 久良來(くらら)が同室の友人、豊念寺惑火(ほうねんじまどか)に謝罪し、現状を説明しようとこの自室に戻ってくると、部屋は何者かによって大破していた壁はおろか、ポテトチップスの空き袋とその内容まで病的に『元通り』となっていた。
何故、一体、どうして?
混乱し玄関で取り乱すクララを尻目に、惑火はやや湿気ったポテチを齧りながらこう言った。
「ああ、あのトーナメントじゃよくあることだよ」
以来クララはこの部屋の謎を極力考えないことにしているが、それでも何処か他人の部屋にいるようで薄気味が悪い。
というより、惑火にばれない様に引き出しの奥底にしまい込んでいたちょっとお高いチョコレートとその破片まで完全再現されていたのは、かなり感情的にくるものがあった。
カロリーとか、そういう類の秘密や悩みを見透かされているような不気味さ。
もう間食なんてしないと、その出来事以来クララは覚悟を決めていた。
「それでそれで? 結局今度はなにやらかしてて学園長室に呼ばれたの?」
倒れこんでいるクララを半ば引きずり起こすように肩に手をかけて無慈悲に揺する惑火が弾丸のごとく勢いで質問を投げかける。
「やめてぇー、今すっごい疲れてるんだから揺すらないでぇ…………」
「駄目です。この催促は成果が得られるまでエンドレスなんです」
「あ~、もぅっ! わかったよ! わかったから揺すらないでぇ、座れない、座れないよぅ!」
徐々に揺すること自体が楽しくなってきていると思しき友人の手から体を捻って逃れると、クララは座布団の上に座って呼吸を整える。
「実はさ……学園長が、この戦いに勝利したら学園総出で祝勝会を開くことにするって…………」
「はぁ? 祝勝会ぃ?」
「そうなんだ…………何か、この前会った学園長は別人? というかスタンドで作った幻覚? らしくて、それで君には悪いことをしたから、学園側から何か出来ないかと考えた結果、そういうことみたい」
「へぇー、良かったじゃん、全校生徒の前で感謝の言葉とか言うわけでしょ? クララそういうの得意じゃん」
「ちっともよくないよ! もうっ! 惑火ちゃん私がそういうの苦手だって知ってるでしょ!」
バンバンと感情のままちゃぶ台を叩くクララ。
ちゃっかりとその上の駄菓子を避難させていた惑火が愉快そうに笑う。
最初はくすくすと笑っていた程度だったが、次第にそれが爆笑に変わっていく。
「アハハハハハハハ、クラ、クララが全校生徒の前で、絶対、絶対テンパるじゃん、嚙みまくるじゃん!」
「笑いすぎだよ! 絶対笑いすぎだよそれは! それに私を馬鹿にしようとしても駄目だからね! もう断ってきたんだから!」
「えー、何だつまんない」
「つまんなくないよ……学園長すごい乗り気だったから、私必死で止めなきゃだったし……」
「…………へぇ」
話の流れにそぐわず、ひどく意外そうな顔をして硬直してしまった惑火。
ルームメイトの普段見ない表情に、クララは思わず首をかしげる。
「あれ、私、何か変なこと言ったかな?」
「いや…………なんというかクララ、変わったよね」
「え、そ、そうかな…………」
「違っ、全然そんな悪い意味じゃなくてさ。以前のクララだったらほら、学園長なんてお偉いさんの提案に対して嫌だなんて絶対いえない娘だったじゃんか」
「…………あっ」
自分でも気付かなかった、トーナメントを通じての変化。
今まで助けられてばかりで、自分の意見なんて飲み込んできた、そんな人間だと思っていたのに。
「気付いてなかったのか……まま、いいや。ともかく、私は今のクララは良いと思うよ。うん、いい感じだよ。そんな良い感じの惑火に、私からプレゼント」
そういうと惑火は、ごそごそと自分の机から二つの箱を取り出してきて、ちゃぶ台の上にコトリと置いた。
どちらも可愛らしくラッピングされている。
事態の急展開に、クララが目を白黒させていると、惑火が困ったように説明を始めた。
「えーとね、実はクララが学園長室に行ってる間にチアリーダー部の人たちが来てさ、クララにこれを渡して欲しいって。自分で渡せばって言ったんだけど、決勝の前日にクララと会っちゃうと絶対に泣いちゃうからって断られた。で、もう一つは私の、あれ、クララにあげるやつ……いいから二つとも開けてよ」
頬を掻きながら歯切れ悪く言葉を続ける惑火の姿に、クララは涙がこみ上げてくるのを感じた。
鼻をすすりながら包装を解くと、そこに入っていたのは二巻きのリボン。
一つは、白いレースの飾りが付いたリボンに、所狭しとチアリーダー部の面々からの激励が書き込まれたもので、もう一つは、炎の意匠のあしらわれた洒落たリボンだった。
「まあね、クララが頑張って決勝いったんだから、私もなんかしなきゃなって…………だから、えーと、負けんなよ! っつーことで…………ってうわっ!」
惑火が何か言っているのもかまわず、感極まってクララは惑火に抱きついた。
涙混じりに感謝の言葉を繰り返しながら、クララは自身の幸運に感謝した。
最初は、望まない戦いに巻き込まれた自身の境遇を不幸だと嘆いたけれど。
こんなにも多くの期待に囲まれた自分は、世界で一番幸せで。
世界で誰よりも、強くなれると思った。
トーナメント決勝前夜。
お互い、異なる覚悟を胸に抱いて、それぞれの夜は明けていく。
山の奥にひっそりと佇む、木造の校舎。
かつては子供たちの嬌声で賑わったそこも、今では無音が占めていた。
その場所がどのような経路を辿って『運営』の手に渡ったのかはもはや知る由もない。
ただ重要なのは、そこが今トーナメント決勝の舞台だということである。
対戦者二人に送付された案内状に記載された試合開始時刻の、ちょうど15分前。
雑草で埋め尽くされた花壇の名残を何とはなしに眺めていたクララは、ふと顔を上げた。
遠くからかすかにエンジン音が聞こえてくる。
やがて校舎に続く未舗装の一本道を、土煙を立てて一台のバンが到着した。
そのバンから重兵衛が降りると、その様子を眺めていたクララが居住まいを正す。
重兵衛もクララの存在に気付いたのか、小走りで近づいていく。
「あ、あの、対戦者の方ですか?」
最初に声をかけたのはクララの方だった。
友好の印とも幽かな怯えともつかぬ曖昧な笑顔を浮かべながらおどおどと重兵衛に尋ねる。
「あぁ…………三船重兵衛だ、よろしく」
「あっ、はい。本結クララといいます。今日はよろしくお願いします」
「クララ…………ひょっとして外国の人?」
「あっ、いえ。日本です……やっぱり変な名前ですよね?」
「いや、別にそういうつもりで言ったんじゃなくて…………いい名前だと、個人的には思う」
「ありがとう、ございます…………」
これから対決する相手との距離を測りかねているクララと、根本的に社交的ではない重兵衛との間で、しばらくかみ合わない会話が続き、必然沈黙が訪れる。
間を潰そうと重兵衛が腕時計を眺めると、開戦の時刻にはまだ少し余裕がある。
所在無さ気にしているクララの様子を見て、重兵衛が重たい口を開く。
「えーと、今から対戦場所の下見しに行くんだけど…………一緒に行く?」
「はい、行きます…………あー」
これから死闘を演じようという相手と連れ立って対戦場所の下見をしにいくという明らかに何かが間違っているとしか思えない提案を無意識にしてしまった重兵衛と、反射的にYESと言ってしまったクララとの間に微妙な沈黙が訪れ、互いに顔を見合わせる。
その謎の沈黙の中、どちらともなく笑い出してしまった二人は、互いの間を占めていた微妙な強張りのようなものが解けていくのを感じていた。
「ハハッ、まあいいや。じゃ、行こうか」
「フフフ、そうですね。とりあえず行きましょうか」
そういうと、僅か数刻後に対戦を控えた二人の対戦者は、まるで年の離れた兄妹のように連れ立って、その木造の校舎の中に入っていくこととなったのだった。
足を踏み出すたびに小さく鳴る板張りの廊下、左手には教室が並び、窓からは未だに等間隔で机と椅子が並んでおり、右手には取り残されたようにバケツや箒、雑巾などが埃をかぶっている。
正面玄関から入り一階の端までたどり着くと、階段が三階まで続く。
特に何の変哲もない、いかにも田舎の学校といった風なつくりの校舎である。
その探索の道すがら、重兵衛がクララに尋ねた。
「そういえば、クララちゃんって個性的な服装してるけど、流行か何かなのかな」
髪や首のみならず、両手両足、果ては豊満な胸を強調するように体の各部にリボンを巻いた彼女のファッションに対して何の気なしに疑問を投げかけた重兵衛だったが、対するクララはいっそ清々しいほど一気に挙動不審になった。
「ああぁ、えっと、これは必要に迫られてといいますか、決してそんな常識に喧嘩を売るとかそういった意図があるわけじゃなくて、ただ単にこうしないとスタンドが使え…………ああっ!?」
対戦前に自身のスタンドの能力についてばらしかけるという致命的なミスをしてしまったクララ。
完全に自爆の形ではあるが、気の毒になるほど狼狽しているクララを見て、重兵衛は謎の罪悪感に苛まれた。
「ごめん、そういうつもりで言ったんじゃなかったんだけど…………」
「うぅぅ……すみません、出来たら今のは忘れてください……………」
「それは………………うん。ええと、特にその髪を留めてるリボンとか素敵だよね、手作りみたいな雰囲気がして」
精一杯の笑顔を浮かべながら、重兵衛は彼女の髪を止めている紅白のリボンを差す。
クララはその二本のリボンを撫でながら、照れた様に目を伏せた。
「えへへ、実はそうなんです。白いほうは部活の皆がわざわざ応援メッセージを書いてくれて、紅い方は友達が頑張れって送ってくれて…………だから、私、期待してくれる皆のためにも、今日は負けるわけにはいかないんです!」
小さく飛び跳ねるように、大げさにガッツポーズをする彼女。
『期待』、その言葉に重兵衛は言い知れぬ感情が湧き上がってくるのを感じた。
それが負の感情なのか否かすら、今の重兵衛には判別できない。
ただ、もう少しで、自分の中で整理が付けられる気がした。
「あれ、私なんか変なこと言いました?」
「いや…………ただ、少し思うところがあってね。いずれにしろ、決勝戦の相手が君でよかった」
そういうと、ぽかんとするクララから少しだけ距離をとり、右腕を上げて彼女に腕時計を示す。
「時間だ…………はじめよう」
右足を軽く前に、それに習うように右手も前に出す。
合気道の基本に習い、半身に構えて戦いに備える重兵衛。
対するクララも、重兵衛をしっかりと見据え、臨戦態勢に入る。
両者に届けられた案内状はひどく簡潔なものだった。
場所と、開始時間と、『いずれかの戦闘不能、または降参により敗者を決す』の一文のみ。
『期待』を背負いここに立つ少女と、『期待』を振り払いここまで来た青年。
奇妙な因果がここに交錯し、開戦の狼煙が静かに上がった。
「フィール・ソー・ムーンッ!!」
先手を打ったのはクララ。
叫びとともに両腕のリボンが切り離され、左右にわかれ蛇のように宙を舞い重兵衛に迫る。
対する重兵衛の輪郭が揺らぎ、蜃気楼のようにスタンドのヴィジョンが重なる。
「いくぞ…………ディメンション・トリッパー」
振り下ろされたスタンドの腕が左右から迫るリボンに触れると、青年を捉えんと疾走するリボンがまるでなにかに弾かれたように勢いを増して後方に滑る。
その特異な現象に幽かに眉間にしわを寄せつつも、クララが第二波を放つ。
両足の付け根に括られたリボンが、今度は一直線に重兵衛の胸へと放たれる。
疾走するリボンの側面を叩くようにスタンドの掌が触れると、リボンは再び方向を過ち重兵衛の左右へと抜けていく。
(本体から分離し自在に動くリボンのスタンドか…………)
表情を変えずに重兵衛が体勢を低くすると、重兵衛の髪を背後から一対のリボンが掠めていく。
そのまま重兵衛が大きくバックステップ、先ほどまで重兵衛の体があった場所を先ほど左右へ弾いたリボンが右から左へ空を切る。
左に体を捻った重兵衛の体の脇をもう一本のリボンが掠める。
紙一重、リボンは着ていた服と皮一枚を切り裂いていく。
服の裂け目から赤い一筋の線が覗く。
(人体を切断するほどの破壊力があり、その上それぞれが異なる動きが可能…………一本でも後ろに回られると途端に厳しいな…………)
一瞬の考察、だが何時までも守勢に回る重兵衛ではない。
崩れた体勢を利用して廊下の脇に置いてあったロッカーの扉を蹴り開けると、待ちかねていたかのように4本の箒がロッカーから倒れ出てきた。
そのうちの二本を重兵衛がつかむと、重兵衛の手にスタンドのヴィジョンが重なり、ロケットブースターを搭載されたかのように二本の箒がクララの眉間と、鳩尾を狙い飛来する。
「くっ…………」
鳩尾を狙う一本に先ほど攻撃に使い宙を飛来していたリボンたちが巻きつき、からめとる。
だが、クララの頭部を狙う一本は一本のリボンが止めようと絡みついたものの、勢いを殺しきることができずクララへと迫った。
が、その一撃が額を捕らえる刹那、クララの髪を止めていた二本のリボンが素早く動き、飛来した箒の進路をずらして攻撃を回避する。
防御する隙に更に二本、重兵衛がクララへと槍の様に箒を投げ飛ばす。
迅雷のスピードで迫る箒を彼女の両胸に括られたリボンがすんでのところで後方へと逸らすが、その勢いに圧されて思わずクララが尻餅をつく。
そのクララへ向かって重兵衛が疾走、距離を詰めようと迫る。
(確かに軽く素早いリボンは攻撃には適しているが…………一度守勢に回ればその軽さがネックになる)
対象を急加速させる『ディメンション・トリッパー』の拳は一撃でも致命傷足りえる。
その間合いに踏み込んでさえしまえばこちらが有利と見込んでの強襲。
重兵衛の前進を妨げようと宙に舞うリボンがうねり、先刻絡めとった箒が上段に振り下ろされる。
それをスタンドは使わず必要最小限の動きで右に転がって避ける。
顔を上げた重兵衛にクララのリボンが投擲した防火バケツが迫りくる。
だが、直線的な攻撃の防御はディメンション・トリッパーの十八番である。
軽く手を添えると、防火バケツは弾かれたように急加速、壁に勢いよく叩きつけられる。
だが、重兵衛の視界の端、避けたはずの防火バケツから何かがひらめく。
重兵衛がそれを攻撃と認識するより速く、クララがバケツの中に隠したリボンが重兵衛の右手に巻きつく。
(バケツは目くらまし…………中のリボンが本命か!)
巻きついたリボンに体を引かれ、重兵衛は右側の壁に強く叩きつけられた。
身動きを封じられた重兵衛を貫かんと、箒に巻きついていた二本のリボンが鎌首をもたげる。
「ディメンション・トリッパーッ!!」
重兵衛の体から発現したヴィジョンが、壁にはめ込まれていた窓ガラスを叩き割る。
外側に割れ飛んだガラスの破片が物理法則に反して内側に急加速、重兵衛を捉えるリボンを切り裂いた。
切断されたリボンの一方がひらりと空中に舞うが、重兵衛の手首に巻きついていたリボンは力を失いずるりと廊下の床に滑り落ちる。
(やはり…………操れるリボンは彼女の『巻いている』リボンのみ、切断され彼女との接続が絶たれたリボンは無力化することは可能)
(つまり………………『切り裂く』攻撃は有効だ!)
重兵衛は掌が裂けるのもかまわずスタンドのヴィジョンがガラスの破片をいっぱいに掴み、そのままクララへと投げつけた。
スタンドの投擲力と急加速が合わさり弾丸のような勢いでクララにガラス片が迫る。
だが、クララは重兵衛がガラスを割ったことを確認した段階で攻撃しようとしていたリボンを離脱させ、防御に回していた。
クララの幾本ものリボンが左側にある教室の扉に絡みつき、引き剥がす。
彼女を切り刻むガラスの弾丸は、引き剥がされた木製の扉に阻まれ突き刺さった。
そのまま無理やり開かれた教室の中へと退却するクララを、右手にガラス片を構えた重兵衛が追う。
教室の中に入った重兵衛を待ち受けていたのは、ポルターガイストのように宙に浮かぶ机や椅子を従えたクララの姿。
苦笑いを浮かべた重兵衛の頬を、一筋の汗が伝う。
ガラスによる切断攻撃を防御する『盾』と、相手を攻撃する『鈍器』を同時に手に入れたクララが、不敵に笑った。
(確かに、私のスタンド『フィール・ソー・ムーン』には防御が薄い、斬撃に弱い、一撃が軽い…………色々弱点はあるけれど、私だって、伊達にスタンド使いの皆と学んでいるわけじゃあない!)
「足りないものは、知恵で補えるっ! フィール・ソー・ムーンッ!!」
渾身の叫びとともに、嵐のごとく勢いで幾つもの机、椅子が重兵衛を物量で圧殺しようと襲いくる。
横薙ぎに振りぬかれる机をスタンドで前方に弾くと、投擲されてきていた椅子と空中でぶつかり耳障りな音を立てる。
息をつく暇もなく、脳天めがけて振り下ろされる椅子をバックステップで避けると、それに合わせるかのように二つの机が重兵衛に迫る。
ディメンション・トリッパーを眼前に発現させ、飛来する机を左右に弾く。
再び横薙ぎの机、スタンドでの防御は間に合わないタイミングでの攻撃を、重兵衛は巧みな体さばきで何とかダメージを抑える。
よろめいた重兵衛の斜め上、浮遊する幾つもの机を睨む重兵衛の額には、玉のような汗が浮かぶ。
いくらディメンション・トリッパーが直線的な攻撃の防御を得意にしているとはいえ、能力には人型の制約があり、防ぎきれる攻撃の量にも限界がある。
故に現状のように圧倒的物量で押し込まれれば、スタンドでの防御が追いつかず、重兵衛の身体能力のみで何とかしなければならない状況が訪れる。
その上、持久力に乏しい重兵衛のスタンドではひたすら防御に徹し相手のスタミナ切れを狙う作戦も使うことはできない。
だが、重兵衛とてただ防戦一方に甘んじていたわけではない。
机と椅子の嵐の中、突如重兵衛が宙に飛び上がる。
重兵衛の手に握られているのは、二つの椅子の足。
急加速する二つの椅子に捕まることで無理やり自身の体を天井まで飛び上がらせたのだ。
突然の上下の動きに、クララの反応が一瞬遅れる。
その期を見逃さず、今度は重兵衛はクララに向かって手元の椅子を急加速させる。
一直線に突っ込んでくる敵に対して、フィール・ソー・ムーンのスピードも負けてはいない。
飛来する重兵衛を両側から圧殺するように、一対の机が迫る。
だが、その攻撃が重兵衛を捉えるより速く、重兵衛は自身の手元に椅子を引き寄せ、足をかける。
再び急加速させた椅子を足場とし空中でもう一度飛び上がると、その先にはすでに光を失った蛍光灯。
重兵衛の拳が蛍光灯を叩き割ると、二人にガラス片が雨のように降り注ぐ。
(しまった…………これが狙いだったんだ!)
クララは咄嗟に防御用の机を傘のように使い、頭上から降るガラスの雨を防ごうとした。
クララの脳裏に合ったのは、先ほど自身のリボンを切り裂いたガラスの斬撃。
その脅威があったからこそ、この降り注ぐガラスにも反射的に対応できた。
…………否、反射的に対応『してしまった』
頭上にかざした机は確かに傘の役割も果たすが、それは同時に上を取っている重兵衛に対する『目隠し』でもある。
ダン、と強く床を叩く音。
手に持ったもう一つの椅子が急加速し、重兵衛を床へと叩きつける。
ガラスの雨でクララの『盾』を上に逃がしてからの、真下からの強襲。
クララが重兵衛の意図に気付いて飛びずさるが、そこはすでに重兵衛のスタンドの間合い。
飛び退いたクララの両足をディメンション・トリッパーの指先が掠めていく。
(危なかった…………あと一瞬遅ければ…………あれ?)
体勢を立て直そうとするクララの体が大きく傾ぐ。
言う事を聞かない足に力を入れようとすると、数瞬遅れて今まで経験したことのないような激痛がクララを襲った。
まるで下半身が赤熱した幾千本の針で刺し貫かれているような感覚に、クララは膝から崩れ落ちる。
三度の急加速の衝撃から回復しつつある重兵衛が、倒れ付すクララに語りかけた。
「ディメンション・トリッパーの拳は『急加速』させる拳だ…………少しでも肉体の『内側』に触れることができれば、相手の血液と肉と骨を弾丸として相手を内側から引き裂く…………もう諦めた方がいい、その足ではもう立ち上がることはできない」
自身のスタンドの能力を誰よりも熟知しているからこその、忠告。
肉体を弾丸とし内側から引き裂く『急加速の拳』の最も恐ろしい点は再起不能になるほどの致命的な損傷と、それに付随する激痛にある。
損傷ではなく、痛みでもう動くことはできないだろうと重兵衛はそう確信していた。
だが、しかし。
「そう……ですね。確かに、すっごくすっごくきついです…………でも、」
ゆっくりと顔を上げたクララの顔に浮かんでいたのは、笑顔。
額に脂汗が滲んでいる、唇は青ざめ、歯はガタガタと震えている。
全身の震えが、彼女の体を支配する痛みの強さを物語っている。
常人であれば絶叫していてもおかしくないであろう痛みのはずだ。
だが、重兵衛を見つめ返すその眼光が、彼女の覚悟が真実であると示していた。
「私のことを……頑張れって言ってくれる人がいるから…………私はまだ……戦えるんです!」
自分に言い聞かせるかのように力強く叫ぶと、彼女は髪を止めていた紅白のリボンを両足に巻きつける。
この戦いの前に、大事な友達から送られた大切な絆を足がかりに。
自分の意思で動くリボンを包帯代わりに、動かない足を動かしてゆっくりと彼女は立ち上がる。
スタンドの力を借りているとはいえ、少し動かすたびに全身を貫くような激痛に襲われていることは想像に難くない。
にも拘らず、体を震わせながら尚も立ちあがる少女の気迫に、重兵衛は絶好の機会であると知りつつも攻撃できないでいた。
逆巻くリボンが少女の周囲を舞う。
いまだ衰えぬ闘志を瞳に宿して、重兵衛の前にクララが再び立ちふさがる。
その瞳をしっかりと見つめなおして初めて、重兵衛は自分の中にわだかまる感情の正体に気付いた。
(そうか…………僕は、ずっと…………)
(…………………………ずっと、羨ましかったんだ)
玉のような汗を額に滲ませながら、クララが眼光鋭く重兵衛に再び攻撃を仕掛けた。
鋭く息を吐くと、一筋のリボンを重兵衛の喉元目掛けて放つ。
今までより遥かに鋭さを増したその一撃を、氷のような集中力で重兵衛が弾いた。
急加速された勢いに引かれて、リボンは重兵衛の頬を掠めて後方へと抜けていく。
しかし、第二射を警戒していた重兵衛の喉元、後方へと急加速されたはずのリボンの影から、ゆらりともう一本のリボンが現れ、重兵衛の首に襲い掛かった。
完全に虚を突いた攻撃、避けれるはずもなくリボンが重兵衛の首に巻きつく。
(まさか…………あの時ガラス片で切断して短くなったリボンを『重ねて』あったのかっ!!)
クララはそのまま重兵衛を空中に持ち上げると、思い切り窓ガラスに向かって叩きつけた。
ガラス片とともに、三階の窓から空中に投げ出される重兵衛をリボンが追いかけていく。
逃げ場のない空中で、リボンが四方から重兵衛に襲い掛かる。
絶望的な状況で、重兵衛は襲い掛かるリボンをひどくスローモーションに知覚していた。
その滞った時間の中思い出したのは、過去の自分のこと。
誰かの期待が嫌いで。
誰かの失望が嫌いで。
誰かが未来に描いた『三船重兵衛』が嫌いだった。
その名前に追いつこうとして、追いつけなくて。
そこにいる自分が自分でないような気がした。
彼らの期待する世界に住んでいる『三船重兵衛』は何処か別の場所にいて、何かの間違いでこの場所に立っている僕が、酷く場違いでみっともない存在のように感じた。
だから、逃げ出した。
でも、僕が本当に嫌いだったのは。
誰かの期待に向き合うことすら出来ない、からっぽの自分の正体だった。
期待に応えることも、跳ね除けることも出来ないのは、これが自分自身だと信じることが出来る意思が見当たらなかったからだ。
誰かが期待している自分の中身が何処にも見当たらなかったから、どんな言葉をかけられても自分のこととして向き合うことができなかった。
でも、このトーナメントを通して初めて、何者かになりたいという自分の意思を見つけることが出来た。
そんなあまりにも未熟な自分でも、信じて、手放しで期待してくれる誰かがいるなら。
躓くことを恐れずに、未来へ一歩、踏み出すことが出来るかもしれない。
『完成したらあなたの正体も教えてね、ジューベーさん』
『少なくとも私は、重兄ぃがそうやって自分のやりたいことを見つけて輝いてるところを見ていたいって思った』
『君と初めて出会ったときから、君の未来には期待していたよ』
(なんだ…………いるじゃあないか、たくさん)
呆れたようにため息をつくと、無造作に投げ出された体に何年も忘れていた活力が戻ってくるのを感じた。
空中で体勢を整え、足の裏に思い切り力を込める。
(だったら…………最初の一歩を踏み出すくらいのことは、僕だけでやらなきゃなぁ!!)
「ディメンション・トリッパアアアアァァァァァァア!!!」
叫び声とともに、何もない空中を思い切り踏みしめる。
重兵衛のスタンド、ディメンション・トリッパーは自身を加速させることが出来ない。
だから、この行動には何の論理性も、確証もなかった。
でも、不思議と上手くいく確信だけはあった。
足の裏に、確かに押し返す感覚。
空中を踏みしめる。
重兵衛が存在するはずのない一歩を踏み出す。
更に一歩。
自由落下を考慮して狙いを定めたリボンが重兵衛の背後を通り過ぎる。
さっきより速く、もう一歩。
必殺かと思われたリボンの一撃を、大きくジャンプしてかわす。
更に、深く踏み込む。
割れた窓ガラスごしに、驚愕に大きく眼を見開いたクララと目が合った。
その姿めがけて、重兵衛は思い切り空を走る。
クララは驚愕こそすれ、まだ勝負を諦めたわけではなかった。
先ほど椅子に捕まることで擬似的な空中での姿勢制御を行っていた重兵衛が、まさか自力で飛行出来るという奥の手を隠していたことは賞賛に値するが、しかし。
クララの方も全ての手札を出し切ったわけではない。
重兵衛が想定していたリボンの最大数は、二つの髪留め、両胸、両腕、両足の計八本。
髪留めは足の怪我の固定に使用し、両腕のリボンは初手の二枚仕掛けのリボンに。
両胸、両足のリボンは空中に投げ出された重兵衛へととどめの一撃に放った。
が、予想外のスピードに両胸、両足の4本は重兵衛には追いつかない。
当然相手もそれを数えて踏み込んできているだろう。
だが、クララにはあと一本、その首にリボンを巻きつけている。
チャンスは一度、踏み込んできた相手の渾身の一撃を、リボンの槍で貫く。
重兵衛が空中を強く踏み込み、右腕を振りかぶる。
相手が少女だからといえど、一切手を抜かないあごを狙ったフックパンチ。
一撃での失神を狙ったその攻撃に、クララは寸分違わずリボンの槍で真正面から貫いた。
重兵衛の手の平に容易く刃が埋まり、手の甲に抜け、手首に巻かれた腕時計を切り飛ばす。
鮮血が舞い、重兵衛の踏み込みが完全に止まった。
どれだけ奇抜な一手を打とうと、常に戦いにおいては最後に一手、勝ったものが勝利する。
逆に言えば、最後に切り札を切ったものが、その戦いを収めるということ。
寸分違わず重兵衛の首を貫いたかと思ったクララの一撃は、咄嗟に突き出した重兵衛の右の手のひらに阻まれ、その勢いを相殺された。
最後の切り札を阻まれたクララの首に重兵衛の手がかかる。
いくらクララのスタンドが速かろうと、触れるだけで致命傷を与えるスタンドを相手にこの間合いまで詰められた事実は、如実に彼女の敗北を示していた。
軽い金属音を立てて床に落ちた腕時計に眼をやりながら、クララは大きくため息をついた。
「最後の最後で、間違えちゃったかなー…………そういえば重兵衛さん、右に腕時計してましたっけ」
手の内を最後まで隠していたのは、クララではなく重兵衛のほうだった。
最後の瞬間、利き腕ではない腕を構えて相手の攻撃を誘い、腕一本を覚悟で敵の攻撃を防ぐ算段。
最後まで冷徹にほんの幽かな効果しかない手札でも一切手を抜かずに切っていった重兵衛の打算が紙一重、クララを上回った。
「一番まずかったのは、両足のリボンの機動力で遠距離戦に持ち込まれること…………だったんだけどね」
肩をすくめながらそういうと、クララが乾いた笑い声を上げる。
「ハハ、高く買ってくれるのは嬉しいんですけど、ちょっとそれは怪我的にも厳しかったですよ…………まあ兎も角、こうなったら私の負け…………です……ね………………」
クララの眼の焦点がおぼつかなくなり、重兵衛は首にかけた左手に急に体重がかかるのを感じた。
このまま倒れるに任せるわけにもいかず、気を失ったクララをそのまま抱きとめる形になる。
かくしてこの死闘を制した重兵衛は、困ったような表情で机と椅子の散乱した教室を見回して、深いため息をついたのだった。
黒マントにウサ耳と二重丸の描かれた奇妙な面をつけた謎の人物が、クララの両足に手をかざしている。
シチューを弱火で煮詰めるようなコトコトという音とともに、クララは徐々に痛みが引いていくのを感じていた。
「エエ、こう見えて◎(にじゅうまる)は、屈指のヒーラーでして。ママ、完治するまで奇妙な感覚がしばらく続くでしょおが。トト、そこは我慢していただきたいのでして」
同じく黒マントに、犬耳と逆三角の描かれた奇妙な面の人物(声色から察するに男)、が教室の隅に座り込んでいる二人の対戦者に身振り手振りを交えながら説明している。
「それにしても、仕事が速いですね…………あなたたち、決着がついたらすぐに出てきましたけど、一体何処から見てたんですか?」
「ヒヒ、それはまあ、うちの□(しかく)の卓越した視覚によってと申しますか。ママ、それは企業秘密ということで一つご理解いただきたいのでして」
大げさに首をすくめながら恐らく▽(ぎゃくさんかく)とでも言うような名前の黒マントは恐縮そうにそういうと、いそいそと教室を後にする。
後に残されたのは二人の対戦者と、ウサ耳をつけた黒マント。
しばらく戦いの余韻の中で呆然としていた両者だったが、思い出したかのようにクララが口を開く。
「……そういえば、一番最後の空中浮遊、あれどーやったんですか?」
「ああ、あれは…………スタンドに持ち上げてもらったんだよ……多分」
「多分……ですか?」
「うん、正直できるとは思わなかったけど…………踏み込むと同時に自分のはいている靴を自分の方向に急加速させて、即席の足場にした…………タイミングを間違えると思い切り逆方向に急加速がかかったり、調整間違えると足が僕を置いて付け根から吹っ飛ぶ危険性もあるから…………二度と走るような真似は出来ないと思う」
今は、と重兵衛は心の奥で付け加える。
あの時は何もかもが必死でこなして、自分が何をしているかも後から考えてわかったことだが。
いずれ、あの技術も自分のものにしてやろうという決意を、重兵衛は固めていた。
対するクララは、あの行為が薄氷を渡る即席のアイデアだったということに、ただただ驚かされるばかりであった。
「やっぱり重兵衛さんってすごいなぁ…………普段は何をなさっているんですか?」
「…………まぁ、色々。日雇いで鳶とか塗装工の仕事請けたり、ヒーローショーの端役をしたり、繁忙期のファミレス手伝ったり…………あとはガードマンとか…………」
「へぇ……色々やって、あっ…………」
幽かに話題に食いつく気配を見せたクララだったが、重兵衛の微妙な表情に何かを察して顔を逸らす。
気まずい沈黙が二人の間を占める。
何か軽い話題がないかと重兵衛が頭をかきながら考えていると、服の袖をクイクイと引っ張られた。
ウサ耳の黒マント、◎が上目遣い(ただし仮面着用)で何かを訴えかけている。
重兵衛が困っていると、横合いからクララが助け舟を出す。
「あ、多分その右手の傷を治してくれるんだと思いますよ」
「…………ああ、なるほど」
そう言われて素直に穴の開いた右手を差し出すと、◎が手の平を二、三度裏返して確認してから、先ほどと同じように手をかざす。
プツプツと小さくあわ立つような感覚がぬくもりを伴って傷口全体に広がる。
その不思議な感触に意識を集中させていると、突然クララが大声を出した。
「あ、そうだ。重兵衛さん、私の学校で働きませんか!」
「え? …………いや、僕別に教員免許なんて高尚なものをもってるわけじゃ」
「違いますよぉ。私の学校、絶海の孤島にあるんですけど、購買の人とか掃除の人とか、先生以外にもどうしても人手がいるじゃあないですか。で、やっぱりスタンド使いばっかりの環境だからいわゆる『見えない人たち』の離職率もかなーり高くって、慢性的に人手不足なんです。だから、重兵衛さんみたいな素敵な人が…………」
「ちょ、ちょっと待ってくれ…………絶海の孤島にある、スタンド使いだらけの学校なんてところから君は来たの!?」
「はい、あー、えっと。言ってませんでしたっけ?」
「いや、その事実には今年一番驚かされたよ………………」
さらっととんでもないことを口走るクララに、全く状況についていけていない重兵衛。
しかしそんなことはお構いなしに、クララはフワフワと話を進める。
「で、どうですか、考えてみませんか? 多分重兵衛さんなら絶対用務員の仕事向いてると思うんです! うちの学校、週に二、三回は壁に皹入るし、エアコンなんて精密機械はすぐ壊れて真夏でもそのまんま放置とかざらなんですよ…………だからきっと、重兵衛さんならすぐ採用です! なんなら私が学園長に直訴してでも…………!」
重兵衛を置き去りにしてどんどん進んでいく話。
ほんの少し前の重兵衛だったなら、このような話をされると酷く居心地が悪く感じたはずだ。
でも、今なら素直に向き合える気がする。
「君も…………僕に期待してくれるのかな?」
少し上ずった声で、唐突にそんなことを口にした重兵衛に、一瞬ぽかんとしたクララ。
だが、すぐににこりと笑い、当然のごとく口調でこう言った。
「当然ですよぉ、重兵衛さんなら、きっと上手くやれます!」
「…………ありがとう。少し考えてみるよ」
まだ過去に向き合う決心はつかないけれど。
それでも、少しずつでも前に進んでいけると胸を張って言える。
誰かの期待した自分じゃなくて、自分がそうありたいと望んだ道を。
★★★ 勝者 ★★★
No.7156
【スタンド名】
ディメンション・トリッパー
【本体】
三船 重兵衛(ミフネ ジュウベエ)
【能力】
触れたものを急加速させる
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最終更新:2022年04月17日 15:06