第08回トーナメント:決勝③




No.4919
【スタンド名】
フェイセズ・イン・ザ・クラウド
【本体】
寿(コトブキ)=ガブリエラ=コジョカル

【能力】
接触したものから水分を吸収して膨張する


No.6130
【スタンド名】
クリスタル・ピース
【本体】
新房 硝子(シンボウ ショウコ)

【能力】
微細なガラスを操作する




フェイセズ・イン・ザ・クラウド vs クリスタル・ピース

【STAGE:夜の東京ネズミィランド】◆4AA1FCGO3Q





目が覚めたのはガランとした部屋のベッドの上。

(……ここは……)


「ン?気づきましたか?」

突然頭の上から声を掛けられる。
医師なのだろうか、白衣を纏い、白髪・白ヒゲを蓄えた大柄な白人男性が硝子の顔をのぞき込んでいた。
壮年にも見える顔立ちに反して、甲高い声。

「アー、新房サン!決勝進出オメデトウございます!」

「あ……私の、勝ち……ですか?……そっか……」

と、言いかけて戦いの結末を思い出す。

(……そっか……また、相手の人を……)

頬に触れる空気が冷たくなる。
全身の毛穴がぎゅっと閉まる感覚がする。
胃液が逆流しかけてるのが解る。


「アー……でね、申し訳ないんだけどね」

硝子の様子はお構いなしに、その男は妙な日本語で話しかける。

「アナタの腕、ね。すぐ生やす事も出来る人もいるんだけどね」

(あ……!)


そうだった。
自分はさっきの戦いで左腕を切断されていたのだ。
また心拍数が跳ね上がる。

(……って……『生やすことが出来る』?)

「一応ホラ、決勝終わるまではね、手足増やしたりダメ。ルールでね」
「ア、傷を塞いだり、ね。応急処置はしたよ。痛くないでしょ?」
「でも、ね、失ったパーツを増やすのはダメ。ルールでね。ゴメンね」


恐る恐る左腕に目をやると、軽い金属で出来た義手が嵌められている。
右手の指で軽く弾いてみると、空き缶そのものの音がした。

「だから、ね。それフェィク。ちょっとまってね……」

男は包帯のようなものを取り出し、その義手にぐるぐると巻き始める。

「おうち帰って片腕だったら周りの人驚くでしょ?骨折したって言ってねフフッ」

「……はあ……」


「よっと……これでヨシ!」

三角巾を硝子の首にかけ、腕を固定する。
少なくとも見た目には、骨折した腕をギプスで固めて吊っている、という風になった。

「だから、決勝終わるまでそれで我慢。終わってアナタが生きてたら『原状回復』ね?トーナメント出る前の状態にするよ」

「終わって『生きてたら』……って……」

1回戦・2回戦の対戦相手の末期を思い出して思わず呟く。


「ア、心配?生きて終われるか心配?だったら棄権するのもいいよ」
「そしたらアナタのトーナメントそれで終わり。準優勝。すぐ『原状回復』で帰れるよ?どうする?」

「あ……」

棄権する ― すっかり忘れていたが、そんな選択肢もある。

(……どうしよう……)

自分は『弱い』から、日々の生活、そして『生きること』に不自由さを感じるのだと思っていた。

だから、漠然と『強くなりたい』と思った。
強くなれば、もっと自由に『生きられる』はず、と思った。

その漠然とした思いでトーナメントに参加し、ついに決勝まで勝ち抜いた。

が、自分と戦った相手は2人とも生命を失い、自分も片腕を失った。


『生きるために強く』なりたかったのに ―


(……そう思って、トーナメントに参加した結果がこれかあ……)
(決勝で負けたら私もあの人たちみたいに……勝てたとしても、これじゃ……)


そんな硝子の逡巡にズケズケと踏み込むが如く、ヒゲの白人男は尋ねる。

「アー……迷ってる?棄権するか」
「イイヨ。決勝の日、ボク迎えにいくから。その時までに決めてね。今日はもう帰るといいよ」
「アー、でも、試合始まってダメそうだったら、スグ降参!でも大丈夫だよフフッ」


「かぜのなかのつーがるぅー♪すなのなかのリンダー♪」

高級そうなホテルの一室、浴室から少女のご機嫌な歌声が聞こえていた。

昔何かで、泡で一杯のジャグジーに浸かる女優の写真を見たことがある。
自分のスタンドとちょっと似てるなあ、と思いつつ『なんかすてき!』とは思った。
『すてき』とは感じても、自分とは縁のない世界のことであることもなんとなく理解していた。

今、自分はあの時の女優の様に泡だらけの浴槽から足を出してバタつかせ、鼻歌を歌いながら入浴を楽しんでる。

「うふふー♪」

『たちあいにん』さんのおかげで、おいしいご飯もお腹いっぱい食べられるし
あたらしい服もいろいろ買ってもらえたし
いつか見た女優さんみたいにあわあわのお風呂に入ることもできたし
今日も大きくてふわふわのお姫さまみたいなベッドで眠ることが出来る

(んー……『トーナメント』とかいうの、出してもらえてよかったなー)

と、

「……あ!ねーねー!『たちあいにん』さーん!」

なにかを思いついたのか、ガブリエラは、部屋の方へと顔を向け大声で叫ぶ。

ややあって、ごそごそと人の近づく気配がし、浴室の扉が少し開く。

「なんですか、寿さん?……って、これはさすがにバスソープ入れすぎなんじゃ……」

「そうかな~?このくらいあわあわのほうがかわいいですよーうふふー♪」


ふーーーーーっと、泡を吹いて撒き散らすガブリエラ。


「で、なにか私に用事があったのでは?」

顔にまとわりつこうとする泡の飛沫を払いながら、表情を変えずに男は言う。


「あ、えーっと……なんだっけ?……えへへ」

呼びつけた用事を忘れてしまったのだろうか。
恥ずかしそうに目を伏せるガブリエラの表情を見て、男が目を細める。

「えーっと……えーと……あ!そうだ!ねえねえ『たちあいにん』さん!」

「なんでしょう」

「トーナメント、つぎ勝ったら、わたし優勝だよね?」

「そうですね」

「優勝したら、わたし、お金もらえるんですかあ?」


「んー……何らかの報酬が与えられるという噂は聞いていますが、その具体的内容までは立会人の私は聞かされておりません」

「……ん?」


キョトン、と小首を傾げるガブリエラ。


「あ、何か貰えるとは思いますが、それがお金かどうかはわからない、ですね」

「そっかー……お金ならいいのになー」

「おや?お金が欲しいんですか?お小遣いなら今日もあげたじゃないですか」


「ち~が~う~よお!」

『むーっ』っと口を尖らせる。


「『たちあいにん』さん、いつもわたしに服買ってくれたり、ごちそう食べさせたりしてくれるからー……」

「ん?」

「だからあ、お金もらえたらー……こんどはわたしが『たちあいにん』さんにごちそうしてあげようかなーって……えへへ」

泡だらけの顔でモジモジと言う。
そんな少女を見て、思わず頬を緩めてしまう男。

「!……ええ……期待してますよ、寿さん」

「たべたいもの、考えておいてくださいね~。うふふー」

と、言って泡遊びに戻った少女を見て、男は浴室の扉を閉める。

努めて冷静な歩調で部屋へと戻り、ソファに身を預けた。


(悪くない……実に悪くない……)


決勝の日。

最後の授業が終了し、チャイムが鳴る。

(いよいよ今日……)


ギプスで固定された腕を見た母親は卒倒しかけたし、友人にも『また転んだの?それとも倒れたの?』と心配された。
しかしどちらも『放課後、帰ろうとした時に転んでしまい、手のつきどころが悪くて』という説明で納得はしてくれたようだ。

普段からよく転んだり倒れたりするのが、意外な所で功を奏したとも言える。


(左手が使えない不便な生活も、もうすぐ終わりかあ……)
(最後の試合がどういう結果になるかは解らないけど……もうすぐ『終わり』……)


『決勝戦、何があろうと決着まで戦う』

それが硝子の出した結論である。

(私には、最後まで『自分の戦い』を見届ける義務がある)
(そしてそれが、この戦いに『自分の意思』で参加した事への、そして1回戦・2回戦の対戦相手に対する責任)


「ガラスちーん!今日……っていうか最近、なんか顔怖いよ?なんかあったの?」

校門の前で、唇を噛み締めながら帰宅しようとする硝子の背中に友人が声を掛ける。

「え……な、なにも無いよ!」
「ふーん……ま、いいけどさ!気をつけなよ!あんまり考えこんでると、まーた転んで今度は右手折るよ~!」
「あはは……うん、ありがとう。気をつけるよ」

硝子はぎこちない笑顔を友人へと返そうとする。
と、友人の視線が別の方向で固まってる事に気づく。

「……ねー……なにあれ……すごい車……」
「えっ?」

友人の視線の先をたどると、そこには映画でしか見たことのないような、黒塗りのクラッシックな高級車が停まっていた。
ボンネットの端、ラジエーターの上には銀色に輝く翼を持った女神のマスコット ― 『スピリット・オブ・エクスタシー』。
年代物のロールス・ロイスである。

「なにあれ?テレビの撮影?超お金持ち?なんだろ?なんだろ?」

と、友人がキョロキョロし始めると同時に運転席の窓が開く。


「アー!新房サン!待ってたよ!ね、ボク、迎えにきたよ!今日試合ね!」


(う、うわあ……『あの人』!)

運転席から満面の笑みで手を振るのは、2回戦の後、硝子が寝かされていた部屋にいた白髪・白ヒゲの白人男性。


「ええええええええ!?知り合い!?って、試合?何?」

友人は目を白黒させて男と硝子を交互に見ている。

「あー……え、えーと……知り合い、というか、なんというか……」


友人にどう説明したものか困る硝子にお構いなく、男は運転席から降り、後部座席の扉を開く。
扉に手を添えたまま、そしてもう片手は広げて車内に招き入れるように。

「ア、で、新房サン!決めた?乗る?」


『乗る?』という問いの意味は硝子にもすぐ解った。


(私は……『自分の戦い』を最後まで見届ける!)

硝子は一旦目を閉じ、頷き、目を開くと、良く通る声で答えた。

「……はい!」


男はそれを聞くとニッコリと笑い、そして恭しく頭を下げ、車に乗り込むように促す。


「え?えええええええーーーー!?ガ、ガラスちん???」

「あ、えと……いつかちゃんと説明するから」

後部座席に腰を下ろしながら、あたふたとする友人に答える。
男がパタンと扉を閉める。

「だから、この事内緒にしててね、お願い!」

「う、うん……って、なんなの!?大丈夫なの!?」

「うん……私は大丈夫だから」

自分に言い聞かせるように、そう答える。


「ね、そろそろいくよ!いい?」

運転席に乗り込んだ男が振り向いて硝子に尋ねる。

「あ、はい!お願いします……みんなには内緒ね!絶対だよ!」


やがて上品な排気音が響き、車は走り出す。
後には呆然とする友人がぽつん。

(ガラスちん……一体……)
(はっ……!も、もしかして!)
(あの骨折も!そうだったのかぁぁ~~~~!)

……何か思い当たったようである。


翌日から学校は

『新房さんは東京ドームの地下にある秘密の闘技場で行われる裏格闘試合のチャンピオン』
『父親は地上最強生物』
『こないだ左腕をへし折られながらも勝利した相手は、腹違いの兄』

……という噂でもちきりとなるのだが、それはまた別の話。
いつかまた、別の時に話すことにしよう。


薄暮の首都高湾岸線を走る高級車。
車窓からぼーっとレインボーブリッジを眺める硝子。

バックミラー越しに男が話しかけてきた。

「試合は3時からね!それまで控え室でゆっくりするといいよ。ア、食事も欲しいもの用意するよ。何食べる?」

「3時……って午前3時ですか?」

「そうだよ。ね、だから仮眠とったりしてね。いいベッドあるよ。みんな眠い時間に試合開始でゴメンね」

「いえ……開始時刻がそんな時間なのに、迎えに来るの随分早いなって」

「ア、うん。ちょっと良くない話があるらしくて、ね。ボク、新房サンの護衛みたいなものだよ」

「私に……護衛?……良くない話ってなんですか?」

「ア、大丈夫。念のため、ってやつ、ね。気にしないでフフッ」

「はあ……」

「大丈夫!ボクも、ボク以外の運営の人も試合まで気をつけてるから」
「ボクも、ね、何かあったら新房サンを守るよ!」
「でも、ボクより新房サンのほうが強いけどフフッ」


何かトラブルがあったのだろうか?
不安がよぎる。

(……でも、何があっても、何が起こっても……自分が歩くと決めた『道』の上にあること……受け止めてみせる)

座り心地の良い座席に体重を預け、目を閉じる。
硝子は再び己の決意を確認するように、吊られた左腕の義手をぎゅっと握った。


「うふふー!たっのしいなー♪」

スキップしそうな勢いで浮かれているガブリエラ。
いや、実際時折歩行がスキップになっている。

朝一で入園してから太陽がまさに没しようとする今現在まで、ずっとこの調子である。

東京ネズミィランド ―
ここに来るのも彼女にとっては『夢』だった。


「寿さん、お楽しみのところ申し訳ありませんが、そろそろホテルに戻りましょう」

手を振るミギーマウスの着ぐるみ目掛けて駆け出そうとするガブリエラに、男が声を掛ける。
彼女に『たちあいにん』さんと呼ばれているその男は、朝からその『夢』に付き合って一緒に園内を歩き回っていた。

「ええええええーーーーーーーー!なんでえ!?」

「午前3時から試合です。もう戻って食事や仮眠をしておかないと」

「え~~~~!8時からパレードだよ!それ見るまでわたし、帰らないもん!」

ぷーっと唇を尖らせる。


「んー……試合が終わったら……なんだったら明日にでも、いえ、明日も明後日もその次の日も……」

彼女を諭すように、ほほ笑みながら語りかける。

「何日でも、寿さんの来たいだけずーっとここに連れてきてあげますから。ね?」


「ほんと!?何日でも!?」

キラキラとした目で男を見上げるガブリエラ。


「私が嘘をついたことありますか?約束します。だから今日は戻りましょう」

「えへへー♪わかりました~!やっくそくー!」

くるりと一回転して笑い、男の腕にぎゅっとかじりつくガブリエラ。
そんな彼女を見て男は表情を崩す……と、急に真顔に戻り視線を上に動かす。

「と……帰る前に、一箇所だけ寄り道をしますよ」

「ん?よりみち?」

「ええ、あそこに寄って……少し見てから帰りましょう」

男の視線の先には、暮れかけた空へとそびえるネズミィランドのランドマーク・ツンデレラ城。
目は、その最上部の尖塔へと注がれていた。


真っ暗の部屋の中で、目覚まし替わりに掛けておいた携帯のアラームが鳴る。

(あ……時間かあ……)

右腕を伸ばしてアラームを止め、画面を見る。
『AM2:00』

結局、眠ることは出来なかった。

(最後の試合……頑張らなきゃ……よし!)

体をベッドから起こして、両手で頬を軽く叩いて気合を入れようとする。
しかし、ピシャリという音は右頬からしかしなかった。

(っと……左手動かなかったんだ)

思わず苦笑する。



その時、ドアがノックされた。

「あ、はい!……どうぞ」

「新房サン!試合開始1時間前よ!……っと」

ドアを開け、部屋が真っ暗なことに気づいた白髪・白ヒゲの男はそのまま手を伸ばして電気のスイッチを入れる。

LEDライトの眩しい光に、硝子は目を細めた。


「どう?試合、戦えそう?」

「はい……大丈夫です。私は逃げませんから」

枕元のメガネを拾い、それを掛けながらしっかりとした調子で答えた。


「良かった!こっちも色々大丈夫そうよ!もう心配ないよフフッ」
「ア、じゃ、準備出来たら下に降りてきて、ね!ボク、車出してくるから!」


(時間だな……)

キャビネット上のランプが点けられ、柔らかい光がベッドの枕元を照らす。

男は自分の腕に巻き付いて眠っている少女の金髪を撫でながら語りかける。

「寿さん、寿さん」

「……んんー……」

「寿さん、起きて下さい」

「……んー……?」

ガブリエラが薄目を開けた。


「……ん~……なんですかあ?……まだ暗いよお……」

「もうすぐ試合の時間です。そろそろ起きないと」

「……ん~~?しあい~?……でももう食べられないよお……」

どうやら寝ぼけているようだ。
そしてまた、目を閉じてすうすうと寝息を立てはじめる。

(やれやれ……)

自分だって、いつまでもこの少女の体温を感じながら、愛らしい寝顔を見ていたいのだがそうもいかない。


「ん~……寿さん!」

肩を揺する。


「ふあっ!……ん~?……ん?なんですかあ?」

ガブリエラはびっくりした顔で跳ね起きて、目をぱちくりさせている。


「お休みのところ申し訳ありませんが、まもなく試合です。準備して向かいましょう」

「しあい?……なんだっけ……えーと……あ!『トーナメント』!」

「ええ、この試合が終わればいくらでも寝られますよ。少しの我慢です」


ぴょん!とベッドから飛び出すガブリエラ。

「寝ないですよー!しあい終わったらまた朝からミギ―マウスと遊ぶの~うふふー♪」


「ここは……!」

深夜の東京ネズミィランド。
まさか1回戦で戦ったこの場所に、また決勝で来ることになるとは思わなかった。
1回戦と同じく、誰もいない園内に煌々と明かりだけが灯っている。


「ア、1回戦もここだったんだよね?聞いてるよ」
「……」

1回戦の戦いが嫌でも思い出される。
そして、その結末も。

(くっ……)

ぎゅっと右拳を握りしめ、男について歩く。
男が立ち止まった。

「ア、到着だよ!僕はここまで!」

着いた先には夜空にそびえるライトアップされたツンデレラ城 ― 上階へと向かう階段の前。

「この階段を登ればいいんですか?」

「そう!最後までついてたいけど、ボク『立会人』じゃなくて臨時の世話役だから、ね、戦いを見ることは許されてないの」
「新房サン、大丈夫!アナタ勝てるよ!ア、もう会うことはないけど、ボク応援してるから、ね!」

笑顔でそう言うと、白髪・白ヒゲの男は、ぐっと親指を立てて見せた。

「あ……ありがとうございます!」

考えるより先に、つい深々と頭を下げる硝子。
顔を上げた時には、彼はもうそこにはいなかった。

「あ……」

周囲を見回し、そしてすぐ全てを了解したかのように『ふううう』と息を吐いて目を閉じる。

(……よし!)

心のなかで頷き、そしてはっきりと目を開き、硝子は最上階の尖塔へと通じる階段を、一歩、踏みしめた。


「わああ……きれいですー……夕方、下で見たときとぜんぜんちがうー」

尖塔最上部の突き出た広いテラス。
ツタの巻き付いた手すりに両手をついて、ネズミィランドの夜景に見惚れるガブリエラ。
各所アトラクションは営業中と同様に煌めき、城下の池にはライトアップされたツンデレラ城がその美しい姿を映している。

「昼も楽しいけど、夜もきれいですね~うふふ~♪」
「あ!パレード!……もう終わっちゃいましたか~?」

「ええ、パレードは6時間ほど前に終わってますし、そもそも4時間前にここは閉園してますからね」

身を乗り出すように夜景にかじりつくガブリエラを眺めていた『たちあいにん』さんが答える。


「むー……明日……あ、今日の夜?も、パレードあるのかなあ……」

「ありますよ、きっと……ん?」


テラスに通じる階段。そこをコツコツと登ってくる足音。
だんだん近づいてくる。


「いらっしゃいましたね……」

男は呟いて時計を見る。

『AM2:59』


足音が立ち止まる。
大仰なデザインの金属製ノブがガチャリと鳴る。
木製の扉がギィと重そうな音を立てて開く。

50mもあるこのツンデレラ城の最上階まで階段で登るのは、体力のない彼女にとってなかなかの運動だったのだろう。
息を少し荒くして、メガネを掛け、左腕を白巾で吊った少女が顔を出した。


「ようこそ新房さん。時間ぴったりですね」

「あ……」

硝子が扉を開けると、夜空を背景にダークスーツの男が立っていた。


「あなたが『対戦相手』……ですか?」

「いえ、私はこの試合を担当させて頂いております『立会人』です。あなたの『対戦相手』はあちらに……寿さん?」

『立会人』が振り向くと、相変わらずガブリエラは夜景に夢中だった。


「終わったらー最初にあそこいくでしょービックリサンダーマウンテン!で、次はー……どこにしようかな~うふふー♪」

「……寿さん?」

「……ん~?なんですかぁ?」

顔は夜景に向けたまま、ようやく返事をするガブリエラ。


「『対戦相手』がいらっしゃいましたよ」

「……たいせん?…………あ!」

テラスの手すりから手を離し、ぴょこんと飛び降り、ちょこちょこと男と硝子の方に歩いてくる。
男からすこし下がった位置で立ち止まり、硝子の方に軽く会釈をしてモジモジと口を開く。

「えーとー……わたしの名前はーコトブキですよー。あとガブリエラです、他にもー……なんだっけ?えへへ」

「!?……新房……硝子です。よろしくおねがいします」


いかにも恥ずかしそうに、上目遣いでチラチラと自分をみるガブリエラに戸惑いがこみ上げる。

(こんな女の子が……決勝の『対戦相手』……?)

正直、自分が参加者で最年少だと思っていた。
1回戦、2回戦の相手も中年といっていい年齢の……そしていかにも猛者といった風貌の男性だった。
決勝の相手がこんなに幼い少女だとは。


『立会人』が口を開く。

「このようなお城のテラスにハンサムな王子様と美しいお姫様の絵もいいですが……」
「可愛らしいお姫様2人というのも悪くないものですね……いや失礼」

軽く咳払いをして言葉を続ける。

「開始時刻は過ぎております。それでは『試合』を始めて下さい。お二人の健闘を祈っておりますよ」


そう言って、硝子が登ってきた階段の入り口へと消える。
扉が閉まる瞬間、ちらりとガブリエラの方に目をやって。


「えーとお……じゃーあ、はじめますよ~」

ふわりとガブリエラが戦闘開始を宣言する。


「『フェイ』……『フェイ』……なんだっけ?……えへへ……『フェイなんとか』!」

雲を思わせる姿の『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』が、ガブリエラを取り巻くようにジワリと発現する。


(!……これがあの子のスタンド……不定形なのかな?)

見たことのないタイプのスタンドヴィジョンに戸惑いながらも、硝子もスタンドを発現させる。

「『クリスタル・ピース』!」

人型で現れた『クリスタル・ピース』は照明光を反射して、暗闇の中キラキラと輝いていた……と、


「うわぁ……キラキラだぁ……」

硝子そっちのけで、目を丸くして『クリスタル・ピース』に見惚れるガブリエラ。

「……きれいなスタンドだな~……‥いいな~……」

(!?……この子は……戦う気があるの?)


おかしい。

自分は武道の達人でもなければ、戦いにも全くの素人だとは思う。
それでも、1回戦・2回戦の相手と向かい合った時には『隙を見せれば殺される』という殺気のようなものを確かに感じた。

おかしい。


(この子には……殺気がない)

2度の戦いで鍛えられたのか、あるいは人間の持つ本能か。
硝子の感覚は、ガブリエラが戦いそっちのけで、【心の底から『きれいなもの』に見とれている】ことを感じとっていた。

(一体……)

探りを入れる意味でも先制を掛けたいが、ガブリエラの周囲に展開する不定形スタンドの能力が解らない以上迂闊に動けない。

硝子が戸惑っていると、


「……あっ!」

ガブリエラが小さく叫んで、硝子の方を向く。


「そうでした~……『たおしたら勝ち』でした~・・・えへへ」


ゆらりと『フェイセズ~』が揺らめく。

「今日もー朝からここであそぶからー、とっと終わらせますよ~。フェイちゃーん!」


『フェイセズ~』がゆっくりとガブリエラを離れ、硝子の方へと広がりながら流れていく。

(来るっ!)

硝子は『フェイセズ~』に向け、『クリスタル~』を身構えさせるが……


(……いけない!)

本能。
迫り来る『フェイセズ~』から逃げるように飛び退くことを選んだ。

(あの雲のようなスタンド……触れちゃいけない気がする!)

――――――――――

暗闇の中から2人の戦いを見て『立会人』は考える。

(寿さんのスタンドを、新房さんのスタンドで物理的に制止するのは困難……)
(接触すれば勝ちである以上、寿さんが圧倒的に有利であることには変わりないが……)
(もし新房さんが防御を捨て、相打ち覚悟で攻撃のみに徹して来たらどうだろう?)

「ふむ……」

顎に手をやって考える。

(いずれにしても、『手段』を増やしておいたのはやはり正解だった、というところか)

――――――――――

「うふふ~逃げないでください~」

広いとは言え、所詮は限られたスペースしかないテラスである。
ゆったりと追いかけてくるとは言え、『フェイセズ~』とガブリエラは徐々に硝子を追い詰めていく。

(くっ……!どうすれば……)

触れないように身をよじってかわすと、いよいよテラスの端、手すりにまで追い詰められる。
ふと後ろを見ると、手すりの外には50m下の石畳の広場。鳥肌が立った。
転落すれば即死は避けられないだろう。


「ふっふふふー♪フェイちゃんからは逃げられないですよー」

ゆっくり迫り来る『フェイセズ~』とガブリエラ。


戦いの緊張からだろうか。

喉が渇く。
唇が乾く。
息が切れる。

喉が渇く。
口の中がザラつく。
喉が渇く。


いや、おかしい。

(……かなり動いてるとはいえ……こんなに喉が渇くなんて……)

ハァハァと息を荒げながら、硝子は思う。
経験したことのない喉の渇き。
いや、喉だけではない……目、鼻、唇……自分の全ての粘膜が軋むように感じる。

明らかにおかしい。

(これもあの子の『能力』?……っっ!あぶない!!)


『フェイセズ~』の『雲』から生えた腕が、ゆっくりと硝子の顔に手を伸ばしつつあった。
慌てて転ぶように避け、転がるように横へと逃げる。
片腕が効かない身にはキツい機動だ。

転がった先、ふとテラスの手すりを見ると、巻き付いていたツタが……枯れている!


(!……さっきまで青い葉っぱだったのに!これは何か周囲の生物にダメージを与える能力……!)
(つまり……このまま逃げてるだけじゃ、私もいつかやられる………こっちから攻撃するしかない!)


一方のガブリエラはそろそろ、この「ゆるい追いかけっこ」に飽きはじめていた。


「んー……そろそろ本気だすよお~」

(やっぱり開園までちょっとおひるねしたいしー、もう『しあい』は終わりにしてー……あれ?おひるね?)

首を傾げる。


(えーと……いまは深夜?早朝なのかなあ?じゃあ……お朝寝?)
(でも、まだ暗いしー……お夜寝?……あれえ?それはふつうですねー……えーと……)

と、眉をしかめて上を向きかけたガブリエラの目に、なにか小さな煌めくものが飛び込んできた。

「きゃっ!」

反射的に身を躱すが、右肩に痛みを覚える。

「痛あああああああい!」

見れば、服が小さく裂け、血が滲んでいる。


「え……?」

と、硝子のほうに向き直ると、人型のスタンドは消え、そこにはキラキラとした破片がいくつも浮かんでいる。

(あ……きれい……ってぇ……これはー……もしかしてぇ……)


「……『クリスタル・ピース』!」

硝子がスタンドの名前を叫ぶやいなや、浮遊している破片が一斉にガブリエラ目掛けて飛んでくる!

(やっぱり~~~~~~~~~!)


「わああああああああああああ!」

くるりと背を向けて硝子から離れるように逃げ出すガブリエラ。

破片の一つが右足の太ももを掠める。

「痛ああああい!」


悲鳴を上げながら、部屋の中に転がり込む。

「うう~~~~……痛いよう」

太ももからも出血してることに気づき、改めて涙目になる。


硝子は、暗い部屋の中に逃げ込んだガブリエラを追撃したものか考えていた。
相手の『雲』スタンドを止められないように、相手も粒子状にした『クリスタル・ピース』の攻撃を止めることは出来ない。

それは分かった。そして、とりあえずの危機を脱する事が出来たが……

(相手が何を考えてるかわからないのに、こちらから行くのは危険過ぎる……どうしよう)


と、迷う硝子に、部屋の中からぶつぶつと声が聞こえてきた。

(……?)


ガブリエラの独り言だ。
距離があるので、はっきりとは聞こえないが、


「なんだっけな……えーと……このテラスのつけねにちょっとヒビわれがあるからー」

ミシリ

「そこにフェイちゃんをいれてー……」

ミシリ

「こんな感じですかねーうふふー」

ミシミシミシ



(……?……あの子、何を言ってるの?……そしてこの音は……?)


「でー……なんて言ってたっけ、周りの『水』を吸ってー……で、フェイちゃんをふくらませる!」


テラスと建物の僅かな隙間から湯気が吹き出す!
同時にミシミシと何かが軋む音が一層大きくなる。


(……え!?)

「あれぇー?これでいいんだよね?もうちょっと?………えい!」

ボキン、なにか大きなものが折れる鈍い音がした。
ぐらり、テラスが大きく揺れ、全体に亀裂が走る。

(これは……っ!きゃあっ!)

そして、テラスはその付け根から崩壊を始める!


膨張した『雲』の圧力はコンクリートに亀裂を入れ、鉄骨をねじ曲げる。
鉄骨は床から飛び出し、剥がれたタイルが飛び散る。

「わあー!できたあ!」

嬉しそうなガブリエラの声が聞こえたような気がするが、テラスの崩れる音にかき消された。

傾いた足場に硝子は尻餅をつくが、その場所もすぐ崩れていく。
右手で掴める場所を探すが、さらに傾きは強くなる。
ひび割れたコンクリートの床が次々に抜け落ちていく。

ついに、硝子も崩れた足場と共に落ち始める。


「くっ!『クリスタル・ピース』!」

人型に組成しなおした『クリスタル~』をむき出しになった鉄筋に捕まらせ、自分に手を差し伸べさせるが……
その時、またぐらりと床が傾き、自分のスタンドに向けて伸ばした硝子の右手は空を切る。



(うう……だめ!崩れるのが早くて………落ちる……!)

「きゃああああああああああぁぁぁぁ!!!」


崩れゆくテラスの瓦礫と自身の悲鳴と共に、硝子は50m下の広場に向けて落下していった。



ドスンドスンと瓦礫が地面に落ちる大きな音が、誰もいない園内に響きわたり……

そして静寂。

……………………

ひょこっと部屋から顔を出すガブリエラ。
さっきまであったテラスがすっかり抜け落ちているのを見て肩をすくめる。

「正解は、すきまにフェイちゃんを入れて―、ふくらませるとー……あつりょく?でテラスを壊せる、でしたぁ~」

上手く出来たことが嬉しいのか、ケラケラと笑うガブリエラ。

「うふふー『たちあいにん』さんに言われた通りに出来ましたー!」


パチパチパチパチ ―

「よく出来ました、寿さん」

いつの間にか『立会人』はガブリエラの横に立ち、拍手をしていた。

そう。
夕方、ホテルへの帰り道、このツンデレラ城最上部のテラスに『立会人』とガブリエラは来ていた。

大抵の建築物は外部からの圧力に対しては強度計算を行うが、内部からの圧力に対して考慮をしたりしない。
なぜならば通常『そんなことは起こらない』からである。

このテラスにある隙間やヒビを探したのも ―
そこから『雲』を侵入させ内圧を加えれば、簡単にこのテラスが崩落するであろう事に気づいたのも ―
その事を、それとなくガブリエラに伝えたのも ―

全てこの『立会人』である。


「あ!『たちあいにん』さん!」

「おや、血が出ている……大丈夫ですか?はやく消毒しないと……」

男の顔が曇る。


「うふふーちょっと痛かったけど大丈夫ですよ~」
「ねーねー、これでわたし『トーナメント』優勝ですかあ?」

「んー……まだちょっと早いですね。一応『確認』をしないと」

「ん?……かくにん?」

ガブリエラは首を傾げる。


「ええ、新房さんが『降参』するか……『戦闘不能』になったことを私が『確認』しないと試合は終わりません」

「むー……じゃ、はやくかくにん!かくにん!フェイちゃん!」


『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』がガブリエラの声に呼応して目の前に集まり、小型の雲を形成する。
ぴょん!と元気良くその上に飛び乗るガブリエラ。

「『たちあいにん』さんも乗ってくださーい。うふふ」

「え?私が乗っても大丈夫なんですか?」

「がんばれば大丈夫ですーたぶん!……んんん~~~~えい!」


ガブリエラが力を込めると、水分を束ねる圧力が更に強化され、雲が濃くなる。

「はやくー!けっこう疲れるんですよ~うふふー」


(……大丈夫……なのか?)

『立会人』は強度を確かめるように、おっかなびっくり足を差し出す。

(……大丈夫か……)


2人は『フェイセズ~』の雲に乗り込むと、ゆっくりと硝子が落下したであろう地点へと降下していった。


少し前。

崩れ落ちたテラスの破片とともに空中に投げ出された硝子。

「きゃあああああぁぁぁぁぁぁ!!!」


50m下の石畳が迫ってくる。
去年の夏、収穫し忘れオレンジ色に熟したゴーヤの実が地面に落ち、ぐちゃっと弾けていたのを思い出す。


「きゃあああ……あ……」

悲鳴を上げてる場合じゃない。
自分の悲鳴を止めてみると、バタバタと左腕の白巾がはためく音がうるさい。


音を気にしてる場合じゃない。
地面との激突を回避する方法を何か考えなきゃ……そんなことは解ってる。

解ってはいるが……時速100km/h以上の速度で距離50mから迫ってくる地球。
これを止める方法は思いつかなかった。


(『走馬灯の様に人生が~』なんて、全然ないな……)

不思議と恐怖は消えていた。


ただ、

(私が選んだ『道』の結末がこれ、っていうのはちょっと残念だな……)

「『戦い』とは、そういうものだ」 ― 2回戦の相手に言われた言葉が脳裏蘇る。

(『そういうもの』かあ……なら、これも仕方ないのかな……)




……と、視界がふわあっと光に包まれる。

(眩しい…………え?)

急に自分の体に掛る重力が光に包まれた途端、弱まった気がする。
地面直前でふわり、と急減速した硝子は、まるでベッドから床に落ちるような調子で

バタッ

と、地面に落ちた。

「あ痛っ!…………って、え?……え?」


思わず上を見上げる。


頭上にはそびえ立つツンデレラ城。
遅れて落下してくるコンクリート片。


「わっ!」

反射的に躱すと、目の前に落ちる。
地面に叩きつけられたそれは粉々に砕け散った。

落ちたメガネを拾い上げ、掛け直しながらも疑問が消えない。

「………?……私あそこから落ちて……」

パラパラと降ってくる細かい破片の中、再び城の尖塔を見上げる。
確かに地面に打ち付けた右肩は痛い。膝も擦り剥いた気がする。それにしても、だ。

(なんで……『あ痛っ!』で済んで……?)
(えっと……目の前が明るくなって……それで……?)


意味が解らない。なぜ自分は無事なのか。
なぜこのコンクリートの様に粉々に、あのゴーヤのようにぐちゃぐちゃに ―


……と

カツン、カツン、カツン……

あっけにとられる硝子の耳に、石畳を叩く硬い靴音が聞こえてきた。

瓦礫の落下も収束し、再び静まり返った園内によく響く。
白みつつある空の下、それはこちらへと近づいてくる。


(……?……)


あっけにとられたまま、靴音の方に目をやる。

嗅いだことのあるポマードの香り。

そこにはカーキ色の軍服のような服を纏った男。



「……!!…………うそ……!」

その男の顔をみた硝子に、危うく心臓が砕け散るほどの衝撃が走る。


カツン


男は硝子の前に立ち止まると口を開く。


「……撫子よ、大事ないか?」


忘れたくても、一生忘れることの出来ない顔。
幽霊なんかに出会うよりも、もっと奇怪な遭遇。


― 五百旗頭 実。


ここ『東京ネズミィランド』で1回戦を戦った相手。
『クリスタル・ピース』の水晶柱に体を貫かれ、死んだはずの。


『クリスタル~』が人間の胴を貫く感覚、そして直後の光景が脳裏に蘇る。

己の血で作った湖に内蔵を撒き散らし、その中に突っ伏しピクリとも動かない男 ―


即死に近い状態だったはずだ。


「いおきべ……さん……?なぜ……?」

「フン!……今は『局地防衛用人型特車 ミ―500』などと呼ぼうとする無粋な輩もおるがな」


よく見ると、顔の一部や軍服のような服から覗く首には異様なメカのコルセットが装着されている。
そこに及んだ硝子の視線に気づいたのか、五百旗頭はニヤリと笑い、見せつけるように左手の手袋をゆっくりと外す。

「クク……皇国の守護者たる我に……相応しい体を手に入れたという訳だ。貴様のお陰でな……見よッ!」

そこには何かメカメカしいパーツが無数に見える鋼鉄製の義手。
それをビシィ!と付き出し、見得を切って叫ぶ実。

「我が日の本の科学技術は世界一ィイィィィィィーーーッ!二位じゃダメなんですッッッッ!!」


(……機械の体……っ!?……そんなマンガみたいな……)


そして、軍靴の踵をカッと合わせ背筋を伸ばす。

「貴様の今大戦における奮戦!!決勝進出!!戦友として賞させてもらおうッ!」



硝子には何がなんだか解らない、が、

「は、はぁ……ありがとうございま……す?」

(……とりあえず、恨まれてる訳ではない……のかな?……あ!)


思いかけて気づく。

「あ……あの!さっきの光、もしかして五百旗頭さんのスタンド……」


尖塔から落下し、地面に叩きつけられる寸前に感じた光。
その光を感じた瞬間、一瞬自分の落下にブレーキが掛かったことを思い出す。


「左様……遅れて済まなかったな」

実のスタンド『バロック・ホウダウン』 ― 発した光に圧力を持たせる能力。
その光をクッションとして使い、時速100km/hで硝子が石畳に叩きつけられるのを防いだのだろう。


「……あ、ありがとうございます!……でも……なんで、五百旗頭さんが私を助けて……?」

「貴様を助ける、だとォ?」

蛇のような目でギロリと硝子を睨む。
つい反射的に、ビクっ、っとしてしまう。


「勘違いするなよ……我輩は貴様に用があってここに来た訳ではない……」

ギョロリと目を上に向ける。

「用があるのは『あの男』よ……」

視線の先には『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』の『雲』に乗り、ゆっくりと降下してくるガブリエラと『立会人』がいた。


「あれぇ~~?」

『雲』から下を覗き込んでいたガブリエラが素っ頓狂な声を上げる。

「……ん?どうしました?寿さん」


高いところが得意ではないらしく、なるべく下を見ないようにしていた『立会人』が答える。


「ん~~あのおねえちゃん、落ちたのに平気みたいですよ~」

「……え?」

(平気?……なんのことだ?)


仕事とは言え、地上50mから地面に時速100km/hのファーストキスを捧げた少女を『確認』しなければならない。
『少々気が滅入る』……そう考えていた『立会人』には、ガブリエラの言葉がすぐには理解出来なかった。

恐る恐る『雲』から顔を出して下の様子を伺おうとする。


「あれぇ~~~?」

再びガブリエラが素っ頓狂な声を上げる。

「ここは『かしきり』だよね?あの人はだれですかぁ?」

(何?……あの人?)


慌てて『立会人』も目を凝らす。


どういう訳か、無事に立っている硝子。
そして、その側にもう1人の人影。

「あれは……!」



『雲』は間もなく地面へと到着する。


「フェイちゃん、おつかれさま~!」

ぴょん、と『雲』から飛び降りるガブリエラ。
『立会人』も、よっこらせ、という風に続く。


5m先には硝子が肩を押さえて立っており……その少し手前には実が仁王立ちしている。


「困りますね……試合中の会場に部外者が入られては」

その2人に歩み寄りながら、『やれやれ』といった調子で『立会人』が実に声を掛ける。


実は蛇の目で『立会人』を射抜いたまま、そしてピクリとも動かないままに叫んだ。


「五百旗頭 実であるッッッッッ!!!!!!!!!」

「わ!」

あまりの大声にガブリエラは目を丸くする。


「……そんなに大声で仰られなくても、欲存じ上げております。五百旗頭 実さん」

『立会人』は片耳を押さえ、眉間に皺を作りながら答える。

「1回戦でこちらの新房さんに敗北、即死級の重症を負うも……自衛隊の特殊医療班によりサイボーグへの改造処置を受け一命を取り留める」
「おっと……サイボーグではなく『特殊車両』というんでしたか?改造には成功したものの、その日のうちに将官を殴り倒して逃走……」
「その後行方をくらませた、という所までは私も存じておりますが……」

「逃走だとッッッ!!」

眉を吊り上げて実が吼える。


「二言目には『文民統制』などと抜かす腰抜けが、この五百旗頭に『命令』を下そうなど百年早いわッッ!!!」

「……少し声のトーンを抑えて頂けませんか?耳が痛い……で、その部外者の五百旗頭さんが、なんの御用です?」

「フン!大会運営よりの依頼であるッッッ!貴様は『罪』を犯したッッ!!!」

『立会人』に指を突きつける。


「『罪』?何を仰ってるのか解りませんが……」

「貴様ァ……良くも抜け抜けと……立会人の身でありながら、その娘への有形無形の不当な援助!見に覚えがあろうッッ!」


不思議そうに『立会人』と実を交互に見回していたガブリエラは、突然実に指を突きつけられ再び目を丸くする。

「無いとは言わせんぞッッッ!!」


ふーーーーーー、と大げさに息をつき、肩をすくめる『立会人』。

「……『不当な援助』ねえ……で……あなたは新房さんの加勢にいらしたという訳ですか?」


「貴様ァ!!!!!この五百旗頭をコケにするかァァァァァァ!!!!」

血管(が、今の体にあるのか解らないが)切れそうな勢いで、『立会人』に詰め寄りながら怒鳴る。

「この五百旗頭がァッ!戦士と戦士の名誉ある決闘にッ!手出しするはずがなかろうッ!!!!……貴様と違ってな!!!!」


実ハラハラと2人のやりとりを見守っている硝子にちらりと目をやりながら『立会人』は答える。

「……しかし事実、いま貴方は新房さんを『助けた』。違いますか?」

自分に向いた視線から、思わず目を伏せる硝子。


「どこまでも詭弁を弄しようとする奴よ……よいかッ!我輩が今大会の運営より託された任務は3つ!」

『立会人』の眼前に3本の指を突きつける。


「ひとォォォォォつ!第三者によって作為的に仕組まれた、特定の対戦者への有利・不利となる事象を全力で排除せよッ!」

指を折りながら続ける。

「ふたァァァァァつ!特定の対戦者と利益供与の関係を結んだ『立会人』の身柄の確保・拘束、及び試合会場からの排除!」
「みっつゥゥゥゥゥ!その『立会人』に替り本戦に立ち会い、決着を見届けよ!」

そして、改めてギロッと『立会人』を睨みつけ、

「以上!!!先程彼女の落下を防いだのは、一つ目の任務によるものであるッ!大人しく縛に就けいィィィィィ!!!!!」


『立会人』は相変わらず表情を崩さない。

「やれやれ……私が何かを仕組んだとでも?言いがかりも甚だしい」

「フン!あの露段の崩落も貴様の入れ知恵ではないか!証拠は運営より受け取っておる!見よ!」


そう言って実は軍服の内ポケットから紙の束を取り出し、『立会人』に投げつける。


「これは……」

『立会人』の顔が少し曇った。


バラっと広がったその紙の一枚一枚には、隠し撮りされた『立会人』とガブリエラによる『ネズミィランドデート』の写真。
わざわざ一般客は立ち入れないツンデレラ城のテラスに訪れ、ガブリエラに『テラスの壊し方』をレクチャーしてる場面もある。

背後で硝子が息を飲む音が聞こえた。


「フン!立会人を任される程の男が、己が尾行されてることにも気付かんとはな!」

「……貴方にその写真がどう見えるかはしりませんが……たまたまですよ。顔見知りの女の子を『ネズミィランド』に連れていく」
「そんな『子供の世話』のひとつくらい誰だって経験があるでしょう?」
「それに『利益供与の関係』って……私は寿さんから1銭だって受け取っていない」
「中には、そんな立会人もいるようですが……今大会でもね」

「フン!貴様が独断で運営の手から『逃した』元・立会人がいるそうだな。それも問題となっておるぞッ!」

実が言葉を遮る。


「しかし、その件についての対応は我輩の任務の内にはない……そして、買収される屑も大概だが……」

再びギョロリと目で『立会人』を舐り上げ、唸るような声で言う。


「金を受け取るどころか、年端もいかぬ娘に媚び諂いッ!その歓心を買わんと金品を自ら与えッッ!」
「この名誉ある戦いに勝たせんと、不埒な策を弄する外道ォォォォォォォォッ!!!!!」
「この五百旗頭に言わせれば、貴様の方が遥かに男子としての心根が腐っておるッ……違うかァァァァァァァ!!!!」


別の紙束を叩きつける実。
そこには『立会人』がガブリエラに服を買い与える様子、一緒に食事をする様子……等々の写真。


「……違うッ……それも……」

「まだ弄言するかァァァァァッ!」

実が『立会人』の襟首を掴む。


「しかしッ!我輩の任務は貴様の女々しい言い訳を聞くことではないッッ!貴様を尋問することでもないッ!」
「貴様の身柄を『確保』し本部に引き渡す事ッッッ!!」

鋼鉄製の指が喉に食い込む。

「ぐうっ!」

「言い訳は運営本部の査問官相手にたっぷりするがよいィィィッ!貴様を『確保』するゥゥゥゥ!」

「ぐぐっ……」

掴まれたまま、ガブリエラの方へと視線を向ける『立会人』。


(……寿さん……)

待たされているうちに眠くなったのか、立ったままコクリコクリと船を漕いでいる。

(ふふ……こんな時にも愛らしい……こんな時間だ、無理もない……)


「ぐぐ……解りました。私も男です。『覚悟』を決めましょう……手を離してください」

「ふむ……大人しく縛に就くか?」

「覚悟を決めた、と申し上げたでしょう……手を離してください……息ができない」


「……よかろう」

実が手を離す。


「ゲホッ、ゲホッ……」

「念の為、数時間眠ってもらうぞ。男子たるものの『覚悟』を侮る訳ではないが、途中で気を変えられては面倒だからな」

実が右手の人差し指・中指を奇妙な形に曲げると、その間にスタンガンのような電流が走った。


「……その前に……少しだけで構いません。彼女と話を」

と、言ってガブリエラの方へ顔を向ける。

「フン……どこまでも女々しいやつよ。まあ良い……我輩も鬼ではない。1分だけやろう」


『立会人』は頷いて、立ったまま寝ているガブリエラに歩み寄り、身をかがめて彼女の肩に手を掛ける。


「寿さん……」

「……んー…?……すぅ……すぅ…」

「寿さん……起きてください」

肩を揺する。


「……ん~……ん?あれ?……わたし、寝ちゃってましたあ……えへへ」

恥ずかしそうに笑うガブリエラ。


「ん?……あの人とのおはなし、おわったんですかあ?」

と言って、後ろに立っている実を見る。


「ええ……ところで寿さん、私と会ってから楽しかったですか?」

「ん?」

キョトン。


「……私と一緒に過ごしたここ数日、寿さんは楽しかったですか?」

「あ!うん!すごぉーーーく楽しかったですよーうふふ~♪」

ニッコリ。


「そうですか。私もとても楽しかった……一つ、寿さんに謝らなければならない事があります」

「んん?」

「『試合が終わったら、またここに連れてくる』と言いましたが、それは難しいかもしれません」

「ええ~~~ーーー―!なんでですかあああ!?」

心底悲しそうな顔で抗議するガブリエラ。


「ごめんなさい。嘘をついてしまいましたね。その代わり、近いうちに他の国の『ネズミィランド』に一緒に行きましょう」

「ん?ほかの国?」

「ええ、『ネズミィランド』はいろんな国にあるんです……」



その時

「1分経過であるッッッ!そこまでにせよッ!!」

『立会人』の背に大声が突き刺さった。


「……ちょっと待っててくださいね」

ガブリエラの肩に手を置き、微笑む『立会人』。

「ん?はーい!まってますー!」

ガブリエラの笑顔に背を向けて、実の方へとゆっくりと歩き出す。


「……お待たせしました」

「よろしいッ!『覚悟』は良いなッ!?」

再び指の間に電流を光らせながら、実も『立会人』へと一歩踏み出す。

「ええ……『覚悟』は決めた、と申し上げたはずです……」


朝焼けの空を仰ぎ、口元を緩める。
ゆっくりと実の方へ顔を向け、そして叫ぶ。


「彼女と共に生きる『覚悟』がッ!運営の犬ごときに邪魔させるかァァァッ!!!」

SYAAAAAAAAAAAAA!
『立会人』の体から少女人形のようなスタンドが発現する。


「やれっ!『アイシィ・ドール』!!!」

そのスタンドが口笛を吹くような形にその唇を歪めると、何か針のような物が射出される。


「ほう……反抗するかッ」

飛んでくる針を避けもせず……まるで『立会人』の行動を歓迎するかのようにニヤリと笑う実。
針は実の心臓(が、あればだが)近くに突き刺さった。


「全く……貴様のような痴れ者がよく立会人の任にありつけたものよ……」

嘆息しながら、そして嬉しそうに、着ている軍服の胸元に手を掛け引き裂くように脱ぐ。
機械の体が現れた。


「あ…………」

『立会人』の顔に焦りの色が浮かぶ。

「貴様の能力も運営より聞き及んでおる……我輩がこの任務を託されたのもそれ故よ」


そう、『立会人』のスタンド『アイシィ・ドール』の能力は対『生物』専用のものであった。


「元来、我輩は舌先三寸の弄しあいより、拳で語り合うのが得手……好きにやらせてもらう口実が出来たわ……」
「この体の機能も、まだまだ試さねばならぬ事ばかりであるしなァァァァァァァ……」

『立会人』に歩み寄る実のボディ腹部のシャッターが開く。
中には気味の悪い笑みを浮かべる実のスタンド『バロック・ホウダウン』。


「!……くそっ!」

『立会人』はそれに気づき、途端、背を向けて逃げ出そうとする……が、

「やれッ」


『バロック・ホウダウン』がシャッターから飛び出すと、『アイシィ・ドール』の前に立ちはだかり強烈な光を浴びせる。
その光圧にたちまち地面に押し付けられる『アイシィ・ドール』。

そして、光に縛られた己のスタンドに同期して『立会人』も動けなくなる。


「ぐ…………う……動け…………」

「さて、別の『覚悟』を決めてもらうぞ……ククク」

狂気の笑みを浮かべて『立会人』の前に立ち、空手の『正拳突き』のような姿勢で腰を落とす実。


「『抵抗する対象を無力化』するゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!玉と砕けよッ!!!!!!」

バスン!と弁が開くような音がし、実の肘のあたりから煙が吹き出す。
『立会人』の顔は絶望に染まっている。目を閉じることも出来ずに。

「歯ぁ食いしばれェェェェェィ!!!トラァァァァ!」

鋼の拳が『立会人』の顔にめり込む。見れば実の腕は手首のあたりで伸縮している。
その伸縮に炸薬式の射出機構を使っているのだろうか。前腕部から小さな薬莢が飛び出した。

そして間髪おかぬ連撃!腹、肩腕、肩顔顔胸、顔腹腹肩顔、胸顔腹顔顔腹……

「トォォォラトラトラトラトラトラトラトラトラトラトラトラトラトラトラトラトラトラトラァァーーーッ!(我奇襲ニ成功セリ!)」

「ゴバッ!!!!!」

派手に吹っ飛ぶ『立会人』。
チャリンチャリンと乾いた金属音を立て、薬莢が石畳に落ちる。
息を飲み、そして顔をしかめる硝子。
目を丸くしているガブリエラ。

「~~~~~~~ッ!全弾命中でございますッッッ!!!!!」

残心の構えを取りながら実が吼えた。


「う……が……」

「フム……なかなかいい具合であるな、この体は」

ニヤリと笑いながら倒れている『立会人』の襟元を掴んで引き起こす実。
その顔は見る影も無いほどボコボコになっている。

「あ……ぶ……はっ」

口から血の混じったヨダレを吹き出す。

「さて、当初の予定通りこのまま数時間気絶してもらうぞ」

「ぐ……が……ぐはっ……こ、殺せ……」

息も絶え絶え……唇は腫れ上がり、奥歯まで全て折れているだろう口を必死に動かし、呻く。


「フン!貴様を『殺せ』とは言われておらん。そのつもりであればとっくにそうしておる。ただ……」

ニヤリと笑う。

「貴様には『死ぬより辛い運命』が運営本部で待ってるであろうがなァ!クククククク!」



大人しくじーっと実に『無力化』される『立会人』を見ていたガブリエラの耳が、その言葉を聞いてピクリと動いた。


「では、しばらく眠るがよい……」

再び電流を流した右手を振り上げる実。



その時、

「!……五百旗頭さんっ!周り……!」


硝子が声を上げる。

「ぬうッ……これはッ……」

『立会人』、そしてその襟首を掴む実の周りを、ガブリエラのスタンド『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』が取り巻いていた。


「小娘ッ!反抗するかッ!!」

ギロリとガブリエラを睨みつける。

「……!」

ビクッと肩を震わせるガブリエラ。

「貴様に対する処置は我輩の任務にはないッ!余計な手を掛けさせるでないッッッ!」


「うう……『たちあいにん』さんに、『まっててくださいね』って言われたけどお……」

泣きそうな顔になる。


が、更に『フェイセズ~』は実と『立会人』にまとわりつこうとする。

「貴様の『能力』もまた、我がの鋼の肉体には無力なりィィ!スタンドを引けぇぇい!!」

実際、水分を吸い取られようが、実の『機能』には殆ど影響がない。
それもまた、実がこの任務を与えられた理由であった。


(ムウ……とは言え、あまり『絞られて』ヒビ割れるような事があると、人工皮膚の整備に費用が嵩む……)

「ええいッ!今すぐスタンドを引けッ!さもなくば貴様も『無力化』するッ!」

再びガブリエラを怒鳴りつけ、睨みつけ、脅しを掛ける。


と、

「……!……五百旗頭さん!違う!その人!」

硝子が再び叫ぶ。


「ぬう?……『その人』?」

(!……まさかッ!)

ハッとした実は、襟首を掴んでいる『立会人』に目を向ける。


「ぐ……う……はぁッ……ことぶき…さ…ぐ」

『雲』から伸びた一本の腕にがっちりと掴まれ、絞られているのは『立会人』だった。


顔中に流れていた血は既にバリバリに乾いている。
皮膚もガサガサに乾き、ひび割れていく。
肉が水分を失って細くなっていく。


「貴様ァッッッ!!!!やめんかッ!」

慌ててガブリエラに叫ぶ実。

「うぐぅ…………だってぇ……」

怒鳴られ、半べそをかくガブリエラ。


(……こと……ぶ…きさ…ん…………)

最後の力を振り絞ってガブリエラの方を見て、言葉を絞り出そうとする『立会人』。

しかし、彼の乾ききった口は声を発する事はなく、
彼の乾ききった眼球も彼女の姿を映すことはなく、

(……こ……………………)

『立会人』は事切れた。

-----------------------------

『立会人』(本名不明) ― 死亡/スタンド名『アイシィ・ドール』

-----------------------------

「……どうして……こんな……」

硝子は干物のようになった『立会人』の死体から、悲痛な面持ちで目を背ける。


「貴様ァァ!!口封じかァァァァッ!!!!」

すっかり軽くなった『立会人』の死体を放り投げ、実はガブリエラに詰め寄り怒鳴りつける。


「ひぐっ!……ん?……くちふうじ?」

キョトン。


「この男の口を封じたとて、貴様の行動は全て記録されておるッ!そして、元よりこの決勝についてはこのまま行えとの指示ッ!」
「この男を殺したとて、貴様にはなんの意味もないのだぞッッッッッッ!」

「ん~?……んー……んー……むずかしい……えへへ……」


困ったような顔で、ふにゃ、っと笑うガブリエラ。

(!?……なんなのだ……この小娘は!?……ぬう……落ち着け)


「……質問を変えよう。なぜこの男を殺した?」

「あ!……『まっててください』って『たちあいにん』さんに言われてたのにごめんなさい!」

実に向け、ペコリと頭を下げる。


(『……などと意味不明な供述をしており……』……ち、違うッ!)

「この男を殺した理由を言え、と言っておるッ!!!!」


「あ……そうでしたぁ……えへへ……フェイちゃんにお願いした理由はー」

何故か照れながら、ぽつぽつと語り出すガブリエラ。


「だってえ……『しぬよりつらい運命』が待ってるんでしょ!」
「『たちあいにん』さん、わたしにすごーいやさしくしてくれたんですよぉー」
「『ころせ』って言ってたしー、でもおじさんはいじわるそーな顔で『ころすきはない』っていうしー」
「だからー……フェイちゃんにお願いしたんですー」
「あ!で、『まっててください』って言われたのに、まてなくて、ごめんなさい……えへへ」

(な……この子……なにを言って……)

硝子には全く意味が解らない。


「…………はい?」

しばらく固まっていた後、杉下右京のような声を出したのは実。


「……あー……つまり貴様が言いたいのは、こういうことか?」

眉間に深い皺を作っりながら、実が口を開く。

「恩を感じている男に『死ぬより辛い運命が待って』おり、本人も『殺せ』と言うから死なせてやった、と?」

「ん?……んー……」

ガブリエラがしばし首を傾げる。
そして誤魔化すような笑いと共に、

「ん~~……わからないけどー……そうですう!……たぶん……えへ」


「なっ!……えええ!?」

裏返った声をあげたのは硝子。


そして実は、モジモジとするガブリエラを見て、心底から困惑の表情を浮かべる。
こんな実の表情、今まで見たことのある人間はいないだろう。

(……馬鹿や阿呆の類は、今まで散々『粛清』してきたが……これが『本物』というやつなのか?)
(しかし……運営はこの小娘のことをしっかりと調査して、このトーナメントに参加させたのか??)


ふと『立会人』の死体に目が止まる。

(……これもどうしたものか……まあ、殺せとも言われなかったが『生きたまま』確保せよ、とも言われてはおらん……)
(これはこれで『確保』して運営に突き出すしかあるまい……よもや報酬を値切ったりはせんだろう……)

気づけば朝日が完全にその姿を地平線の上に晒している。

(ええいッ、時間もあまり無いようだ……ともかく我輩は最後の任務を果たすのみよッ!)


「あー……両名とも聞けィ!ここへ!」

硝子とガブリエラにそれぞれ視線を送る。

それを受け、おずおずと実のもとに歩み寄る2人。


「大会運営の命を受け、只今より本決戦の代理人を代行する、五百旗頭 実であるッッッ!!」
「あー……多少試合進行に不調はあったが、両名、このまま試合続行でよろしいか!?」

「はーい!」

と、元気よく答えたのはガブリエラ。


「あ……はい……お願いします」

と、不安げに答えるのは硝子。


「よろしいッ!ではここで……」

と、言いかけて、転がる『立会人』の死体に気づく。

(…‥っと、ここの戦いに巻き込まれ、これ以上此奴の体を損壊させられては堪らぬ)
(死体とすら呼べるものでなくなってしまえば、流石に報酬にありつけないかもしれん……)


「ンッンー!……ここではなく、あちらに移動して試合を再開するッ!両名とも、我輩に付いてまいれッッッ!」


「フム!ここでよかろう!」

実が試合の再開場所に選んだのは、園内に横たわる大きな池に掛る橋の上。
橋下を『ザングルクルーズ』の遊覧船が通過できる規模を持つ、全長60m程のアーチ橋である。


「では両人とも橋の両端へッ!それぞれの端に到達したのをもって試合再開とするッ!」

「……ん?」

ガブリエラが小首を傾げる。


「……寿さん、橋のあっちの端っこ……あのミギ―マウスの像が立ってる所まで移動して」

硝子がガブリエラに言い直す。

「あ!はーい、わかりましたあ」

くるっ、と背を向けると、とてとてと像に向かって行くガブリエラ。


(……なんなんだろう、この子……)
(でも……さっきのあれは……私が『負けてはいけないもの』な気がするッ!)

自分には理解出来ない根拠をもって『立会人』を殺害した場面が蘇る。

ぎゅっと唇を噛み締めて『戦い』の決意を固めた硝子は、反対側端に立つヒダリーマウスの像へと向かった。


「フム!よろしいィィィッ!」

橋の両端に到着した2人を見て、実は大きく頷き、試合再開を宣言する。

「それでは両名とも、死力を尽くせッ!健闘せよッッッ!試合始めェェェェェェェッ!!!!!!」

そう叫ぶや否や、強化された異常な跳躍力で10m近くありそうな橋中央の高欄に飛び乗った。


(さてェ……我輩はここで高みの見物をさせて……くれるといいのだが……)

心配そうにガブリエラに視線を送る実だった。


「うふふ~♪しあいはじめー」

先ほどの惨劇など無かったかの様に、上機嫌なガブリエラ。
すっかり明るくなった園内を橋の上からキョロキョロと見回しながら硝子の方へと向かう。

(あー、あれも乗りたい―!)
(んー『たちあいにん』さんしんじゃったけどー、また遊びたいなー)
(もうココにはだいぶ慣れたし、もー1人でも迷子にならないですよー……たぶん)
(そのためにはー、えーと……あ!『しあい』を早くおわらせなきゃ)

と、駆け出そうとして、また止まる。

(……あ、お金もらえるのかなあ……もらえないとチケット買えないよう……)


一方の硝子は、考えながらゆっくりと歩みを進める。

(あの子のスタンド……触れれば『水分を吸い取られる』……それも一瞬で)

10秒もかからず、ミイラのように干からびた『立会人』を思い出す。
『彼』よりもずっと体の小さい自分は、もっと短い時間でああなるだろう。

尖塔上での戦いでやったように『クリスタル・ピース』を粒子状にして飽和攻撃を仕掛ければ倒せそうではある、が、

(……さっきは奇襲だっし……狭いテラスだったから、上手く行きかけたけど……)


どうやっても、自分のスタンドのほうがガブリエラのそれより射程が短い。
実際今の時点でも、ガブリエラに仕掛ける気があるなら自分への攻撃を開始出来る距離だろう。

しかし、まだ『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』が出ているようには見えない。
それに気を配りつつ、慎重に歩いていく。

(あの子がスタンドを出すまでに、出来るだけ近づければ『チャンス』はあるはず……)


徐々に2人の距離は縮んでゆき、やがて


「あ!こんにち……おはよーございます~うふふ♪」

にへら、といった顔で硝子に『あいさつ』をするガブリエラ。

「…………」

緊張した面持ちで、じっとガブリエラを見つめる硝子。


季節はずれのクリスマスツリーのような格好をした少女と、片腕を白巾で吊った少女。

その2人が朝日を浴びる橋の中央で、お互いの顔を見て立ち止まる。
その間合い、7~8mといったところか。


(ギリギリの距離、だね……)

『クリスタル~』が攻撃しても届かない距離。
しかし『フェイセズ~』が吸収を開始しても、完全に『絞られる』までに距離を詰め、ガブリエラに攻撃を加えられるであろう距離。

(私に出来るのは『一撃』……かな……)

硝子の緊張が更に高まる。


長い長い数秒間の対峙 ―



「あ、そうだ!」

その沈黙を破ったのは、何かを思い出したかのようにガブリエラの声。


「……?」

「ね~知ってますかあ?わたしたち、しあい中なんですよ?」

「うん……!?」

硝子に嫌な予感が走る。

「えへへ……いきまーす!フェイちゃん!」


ブワッ!と橋桁の隙間から。『雲』が飛び出す。
一瞬で硝子の周囲に『フェイセズ~』が立ち込めた。

(!……既に……っ!)

ガブリエラは試合開始からずっとスタンドを展開させていた。
硝子からは見えない、橋の下に。

それを今思い出した、という訳か。

「『たおしたら勝ち』~うふふ♪」

纏わり付き、吸収を開始しようと蠢く『フェイセズ~』。
だが、急激にカサつていく唇の感覚にも硝子は意外なほど冷静だった。

(そう……どこから来るのであれ、こうなることは解ってた……あとは私が予定通り動くだけ!)


まずはガブリエラに向かって駆け出す!

「『クリスタル・ピース』!」

走りながらスタンドを発現させる。
人型で現れたそれは朝日を受けて眩しいほどに輝いている。

(あ!……あのきれいなスタンド!)

ガブリエラが目を奪われた一瞬 ― その瞬き2回ほどの間に『クリスタル~』が彼女の腕を掴もうとする。

「わわっ!フェイちゃんこっち!」

『クリスタル~』に少し遅れてガブリエラの元へと詰め寄る硝子。
主人の元に集まろうとする『フェイセズ~』。


目前に近づいた硝子が息を切らせながらガブリエラに問う。

「はぁ、はぁ……寿さん……泳げる?」

「ん?……およげ……ないですう……」

「……そう。私も泳げない」

「ん?」

その会話中にも『フェイセズ』は硝子にまとわりつき……そして吸収を開始……しようとしたのだが、

(これが……私の選んだ『一撃』!)

それはその場で粒子化してガブリエラを切り刻むことでもなく
 ― 与えられた数秒でガブリエラを『絶命』させる自信がなかった

それは人型のまま、殴打ラッシュを仕掛けることでもなく
 ― 同じく数秒でガブリエラの意識を喪失させる自信がなかった

ガブリエラを抱えこんだ『クリスタル・ピース』は、そのまま橋の欄干へと向かい、それを乗り越え、


「わあああああああぁぁぁああぁ!」

ガブリエラの悲鳴とともに、池へとダイブする!

外したメガネを内ポケットにしまいつつ大きく息を吸い込むと、硝子も続いて飛び込んだ。

ドボン!
ドボン!

と2つの水音がした後を、のっそりと『フェイセズ~』の『雲』が追いかけていく。


(……あの娘らは、何をしておるのだ……『両者溺死』では立会人たる我輩の面目がたたんぞ……)

2人が落ちた水面の波紋を眺めつつ、高欄上で腕を組む実の眉間にまた皺が寄る。


(あ……腕……)

水面に落下した際の衝撃で、義手が外れてしまった。

浮き上がっていく義手を、若干の寂しさを伴いつつ見上げながら、池の中へと沈んでいく硝子。

水深は2~3mというところだろうか。

(『クリスタル・ピース』……!)

と、沈降が止まる。

硝子の体を支えているのは、自分のスタンドで作った『ガラスの浮き』。
泳げない自分でも、これを操ることで水中での浮沈や移動は自由に出来るだろう。
そして、中の空気を使えば当面は呼吸にも不自由しない。

なによりも、自分が水中にいる限りは……

(これであのスタンドの『水分吸収』を封じられるはず!)

いくら『フェイセズ~』が凄まじい吸収能力を発揮しても、周り中が水である。
池の水を吸い尽くしでもしない限り、自分にダメージが及ぶことはないだろう。
そもそも、これだけの規模の池の水を吸い切れるとはとても思えない。
どこかで飽和するはずだ。


それが硝子の計算であった。

吊る腕がなくなった白巾が体にまとわりつく。


(このまま、水の中で勝負をつけるッ!)

それを引き剥がしながらガブリエラが落下したであろう方へ、彼女を探す為に移動を始める。


一方のガブリエラ。

「がぼばばばばばばば!」

池の中で不恰好に手足をばたつかせる。

苦しさから息を吐き出しかけると、口の中に水が流れ込んでくる。
欲張りなリスのようにほっぺたを膨らませるが、みるみる顔が赤くなる。

(ぐぐぐぐぐるしいぃいいいいいぃいいい~~~~!フェイちゃんたすけて!)

池の中まで追いかけてきた『フェイセズ~』がガブリエラの体に纏わり付こうとする。
が、その体を構成する水分が、逆に周り中の水に遮られうまく動けない。

(ぐる……息ができないいぃぃぃぃ!)

ガブリエラの顔の周りで無理やり膨張し、水のないスペースを作ろうとする『フェイセズ~』。
一瞬、大きな泡が出来たが、すぐに無数の気泡となって上に浮いていく。
苦しさからそれを吸い込もうとしたガブリエラは、逆に大量の水を飲み込むことになってしまった。

「がぼっ!」

嚥下の反射で大きく咳き込む。
その反動でまた水が口に入る。

「がぼぼぼぼぼぼぼ」

(く、く、くるし…………)

気が遠くなる。
体はどんどん沈んでいく。

(やだぁ……やだあ!……まだ『ネズミィランド』であそびたいし……おいしいものも……)


カプッ……

力なく口が開き、肺に残っていた空気が泡となって吐き出される。
朝日差す水面に向け、それはキラキラと輝きながら浮かんでいく。

(…………あ……きれい……キラキラで……あのスタンドといっしょ…………)

無意識のうちにその泡へと手を差し伸べながら、沈みゆくガブリエラの視界は暗くなっていった。


(あの子……どこにいるの?)

自分と共に池の中に落ちたはずのガブリエラが見つからない。

そんなに自分と離れた位置に落ちたはずはない。
ここは池。遠くへと流されていくとも思えない。

(はやく見つけなきゃ……)

勝負をつけるという意味でも、そしてガブリエラがそのまま溺れて沈んでいる場合を想定しても、だ。

『クリスタル・ピース』の『浮き』を調整して体を沈め、池の底を探ろうとする。


(……あれ?)

硝子は異変に気づく。
池の底がさっきより明らかに近い。

(なんでここだけこんなに浅……えっ!?)

池の底に足がついてしまった。

(違う……水が……)


ゆっくりではあるが、池の水位が徐々に下がっていることに気づく。
水底に立つ硝子の頭が水面からじわじわと露出し始め、とうとう目の高さまで水位が下がる。

(……これは……!?)

水面には、さっきまで自分の左腕に嵌っていた金属製の義手が浮いていた。
いや、浮いているだけではない。

なにかに吸い寄せられるように、スーっと自分の後方へと流れていく。


その義手の動きに釣られるように、首と目線を動かした硝子の表情が凍りついた。

(……!!!……こ、こんなっ!)


高欄の上から湖面を眺めていた実も、同様に驚愕の表情を浮かべていた。

池の中央から、ぐぐっと巨大な水の塊がせり上がり始めたのだ。

(なんだ!?この化け物はッッッッッ!)

その高さは、やがて実の立つ高欄を超え……水面から20m程はあろうか。
更に大きくなり続けるその塊から、ズボォォォォ……という音を立て、巨大な水の右腕が突き出した。


「……ん~……ん?」

ガブリエラが目を覚ます。

「……あ、寝ちゃってましたあ……えへへ」


ぼーっと、目を開ける。

「……あれぇ?ここはどこですかぁー?」

自分の視界が随分高いことに気づく。
すっかり明るくなった『ネズミィランド』の園内が眼下に一望出来ている。

「んん?」

そして……自分の下に見える橋には見覚えがある。
あの橋から、硝子と彼女のスタンド『クリスタル・ピース』と共に池へと落下したはず。

「あれえー?あそこからお池に落ちてー……落ちたのになんで高いの?……フェイちゃんはどこ?……あ!」

自分のスタンドの位置を感じ取ろうとして、ガブリエラは全てを理解した。
自分がいるのは『フェイセズ~』の中。


正確に言えば、池の水を超高圧力で固定し巨大な塊となった『フェイセズ~』の内部に作られたスペース。
しっかり呼吸も出来ている。まるで巨大ロボのコクピットの様な空間だ。

「フェイちゃんすごおおおおおおぃ!」

歓喜の声を上げる。


ガブリエラは水分を高い圧力で固め、人間すら乗ることの出来る『雲』を何度も作っていた。
あとは規模や程度……スタンドパワーをどれだけ発揮出来るかの問題だ。

全盛期イチローのように3打数で8安打を放つことは、通常の因果の中に生きる人間には不可能だろう。

しかし、ボルトがもっと足を早く動かせば100mを3秒で走り抜けることも出来るだろう。
室伏の筋力がもっとあれば、投擲したハンマーに地球の重力圏を突破させることも出来るだろう。

― たったそれだけのシンプルな限界突破。

溺れる寸前、無意識のうちに絞り出されたガブリエラの『力』。

それは『フェイセズ~』に池の水の大半を吸い上げさせ、そのまま凄まじい圧力で山のような水塊として固定してみせた。
その水塊からは巨大な『右腕』が生え、表面には無数の不気味な顔が浮かんでいる。


「こんなにパンパンだけど……動かせるかなぁ……ぐぬぬぬぬぬ」

彼女がギュッと眉を寄せ、スタンドのコントロールに意識を集中すると『右腕』がぐうっっと持ち上がる。

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぅーーーーーーー!」

愛らしい額に青筋を立てながらも、ガブリエラは満面の笑みを浮かべていた。
つぅ……っと一筋、鼻血が垂れる。

「わー、すごい!……ためしにーーーーとりゃあー!」

『フェイセズ~』の『右腕』を、たまたま目の前にあった『なにか』 ― 橋の高欄目掛けて振り下ろす。

数メートルはある水の拳!巨大質量の直撃を受け、高欄は粉々に砕ける。
一方、水で出来た『右腕』は、砕けることも弾けることもなく腕の形を保ったままだ。

――――――――――

「なッ……!?うおおおおおおォッッッ!!!」

高欄の上で呆然としていた、この試合の立会人『五百旗頭 実』は溜まったものではない。
巨大な水の化け物が突然自分に向かって腕を振り下ろしてきたのだ。

直撃される寸前、危機一髪で橋の上に飛び降り、砕け落ちる高欄を見上げる。
その背後にそびえ立ち、ゆっくりと蠢く水の塊。


(ぬうっ……あの化け物……いや、水の塊の中にいるのはあの小娘!?これは彼奴のスタンドか!?)
(なんという『力』……かくも巨大な化け物相手に……如何にするッ!?)

ガブリエラの『力』に驚愕しつつ、硝子の方へと目をやる実。
池の水位は、既に硝子の腰のあたりまで下がっていた。


――――――――――

「フェイちゃんつよおおおおい!」

『フェイセズ~』内部のガブリエラは、あっさりと石の高欄を砕いてみせた自分のスタンドにまたも歓声を上げる。

「……で、なんだっけ?……あ!『しあい』!『たおしたら勝ち』でした~……えーと」

キョロキョロと下を見回すガブリエラ。
すっかり水位の下がった池の中、呆然と『片腕だけ生えた水の巨人』を見上げて立ち尽くす硝子がすぐに目に入った。

「うふふ~♪見つけたですよ~~~~。フェイちゃん!もういっぱついくよ!ぐぬぬぬぬぅぅぅぅ~~!」

ポタポタと鼻血を垂らしながら、またガブリエラが『力』を込める。


巨大な右腕を振り上げながら、地鳴りの様な音をさせながら『フェイセズ~』が硝子ににじり寄る。

巨大な水の塊が蠢く。表面各所に浮かび上がる不気味な顔は、低い呻き声をあげている。
池に飛び込む時メガネを外した為良く見えないが、塊の上の方に人影があるのが見える。

(あれが……あの子……?……これは、あの子のスタンド……?)

呆気に取られていた硝子は、頭上に出来た影に我に帰る。

(ハッ!……いけない!)


「やっちゃええええええー!」

ガブリエラの号令一下、腕が硝子目掛けて振り下ろされる。


(あ、危ないっ!)

躱そうとするも半身は水の中である。簡単に飛びのく訳にもいかない。
凄まじい水音をさせて、『フェイセズ~』の拳が水面に叩きつけられた。


「きゃあああっ!」

直撃はなんとか交わしたが、すぐ近くで発生した衝撃波、そして巨大な波をもろに浴び、硝子の華奢な体が吹き飛ばされる。
片腕の硝子には上手く受け身が取れない。更に水深の浅い場所に飛ばされ、したたかに尻餅をついた。

「痛っ……!」

右腕で素早く体を起こし、『フェイセズ~』から少しでも離れようとする。
そんな硝子に、遥か頭上からガブリエラが自分に向けて叫ぶ声が聞こえた。



「うっふっふーーー!おねえちゃん!『たおしたら勝ち』ですよーーーーー!」

(やっぱり……あの中にいるのはあの子か……)


顔を確認しようと、胸ポケットにしまったメガネを取り出し顔に掛ける。
矯正された視力で見てみれば、やはり『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』から自分を見下ろすのはガブリエラだった。


(……あ!……メガネ…………)

メガネを掛けた硝子は、ハッ!、っと何かに気づき、そしてゆっくりと後ろを振り向く。
すっかり上り、初夏の日差しと呼ぶに相応しい輝きを見せ始めた太陽。

(……そっか……メガネで……出来るかな?……ぶっつけで……)


硝子の逡巡を破るように、上からガブリエラが叫ぶ。

「うふふ~♪『たおしたら勝ち』なので、おねえちゃんをたおしますよーーー!うっふっふ~♪」

ガブリエラがその言葉を言い終わらないうちに、硝子はくるりと背を向け、岸へ向け走りだす。


「あ!まてー!にげるなー!フェイちゃん!………ぬぬぬぬぬぬぬぬ!」

逃げる硝子を追いかけようと、己のスタンドを動かすため『力』を込めるガブリエラ。
再びポタポタッっと鼻血が迸るが、気にする様子はない。

ゆっくりと巨大な水の塊が、ガブリエラの意思によって動き始めた。

バシャバシャと水を跳ね上げながら、必死で走る硝子。
後ろからは巨大なガブリエラの操縦する巨大な水の塊『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』が迫る。

「まてー!まてー!」

流れる鼻血を気にすることもなく、ガブリエラは笑いながら『力』振り絞り硝子を追跡する。



「はぁ……はぁっ……」

もう太陽は完全に昇り、強烈な朝の日差しを園内、そして硝子に浴びせている。
思えば、仮眠のためにベッドに入ったものの、少しも寝られなかった。
硝子にとっては徹夜で戦ってるようなものだ。

『自分は体が弱い』 ― これまでの人生、ずっとそう思っていたのだが。

(……これだけでも……私、随分『強く』なったよね……ふふっ)

危機的状況にも関わらず、心のなかでつい苦笑してしまう。

とは言え、体中打ち身だらけ、普段の硝子の生活なら数年分ともいえる運動量を一晩でこなし、とっくに限界を超えている。
もし気を抜けば、たちまち気を失って倒れてしまうかもしれない状況。

(これが……私の最後の『手段』)

立ち止まり、そしてガブリエラと『フェイセズ~』へと向き直り、ピッと伸ばした隻腕をガブリエラに向け、指を広げて掌を見せる。


「寿さん……これが私の最後の『手段』……」

呟くように硝子が言う。
距離のあるガブリエラにその声は届かない。

「ぐぬううううう……あ!」

それでも、逃げていた硝子が突然立ち止まった事に気づく。

ガブリエラも先程から鼻血を垂れ流すほどスタンドパワーを振り絞っているのだ。
疲労がない訳がないが……それでも彼女は嬉しそうに笑っている。

「ふう……ふう……フェイちゃん!もうひとがんばり!いくよお!うぐぐぐぐぐぐぐ」

『OHHHHォォォォゥOOOォOOOHHホォHHHH……』
一斉『フェイセズ~』表面に浮かぶ顔達がに低い唸り声を上げる。


「せーの!んぐぐぐぐぐぐぐ!……ん?」

『フェイセズ~』の『右腕』をまたゆっくり振り上げながら、ガブリエラは気づく。


遥か下。
自分に向けて隻腕を突き出した硝子の周りにキラキラと光るものが無数に浮遊していることを。

「あー!ずるい!またきれいなスタンド!……いいなぁ……あ!でもっ!『たおしたら勝ち』っ!」


更に『力』を込めるガブリエラ。プシュッ!と鼻血が吹き出す。
巨大な水の『腕』は垂直近くまで持ち上がった。



(『クリスタル・ピース』……最後の攻撃……)

煌めく破片が寄り集まっていく。
伸ばした隻腕の上に細長いロッド状の物体を形成。
その端は『フェイセズ~』上で『力』を込めるガブリエラに向いていた。

続いて、他の破片は後方に展開しつつ形を作っていく。

中心に直径数メートルの円盤状の物体が出来る。その周囲にも無数の小さな円盤。
そして立方体 ― これはプリズムだ。
そして大小の円盤はレンズ。

ロッドの後端には集光のためのプリズムとレンズ、そしてロッド内にも集光点距離を調整するためのいくつかのレンズ。

「太陽の光をかき集めて……狙撃する!」


「ん~?……なぁにあれ……」

ガブリエラは硝子のスタンドが何か(何かは解らないが)の形に集まっていることに気づいた


「んー……せっかくキラキラできれいなスタンドなのに……」

『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』の腕を振り上げたまま、ちょっと考える。

「わたしがだったら、もっとかわいい形にするのになー……ミギ―マウスとかー……えへへ」



硝子の顔に『ゴーグル』が掛けられる。『クリスタル~』の照準器だ。。
背後のレンズやプリズムが、ロッドの後端に光を集めるべく慎重に動き始める。
『フェイセズ~』は水で出来ている。その屈折も計算にいれなければいけない。

『ゴーグル』越しに見える『フェイセズ』内部の人影に向け、ロッドの先端をピタリと合わせる。

これだけの規模の集光・収束装置である。
焦点……集光点の温度は3000k ― 鉄が『溶ける』どころか『沸騰』し気体になる温度 ― を超えるはずだ。

『ゴーグル』の曲面を調整する。視野の中のガブリエラが大きくなる。
ついにはその表情が解るまでに拡大された。鼻血を流しながら上の空で何か考え事をしている。
中心にガブリエラの眉間を捉える。


(……勝ったッ!……)

このまま完全に太陽光をロッドに集中させ、ロッド内のレンズを微かに動かし、焦点距離をガブリエラに合わせ照射する ―
それだけで照射された部分は瞬時に『蒸発』するはずだ。

(これで……私の勝ち……)

ガブリエラの眉間を見据えながら、硝子は自分の勝利を確信する。
口角を上げ、勝利の笑みを作ろとする。


作れない。

意思とは裏腹に下唇は勝手に『への字』を作り、ヒクヒクと痙攣する。

1回戦の結末。血の匂い。
2回戦の結末。血の匂い。

(……でもっ……これで終わるんだよ!私の勝ちなんだよ!)


【……強くなりたい……】 ― 招待状を受け取った日、強く強く願ったこと。

【『戦い』とは、そういうものだと『割り切れ』】 - 2回戦の相手に言われたこと。

(『そういうもの』なの?……『強くなる』って、こういうことなの?)


不意に視界の中のガブリエラの顔が動いた。


「あ、キラキラで作るなら、チンカーベルとかもいいなー……ぜったいかわいいよーうふふ……あ!」
「……ん?……なんだっけ……あ!」

『キラキラのスタンド』でどんな形を作ったら『かわいいか』を考えていたガブリエラは、急に我に帰る。

「……『しあい』のとちゅうでしたぁ……えへへ……えーと」


キョロりと下を見回し、変形させたスタンドと片腕を自分に向けたまま固まっている硝子に気づく。

「あー!いたー!おねえちゃん!」

弾けるような笑顔。鼻血を垂れ流し続けてはいるが。


「うふふーたおしますよー!フェイちゃん!いくよぉーーーーー!」


『OHOOOォォォォォォォHHHHォォォォォゥゥゥゥゥ……』
『フェイセズ~』表面に浮かぶ顔達が一斉に硝子を睨む。
そして再び巨大な水の塊は動き始めた。



(!……)

動き始めた『フェイセズ~』にビクッっとする。

(くっ!……)

【強くなりたい】

再び照準をガブリエラの眉間に合わせる。
金髪の少女が笑顔が見える。

【割り切れ】

大きく息を吸う。

【割り切れ】

失ったはずの左腕がズキリと痛む。

【割り切れ】

ロッド後端に光が集る。


(……………違う………こんなの)

『ゴーグル』の中で目を伏せる。


そして『フェイセズ~』の腕が硝子の頭上に迫る。


ガブリエラの顔から『ゴーグル』の照準を外す。

(……違う……けど……まだ出来る事が必ず……私は諦めない!)


しっかりと『フェイセズ~』を見据える。
池の水を吸い尽くし、固まった水の塊。
今にも自分にその巨大な右腕を叩きつけようとしている。

(あ……あれは……私の『腕』……?)


池に落ちた時外れて、流れていった硝子の義手が、水と共に吸い上げられたのだろう。
それが『フェイセズ~』の『腕』の付け根あたりに漂っているのが見えた。


(!!っ!これっ!)

閃き。

グウウウウっと『フェイセズ~』の『腕』が硝子の上に影を作る。
慌ててその義手に照準を合わせる。


偶然には違いない。
まるで硝子の思いを誰かが後押ししてくれたかのような偶然。



「ふううううぅぅぅぅ……そりゃあーー!」

ガブリエラが笑顔で叫ぶ。
鼻血がドプっと迸る。

硝子の姿を真下に捉えた『フェイセズ~』がグワンと振りかぶられる。


(集光よし、収束よし、距離よし、射角よし……)
(よし!……撃てッ!)

プリズムが一斉に煌めく。レンズが輝く。
ロッドの中のレンズがギュッと固定される。

白い光線が一条、レーザーの様に『フェイセズ~』の中を漂う義手に向けて照射された。


金属製の義手は『クリスタル~』で極限まで収束された太陽光によって、たちまち数千度に達する。
当然のようにその周囲の水がぶくぶくと泡立つがが、強い圧力で固められた『フェイセズ~』の中である。
白熱する義手を包むように、最初、わずかに気化した部分のみが固定された小さな『水蒸気の泡』となる。

加熱蒸気 ― 高圧の中では水の沸点は上昇する。

周囲の水はぐんぐんと温度を上げながらも、まだ気化しない。


(間に合え……っ!)

そして『フェイセズ~』の腕が振り下ろされる ―


その動きは『フェイセズ~』内部の圧力にムラを作り出した。

刹那。


義手周囲の『水蒸気の泡』が弾ける!

その超高温の蒸気は膨張しながら瞬時に一帯の水温を上げる!
元から高温だった周囲の水はさらに膨張しながら、さらに周辺の水の温度を上げる!


その連鎖がコンマ数秒の間に発生した結果、もたらされたものは





水蒸気爆発





「……りゃあああ……ん?」

腕を硝子目掛けて振り下ろしたはずが、スタンドの感触に違和感を感じるガブリエラ。

「んん?」


その瞬間だった。


ゴバァ!と音がして『フェイセズ~』の腕の付け根が膨らむ。

「ん……?」

と、膨らんだ場所に目をやろうとした瞬間。
膨張する水蒸気の力が、水を抑えこむ『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』の圧力を凌駕した。


ド ン !

「わああああああああああああああああああああああ!!!」

スタンド ― いや、巨大な圧力で抑えこまれていた水 ― 『フェイセズ~』を形成する要素である ― が爆発する!
そしてガブリエラの全身に強烈なショックが走り……気を失う。

爆散、そしてガブリエラの気絶により、縫合を失った大量の水が空中で弾けた。


(やった!……って……)

「あ……きゃああっ!」

硝子の上で弾けた『フェイセズ~』の腕。
つまり、頭の上にドーム球場をひっくり返したかのような水がぶちまけられたのである。


「『クリスタル・ピース』!!!」

瞬間『クリスタル~』は姿を変え、硝子を守るようにテント状に展開する。
一瞬遅れて、ドバっと水が降ってきた。




あたり一面を水浸しにしながら、全ての水が地面に落ちた。
池はみるみる水位を戻していく。


『クリスタル~』のテントを散開させ、池の方を眺める硝子。

(あ……)


さっきまで『フェイセズ~』の塊があった池の上空には、虹が掛かっている。

夢の国に一瞬現れた、夢の様な光景 ―



(………………あ!あの子は!?)

不意にガブリエラのことを思い出す。
池の水面を目で探ると、気を失ったガブリエラがぷかりと浮かんでいた。


ゆっくりと意識が戻る。なんだかちょっと体がだるい。

(……ん……んー?)

誰かが自分の近くにいる。
会話する声が聞こえてくる。


「フム……スタンドが破裂しても、不定形ゆえ肉体的損傷は特になし、か……止めを刺さんのか?」

「……少し待ってください」

(あれー?わたし、また寝ちゃってたのかなー……えーと……なんだっけ?)


薄目を開ける。

どうやら自分は、ベンチか何かの上に寝かされているようだ。
近くに人が2人、立っているのを感じる。

(えーと……あれ?『しあい』は―……なにしてたんだっけ?)
(あ、おねえちゃんをー……フェイちゃんでたおそうとしてー……)
(あれー?なんでわたし、こんなところで寝てるのー?)

もうちょっと目を開けてみる。

「あ……!」

自分の顔を覗きこんでいた硝子と目が合ってしまった。
思わずまた目をつぶる。

(そーだ!なんかフェイちゃんが、ばーーーんてなって、またお池に落ちてー……『しあい』中でした!)

「……寿さん、気がついた?」

硝子が声を掛ける。

(わああ……どうしよう『たおしたら勝ち』!……だけど、どうしよう……)

とりあえず、バレバレの寝たふりを続けるガブリエラ。

(うー……あ、そういえばフェイちゃんは……?)


いる。気配がある。
かなり傷つき、萎びている感触だが、まだ使える……。

(うー……ちっちゃくなっちゃったよう……たおせるかなあ)


「……寿さん、気がついたみたいだからそのまま聞いて」

硝子が静かに語りかける。


(ううう……たすけてフェイちゃん……)


「……この『試合』私の勝ち、で……いいよね?『降参』して」

(ちがうよー!『たおしたら勝ち』だもん!……フェイちゃん!)


寝たふり(一応)をしながら、なんとかスタンドを動かそうとする。
ゆっくりと硝子の元に忍び寄る、ボロボロの『フェイセズ~』。

――――――――――

(……!)

2人を少し離れて見守っていた実は、それに気づく。

(ヌウ!彼奴め……まだスタンドをッ!!……あの娘、気づいておるのか?)

ガブリエラの側に立つ硝子に目を向ける。

――――――――――

「『降参』して。これは『お願い』じゃないよ。あなたへの『脅迫』」

(ん?……んー……わからない……からー、フェイちゃんをそーっと……)
(そーーーっと、そーーーーーーーっと……)

目を閉じたまま、感触でゆっくりと『フェイセズ』を硝子の近くに展開させていく。


(よーし、フェイちゃんがんばれー!そりゃ!)

膨張するガブリエラのスタンドは、一気に硝子の周囲に立ち込めた。
先程までと比べれば、だいぶ情けない感じではあるが……



「!……スタンドをしまいなさい。3秒だけあげる。『降参』して」

『フェイセズ~』の発現に気づいた硝子が調子を強める。


(むー!なんでー?!『たおしたら勝ち』なんだよー!すぐフェイちゃんが……)

パチリ、と目を開いて硝子の方をみるガブリエラ。


と、目の前に浮いているのは『クリスタル・ピース』の一部だと思われる、小さな水晶のナイフ。


「わああ!ふぇ、フェイちゃん!」

『フェイセズ~』が力を振り絞って『吸収』を開始する!
池の中で戦い、ずぶ濡れだった硝子の服がみるみる乾いていく。


「あなたのスタンドが、私を干からびさせるまで何秒かかるのか知らないけど」

硝子の声に動揺はない。

「3秒よ。私が3つ数え終わった瞬間、そのスタンドが出てたら、このままあなたの頭に『ナイフ』を突き立てる」
「それでもあなたのスタンドが止まらないというなら私も諦める」
「いい?もう言わない。『降参』して……いくよ……『3』」

「ん?ん?」

硝子が何を言ってるのか、よく分からない。
ただ、『凄み』 ― のようなもの。
自分が何かとてつもないピンチの中にいる、という直感だけはある。

「……『2』」

(わわわわわわわわわわわ……)


「……『1』」

(わあああああああああ!)

「……『ゼロ』」

瞬間、『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』は掻き消えた。



「……さあ、寿さん。『降参』を」

(うー、うーーー、うーーーーー、うーーーーーーー!)


ドサッ!

身を捩ると、ベンチから地面にうつ伏せで落ちるガブリエラ。
そのまま地面に突っ伏している。


「…………寿さん?」

倒れるガブリエラに掛けられる硝子の声。


「ううううううううううううううううう」

うつ伏せたまま、急に手足をバタバタさせはじめるガブリエラ。
まるで駄々をこねる子供のようだ。

いや……駄々をこねる子供そのままか。


突然、ガバっと体を起こす。

唇はギュっと結ばれ、プーっと膨らんだほっぺたは真っ赤になっている。
ベンチから落ちた時に擦り剥いたのだろう。おでこと鼻の頭には血が滲んでいるる。
手には地面にあった砂が握りしめられ、目には涙をためている。


「……寿さん、『降参』でいいわね?」

表情を変えずに硝子が静かに言う。


「ううううううううううううう!」

突然、握った砂を硝子に向けてバッと投げつけるガブリエラ。
そして、ぴょん!と後ろに飛び退いて叫ぶ。

「おねえちゃんきらい!やさしくないから!」

ほっぺただけじゃない。もう顔中真っ赤である。
そして、また数歩飛びのき、

「わたし、こんなのもーやめる!フェイちゃん!」

『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』が集まり、弱々しい『雲』を作る。

飛び乗ろうとしたガブリエラ……だが、もはや人が乗れるような『雲』を生成する力は無かった。


「痛っ!」

『雲』をすり抜けて、地面にビタン!と転ぶ。


「ううううううううううううう!」

半べそ。


「みんなきらい!うわああああああああああーーーーーん!!!!」



脱兎のごとく、駆け出すガブリエラ。
その後ろを、のろのろと『フェイセズ~』が追いかけていく。




(…………寿さん……)

呆然とその後姿を見送る硝子。
やがてガブリエラの小さな背中は見えなくなった。


(……寿さん、ごめんね……これで……良かったのかな……)

ぼーっとそんなことを考えていた硝子に、背後から声が掛かる。


「ンッンー……これで良いのではないかな?」

実である。


「『もうやめる』、あの小娘はそう言ったではないか」

「え?……あ、五百旗頭さん……」

ぼんやりとしたまま、実に気づく硝子。


「加えて、会場からの離脱ッ!『敵前逃亡』すなわち『試合放棄』と見做す!以上を鑑みッッッッ!」

フンッ!っと大きく頷いて、実が叫ぶ。

「ここに!立会人の名に於いてェェェッ!今大戦の『決着』を宣言するゥゥゥゥゥゥゥゥ!」
「今トーナメント決勝!貴様の勝利であるッ!万歳!万歳!万歳ィィィィィィィ!」

大げさな、そして奇妙な万歳三唱。


(あ……そっか……『試合』してたんだ……勝ったんだ、私……)

急に体から力が抜ける。
へたり。

そのまま崩れ落ちるように尻餅をついてしまった。


「ヌッ!どうしたッ!?」

「あ、いえ……なんかホッとしちゃって……あはは」

「フム……まあ、これだけ長時間の戦い。ご苦労であった。ゆるりと休むが良い……」


どっか、とさっきまでガブリエラが寝かされていたベンチに腰をおとした実が硝子を労う。


「なんとか無事に終わる事が出来、我輩も胸を撫で下ろしておる……フム……一つ聞いても良いか?」


穏やかな調子(あくまで彼にしては、だが)で硝子に問う実。

「え?……あ、はい……なんでしょうか?」

「先程、貴様……いや、お主は……自分のスタンドで集光兵器を作ったな?」

「……はい」

「随分手間取っていたように見えたが、直接あの小娘を狙うことは出来なかったのか?」

「え……?」

「いやなに、あれだけの出力よ。直接あの小娘を射抜けば、そこでお主の完全勝利であったろう」

「あ……」

「お主らの戦いは出鱈目過ぎて、我輩には理解出来ん部分も多かったが……クク……そこは気になったのでな」

「……出来たと思います。直接寿さんに当てることも」

「ほう……では、ここまで来て臆したか?フン……我輩には対しては、遠慮なく胴を貫いて」

「ち、違います!……あ、いえ……なんか『違う』って思ったんです」

「『違う』?」


硝子自身も、その時の自分の思いが、綺麗に整理されたものではないことは解ってる。
それを慎重に解きほぐしながら、言葉に変えようとする。

「……2回戦……五百旗頭さんの後に戦った人に言われました」
「『戦い』とは、そういうものだと『割り切れ』……って……相手を殺すことも、自分が殺される事も」

「フム……至極正論であるな」

「でも、ここまできて、こんなこと言うの卑怯かもしれませんけど」

ぎゅっと唇を結び、そして、開く。

「私は……『戦う』ためにこのトーナメントに参加した訳じゃありません……『強くなりたい』って思ったからです」

「フム……『戦って勝利する』だけが『強さ』ではない、と。なるほど、それは武士道よな。殊勝な事よ」

「え、えと!……あ、あの!難しいことはよく分からないですけど!」

硝子の声が上擦る。


「私には……それを『割り切る』ってのが、どうしても『強さ』の反対に思えたんです」


「あ、あの!自分でも何を言ってるのか、言いたいのか、よく解らないんですけど」
「『割り切る』って、スルーするっていうか、逃げるっていうか、無視するっていうか、その……」

硝子の顔は真っ赤である。

「私は、自分の気持ちや痛みや、相手……いや、他人の思いや痛みも、ちゃんと向きあえたり考えたり出来る人になれたら、って」
「ずっと、逃げてたから……自分の感情からも、他人の感情からも……ちょっと突きつけられると、すぐ倒れたりしてて」

ハッ!

「……って、何言ってるんですかね、私!……あはっ、と、ともかくですね!」
「私は『立ち向かう』んです!……出来るだけ、ですけど……ってごめんなさい!意味不明で!」


「……ほう」

正直、実には硝子が何を言いたいのか今ひとつピンとこない。

ただ、彼女が自分の歩むべき『道』を見つけたことは解る。
その道の先にあるものが、彼女の求める『強さ』なのだろう、ということも。

(フーム……よく解らぬ……が)

「……今はそれで良いのではないか。答があるものでもなかろう……」
「しかしッ!お主は今大戦の優勝者であるッ!その誇りを忘れて貰っては、立会人たる我輩の面目がたたん」
「それだけは忘れてくれるなよ」

「あ……はいッ!……って、偉そうなこと……いえ、訳わかんないこと言っちゃいましたけど……」

眉を八の字にし、困ったような笑顔。


「さっきの五百旗頭さんの『決着』って言葉を聞いて最初に思ったのは……あ、これで左腕を治して貰える……って」

ちらりと、肘から先を失った左手を見る。

「あはは……口ばっかりですね、わたし……自分の『傷』なのに早速逃げようとしてるのかな、とか……あは」
「で、でも、ちゃんと建前が持てるようになっただけでも進歩なんです!……わたしにとっては」


「おおッ!そのことだがな」

何かを思い出したかのように、実が表情を変える。
そして、ニヤリ、と硝子の目を見る。

「運営に元通りの腕を付けさせるのも良いかもしれんが、一つこの五百旗頭の提案を聞いてみんか?」

「……提案……?って……?」

「フム……実は、こんなものがあってなぁァァァ!」


どすん!

どこから取り出したのか、重そうなアタッシュケース。

「ククク……まずはこれを御覧じろ」


パチンパチンと鍵を外し、蓋を開けると……ブシュ!っとモヤのような物が溢れ出た。


中には ―

実の腕と似たような、ただ、ちょっとデザインの違う機械の『左腕』。


「この腕は、我輩が予備の腕として持ち歩いていたものよ。自衛隊からぶん取っ……いや、受け取ったものだがな」

「……はあ……」

「ムッ!予備というと、余り物を押し付けるように聞こえるかもしれんが、そうではないッ!」
「『この槍、使い難し』……凄まじい切れ味でな、流石の我も使いあぐねる代物ではあるが、優勝者たるお主なら使いこなせよう」

「……はい?」


『腕』を取り出し、硝子にビシィ!と突きつけながら

「これは試製・義手型荷電粒子砲であるゥゥゥゥゥゥ!!!!」

「…………?」

「世界一たる我が国の科学技術により小型化に成功した、神の雷鎚よッッッ!」
「アラキニウムイオンを内蔵の加速器によって光速近くまで加速ッッッッ!!!掌の射出孔から撃ちだすゥゥゥゥゥ!」
「その威力たるやッ!かの戦艦大和をも一撃で沈める代物であるッッッ!!!!」

「……はぁ……」

「どうだッ!『強さ』を求めるお主にはうってつけであろうッ!この五百旗頭からの戦勝祝いであるッ!受け取れェェェェ!」

「は、はい?……いえ、結構です……」

「フムッ!遠慮!謙遜!我が国の美徳であるッ!大いに結構!しかし戦友たる我を相手には無用ゥゥゥッッッ!」

「…………あ、あの、本当に……遠慮でも謙遜でもなく……ごめんなさい」

「遠慮は要らんと言うておろう!……………………いらんのか?……本当に?戦艦大和も一撃ぞ……」

「は、はい……、いらないです…」

「ッッッしかしだな!斯様な『名刀』これを逃せば二度と!」


なんとも言えない顔で、しかしキッパリと硝子が答える。

「……そういうのいらないですから」

「」

★★★ 勝者 ★★★

No.6130
【スタンド名】
クリスタル・ピース
【本体】
新房 硝子(シンボウ ショウコ)

【能力】
微細なガラスを操作する








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最終更新:2022年04月16日 22:25