押しかけ委員長! Part6

 階段の板を規則正しく踏む音が聞こえてきたと思ったら、すぐに足音の主は現れた。
「おはよう」
「……おはよう。あなた、昨日勉強が終わってすぐに寝たの?」
「うん。すぐに寝たよ。もう眠かったから」
「ということは私と同じくらいに寝たってことよね……」
寝ぼけ眼を擦りながら委員長は言葉を漏らす。
「私にはもう朝ご飯が出来てる気がするのだけど」
「できてるよ?」
「…………」
不満そうというか、不思議そうというか、委員長はいつもよりも目を幾分か細めて僕とテーブルの上の朝食を交互に見た。
「あ、もしかして朝はパンの方が良かった?」
「別に。家ではご飯だったから」
「そっか。それならほらほら、早く座って」
僕は委員長に昨日と同じ、向かい側に座って貰うように言う。まだ小さな欠伸が止まらず、だけどさすがに既に制服に着替えている委員長は操り人形がごとくやおら頷き、椅子に座った。
「いただきます」
「……いただきます」
どうやら委員長は朝が弱いようで、夢にまた片足を突っ込んだままみたい。その瞳もどこか焦点が合わないような様子でいつもよりも随分柔らかな印象を受ける、なんて言ったら怒られるかな。「普段は嵐か何かみたいじゃない」とか。
「……まさか朝起きたら包丁の音が聞こえるなんて生活が体験できるとは思ってもみなかったわ」
「あれ、普段は委員長って朝ご飯どうしてるの?」
「私が全部作ってるわ。母は朝が弱いし、父と妹はからっきし家事は駄目だから」
「そうなんだ。……あれ? それじゃあ今、委員長の家は誰が料理してるの?」
「知らないわね。多分それぞれ勝手に食べてるんじゃないかしら」
「……いいのかな」
「構わないわよ。うちのことは気にしないで」
なんだか素っ気無いけれども、味噌汁の椀を傾けてほうっと溜め息を吐いている委員長はなんだか本当にいつもの委員長とは全く雰囲気が違う。何か 別の人に乗り移られたんじゃないかっていうくらいに。どっちの方がいいかと言うと……どっちも委員長なのには変わりないから別にどちらとも言えないかな。
焼き鮭を突付いていると、夢遊病にでも掛かったかのようにふらふらと立ち上がって台所へ向かう委員長。
「どうしたの?」
「飲み物が欲しいわ」
「麦茶でもいい?」
「ええ」
「じゃあ座ってて。持ってくるから」
委員長は素直に頷いて再び椅子に座った。好きなように家のものを使っても構わないんだけど、今の委員長の状態はぼんやりしすぎていてちょっと危ないから、もしかすると間違えて醤油を持ってきたりしそうだ。
僕が冷蔵庫を開けて麦茶を作ったボトルを取り出した直後に、突然椅子をひっくり返しそうにしながら委員長が立ち上がった。なんか昨日もそんなことあったような。
「し、7時40分!?」
「え?」
「もう出ないと間に合わないわ!」
さっきまで夢と現実のどちらもの住人だったとは思えない勢いでリビングを出ようとする委員長に、僕は思わず麦茶の入ったお茶のケースを持ったまま目を点にして委員長を見ていたけど、
「待って!」
なんとか我に返った僕は慌てて引き止める。
「何?」
「委員長ってバス通学だったよね」
「そうだけど」
部屋の扉を掴んだまま、眉を1センチほど吊り上げて「早くして」との意思表示。その委員長を落ち着けるためにゆっくりと喋る。
「委員長の家からだともう出なきゃいけないかもしれないけど、ここは僕の家だよ」
「………………あ」
十分長い空白の後、呆気にとられた声で委員長が呟く。
「……不覚だったわ」
もう見慣れた溜め息を吐く姿を見せてから、ゆるゆると歩いて席に座りなおす委員長。なんというか、昨日から普段見れない委員長の姿が見れて面白いかな。お母さんや叔父さんには感謝しないといけないのかも。もちろん口が裂けてもそんなこと言えないけど。
「うちからだと徒歩でも10分も掛からないから、いつも8時30分くらいに出ると丁度いいくらいなんだ」
「確かに学校から近かったわね。徒歩で10分足らず、便利だわ」
「うん」
さっきまでの儚げな雰囲気とは打って変わって、完全に目を覚ましたもののどっと疲れた様子の委員長は僕が持ってきた麦茶を一気に飲み干した。
「ふう。朝からこんなにバタバタしたのも久しぶり」
「そうなんだ」
委員長の朝の様子って……なんか想像つかないな。両親も凄く真面目な人で委員長とさっき妹さんが居るって言ってたから4人とも無言で朝ご飯を食 べないと怒られそうな気がする。そうすると確かにこんなにバタバタすることなんて無さそう。学校でも全くそんな姿見たことが無いし。
朝ご飯を再開してすぐに委員長がお味噌汁をじっと見つめた。
「お味噌汁、赤なのね」
「白か合わせの方が良かった?」
「ううん、そうじゃなくて。うちは誰も味噌とか気にしないから、そのときそのときに安いもので済ませちゃうの。たまたま味噌が切れたときに白とか合わせが安くなってたから、このところ赤は全然飲んでなかったの」
「うちのお母さんは赤じゃなきゃ味噌汁じゃない! って言うからいつも赤なんだ。白はちょっと甘口だから好きじゃないんだって」
「分からないでもないけど、少し言い過ぎかしらね」
「うん、僕もそう思う」
こんな会話をしながら食事をするのも久しぶりな気がする。と言ってもまだ2週間くらいのはずだけど。お母さんは朝からでも良く喋ったから、ちょっとだけでも長く感じるのかもしれない。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした。食器はシンクの中に置いといてくれれば僕が洗うから」
「分かったわ」
委員長は割と遅めの僕よりもさらに遅いペースで食べていたから、時計を見ると8時をほんの少しだけ越した時間になっていた。
「私はそろそろ行くわね」
「早いね」
「この時間ならまだ学校の生徒の登校時間ではないから。人が増えれば増えるほど、見つかる可能性が高くなるし」
「あ、そういえばそうだね」
「……あなたは気楽でいいわね」
委員長、今日既に2回目の溜め息。
とんとんと規則正しい階段を上る音とすぐに取って返すように同じリズムで下りてくる音。多分鞄を取りに行ったんだと思う。
食器を洗おうと台所へ向かうと、足音はそのまま玄関の方へ向かったから、僕は慌てて玄関まで行く。
靴の爪先で玄関を打ちながら委員長が振り返って僕を見た。
「何? あなたも行くの?」
「ううん、そうじゃなくて」
委員長の家がどうかは知らないけど、うちは必ずお母さんがこうしていた。だから僕もしておこうと思う。
「いってらっしゃい」
呆けたような表情でしばらく僕を見ていた委員長は、いつもの溜め息とは違って、笑ったように息を吐いてから、
「いってきます」
扉を開けて出ていった。

最終更新:2011年03月01日 21:24