「啓示」



 それは『地球』が破壊された瞬間にあったものであった。
 振り下ろされる鉄槌。眼下にある青色の星が無惨にもひび割れ、砕ける。
 まるで現実味のない光景の中で、私は……私達は聞いた。




 ―――この者を止めろ―――




 ―――この者を殺せ――――




 二つの声を、聞いたのだ。






 伊藤開司は焦燥の中に立っていた。
 理解不能だ。何もかもが理解の外にある。
 『沼』を攻略し、自由を手に入れた矢先にあった謎の事象。
 宇宙空間に謎の男、破壊される地球に殺し合い。
 空を見ればあの巨大鉄槌が彼方で鎮座している。
 何度目を擦っても、それは悠然としてそこに存在しているのだ。
 ありえない。
 そんな事は物語の中だけのものだ。
 だが、そこに在るのだ。それはれっきとして。

「なんなんだ……なんなんだよ、一体っ……!」

 噛み締めた歯の間から洩れたのは、憤りと戸惑いに満ちた声。
 矢先だ。
 あのどうしようもない借金地獄から解放され、ようやく未来を己が手中にとった矢先なのだ。
 こんな訳の分からないゲームが待っていた。
 もう沢山だ。ゲームなど、命を何とも思っていない狂気など、もうこりごりなのに、

「なのに、なんでっ……! なんで、こうなる……!」

 手で顔を覆い、カイジは俯く。
 みっともないと思いながらも、涙が流れるのを我慢できない。
 己の因果、運命に感情が迸る。

「なんでなんだ、畜生っ……!」

 遂にはその場にへたり込み、嗚咽を零して肩を揺らす。
 涙は止まらない。
 分かっている。やらねばならないのだと。
 先程の出来事は夢なんかではない。
 命懸けのゲームがこの場では既に進んでいる。
 アニムスと名乗った男の瞳は、狂っていた。
 カイジが対峙した事のある兵頭和尊。
 あの人を人と思わない悪鬼の瞳と同種のそれだ。
 だが、カイジの脳裏にあるアニムスの瞳は、信じられない事に兵頭のそれをも遥かに上回る程の狂気に染まっている。
 人の死ですら愉悦を満たせない、まるで虫けらを見るかのような瞳。
 あの瞳をするものが、本当に五体満足で人々を解放するとは到底思えない。
 真実を、そのままにして語ったのだろう。
 自分を愉しませて欲しいと。
 本能と狂気を剥き出しにして殺し合う姿を見せることで、この渇きを埋めて欲しいと。

(狂ってやがる……これを狂っていると言わずに何と言うっ……!)

 ボロボロと泣き崩れてどれほどの時間が経過しただろうか。
 オーバーヒートした感情はようやく落ち着き、僅かながらに冷静な思考を取り戻す。
 再び見上げた空には、やはりあのハンマーが鎮座している。
 まるで夢の中の光景。
 だが、カイジを包む感覚群は余りにリアル。知覚の全ては正常に働いていて、夢のような澱みは欠片と存在しない。
 とはいえ、それでも尚に受け止めきれるものではない。
 コンピューターグラフィックスを何らかの映写装置でどのようにかすれば、こんな光景も創りだせるのではないか。
 先程の出来事も同様のCGや……他にも催眠術のようなオカルティックな何かが作用した可能性もある。
 そう、目の前で地球が破壊されるという光景と比較すれば、これらの例の方が遥かにマトモ……まだ現実味がある。
 全てが作り物であったとして、ならば、今この場は何なのか?
 何故、あのしけた繁華街から、右も左も分からぬこんな暗闇の森林にいる?
 頬を抓る。痛みはある。
 左手を見れば敗北の証たる傷痕も刻まれていて、ともすれば微細な疼痛を放っている。
 木々に触れれば固い質感のそれが神経を刺激する。
 湿り気のある地面も、肌寒くも暑くもない気温も感じられる。

(現実……今ここにある全ては、現実……ならば……)

 現状が夢でも幻でもないのだとすれば、拉致され見知らぬ土地で放置されているというは現実だということ。
 十分に異常事態。ならば、殺し合いとやらは……。

(現実……現実なのかっ……!)

 結局、思考はそこに行き着く。
 此処に辿り着くまでの道程が虚偽であったとしても、現在の状況まで否定する事はできないのだ。
 拉致され、放置されているこの現状は、否定できない。

(ふざけるなっ……ふざけるなよ、アニムスっ……人を、人間を、何だと思ってやがる……!)

 内から込み上げてくる熱いもので、再び視界が滲んでいく。
 考えれど、考えれど抜け出す事のできない迷宮に、感情の暴走は止まらない。
 理性では分かっている。行動を起こさねばいけないのだと。
 それでも人間とは簡単なものではない。
 受け止めきれぬ現実に直面した時、思考を止めて立ち尽くしてしまう。
 それは数多の賭博地獄を潜り抜けてきたカイジとて例外ではない。
 もし、この場において寸分の迷いなしに動く事のできるものがいれば、それは人間ではないと言っても良いだろう。

「くそっ……くそっ……くそっ……!」

 泣き声は止まらない。
 そして更に十分、二十分と時間が経過した。
 彼は気付けない。
 その十分、二十分が彼を窮地に追い込んだ事実を。
 彼は気付けないままに、全ては進行していく。
 既に伊藤カイジの命は彼の手中にはなく、他者のによって与奪の権利が握られる事となる。
 絶対的強者に、彼は見つかってしまったからだ。
 森林の中で泣き崩れるという赤子のように無防備な姿を、発見された。
 パラサイト。
 世界でミンチ事件と恐れられた怪事件の、その首謀たる種族が一員。
 中でも恐らくは最強とされる者にカイジは発見されてしまったのだ。
 それは普通の人間と同じ様に暗闇の中から現れた。
 スーツ姿を纏った男。表情は仮面のように無表情、殺し合いの場だというのに寸分の恐怖も存在しない。
 それは、カイジの姿を認めると同時に立ち止り、無言で視線を向け続ける。
 観察。
 まさにそうなのだろう。男は、蹲り泣きじゃくるカイジを見詰め続けた。
 男が動き出したのは数分後。
 何の前触れもなく男は歩みを再開し、カイジの側に立つ。
 それだけ接近されればさしものカイジも気が付かない訳がない。
 人の気配に顔を上げ、同時にカイジは驚愕する。
 直ぐ傍にて立つ見知らぬ男。
 見下ろしてくる、まるで感情を感じさせぬ表情。

「な、なんだっ、お前……」

 震える声を零しながら、わたわたと不器用に四肢を動かし、距離を取ろうとするカイジ。
 驚愕し、恐怖するカイジは気付かない。
 男の右腕、それがまるで刀剣のように形を変えている事に。
 その切っ先がカイジの胴体へと向けられている事実に。
 気付かない。
 数多の窮地を乗り越えてきたカイジであるが、彼の真骨頂はまだ発揮の切っ掛けすら掴んでいない。
 エンジンがまだ掛かってすらいない状態。
 そんな腑抜けた状況でカイジが気付ける訳がない。
 己を狙う死神の鎌に。

「人を見世物か何かのようにジロジロと見てるんじゃねぇっ……! 離れねえとぶん殴るぞっ……!」

 カイジの脅しも滑稽でしかなかった。
 凶器を向けられた人間の取る行動ではない。
 遜るか、反逆するか。
 そのどちらもに命懸けという言葉が掛からなければ意味がない。

 そして、至極あっさりと男の右腕が振るわれた。


「―――あ……?」


 カイジには呆然しかなかった。
 全てがカイジにとって知覚外のことだった。
 気付いた時には全てが終わっていた。



 カイジは―――男に引き上げられる形で、立ち上がっていた。


「お前は殺し合いに乗ってるのか?」


 右腕が動いたかと思えば、凄まじい力で胸倉を掴まれ立たされていた。

(な、なにが起きた……!? 何て力……何て早さ……コイツ、何ものっ……!?)

 反応も、抵抗もできなかった。
 一瞬で立たされ、その無感情な両目に射すくめられている。
 カイジ愕然……圧倒的愕然……!

「の、乗ってない……人殺しなんて俺はしない……です……!」

 知らず、変化する言葉じり。
 へりくだる……彼我の戦力差を理解すると同時に掌を返すカイジ。
 それは情けないとも映るが、殺し合いという現状を思慮すれば良手。

「そうか。なら、おれに協力しろ」

 開かれる男の右手。
 同時に重力に引かれて落下するカイジの身体。
 受け身も取れずにカイジ、尻から落下する。

「っっ~~~~~~~!!」

 臀部を襲う鈍痛に声に鳴らぬ悲鳴を上げる。
 涙が滲む瞼を開ければ、そこには既にカイジに背を向け、歩き去っていく男がいる。
 追いかけるか、否か。
 逡巡するカイジであったが、結局はその後を追った。
 あれだけの瞬発力を見せた相手だ。逃げたとしても直ぐに追い付かれるだろう。

(なら、今は従う……幸い、この男も殺し合いに乗ってる訳ではない……むしろこれは僥倖っ……!
 どこかおかしな男だが、強力……強力無比な仲間……! これは幸運だっ……!)

 あまりに唐突で社交性の欠片とない邂逅に面を喰らったものの、これは幸先の良いスタートと言えた。
 不意の遭遇であっても敵意を見せなかった事実、自ら背を向けた事実。
 あれだけの力があるのだ。殺し合いに乗っているなら有無を言わせずに襲撃すれば良いだけのこと。
 男が殺し合いに乗っていることは十中八九ありえない。
 ならば、ここは乗る。
 勝ち馬……ツキに乗るっ……!

「なぁ、あんた名前は……?」

 進み続ける背中へと飛ばした問い。
 一瞬、無視されるかとも思ったが、男は存外素直に返事をした。

「後藤だ」

 たった、それだけを、まるでどうでも良い事かのように吐き捨てた。

「後藤さんか……よろしくな、俺はカイジ……伊藤カイジだっ……!」

 そうして終わる短い会話。
 結局のところ、カイジは気付けないで終わったのだ。
 本当の僥倖は、彼が思考したものとはまるで違った箇所にあるということに。
 そして、それが彼の命を救うほどに強大な幸運であったことに。

 カイジが出会った男・『後藤』の正体はパラサイトである。
 人間社会に唐突に現れた人間に寄生し、人間を食する生物。
 どのように生まれたのか、何のために生まれたのか、そのどれもが不明。
 ただ一つ言うならば、『後藤』はパラサイトの中でも最強の存在であり、他のパラサイトよりも一層の『人間に対する殺意』を有している。
 『この種を食い殺せ』―――それが人の脳に寄生したパラサイトが最初に聞く言葉。
 記憶にすら残らぬ啓示だが、それは彼等の根幹をなす。
 中には共存とも云える道を行くものもいるが、それは例外中の例外。
 大抵は人間を食し、生存していく。
 『後藤』とは五匹のパラサイトが統合された肉体の『統率者』である。
 だからこそ、感情が寄り集まることで増幅し『殺意』が増大し、『戦い』を求める。
 本来の彼であれば、この場に於いても戦い、喰らい尽しただろう。
 カイジなど己が死んだ事にすら気づかずに、胃袋の中に納まっていたことだろう。
 だが、ここに僥倖があった。
 アニムスが見せたデモンストレーション。
 『地球』が破壊された瞬間、『後藤』は聞いた。




 ―――この者を止めろ―――




 ―――この者を殺せ――――




 二つの声を、聞いたのだ。



 この者とはアニムスのこと。
 アニムスを止め、殺害する。
 それは原初の啓示の如く、彼を根底に響き、浸透した。
 全ての優先順位が切り替わったのだ。
 『この種を食い殺せ』から『アニムスを止め、殺せ』に。
 まるで大いなる意志からの天啓であった。
 そうして、新たな使命を得た『後藤』は伊藤カイジと出会う。
 天啓は、やはり彼の記憶に留まることはない。
 だが、確実に変化をもたらし、それは『後藤』自身に戸惑いを覚えさせた。
 人間を目の当たりにしても殺意が湧かず、むしろ手を組もうという想いすら浮かぶ。
 あの広川と組んだ時は打算があったが、初対面かつ何ら変哲のない男と手を組む謂れなどない。
 『後藤』は己を確かめるように、臨戦態勢のままカイジに接近した。
 それでも、それでも尚、『殺意』はない。
 協力を求める。
 『後藤』自身きづいていたのだ。
 単体では、例え最強のパラサイトたる『後藤』であっても、『神』を名乗ったあの男に勝利することはない。
 つまり、協力せねばいけない。
 相手が人間であろうと、何の力も感じぬ凡人であろうと、少しでも蓄えねばならない。
 戦力を。アニムスを止める『力』を。




 パラサイトに舞い降りた啓示。
 カイジが得た真の僥倖とはまさにそれだ。
 バトルロワイアルの展開にすら影響を与えかねない程の僥倖。
 それを知らずに、彼は最強の味方を手に入れたのだ。
 踏んだり蹴ったりな人生を行く男のコロシアイは、最大の幸運とともに開始した。



【B-5森林・1日目 深夜】
【伊藤開司@賭博破戒録カイジ】
[状態]なし
[装備]なし
[道具]支給品一式 、ランダム支給品1~3
[思考・状況]
基本:殺し合いには乗らない
1:後藤と行動


【後藤@寄生獣】
[状態]なし
[装備]なし
[道具]支給品一式 、ランダム支給品1~3
[思考・状況]
基本:アニムスを殺す
1:協力者を獲得する
最終更新:2014年04月26日 23:18