元々元祖仮面党の結成は、アラヤで出会うまで皆は「不幸」ですから、
寂しい者同士、似た者同士で、自分の不幸せな部分を知り合ったからでした。

http://menta.orz.hm/up50m/download/1287951083.jpg
まず10年前の淳は、公式本の説明通り父母を憎みつつも渇望。
淳が一番欲しいのは仮面党との幸せな時間でもなくお姉さんでもない、両親の愛です。
だから「お姉さんがいればママいらない」ではなく「お姉さんがママだったら」と言った。
これは「ママがお姉ちゃんの様だったら」とも取れます。

http://menta.orz.hm/up50m/download/1287951013.jpg
達哉は主人公だから台詞ないけど、淳の「そう…キミも一人なんだ」から察すると、
この時の達哉も寂しい子(公式本によると、父親との仲がうまくいっていない)
栄吉は親父から暴力を振るわれる(別に不幸程ではありませんが、子供にとってトラウマレベル)
リサは髪や見た目が原因で虐められ、仮面無しだと他の子と遊ぼない
舞耶は父親がいない子
彼らは欠けていて補うために仮面党をつくって、擬似的な幸せを手に入れ
でもやっぱり、あくまで擬似的な幸せ、実生活の影響から逃げられない…特に淳と達哉。

http://menta.orz.hm/up50m/download/1287951155.jpg
淳は”ごっこ”であっても幸せな家庭というのが演じられない
幸せな家庭を再現出来ないというか、幸せな家庭は自分にはずっと訪れないと
無意識に刻まれている様に感じられて可哀相な印象。
だって子供は俳優ではありません、実生活の体験を再現しかできない。

栄吉の台詞通り「面を付けば俺は別人だった」、仮面党ごっこで得る幸せはお面を被った別人の幸せ
お面を外せば待っているのはいつもの辛い現実といつもの自分。
皆は友情として認識してますが、少なからず淳は友情より家族に貰う愛情に近い
そして達哉と淳は、本人たちも自覚している程の似たもの同士(達哉に台詞無いから淳はある意味達哉の代弁役)
そして一番仮面党が必要だったのは、他の誰でもない達哉。

お面を付けてのごっこ遊びでしか幸せを得られない皆は不幸な子供、
残酷ですが、出会う切っ掛けになったのはその不幸でした。

488
罪のラストで、フィレモンは
「その新たな世界を、君達が創るのだ。では、自分があるべき姿を、強く想い描きたまえ。」と言ってくれた
罪の皆にとっての幸せは、仮面党ごっこでのお面を被った時間であり、皆が紡いだ罰の世界でもあると思いました。
何故ならこの世界で、皆はやっと子供の頃に望んだものを手に入れた。
それは彼らが想い描く未来。確かにその代償は大きかった。
罪世界とどっちが幸せ?私にはわからない。
しかし、少なくとも「犠牲になった」ではありません、バッドエンドではありません。

何故なら家族愛と友情は、秤に掛けるべきではないのです。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年03月29日 02:52