まよいごみちしるべじぞう
詳細
「罪」の
蝸牛山で、獣道からの迂回ルートで置かれている地蔵。
入口の立て札に正解の道(
豪傑寺に繋がる道順)を示す歌が書かれており、
正解の地蔵の道を辿る事で豪傑寺方面に進め、間違いの地蔵(微妙に書かれている歌の節が違うので注意)
の道を辿ると入口近くに戻される。歌の全文は以下の通り。
深き 深き 御山の森に
招きざる子が 迷い来る
昼を開くは 日の光
夜を開くは 天の星
並び並びて指し示す
其は 迷い子達の 道しるべ
其は 在らぬ言葉の 深き愛
語らぬ 地蔵が 示す先
はるかな はるかな 森は開けり
追記
また、この歌が書かれた隣の看板には元となったかつてこの山で起こった出来事の顛末が書かれている。
深い森の中で果て、自らの死を理解できないままさまよい続ける幼子達の霊を
哀れと思った心優しい旅の僧がたった一人で深い森の中に籠り、供養の為の地蔵を作り続けていました。
僧は子供達の霊が、無事森を抜け出し成仏できる事だけを念じながら、
詩の彫り込まれた地蔵を作り続け、
幼子達の霊は、自分達を慰めてくれる僧がずっとこの森に留まってくれる事を願いながら、
その様子を見守っていました。
やがて、森を抜ける道を並んで指し示す様に6体の地蔵が完成したその時、
幼子達の霊は森を抜け、無事成仏する事ができました。
しかし、役目を終えた僧が森から抜け出ようとしてもなぜか森の出口へたどり着く事ができません。
地蔵をたどっても出口が見つからないのです。
その理由は、僧が幼子達の霊が森を抜け出し、無事成仏する様にと念じ続けながら
地蔵を作り続けていたのと同様に幼子達の霊もまた、
心優しい僧がずっとこの森の中に留まってくれる様にと願い続けていたからなのです。
地蔵は、そのどちらの想いも叶えたのでしょう。
悲しい事に、僧は最後までこの森から出る事ができませんでした…。
…童話に特有の、残虐性を秘めた子供達の純粋さと、他人を想う気持ちは、
状況によって相手に迷惑を与えてしまうという教訓が伝わってきます。
この道しるべ地蔵は、今も6体全てが現存しておりこの体数は、
いわゆる民間信仰では境界神とされ、塞の神(さえのかみ)の六地蔵と言われてます。
この出来事の顛末もいわゆる「無垢なる罪」と言えるが、これが後々の達哉達の結末を
暗示していると思うと印象深い一文に思える。
最終更新:2013年11月04日 21:00