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【あ~ちゃん】
ゆかちゃんからの呼び出しで、あたしは音楽室のドアを開けて、驚いた。
「…あ~ちゃん」
のっちが、ピアノの椅子に腰かけたまま、あたしと同じように驚いた顔をした。
何で、のっちが?
のっちとは、先週から気まずい感じになって(まあ、うちが仕掛けたんじゃけど)、ここんとこロクに口をきいてない。口、どころか。…久しぶりに、顔を見た。
うちがのっちを怒るのは毎度のことで、のっちは慣れっこでめげずにひょこひょこついて来るのに、今回はのっちが距離を置いてきた。
あたしは時々、遠くからのっちの視線を感じながら。その真っすぐさが怖くて、気づかないふりをしてた。
…どうしよう。ゆかちゃん、早く来てよ。
その時、ポケットの携帯からメール着信音がした。ゆかちゃんからだ。
あたしは急いでメールを読む。


『あ~ちゃん、お節介かもしれんけど、ゆかなりに仕組んでみたよ(^_^)v
あ~ちゃん、自分に正直にならんといけんよ。
あ~ちゃんのいいところは、好きなものに全力でぶつかっていくところで、そんなあ~ちゃんにうちらは引っ張られて来たんじゃけえ(*^ー^)ノ
自分に自信が無いなら、うちらを信じんさい!
ゆかは、あ~ちゃんが世界で一番好きじゃけえ、幸せになってほしいんよ。』
…ゆかちゃん。
メールをもう一度、かみしめるように読んで、深く息をついた。
逃げちゃダメだ。
あたしはゆっくりとのっちに近づいて行った。

【のっち】
あ~ちゃんが、あたしに近づいて来る。
「のっちも、ゆかちゃんから呼び出されたん?」
あ~ちゃんの声。久しぶりの、あ~ちゃん。
あ~ちゃんは、少し怒ったみたいな顔。でも怒ってるわけじゃなくて、これは緊張してる時。


…そうだ。あたしは沢山のあ~ちゃんの顔を知ってる。
可愛い時ばっかりじゃなくて。どっちかってゆうと、ぷんすかしてたり、からかったり、すました顔で意地悪なことを言ったり(…えーと、あ~ちゃんに怒られそうじゃね)。
そうかと思えば、大口開けてバカ笑いをしたり、悔しくても嬉しくてもボロ泣きをしたり…とにかくジェットコースターみたくめちゃくちゃなあ~ちゃん。
でも、そのめちゃくちゃさが。
…可愛くてたまらなかったんだ。
この間、あ~ちゃんとゆかちゃんが二人でいるところを見て、あたしじゃ、あ~ちゃんをあんな穏やかな表情に出来ないと思ったけど。
その代わり。あたしはあ~ちゃんの怒りも涙も暴言も意地悪も、あ~ちゃんの表情なら全部好き、なんだ。
あ~ちゃんがのっちのそんなとこを鬱陶しく思っても。
その鬱陶しい、って表情すら好きだから(まあへこむけどさ)、…しょうがないんよ。
のっちに出来ることは。ただ、好きでいること。それを頑張るしかない。


【あ~ちゃん】
のっちは椅子に腰かけたまま、あたしを見上げて、
「うち、あ~ちゃんに内緒で練習しとった曲があるんよ。まだ下手くそじゃけど…」
のっちは照れ臭そうに笑って、ピアノの鍵盤に向き直った。
ゆっくりと、奏でられる曲は。
うちの、大好きな曲だ。最近こればっかり聴いてるねと、のっちに笑われた。スウィートな、ラブソング。
のっちのピアノはもちろんたどたどしくて。サビのフレーズばかり、よろよろと繰り返す。
所々つまづいたり、音程の外れる、不器用で間抜けなラブソング。
でも。あたしにはとびきり甘くて、泣きたくなるほど愛おしい。
あたしは、のっちを後ろから抱きしめた。
のっちの髪に、あたしの顔をうずめて、ぎゅうっ、とした。
「…どうしてあげたらいいんか分からんよ…」
あたしは途切れ途切れにささやく。
「のっちに、してあげられることが無いよ…」
「え、色々もらっとるよ。あ、冬にマフラー貰ったよ」
…ばか。そういうんじゃないけえ。
「のっちの為に、色々してあげたいのに、何をしたらええんか分からんよ」
あたしはもっとぎゅう、ってする。


「…あ~ちゃん」
のっちがかすれた声で言う。
「のっちのこと、そんなに想ってくれとったん?」
…そういう言われ方は負けたみたいでカチンとくるけど(こういうとこが、いじめたくなるんよ)。今日は天の邪鬼は休んでもらって。
「あ~ちゃんも、色々想っとんよ」
とささやいた。

【のっち】
あ~ちゃんのささやき。柔らかい感触。甘い香り。
…くらくらするほどの、幸福。
あたしはゆっくりとあ~ちゃんの腕をほどいて、振り返った。
すぐ近くに、あ~ちゃんの顔。あ~ちゃんの目とあたしの目が合う。その潤んだ瞳に誘われるように。唇を重ねた。
引き寄せるように、手をあ~ちゃんの頭にまわす。柔らかい髪の感触を楽しむ。
あたしの手の中に、あ~ちゃんがいる。何度もキスなんてしてきたのに。今さら、そんなことがおそろしく奇跡的に思えて、左手であ~ちゃんの髪を、右手であ~ちゃんの頬を、存在を確認するように撫でる。


唇を離した後、お互いの額を寄せ合ったけど、あたしはすぐに唇が恋しくなって。
もう一度キスしようとしたら、あ~ちゃんがにらんで、
「のっちは、キスしすぎ。いやらしいけえ」
「…それはあ~ちゃんが悪いけえ」
「何なんよそれ」
「あ~ちゃんがおったらキスしたくなるけえ、あ~ちゃんが悪い」
あたしが開き直って言うと、あ~ちゃんはむうう、と真っ赤になって、
「もう、10回に1回しかキスせん」
「何それ、少なっ」
「うちはそういうことには真面目じゃけえ、軽々しくされたら嫌じゃ」
とか何とか可愛いことを口とんがらして言うから。
「…じゃあ、式でも挙げる?」
「…ほんまばかじゃ」
そう憎まれ口を言いながらあ~ちゃんは、あたしをぎゅっとしてきた。


【あ~ちゃん】
あーあ。のっちの肩に頬をのっけて、あたしは密かにため息をつく。
また、負けてるなあ、あたし。
動き出したのっちのペースにさらわれて、どんなにじたばたしても、もうあたしは、のっちから逃げられない。
ああもう。…だって気づいてしまったから。
リセットして後戻り出来ないくらい、あたしの気持ちも進んでた。
のっちと距離を置いてた日々で、あたしが懐かしく想ったのは、のっちの腕の中だ。切なく恋しかったのは、のっちの唇だった。
…もう、しょうがないんよ。
あたしはのっちの耳元に口を寄せて、今まで言えないでいた言葉を小さくささやいた。
「 」
途端に、のっちはガタガタガタっと椅子から滑り落ちて転がった。
「のっち、何しとん!?」
「…っえ、え、え、今何て…何て!?」
…もう。ほんま、ムード台無し。泡ふいたカニみたいなのっちに、あたしはがっくりした。
「え、え、え、あ~ちゃん、もっかい、もっかい言って」
…のっちって。おかわりばっかり。
「嫌じゃ」
「何で何で何で!?」
「…一生に1回しか言わんけえ」
「あ~ちゃんのドケチ~!!」


地団太踏んで悔しがるのっち。…ったく。気づいてないんじゃね。
あ~ちゃんは一生に1回しか言わん、って言ったんよ。
その言葉を、のっちに言ったんじゃけえ。一生分の言葉を、言ったんじゃけえね。どこがケチなんよ。
…そう。一生に1回な気持ちなんよ。のっちはうちとの出会いを運命って言うけど。あたしはただ運ばれるだけじゃ不安なんだ。
たどり着きたい場所があるから。
あたしはあたしの気持ちを信じて。
あたしはしゃがんで、転がってるのっちを抱きしめた。
あたしの腕の中に、のっちがいる。この空間。…あたしの、居場所。
あたしはやっと帰り着いた場所のように、のっちを強く抱きしめて、安らぎに身を委ねた。

樫野有香は、イヤホンをゆっくりと外した。
秋葉原で購入した高性能の盗聴器は、音楽室に仕掛けられていた。
「二人とも、世話が焼けるわあ」
樫野は苦い笑いを浮かべた。
「…まあ、これはネタにせんでおこう。二人だけの大事な世界じゃけえ」
樫野有香の白と黒の振り幅は広く、フレキシブルである。



終わり







最終更新:2008年10月10日 16:46