「ねぇ、今日ゆか、ハンバーグ作る。」
撮影が終わった瞬間、彼女は私にとことこ駆け寄ると、目を輝かせた。
今日の仕事はこれで終わり。
夕方からの取材が別の日に変わった、と聞かされたのは今朝のことだった。
めまぐるしく過ぎる毎日。
いきなりできた時間に、三人が三人とも大喜びした。
一緒に暮らして半年が経つ。
いろんなことがあった。
遠回りをしたけど、私達は私達の愛のカタチで良いんだと気づいてからは、穏やかな日々が流れていた。
というより仕事が忙しく、家と仕事の往復ばかりで、特に最近は波立つことすら一切ない生活だった。
「だから帰りにさ、スーパー行こうよ。」『あ、っと……、うん。』
私は明らかに間違えた答え方をしてしまう。
しまった、と私は固まる。
予想通り、彼女の目つきが微妙に変わるのを感じたが、それは、私の勘違いだったとすぐに気づかされる。
「あ、何かしたいことあった…?無理ならいいんよ。久々だもんね、時間あるの…。」
彼女は申し訳なさ気に目を細めた。
『ううん、食べたい!食べたいよ!ゆかちゃんのハンバーグ!』
彼女の表情に、私は思わず反応した。
「ほんとに?!久々にゆか、頑張っちゃうからね〜」
彼女はとびきりの笑顔を見せ、鼻歌まじりに控室へと戻っていった。
彼女の姿が見えなくなったのを確認し、私は、はぁ…と、大きくため息をついた。
「見ーちゃった!」
すぐ後ろで聞こえた突然の声に、私は慌てて振り返る。
「何なん今のため息は。ゆかちゃんに言いつけてやろー」
あ〜ちゃんだった。
『いやっ、その、』
「はぁぁあ〜。」
あ〜ちゃんは大げさに肩を動かし、私のため息を真似た。
『そ、そんなんしとらんっ!』
「いんや、あ〜ちゃん見た!聞いた!」
『もぉ〜…。』
落ち込む私を見ると、あ〜ちゃんの顔からさっきまでのおどけた表情が消える。
「…誕生日。」
『えっ…?』
「誕生日、なんじゃろ?」
あ〜ちゃんの口から出た思わぬ言葉に、私はきょとんとした。
『何で、知ってるの…?』
「昨日、廊下で電話しよったの、たまたま聞こえたんよ。」
そう、今日は大学の友達の誕生日。
夜、みんなでパーティーするからおいでよ!と、昨日電話があった。
なかなか大学にも行けないなか、どうせ仕事だろうと分かりつつも、声をかけてくれる友達ができたことは素直に嬉しい。
『仕事早く終わるから行く、って…もうメールしちゃった…。』
少し暗くなってしまっていた私の顔を、あ〜ちゃんは覗き込む。
「…ゆかちゃんに、言えないの?」
あ〜ちゃんは、私たちの愛のカタチが普通ではないことを、すでに理解している。
あ〜ちゃんの方から、私たちのことを聞いてくることは、もうほとんどない。
『いや、のっちね、ゆかちゃんのハンバーグ、食べたいの。』
それは、本当。
ただ、せっかく誘ってくれたのに…
という気持ちもある。
だけど、もう私の中で、答えはでている。
「…パーティー、断るの?」
『…そうだね。のっち、ハンバーグの口になっちゃったし。』
「何なん、ハンバーグの口って!w」
友達も大事にしんさいよ〜…と、あ〜ちゃんはヒラヒラ手を振り、控室に戻っていった。
さっき彼女が見せた、嬉しそうなあの笑顔が頭から離れない。
あの笑顔を、私には裏切ることはできない。
まぁ…もともとは仕事だったし。
後で断りのメール送ろう。
そう思い、私も控室へと戻った。
着替えを済まし、帰りの車へと向かう途中の廊下。
断りのメールを打とうと、私はカバンから携帯を取り出した。
しかしその瞬間、パタパタと後ろから走る音が聞こえたと同時に、携帯を持っている側の右腕に、誰かの腕が絡んだ。
「のーっち!」
斜め下には彼女のキラキラした瞳。
私はとっさに携帯をカバンに戻した。
「玉ねぎでしょー、ひき肉でしょー、」
今から買い出す食材を指折り数える彼女。
どうやら今日は、そうとう機嫌がいいらしい。
『…冷蔵庫、何もないからいっぱい買わなきゃだね。』
「うん!そうだね〜。」
彼女は私の右手にぎゅっと指を絡めた。
二人で車に乗り込む。
助手席にはあ〜ちゃん。
隣には彼女。
席についたと同時に、私はさりげなくカバンをさぐり携帯を取り出す。
「ねぇのっち、」
『ん〜…?』
彼女に声をかけられ、私は視線を携帯に向けたまま、生返事をした。
別に悪いこと、してるんじゃない
私はただ、携帯を見ているだけ
友達に、メールを打ってるだけ
そう、頭の中で自分に言い聞かせた。
ごめん、
今日やっぱり
仕事が
「…のっち。」
彼女の口調が少し変わったのに気づき、慌てて私は携帯を足の上に置き、今度はしっかりと視線を彼女へ向けた。
心拍数が上がるのに気づかないふりをする。
「ゆか、目の中に何か入った。」
私の方に顔を向け、目を開いたままの彼女。
私はホッとして彼女に手を伸ばし、揃った前髪をかきあげようとしたその時。
「…嘘だよ。」
そう言うと、彼女は顔色を少しも変えることなく、視線を窓の外へとうつした。
私は、浮かせたままの手を足の上へと戻し、一生懸命に頭を働かす。
彼女は、今日は機嫌が良かったはず。
私は何もしていない。
私はただ、携帯を触っていただけ。
再びさりげなく彼女へと視線をうつすと、気持ちよさそうに鼻歌をうたう姿がそこにあった。
大丈夫…
やっぱり機嫌は良い。
私の思い過ごし…うん、大丈夫大丈夫。
私は自分にそう言い聞かせ落ち着きを取り戻した。
家の近所のスーパーの前で、私たちは車を降りる。
もう陽は沈みかけ、彼女の横顔をうっすらオレンジに染めていた。
彼女が食材を選ぶ後ろを、私はカートを押しついていく。
あっ…。
私はまだ断りのメールを入れていないことを思い出す。
「ゆか、玉ねぎ忘れてる!」
前を歩く彼女は、そう呟くと、まるで私の存在を忘れているかのように、ひとりトコトコと小走りで目的の場所へと向かう。
…私は立ち止まり、カバンの中、携帯を取り出す。
ごめん、
やっぱり今日
仕事が入
「…のっち。」
聞きなれた低く響く声にビクッとし、恐る恐る私は顔をあげた。
「…玉ねぎ、忘れたら、困るね。」
口角はあがっているが、決して笑ってはいないその瞳。
『そ、そうだね。』
私は視線を彼女から少しもはずさぬよう、そのまま携帯の電源ボタンを二度三度押し、そっとカバンにしまった。
『…行こっか。』
彼女はニコッと目を細め、私の右腕に腕を絡めて歩き出した。
大丈夫、大丈夫。
だってほら、また鼻歌うたってる。
私は再び自分に言い聞かせ、彼女と歩幅を合わせた。
家に着くなり、彼女はテキパキと準備を進める。
『のっちも、何か手伝うよ。』
「のっちはいーの。少し寝てれば?」
『でもっ、』
「今日はゆか、ひとりで頑張りたいの。」
彼女の言葉に、私は渋々リビングに移動し、ソファに寝転がった。
そこからは、彼女の後ろ姿が見える。
鼻歌をうたうその背中。
仕事が早く終わったせいか、やっぱり今日は何だか機嫌が良いみたいだ。
あっ…
私は断りのメールを入れていないことを思い出し、固まる。
時計の針は18時をさしていた。
パーティーが始まるのは19時だと言っていたはず。
まだ大丈夫だ、そう思い私は携帯を…
あっ…
私は再び、固まる。
携帯はカバンに入っている。
しかし今そのカバンは、楽しそうに料理をしている彼女のすぐ近く、イスの上に置いている。
…しまった。
一生懸命、頭を働かす。
…よし。
私は、取りに行くことにした。
『指切らんよーにね。』
私は彼女の後ろ姿に声をかけながら、自然にカバンに近づく。
「うるさいなぁ。バカにしないでよ〜。」
彼女のおどけた声を聞きつつ、
私はカバンに、
手をかけ…
「…のっち。」
!!!
いきなり振り返った彼女。
私は飛び上がりそうになるのを必死でこらえた。
心拍数が上がる。
「…スープ、味見して。」
彼女の言葉に、私は胸をなでおろした。
『うん、美味しい!めっちゃ美味しい!』
「でしょー?」
彼女は満足そうに笑った。
「まだもうちょいかかるけぇ、ゆっくりしといて。」
『うん、分かった。』
嬉しそうな彼女の姿を横目で見つつ、
私は再びカバンに
手を…
…!!!
チラリと彼女を見ると、その小さな瞳は、じっと私に向けられていた。
「…ゆっくり、してなよ。」
低い声が響く。
『う、うんっ。』
私は手を引っ込め、目的を果たせないまま、ソファに戻った。
彼女の視線が、頭から離れない。
さっきから彼女は、私が携帯を触るタイミングで話しかけてきているような…
でも、もしそうなのだとしたら、どうして…。
ソファに横たわりながら、ドクドクと胸が波打つのを、必死で抑えようとした。
ガチャガチャという食器の音で、私はぼんやりと目を覚ました。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「ふんふふ〜ん♪」
ここから見える彼女の後ろ姿。
テレビから聴こえるCMを真似たり、鼻歌が止まらない。
「あ、ちょっと入れすぎたかな〜」
「ヤバイ、焦げちゃう!」
「フォーク、どこだったっけ」
ひとりでちょこまか動く彼女の後ろ姿が何だか愛しくて、私は思わずプッと吹き出した。
「あっ、のっち起きた〜?もう出来るから早くこっち来んさいっ。」
振り返った彼女は、膨れっ面。
だけど、黒目がちのその瞳の奧は、まるでいたずらっ子のようにキラキラとしていた。
私は確信する。
やっぱり、今日の彼女はご機嫌、だと。
あっそうだ…
パーティーのことを思い出し時計を見る。時刻は19:30を回っていた。
そのままのそりと体を起こし、リビングに向かう。
ソースを作っているのだろうか、部屋には食欲をそそられる良い香りが充満している。
私はさっとカバンに手を入れ、携帯を取り出した。
…カタン
フライパンを置く音がして、私はビクリとして彼女を見る。
だが、彼女は私に背中を向けたまま調理を続けていた。
携帯を開く。
しかし、着信もメールも一件も入ってはいない。
もうパーティーは始まっている時間だというのに。
今までも、突然入った仕事で約束をキャンセルすることはあったし、連絡なしでも何とも思われないのかもしれないな。
何だ、私が重く考えすぎていたのかな…
友達って、そんなもん〜…
なんて考えながら、フライパンと格闘している彼女に、背後から近づく。
後ろから覗き込むと、皿に盛り付けられていたハンバーグにソースをかけているところだった。
「……でーきたっ!」
彼女はくるりと振り返り、ニッコリ笑った。
私のために、一生懸命作ってくれた。
そんな姿が愛しくなり、私は彼女を抱きしめる。
「…のっち。」
すると彼女は体を離し、私と少し距離をつくった。
「ゆかのこと、好き?」
『うん、好きだよ。』
やっぱり、私には彼女しかいないのだ。
「ゆかは、嫌い、だよ。」
『えっ…。』
思ってもみなかった返答に、私は開いた口が塞がらない。
必死に彼女の目の色を読み取ろうとする。
「だから、ゆかは、のっちのこと、嫌い。」
私は全力で頭を働かす。
静まり返る室内。冷や汗が流れてくるような感覚。
一体、何と返すのが正解なのか。
「…嘘だよ。」
そう言いながらも、彼女はピクリとも笑わない。
私は、何も言えずにその場に突っ立つ。
「何してんの?早く食べようよ。」
『う、うん。』
お皿をテーブルに運びながら、彼女は涼しい顔。
どうして彼女は、あんなことを言ったのか。
ただの冗談なのか。
だって、彼女はあんなに機嫌が良かったはず。
私は、美味しそうに盛られたハンバーグを目の前にしながら、おあずけをくらったかのような感覚に陥る。
「…のっち、食べようよ。」
『う、うん。いただきます。』
ハンバーグを口に運ぶ私を見て、彼女はクスッと笑った。
私たちの奇妙な夕食は、まだ始まったばかり。
最終更新:2009年05月14日 00:36