「…聞こえない、何?」
「つきあった数とヤった数の差」
フロアの奥のラウンジに漂う匂いは、まぎれもなく女の匂いだった。
暗くてじめっとした空気に酔いがとろけてくのがわかる。ピンクに灰色を混ぜたみたいな光。
重低音なんてありふれた言葉で済まされてしまう程度のつまらないDJ。
ポールに絡みつくように踊る女。それにチップを渡してキスをねだるのも女。
「実際どれくらいなの?」
肩から伸びた腕をキラキラさせた女の声。女の性欲が嫌い。
熱くてねっとりしててなかなか離れないから。もういいって言わせない何かがあるから。
脳の奥までつかみとろうとする。求められることを求めてるくせに、相手のせいにする。
自己愛が強い。一方的で客観視できない。批判を嫌う。論理的じゃない。
答えてもいいよ。でも数って何の数なんだよ。人数?回数?
◆
「抱きたい」
急に手の届かない存在になった喪失感は、静かな寝息を聞いたとき別のものに形を変えた。
もう簡単には触れることのできない体、もう自分のものじゃない、20代の魅力的な女の体。
おでこに唇を触れ、頬に触れ、やがてキスをした。彼女が目を開ける。
「なんで」
押し倒した弾みで髪が揺れる。この白いシーツの上にこのふわっとした黒髪はよく映える。
つい見とれてしまう。真っ直ぐ見下ろした先には戸惑いがちな目。
のっちだってこんなことしたくない。
だけど静かな別れ話の後に湧いてきたのはこんな変な感情だった。
「一人の女として見たら、今すごい興奮してるっていうか」
知ってた。拒まないことはわかってた。
瞳を何度か左右に揺らせた後、口元をゆるませる。神妙な顔で見上げる。
まぶたを一度だけ閉じたら、目が優しく笑う。
この合図は、つきあってたときと同じなんだね。
「こんなのありえん」
やめてって何度も言う。でも嫌とは言わない。
むしろ愉しんでいるとすら感じられた。
本当は拒んでほしかったのかもしれない。でもそんな子じゃなかった。
求められたら応えてしまう、求められたら興奮するような子だった。
そして自分はそれにつけこんでやれてしまう奴だった。
朝目が覚めたとき、優しく見下ろして微笑む顔が好きだった。
のっち、って言いながら後ろから抱きしめられてもう一度眠りにつきたがったあの子は、
もうそこにはいなかった。
体の隅々まで探した。だけどもうどこにもいなかった。
◆
「まさか二桁とかいっちゃったりするのー??」
うるさいな。ちょっと黙れよ。DJはいつの間にかトランスに変わってる。
チャカチャカうるさいな、今さら流行んないっつってんのに。
月一で遊びに行ってそのたびに連れて帰ってそれを二年も続けてりゃ、人数なんて簡単に二桁いくもんね。バカだな。
「私もその中に入っちゃうのかな」
回された腕が汗ばんでる。胸元が見えすぎだよ。
ぐいと押せばすこし戸惑った目をする。みんなそうだ。
誘ってるくせに、戸惑ったふりをする。
私のことがそんなに欲しいんだってうれしそうに笑う。
だから抱かない。
◆
「また遊んできたんだ」
ピアスを外しながら笑う。いつの間に開けたんだろ。
昔は開ける開けないであんなにぎゃーぎゃー言ってたのに。
まあね、とだけ答えてベッドの上に横に転がりながらその様を眺める。
私たちはお互いずるくなってる。どちらとも、責任を完全に負おうとはしていない。
「…電気消して」
恋人でいる間、あ〜ちゃんは男に足を開くこともなく、
私たちには浮気とか病気とか派手な展開もなかった。
ずっと前からわかっていたことだ。いつかは手放すって。
彼女の幸せを心から願うなら、解放してやらなければいけないって。
そう思い続けて、環境に甘んじて、
自分のそばに置き続ける責任に対して勇気を持てなかったのは自分じゃないか。
そりゃ離れていく。当然の結果。
そう、当たり前の結末。
なんとなくで心をつないでおけるほど、君は安い女じゃなかった。
「ねえ」
「うん?」
「つきあった数とヤった数の差、聞かれた」
ふーんと言いながら唇を重ねる。
みんな一緒。ぷるぷるしてるように見えて粘っこくて別においしくなんかない。
だけどうんざりする反面、この唇ならそれを許せる。
私もまた同じ唇をしてるから。それを知ってる唯一の女だから。
夢中で吸いつくと、うれしそうに笑った。
「…それって、人数?回数?」
おんなじこと考えてんね。なんでかわかるよ。
週二で呼び合ってそのたびにこうしてそれを二年も続けてりゃ、回数なんて簡単に三桁いくもんね。
(おわり)
最終更新:2009年05月14日 02:20