K-side
私たちを乗せたPerfume号は、よく知らない道路を泳ぐように進んでいく。
後ろから聞こえる豪快な寝息も、左隣から聞こえる安らかな寝息も、いつもどおりだ。
『Perfumeじゃなくても。ゆかがゆかってだけでいいって思ってくれる場所』
つまらないことを口にしてしまったと思った。
のっちが何か思うわけではないことはわかっているけど、自分が情けなかった。
カーテンを少しだけ開ける。これもただの風景。ただの夜。
なんの慰めにもならない。きっと窓を開けても風にすら落胆するだろう。
眠っているのにきちんと膝の上に置かれた手をぼんやりと眺める。
幼い頃からずっと一緒だった、何度も握り合った手には簡単に触れなくなった。
いつもライバル心や向上心を剥き出しにしていた彼女といるのは、正直苦しかったけれど、
あの頃のひたむきな努力が今の自分を支えてくれているのもわかる。
争うべき相手ではないということに気づいたのは、もう何年前のことだろう。
負けたくないという思いは、いつしか戦力として認められたいという思いに変化した。
タクシーの後部座席に三人並んで座っていた頃とはもう違う。
豪華なシートはゆったりしていて、
間に肘掛をはさんだ私と左隣のその人とは肩が触れ合わなくなった。
『いい恋しとんのよ、あ〜ちゃんは。』
笑ってしまう。昔からの彼と続いていること以外は、本当は何も知らない。
スタッフの思い、セールスを伸ばす責任。
それらを強く意識すればするほど、互いのことを深く話す機会は減っていった。
甘えを持ち込んではいけない。
人を惹きつける仕事なんだからいい恋をしていなければいけない。
Perfumeにとって何かプラスになることをしていなければいけない。
のっちには遅刻をいいかげん直せだの同じ服ばっか着てないで買い物に行けだの、
いつも世話を焼いているけれど、どこか遠慮し合って、私には何も言わなくなった。
もはやそれも杞憂にすぎないということも、客観的にはわかっているつもりだけれど。
今のあ〜ちゃんは私の何を見て、どう思っているか。
昔なら簡単にわかったことも、本当に必要とされているかすら、
不確かで信じていいのかわからなくなる。
この気持ちが単なる不安だけでなくて、別の何かであることにももうずっと気づいていた。
振り向いてほしい。
戦力としても、ただの私としてでも、振り向いてほしかった。
だけどその思いは、長い時間をかけて次第に打ち砕かれていった。
その両方をいつの間にか手に入れていた人は、後部座席で口を開けて豪快に眠っている。
無欲なのっちだった。
私ではなかった。
横浜方面からの道はすいていたのに、都内に入る頃には少しずつ混み始めた。
平日の深夜なのに渋滞するなんて、東京はいまだによく理解できない。
群れをなすテールランプの赤は、目を閉じてもまぶたの裏についてくる。
目ざわりだよ。
苦し紛れに手にした携帯は、2件のメールを受信していた。
26:00〜青山fai
たぶん朝までいる、来るよね?
1件目は、無邪気な欲求が短くまとめられていた。
求められるままになっても、奪われるものなど何ひとつない。
わかっているから応じる。
面倒なやりとりよりも、一時的で直接的な必要性が物を言うこともある。
久しぶり。元気にしてる?僕はな
んとなく元気になってきました。
本当の自分って何か、考えたら少
……
2件目は、優しく繊細な文面だった。
実際に会うこともほとんどない相手からのメール。
不定期に、どちらからともなく送り合う。
何回も携帯の下ボタンを押さなければならないくらいの長文で、
自分の心の内、ある意味でリアルなプライベートを。
どこかあきらめきれない、得体の知れない渇望を抱え合いながら、
こんなの何にもならないことも、私たちはよくわかっていた。
…眠っている二人を起こさぬようにそっとドアを閉めると、
Perfume号はいつもの曲がり角で曲がって、夜の黒に吸い込まれるように消えていった。
明日またPerfume号に乗るまで。
不釣合いだと思わないように何かを探しては、
見つからない自分に苛立つことはわかっていても。
迷わずマンションの前を素通りして、交差点で立ち止まり手を上げる。
「…青山。骨董通りの方。お願いします」
タクシーが走り出す。
小さなディスプレイに光る、自分によく似た彼の言葉を反芻する。
メールが来ると思い出す。いくつもに分散したどうしようもない自分を。
メールを送りたくなると思い出す。ひとりではない、は、ただの錯覚に過ぎないことを。
メールを送った後に思い知る。
この気持ちを、本当は誰に送りたいのかを。
(つづく)
最終更新:2009年05月30日 22:26