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本当か嘘か、というところに私は興味がある。
でも別に100%を求めている訳ではない。100%本当とか、100%嘘とかいうものは、存在しないだろう。
少しわかりにくい、か。
例えば、すごく馬鹿みたいな例えを出すなら。私がバナナが大好きだとして、大好きなことは本当だけれど、100%本当、ではない。
だって24時間365日大好きな訳ではない。お腹が一杯で苦しい時にバナナを食べろと出されたら、その時は恨めしくバナナを睨むに違いない。
私が言う100%とは、そこまでの100%。だから100%本当とか、100%嘘とかいうものは、存在しない。
問題は、どれくらいの割合で本当か嘘か、ということ。


目の前で湯気を上げているコーヒーカップの中に、ミルクを注ぐ。先にスプーンでかき混ぜておいたから、ミルクが白い紐みたいになって、コーヒーの上でとぐろを巻いた。
『目は嘘をつかない』『目は正直』
よく聞くフレーズ。自分が嘘をついた時、あるいはそう思われた時、このフレーズを言われたことのない人はいないだろう。
これが本当なら、いや100%本当とかではなくて、限りなく100%に近い本当なら。私が私の中の本当を知るためには、常時鏡を持ち歩かなくてはならない。
なぜなら、私が発する言葉は本当よりも嘘の割合が多いから。
別に嘘をつこうと思っている訳ではない。その時にそう感じていることを言葉にしているつもり。
けれど後から自分の言動を振り返れば振り返る程、じわじわと嘘の割合が増えていく。気がする。
あの時本当に、そう思って言ったの? みたいな感じで。


ミルクを入れた後にスプーンでかき混ぜないから、ミルクが底に沈んでしまってコーヒーはまだ黒っぽいまま。
成長しているつもりでも、まだ未熟で曖昧で、定まらないから不安で、発した言葉を後から吟味しすぎて嘘を増やす。
そのくせ成長しているつもりだから、少しは自信ができて揺れたくなくて、発する言葉に100%に近い本当を込める。
それを繰り返し、繰り返し。疲れてきた。
私の心、私の中の本当が、自分の目を覗き込んで見られるなら、鏡に頼りたいくらいだ。
でも人は演技ができる。嘘がばれない時があるのは、覗かれないように上手い演技で自分の目を塞ぐことに成功する時があるから。
結局、どうすれば私は私の心を知ることができるのだろうか。


「ゆかちゃん飲まないの?せっかく熱いの入れたのに。飲まないなら飲んじゃうよー」
キッチンから戻ってきたのっちが、ソファーに座る私の隣に腰を下ろした。
「今から飲むの。のっち自分の分あるでしょ」
我に返った私がそう言うと、のっちはほんの1秒だけ私と目を合わせて微笑み、持っていたスプーンで私のカップの中をかき混ぜた。
底で暇そうにしていたミルクが、スプーンに急き立てられて表面に上がってくる。あっという間に黒色がベージュ色に変わった。
のっちが、そうしてくれた。
「冗談だよ。はい、どうぞ」
2人でカップを取って、熱いと温かいの中間になってしまったコーヒーを一緒に飲む。
「…はぁ〜。あったまる〜おいし〜」
隣で少し肩をすくめて言うのっちの言葉と表情は、100%に近い本当。
のっちは、そういう人。だから、好き。


……だったら。
だったら、私の中の本当を、私の心のパーツすべてを、言葉に変換したら?
言葉に変換して、のっちに向かって発してみたら?
のっちだったら、私の言葉の中の本当と嘘の割合を見抜いて、私の本当の部分を抜き出して感じて、感じたことを正直に返してくれるから。
私よりも私を知っているのっちから返ってくる反応は、ほぼ100%本当の反応だから。
私は私の心を知ることができるかもしれない。
鏡よりも簡単で精密な方法だけれど、その分怖い。
でも何故か思いついた途端に、ふっと安心した。コーヒーの温度が、心に滲みていく。


「ね、のっち。ゆかね…………すごく、幸せだよ」
言葉に変換したら、のっちが笑った。



———end———






最終更新:2009年05月30日 23:47