N-side
「かっしー、」
「なん?」
「あ〜ちゃんが変になっちゃった」
放課後、誰もいない図書館準備室で自分の物とは思えない程の弱々しい声が響いた。窓から見えるグラウンドは陸上部が占領中。ポニーテールの子の走り高跳びが綺麗なフォームで見惚れてしまう。
あ〜ちゃんは今頃お家に着いただろうか。今夜は家族でお出かけするらしく、ルンルン鼻歌を歌いながら急いで帰っていった。
高校生になってもあ〜ちゃんは変わらない。綺麗で可愛くてキラキラしてる最強な女の子で。昔なら訳も分からず楽しかったからそのノリに乗っかってキャッキャウフフしてきたけど、今はなんだか難しい。自分ってボーイッシュなんだな、と思い始めたのもそれが原因だったりそうでなかったり。
ゆかちゃんは変わった気がする、急激に。彼氏が出来て、綺麗になった。やっぱり恋をすると女の子って変わるんだね、ってつい最近あ〜ちゃんと二人で話したっけ。みるみる化粧も上手になって、お肌も綺麗になって、ブランドの名前はいつ暗記勉強しましたか?ってくらいにたくさん覚えて。あ〜ちゃんとは少し違う。だけど、確実に女の子らしくなった。
「あ〜ちゃんは変になんかなっとらんよ」
その声は優しかった。
ゆっくり振り返ると、さっきと全く変わらない角度でゆかちゃんは新刊の恋愛小説のページをめくってた。図書委員の特権を利用して図書館にはまだ出ていない入りたての固い本のページをめくるのは楽しいですか、樫野さん。
一緒に帰ろうと言ってきたのはそっちのくせに、かれこれ一時間のっちは待たされてるんだ。だけどゆかちゃんは分かってた、のっちが最近不思議に思ってる何かに気付いていたのだとしたら感服です。のっちはサトラレですか、樫野さん。
そんな樫野さんの言う通り、のっちの疑問は簡単に解答が出てしまった。あ〜ちゃんは何も変じゃない。分かってたはずなのに、最初に矛先が向いたのはあ〜ちゃんの方角だったんだ。
「だったら、のっちが変になっちゃったのかな?」
もう一度グラウンドを見る。またあのポニーテールの子が跳んでいた。素人ののっちが見ても分かるくらい綺麗なフォーム、やっぱり惚れ惚れする、夕日で輝く白いTシャツも綺麗だな。
背後でパタン、と本を閉じる音。カツカツとローファーが床を叩く音。遠くでピーッと笛の音。視界の隅から現れたゆかちゃんは、大きく欠伸を一つ。こらこら、のっちしか見てないからってそんな大きな欠伸、あ〜ちゃんに見られたら笑われちゃうよ。
「確かに最近のっち変だね」
「やっぱりそう思う?」
「うん、特にあ〜ちゃんと一緒にいる時とかね」
なんでもお見通しみたいに得意気な顔して、ゆかちゃんは閉じた窓に背もたれながら自分の髪の毛の毛先をチェック。あ、枝毛、とか言ってプチッとちぎって床に落とした。
のっちはそれを聞いてグラウンドのポニーテールの彼女を見つめた。靴ひもが解けたらしく、しゃがんで結び直してる。そしてまた笛の音。
「のっち、どうしちゃったんだろ、前は別にあ〜ちゃんと一緒でもなんともなかったのに」
「のっちはお子ちゃまじゃね〜」
「なんでよ」
「可愛い可愛い、お子ちゃまじゃ」
よしよし、なんて言ってゆかちゃんはのっちの髪をぐしゃぐしゃにした。自分で切った前髪は不揃いで、目に入らないのは嬉しいんだけど毎朝とんでもない方向を向いてるから気に食わないし、お母さんにも笑われた。だから早く伸びて欲しいんだけど、なかなか伸びず、視界ばかりが綺麗に広がってしまった。
「分かった、前髪のせいじゃ」
「前髪?」
「前髪失敗したけん、あ〜ちゃんに笑われとうなくてドキドキしてるんよ、きっとそうじゃ、のっちが変なの前髪のせいじゃ、このギザギザの前髪はよ伸びてくれんかねぇ」
と言って、前髪を指で摘んで見上げた時だった。手を掴まれた、かと思うと次の瞬間ゆかちゃんの長い睫毛が目の前にあって。息が出来ないと思ったら、それは柔らかいふわふわした何かで。
「どう?」
「どう、って?」
「ファーストキスの感想は?」
「…レモンじゃなくてミルクティー味だった」
ゆかちゃんは笑った。
彼氏いるくせに、と言うと「関係ない」って言った。のっちはゆかちゃんの手を強く握った。ゆかちゃんも強く握り返した。
「あんた、あ〜ちゃんに恋しとるんよ」
全てのピースが埋まった感じ。
まじで?でも嘘でしょ?でもなく、やっぱり。
「この感情が恋なんだ」
「そうよ、恋をしたら人間って変になってしまうんよ」
それは高校一年生の秋のはじまり。
◇♪:終◇
最終更新:2009年06月17日 10:58