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side.K


物音をたてないように玄関に近付く。存在に気付かれないように。
あたしの部屋なのに。
そうすることで、気付かされた。どうやらあたしは涙をとめる術を持ち合わせていたらしい。
潜めれば、自然ととまる。意識が他にいくからか。
集中が生まれるからか。
どちらにせよ、とめる気なんてないから、流れ続けるのかな。
備え付けてあるドアスコープを覗くと、中心に向かって少し縮こまったあ〜ちゃんの顔が見えた。
なんだろう、この物凄い安心感は。
あ〜ちゃんだ。あ〜ちゃんが来てくれた。
弱いところだって、泣いてるところだって、あ〜ちゃんになら見せても構わない。
勢いよくドアを開け放ったあたしは、飛び付くようにあ〜ちゃんに抱きついた。
「あ〜ちゃん……あ〜ちゃん……」
ありがとう。来てくれてありがとう。
もうどうにかなりそうだった。
「ゆかちゃん……」
沢山の人が住んでるマンションの玄関先で、こんなことしてるところ見られたらどうするの。思考とは裏腹に、抱きつく腕に力が入るのがわかった。
抱きつくというよりは、しがみついてる感じ。
あ〜ちゃんの着ていた白いワンピースの肩口が、みるみる黒く湿っていく。
泣き喚きながら、その様子をどこか客観的にみていた。


「もうダメかもな……」
「え?」
暫くそうしてると、あ〜ちゃんが誰に向かうでもなく呟いた。
ダメ? なにがダメ?
今のあたしは、そういうワードには過剰反応してしまう。
「これ」
「……ああ」
右手をあげるあ〜ちゃん。
その手には白いビニール袋。
きっと、アイスが入ってるんだな。
あたしの部屋に来る時は、いつも持ってきてくれる。あたしが、大好きなのを知ってるから。
のっちも、いつも持ってきてくれてたっけ。
「ごめんね……せっかく買ってきてくれたのに」
「いいよ。落ち着いた?」
「うん……ごめん」
「お邪魔しても、いい?」
「……うん」

のっちと付き合う様になってから、誰かを部屋に入れるのは始めてだった。



side.N


「誰もいませんね」
「そうだね」
「いつも、最後に?」
「いや、今日は特別」
「……ごめんなさい」
さっきまでの喧騒が嘘だったんじゃないかと思う程静かな店内。
言葉に詰まると気まずくなる。だから誰かといる時は、あたしは大体居心地が悪い。一人が好きだ。
そのはずなのに、なんだかこの人といるのは苦じゃない。会話がなくても気にならない。
お互い、なにも与える気がないからかな。
お互い、なにも求める気がないからかな。
だとしたら、穏やかでも、寂しい。
「今ここでなら、なにしたって大丈夫ですね」
「……そうだね」
人が沢山いる時は狭く感じた店内が、今は凄く広く感じた。
こんなにデカイ店だったんだな。空にしてもらわなきゃ、きっといつまでも気付かなかっただろう。
赤い絨毯は店内の入口から、目につく範囲全てに敷き詰められている。
天井の中心に、シャンデリア。ゲームでよく見るクリスタルの様な輝き。それが百個くらい惜し気もなくぶら下がっている。
ここまでは大層贅沢な作りに見えるけど、よくバンド演奏なんかに使われるステージは、木製の製品パレットのような染みったれたものだった。
似つかわしくない。
それはあたしも同じかもね。アイツに親近感。
「なにか、しちゃいましょうか?」
「いや、遠慮しとく」
そうだろうなと思い視線をやると、予想外にバチッと目が合った。ホントに音がでそうなくらい。
思いの外、鼓動が跳ねた。
そっぽ向いてるんじゃないのかよ。よく分からない人だな。
ずっとあたしを見てたってことでしょ。
興味があるのかそうではないのか。イマイチつかめない人だ。
「あたしはどっちも大丈夫なんです」
「そうだろうね。なんとなく分かるよ」
「でも、まだ片方しか知りません。なんか恐くて」
「うん。分かる」
「でもあなたなら平気な気がしたんです。何故かは分かりませんけど、なんとなく」
「光栄です」
くえない人。こりゃ埒があかないや。
ベストは脱いでも、シャツは着崩さない。
タイは外しても、第一ボタンすら外さない。
元々、どうにかなる相手じゃないと気付くのは、それはもう諦めてから。
気付くのなんかいつもそうだ。いつも遅い。
始める前から分かってれば、無駄なことなんてひとつもしないで済むのに。
無駄なことなんてひとつもしたくなんかないのに。
「帰ります。ごちそうさまでした」
「うん。気を付けて」
何時間振りかに、席を離れ自分の足で立つ。
彼が暫く付き合ってくれたおかげか、心配した程酔ってはいなかった。
「歩ける?」
いいよ、その顔作って見送らなくても。
最後までおせっかいな奴。「また来てね」
残念だけど、言われなくてもあたしは来るよ。
手を振ると、今度はちゃんと笑った。



side.A


対面するなり抱き付かれた。別に嫌じゃないけど、嬉しくもなかった。
求めてる訳じゃない。
すがってきただけ。
彼女が求めているのは、世界にたった一人。
奇跡だよね。あたしには訪れてくれなかったけど。
分かってたことなのに、やっぱり悲しい。
でも手に入れた奇跡が離れてしまった彼女は、もっと悲しいんだろうか。
これ以上なんてあるんだとするならば、あたしは奇跡が起こることすら恐ろしく感じてしまう。

部屋に入っていく頼りなさげな背中についていく。
いつ振りだろう。この部屋にあがるのは。
なんにしろ、疲れた。
散々濃き使った頭も、歩き続けた脚も。さっさとこの高いヒールから解放されたい。
お邪魔します。そう小さく呟いて部屋に入ると、ゆかちゃんは笑うとも泣くともつかない、なんとも切なげな表情を見せた。
そんな顔見せられて、放っておけるはずがない。
殆ど衝動的に、抱き締めた。腕に力を込めて、できる限り強く優しく。
当然、また泣いた。
あたしの腕の中で、違う人を想いながら。


冷蔵庫に入れておくね。
お腹すいてる?
ご飯食べた?
夜は眠れた?
きっと、大丈夫だよ。


あたしが此処にくるまでに展開されたシミュレーションは、見事にひとつも実行されなかった。
思うより早く、体が勝手に動いた。
だから、大丈夫。
そういう時は、大概正解できてるもんだ。
あたしの胸を刺す涙が、彼女の頬を伝って流れていく。
綺麗だな。そう思った。


シックな色使いの、シンプルな室内。
昔と比べると、随分落ち着いたし物も減った。
なんでかなんて分かってる。
あの時計だって。
ドレッサーに置いてある香水だって。
その横にある写真立てだって。
それはもちろん全てだから。
自然とお互い座り込んだ頃には、ゆかちゃんの泣き声が止んだ。
涙はまだ静かに流れてる。
迷子になった仔猫みたいに、フーフー震えた声をもらしながら肩で息をしている。
部屋にあがってからひとつも会話はなかったけど、どう考えたってそんなもの必要なかった。
今なにが一番必要か。
これも、考えるまでもなかった。


〜続く〜





最終更新:2009年07月17日 22:32