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バイト帰りに雨に降られた。

「ちっ…ツイてないな。」

駅の出口から、恨めしく空を見る。止みそうにないや。でも、タクシーを捕まえるほどの距離でもない。
それじゃあ走ろうか、と思った時…壁に背を預けてうずくまる人影に気付いた。
黒く長い髪から、しとしとと雫が滴っている。いくら夏とはいえ、ちょっとマズイだろ。時間も遅いんだし。

「あのっ…大丈夫、ですか?」 

そっと近付いて、声をかける。
 その人がゆっくり、顔を上げる。
黒い、綺麗な瞳と、視線が交わる。

「……っ!!」

その人は、私がよく知る人だった。
……いや、“知ってた”人だった。

「な、なんで、…いるの……?」
「のっち…久しぶりだね。」


呆然と呟く私に、その人は弱々しく微笑んで言った。




私と彼女…ゆかちゃんは、半年前まで付き合っていた。

一方的な私の告白から始まって、一方的な彼女の言葉で終わった、一年だけの恋。

「のっち……ゆか達、友達に戻ろうよ。」

その一言が受け入れられなかった私は、友達には戻れなかった。
だって私は、今も、ゆかちゃんのこと…………



「うわぁ……全っ然変わっとらんね。」
「そりゃ、まぁ。半年だし。」

私の部屋に入るなり驚くゆかちゃん。
いろいろ戸惑ったけど、とりあえずゆかちゃんを家に連れて帰った。
終電も出た後だし、一晩泊まっていくことになった。

「お風呂用意出来たから、入っておいで。」
「うん…。」
「着替えとタオルはこれ使って。その服は洗濯機入れときなよ。夜のうちに洗って乾かせば、明日にはまた着れるから。」
「うん……ねぇ、のっち?」
「なに?」
「まだ、優しいんだね……。」
「え……」
「あ、ううん、なんでもない…ありがとう。」

何か言葉を濁したまま、ゆかちゃんはお風呂に行ってしまった。




ゆかちゃんと交代でお風呂に入って、出て来てみたら、髪を乾かし終わったゆかちゃんは、のっちのベッドに腰掛けて部屋の中をきょろきょろ眺めていた。

ね、何にも、変わってないでしょ?
だって、この部屋の時間は、半年前から止まってるんだから。

冷蔵庫から水のペットボトルを取り出して、喉に流し込みながらソファに腰掛けた。

お互い、何も言わない。
沈黙が、重い…。
テレビでもつけるか…と思いはじめた時、唐突にゆかちゃんが口を開いた。

「あのね、今日、別れて来たの。」

“誰と”が抜けてたけど、すぐわかった。
彼氏と、別れて来たんだ。
のっちと別れてから、もうそれで何人目なの?

「……そうなんだ。」

それ以外に何を言えば良い?
それじゃあ、彼氏と別れてからなんでわざわざのっちの家の最寄り駅にいたの?

頭の中で疑問が渦巻いてるけど、どこから言葉にして良いのかわからない。
そんなのっちをよそに、ゆかちゃんはゆっくりソファに近付いて、のっちにぴったり寄り添うように座った。

久々に感じた匂い。
腕に肩に感じるサラサラな髪。
悲しい夢の中じゃない、現実にそこにある体温。

待ってよ。やめてよ。
忘れようとしてたのに。
そんなにそばに来て、何がしたいの?



混乱しているのっちの顔を覗き込んで、微笑むゆかちゃん。
優しく弧を描いてた唇が、とんでもないことを言った。

「ねぇ、……抱いてよ。」
「!?」

びっくりし過ぎて何も言えないのっちを尻目に、ゆかちゃんはのっちの手を掴んで、さっき貸したTシャツの中に導こうとする。ハッと我に返って、それを拒む。

「や、だ……駄目。」
「…のっち、お願い。」
「嫌だっ……!!」

持ってかれた手をにぎりしめながら、思わず叫んだ。
ゆかちゃんの手が止まる。

「何で……駄目なの?」

縋るような、潤んだ目でのっちを見てる。

もう、やめてよ。
そんな目したって駄目なんだから。
のっちはね、ゆかちゃんと別れてから、決心したことがあるんだから。

「……好きな人には、触れたくないんだ。」
「え…?」
「本当に好きな人には、触れない。ゆかちゃんと別れてから、そう決めた。」
「……どうして?」
「どうしても。」
「何それ…わけわかんないよ……。」

呟くように言ったゆかちゃんの目から、涙が零れた。

うん。わかんなくて良いよ。
そもそも、わかるわけない。

時間が止まったこの部屋で、のっちがどれだけ苦しみながらゆかちゃんを忘れようとしたか。どれだけ頑張って、ゆかちゃんの温もりとか匂いとか言葉を記憶の底に沈めようとしたか。
その結果の答えが、それなんだよ?

だから、わかるはずない。
わかってたまるか、とすら、思う。



いきなり、大きな手に頬を包まれて、顔を上げさせられたかと思うと、唇を塞がれた。
温かい舌が唇に触れるのを感じて、あわてて歯を食いしばる。

駄目だよ。泣いたって。
のっちのが泣きたいよ。
頑張って忘れかけてたもの、全部また持ち込んで来るんだもん。
一体、どれだけゆかちゃんに苦しめば良いの?

泣きながら唇を離したゆかちゃん。
肩を震わせて鳴咽をあげる。
その肩をさすってあげる余裕も、今ののっちにはないよ。

「もし……ゆかがまだのっちのこと…好き、だとしても、駄目なの?」
「……。」

ひとつ頷いた私を見て、ゆかちゃんは小さく溜息をついた。

「そっか。……むりやりキスして、ごめんね?」

そうやって言うゆかちゃんは、もう泣いてなかったけど、駅で会った時と同じ、弱々しい笑顔だった。




「じゃあさ、せめて……一緒に寝てよ。」

ゆかちゃんがそう言って、私達はふたりでベットに滑り込んだ。

「おやすみ……のっち。」

泣いたりして疲れちゃってたのか、ゆかちゃんはすぐに眠りについた。

そっと寝顔を眺めて、思う。

ゆかちゃんも、寂しかったのかな。
のっちが、誰にも触れずに記憶を沈めて忘れようとしたみたいに、
ゆかちゃんは、他の誰かの温もりを上塗りして、のっちのことを忘れようとしていたとしたら……。

「…ごめんね。」

ごめんね、ゆかちゃん。
のっち、余裕ない奴でごめんね。

ゆかちゃんの頬に残った涙の後を、指先でそっと撫でる。
あんなに触れるのを拒んだ体温は、記憶の片隅に残ってたそれとぴったり一致した。

ゆかちゃんを忘れられなくて苦しんでた時、
……のっちの前からいなくなるんなら、のっちの中に残ってるゆかちゃんを回収してからいなくなってよ。
だなんて、思ったことがある。

でも、そんなんじゃなかったのかも。

大好きだから、忘れたかった。

でも…
忘れられないのも、大好きだから、だったんだね。

絶望的に遠く見えた寝顔が、ちょっとだけ近付いた気がした。




翌朝。
のっちは、ゆかちゃんを駅まで送った。

「ありがと。……色々、ごめんね。」
「いや、良いよ。」

こっちこそ、ありがとうだよ。
ゆかちゃんが寝ちゃってから、色々考えたよ。

寂しいとか忘れたいとか、もう思わないよ。
今、笑顔で、またねって手を振ったら、次に会えた時も笑顔でいられるよね?
ゆかちゃんの言ってた「友達に戻る」って、そうゆうことでしょ?
だったら……今ならのっちは、そんな2人を望むよ。

ホームに電車が滑り込んでくる。
ゆかちゃんはこっちを振り返って、何か言おうとしてる。

「あの、…のっち、」
「…またおいでよ。」

驚いて見開かれた目を見て、笑って続ける。

「待ってるから。」

ゆかちゃんの顔に笑顔が広がる。

「うん!!」

開いた電車のドアに、ゆかちゃんが入っていく。

「じゃあ、またね。」

目の前でドアが閉まって、電車が走り出す。
ゆっくりと加速しながら遠ざかる電車が見えなくなるまで、私は手を振っていた。



  • End-





最終更新:2009年07月22日 23:01