ベッドがきしむ音がして、仰向けに寝っ転がってるあたしの上に、ふわり、と柔らかい気配がした。
忍び笑い。あたしの頬をくすぐる髪。甘い、シャンプーの香り。
目を開けなくても分かる。
あたしは目を閉じたまま腕を伸ばして、気配を抱きすくめようとしたけど、あ~ちゃんは猫のようにすり抜けて、
「のっち、いつまで寝とんよ?もう夕方じゃけえ」
そうお母さんみたいな小言を甘い声で言いながら、あたしの額をぐりぐりとこづいて笑う。
あたしは重いまぶたをうっすら開けた。
ベッドサイドであ~ちゃんはすました感じで後ろ手を組んで、あたしを笑顔で見下ろしていた。
開け放した窓から差し込む西日で、あ~ちゃんは柔らかく、溶けるようで。
そのふわりとした甘さに、あたしは今さらながらこの存在が側にいてくれることに、切ないほど心が震えた。
「のっち、寝てばっかおらんと、少しは部屋を片付けんさい」
「ん~、今度」
あたしがのそのそ言うと、あ~ちゃんは顔をしかめて、もうとか何とか言いながら。あたしの散らかしたCDとか、脱ぎ捨てたTシャツとか、がさがさ片付け始めた。
あたしはあ~ちゃんがあたしの部屋にいるのを見るのが好きだ。
あたしのTVゲームとか食べかけの菓子袋とかに悪態つきながら、猫が踏み踏みしてマーキングするみたく、あ~ちゃんは甘い気配を残していく。
あ~ちゃんはあたしのシャツをつまんで、
「タバコ臭~い」
と睨んだ。
「ああ、昨日クラブとかライブハウスはしごしたけえ…」
そう言いながら、あたしの気分は急激に沈んだ。
そんなあたしの顔色を読んだのか、あ~ちゃんは明るい声で、
「またオール?のっち、ほんま好きじゃね」
と笑った。
その眩しい笑顔にあたしは自分が情けなくなって。
ベッドにごろんとうつ伏せた。
…あ~ちゃんは、きかない。
分かってて、きかないんだ。
そう、分かってる。さっき部屋を片付けた時に、あたしのギターの周りに散らばった五線譜が、まっさらの真っ白なのを見たはず。
あたしが連日連夜、爆音の洪水に身を浸しながら、あたしの音が見つからずにもがいてることを。
あ~ちゃんは知ってて、黙ってる。
あたしの曲作りが行き詰まってて、作詞のゆかちゃんにも迷惑をかけてる。
ゆかちゃんに先に詞をイメージとして書いてもらうこともあるけど、今回はあたしがどうしても作りたい曲がある、なんて大きいことを言ったのに。
…そう。イメージはあるんだ。
攻撃的なガンガンに響く重低音。暴れるような高速のビート。そこにゆかちゃんの繊細で切ないピアノアレンジを加えて。
そして、あ~ちゃんの甘い声。攻撃も痛みも、すべて柔らかく包むような。
…イメージは、出来てるのに。
あたしの、音が見つからない。
「…のっち」
うつ伏せになったあたしの髪をあ~ちゃんが撫でる。
勝手な言い分だけど、こんな時に優しくされたくなくて。
あたしはあ~ちゃんの腕をつかんで、引きずり込むように荒いキスをした。
あ~ちゃんの肩が少し震えたけど、抵抗は無くて。すぐにあたしに合わせるように、唇は柔らかく動いた。
…ああ。慰められてる。子供みたいに。
…ふがいない。
あたしはあ~ちゃんを押しのけて、
「…出かけて来る」
とパーカーをひっつかんだ。
あ~ちゃんの方は見なかった。見れなかった。
部屋に一人ぽつんと残されるあ~ちゃんを思うと、かわいそうで愛しくて胸が痛むから。
あたしはパーカーのポケットに突っ込まれた携帯をつかんで、ゆかちゃんに電話した。
呼び出したカフェに向かうと、ゆかちゃんは既に来ていた。
暗い照明の中、ほっそりとしたシルエットは目立つ。
薄いグレーのシックなロングTシャツにスキニー、ルーズなストールや大ぶりのアクセが決まってる。重めのバングスがフランスのモデルみたいで、あたしは一瞬見とれた。
ほんと、女神みたいな女の子だ。
「のっち、ここんとこ毎晩夜遊びしとるじゃろ」
ゆかちゃんは横目であたしを冷たく見ながら言った。
「姫をほったらかしとったらいけんじゃろ」
「あ~ちゃんは連れて来れん」
「何でよ?」
「タバコの煙とかひどいけえ、喉を痛めたらいけん」
「…変な男もおるしね」
ゆかちゃんは全てお見通し、って顔でニヤリと笑った。
可愛い顔と声で、クリティカルヒットをはなつ女神だ。
「相変わらず、のっちは過保護じゃねえ」
ゆかちゃんのにやにや笑いに、あたしはパーカーのポケットに手を突っ込みながらそっぽを向いた。
…カッコ悪。
でも。あたしは誰にも渡したくないんだ。
例えばあ~ちゃんのメールアドレスとか。あ~ちゃんの肩に触れる権利とか、あ~ちゃんの髪飾りを直す権利とか、そんな些細なものまで全部。
そして。一番渡したくないのは。
あたしが最近気分が乗らないのは、アイコ先輩のバンドとセッションしてからだ。あの時のあ~ちゃんの歌声。楽しそうに跳ねる、のびのびとした甘い声。
あ~ちゃんがアイコ先輩の作る歌が好きなのは前から知ってた。あ~ちゃんの声質と合うだろうななんて、むしろ楽しみにしてたのに。
自分でもやばいくらい。誰にも渡したくないんだ。あ~ちゃんと、あたしの音楽。あたし達の絶対領域。
誰の歌も歌わせたくないほど。あ~ちゃんと音楽は、あたしの中の唯一で絶対的なもので。…ほんと、情けないくらい。あたしを、狂わすんだ。
「のっち、難しい顔しとるよ。考え過ぎ」
ゆかちゃんの細い指があたしの眉間をつっつく。
「ゆかは前から思っとるんだけど」
ゆかちゃんの黒い瞳が光る。
「のっちは才能、ゆかは頭脳、そしてあ~ちゃんは感情」
「…え?」
「考えるのは、ゆかの仕事じゃけえ。のっちは何も考えんで、感性のまま突っ走りんさい」
「……」
「…で、うちらに喜びを与えてくれるのが、あ~ちゃん」
…なるほど。さすが頭脳を司る女神の言うことは違う。
あたしはゆっくりと口を開く。
「うちは、あ~ちゃんを喜ばせとんかなあ…?」
「…のっち?」
「あたしの音楽で、あ~ちゃんを縛りつけとらんかな?」
あたしのどうしようもない独占欲で。あの、伸びやかな声を。
「…ほんと、のっちはろくなこと考えんね。やっぱり、考えるのはゆかの仕事じゃね」
ゆかちゃんはそう言って、あたしと目を合わせたまま、ゆっくりと顔を傾けてきた。
黒い瞳が近づいて。誘われるように唇を重ねる。
ジンのツンとした強い香りと、ライムの爽やかな香りが口をつたう。くらりとするような。女神からの励ましのキス。
ゆかちゃんは身を離しながら微笑んで、
「のっちには頑張ってもらわんと。音楽をとったら、うちらは何も失くなるんじゃけえ」
…そう。音楽以上にあたし達をつなぐものはない。
ゆかちゃんはソファから立ち上がって、あたしを促すように見下ろした。
あたしは頷いて、立ち上がった。
「古いロック聴けるとこ、行ってみよっか」
「ジャズも行っとく?」
カオスみたいな音の海。そこに埋もれたあたし達の音楽を見つけ出す為に。
ゆかちゃんとあたしは、肩を並べて歩き出した。
前編終わり
最終更新:2008年10月10日 23:49