ツアーファイナル。
「うちらが楽しまにゃ、お客さんも楽しくないけぇ…」
いつものあ~ちゃんの声が響く。薄暗くてひっそりした廊下。
不安と緊張で押しつぶされそうになる。
たくさんのことを共有してきた、6つの手が重なる。
二人の手も緊張で冷たい。あたしは目を閉じる。
数分の静かな時間が流れる。
8年の軌跡、ステージ上のイメージ、MCの内容。二人は何を考えてるかな。
あたしは心を空っぽにする。
これから起こる全てのことを、残さず受け止められるように。
ゆかちゃんが暗い廊下を歩き出した。あ~ちゃんもその後に続く。
前方の非常灯が、後光みたいに射している。
後ろ姿が強くて美しい。少し気後れするぐらい。
あたしも歩みを進める。どす。何かにぶつかった。
甘い香りとふわっとした髪が頬をなでた。見えなくてもわかる。
立ち止まって、振り向かずに言った。
「のっち」
「ちゃんと聞いててね」
そう言ってまた歩き出した。
何のことを言っているのかはわからなかった。
…ステージからはもうイントロが流れ始めてる。
歓声が沸き起こる。みんなが待ってくれてる。
あたしは大きく息を吐いて、ステージに向かった。
泣かないって決めてたのに。
舞台袖にはけるとき、ついに号泣してしまった。
結局、あたしなんかの心を空っぽにしたぐらいじゃ、
受け止めきれないほどの感動と興奮は、溢れて涙になった。
…連れていかれるがままに打ち上げの店に入ると、
みんな泣いたり笑ったりしてる。興奮はなかなか覚めない。
それがとっても自然なように、少し先にあ~ちゃんを見つける。
スタッフさんに囲まれて太陽みたいに笑ってる。
「あたし、のちおくんのことが…すきです!」
ドン!And I~!!
フロアタムの音が鳴り、甘くて重厚なヴォーカルが響いてた。
アトマイザー劇場はなんとも言えない興奮で幕を引いた。
キラキラ笑う顔を遠くから見てみる。
ちっちゃくて子供みたいに後ろにくっついてるだけだったあたしを、
ここに連れてきてくれた。感謝と敬意が入り交じる。
そうだ。好きだって気持ちだけじゃない。
君がいなかったら。今日のこの日もなかったんだよ。
あ~ちゃんは、こっちに気づくと笑いながら手を振った。
その手はこないだあたしの背中に回してくれた手だけど、
8年もの間あたしの手を引き続けてくれた手でもあった。
あたしたち色んなもの背負ってるけど。
あ~ちゃんだけは荷物の重さが違うよ。
これ以上、その荷物を重くするなんてできない。
納得がいった。
すっきりした気持ちになって、あたしは親指を立てて微笑んだ。
はやく、ありがとうって言いたい。
ゆかちゃんがあたしを見つける。
「あ~ちゃんのとこ、早く行こっ」
似たようなこと、考えてるのかな。
歩きながら、あたしの肩を小突いていたずらっぽく笑う。
「のちおくん、よかったじゃんー」
「ま、これが現実じゃったらねえ…」
でももうええんよ、とあたしが苦笑いで続けようとしたとき。
ゆかちゃんがグラスを手渡しながら言った。
「のっち知ってる?」
「どんな物語だって、王子様とお姫様は結ばれる運命なんよ?」
…知ってるよ。
でも、今から迎えにいくのは大事な大事なお姫様だけど、
あたしはきっと王子じゃないよ。
あーやっぱいつまでも寝てられるって最高だ。。
枕に顔をうずめて、あたしはうなった。
昨夜ファイナルだったなんてちょっと信じられないくらい、
普段どおりの自分だった。
昨夜はひとつの結論が出た。
でも、今はいつもどおり、眠くなくなるまで寝てよう。
いろんなことを考えるのはそれからでいいや。
そう思って寝たのに。
二度目に目が覚めたのは、それでも恋しい人の声が聞こえたからだった。
「…もしもし」
「のっち、あんたまだ寝よるん?開けんさい!」
開けんさいって…まさか。玄関のドアを開けると、
そこにはなんだかよくわからない色のワンピースを着たあ~ちゃんがいた。
「いきなりどーしたん」
「どうもせん。せっかくの休みじゃけ」
あ~ちゃんはあたしの部屋に入ると、物が散らばってる床の上に座った。
いつもなら、あたしはうれしくて、慌てて、顔が赤くなってるだろう。
でも今日は違う。
とりあえず空っぽの冷蔵庫からペットボトルを取り出して、飲みながら部屋に戻る。
お姫様の荷物を降ろしてあげる王子様になるんだ。
見下ろすと、あ~ちゃんは下を向いて、ただ座ってるだけだった。
なんだか今日は、肩が小さいな。
たぶん、何か言いたいことがあるんだよね。
抱きしめたい衝動に襲われながら、あたしは昨夜の気持ちを思い出した。
「もうあ~ちゃんを困らせるようなことは言わんけえ、いつもみたいに笑ってや」
返ってくる言葉を待つ間、そう言えた自分に、あたしは誇らしい気持ちになった。
「…やっぱり!」
でもあ~ちゃんの言葉はあたしの想像の斜め上だった。くすくす笑い出す。
「あんた何真面目な顔しとん」
「へ?」
全身の力が抜ける。
「あ~ちゃんの言うこと聞いとらんかったじゃろ」
「へ?」
「人生初の告白じゃったのに」
「へ?」
もう、へ?しか言えない。
「じゃああれって…?」
「うん」
あ~ちゃんは小さくうなずいた。
その瞬間あまりの出来事に、あたしはへなへなとベッドに腰を落とした。
逆転満塁ホームランじゃないか。
なんじゃそりゃ。
目の前で恥ずかしそうに笑うふわふわパーマの子は、姫か?天使か?女神か?
あ~ちゃんはあたしに思考の余地を与えてはくれない。
「でも、もらってばかりでなんもあげるもんがないんよ」
「…そんなこと」
ないよ、と続けようとしてすかさずあ~ちゃんがかぶせてくる。
下を向いて、静かだけど、強い口調。
「そんなこと、許されんのよ」
「…そんなこと」
ないよ、とまた言おうとする。自分の声が情けないほどかぼそい。
何て言ったらいい。何て言ってほしい。
そう思うのに。
かわりにあ~ちゃんは、あたしが言ってほしい言葉をいとも簡単に発した。
髪を耳にかけながら、あたしを見上げてくる。
「…でもすき。どうすればいい?」
テーブルの上に置かれた手。細い指。数日前のあの衝動がよみがえる。
その手ごと奪いつくしてしまいたい。
頭が真っ白になる。目が合ったまま、あ~ちゃんを引き寄せた。
「…ふわぁ」
え?今ふわぁって言った?
展開がめちゃくちゃだ。口を押さえてあくびをしてる。
空気が和らぐ。あたしはやっと言葉を発するタイミングを見つけた。
話をするきっかけまで作り出してくれるなんて、やっぱりこの子は神がかってる。
「せっかくの休みなのに、朝からよう動けるねえ」
「寝とらんのよ」
「なんかすごく疲れてるのに、ふわふわして全然寝れんかった」
とかなんとかむにゃむにゃ言う。
むにゃむにゃって声。もっと近くで聞きたい。
さっきまでのシリアスな顔が嘘のように、あ~ちゃんが笑う。
「だから寝にきたんよ」
「のっちのとこが、一番安心して寝れると思ったけぇ」
ほう。そうか。
…いや、「ほう。そうか。」じゃないって。
なんで眠れなかったの。一人で、ここに来るまで何考えてたの。
泣いたの。いろいろ聞きたかった。
でもあ~ちゃんはやっぱりあたしに空白をくれない。
「のっち」
「だっこして」
なんて奇跡だ。
王子様じゃなくなったはずのあたしは今、お姫様から抱っこをせがまれてる。
ベッドに腰かけたあたしの首に腕を回して、
あ~ちゃんが膝の上に乗ってくる。
胸の上あたりに顔をすりすりしながら、満足気な顔をしてる。
あ~ちゃんを抱きしめるようになってから、
あたしの中の柔らかいの意味が変わった気がする。
「だっこだっこ」
そう言いながら、あ~ちゃんはうれしそうに笑ってくれる。
足をばたばたさせて、スカートの裾が揺れる。
自然にその唇に目がいく。
「待ちんさい!」
「えっ?」
「今日は、あ~ちゃんからするけぇ」
そういや今までキスしたことで頭がいっぱいで。
あ~ちゃんからされたことなんて一回もなかったっけ。
目を合わせたまま近づいてくる。
早くその柔らかさで包んでほしいと願いながら、目を閉じた。
ちゅっ…ほっぺにやさしい感触がした。
んんん?今ちゅってなった?
なんだこのミラクルな音色。心が揺さぶられる。
「…あ~ちゃんのちゅーは音がするんじゃね」
「えっ…」
あ~ちゃんの顔が真っ赤になった。あたしはやっと余裕を取り戻す。
「かーわいい」
そう言ってあ~ちゃんをまた引き寄せた。
さっきよりも、きっと力強いに違いない。
ばしっ
「そんなこと言う子には、もうしてあげんけぇ」
顔を真っ赤にしたまま、ものすごい形相をしてる。
ああ。こんな幸せなやりとりを、これから重ねていくんだね。
「ごめんごめん!ご飯おごるけえ」
「のっちと違ってあ~ちゃんは食べ物にはつられん」
きっと何も変わってない。
好きな人に好きって言ってもらっただけ。
ただそれだけのことなのに。
…外に出ると、昼の光がまぶしくて目が眩んだ。
「どこ行こっか」
「おいしいごはんやさん」
二人で並んで歩く。肩が触れて体温が伝わる。
あ~ちゃんはまだふくれっ面だけど。
先を歩くカップルが照れくさそうに手をつないでる。
いつもなら舌打ちするとこだけど、今日は微笑ましい。
あたしもたいがい現金なやつだ。
「のっち」
あ~ちゃんが数歩先を歩いたと思ったら、不意に振り返った。
それがスローモーションに見えて、言葉を失ってしまう。
眠そうなまぶたのくせに、いつものキラキラした笑顔をくれる。
「…うらやましいんでしょ、手つないでみる?」
どこへでも連れていってくれると思ってたこの手を、
今はどこへでも連れていってあげたい。
あたしそっと深呼吸をして、差し伸べられた柔らかい手を握った。
(終わり)
最終更新:2008年10月11日 01:12