side.N
恐かった。
色んなものを手に入れる。
その時は気付かなくても、手に入れたあとは、常に失うかもしれない恐怖が付きまとう。
なんでもかんでも思い通りになるうちに、彼女の心も拐ってしまえば良かった。
全てを失ってからは、手に入れるのも恐くなった。
手に入れていたものは、全部手放した。
勘違いしてたな。
あたしじゃなかった。
全部、彼女だった。
あたしは一人で上手くやってる気になってただけだ。
本当は、一人じゃなにもできない。
大好きな子を輝かせることもできやしない。
なにを思い上がってたんだろう。
あたしじゃダメだ。
あたし達二人ともそうだ。
彼女じゃなきゃ、ダメ。
あたし達三人でずっといた頃は、三人が三人とも今よりずっと輝いてた。
ゆかちゃんだって、今よりずっと笑顔が素敵だった。
あの頃みたいに、あたしはゆかちゃんを満たしてあげられるだろうか?
無理だよ。
今のあたしには、なにもない。
あの頃みたいに、持て囃してくれる人達もいない。
ゆかちゃんは、変わらず一緒にいられれば良いと言った。
なにもかも全部変わり果ててしまったのに。
変わらない事なんて、無理なのに。
それなのに、彼女はそう言った。
あたしは嫌だよ。
もっと与えてあげたい。
君を輝かせたい。
自分自身は、堕ちていくばかりなのに……
できることなんてひたすら減っていくだけなのに。
でも、そう思ってた。
だけど、それもオシマイにしようね。
無理なら、止めてしまおう。
あたしは知ってるから。
あなたに全部与えてくれる人。
考えてみれば、あたしにとったって、同じ存在だ。
遅いのは分かってるよ。
でも、やっと分かった。
最低なことして、やっと気付けたんだ。
彼女があたしに何を伝えにきたのかは、ちゃんと分かってないけど。きっかけにはなったよ。
時間が経つって恐いね。
昔は、彼女のことで分からないことなんてなかったのに。
自分のことは、昔から分からないことだらけだけど。
一人になった部屋の中を眺める。
当然の視界。
さっきまでが、異常。
客観的に見りゃ、淋しい奴の部屋だよ、ホントに。
彼女が開け放っていった、窓を閉めた。
部屋を閉め切ると安心した。
やっと。
そう思った矢先、部屋のインターホンが鳴って、酷くうんざりした。
この部屋を訪れる人間は、二人しかいないから。
side.A
受動的で、非戦主義。
自発的行為は皆無。
昔からそういう傾向はあったけど、最近は磨きがかかった。
穏やかなんじゃない。冷めてるだけだ。
分かった気になって、逃げてるだけだ。
分からせんといけん。
戦わなきゃ守れないものもある。
覚悟を決めなきゃ奪えないものもある。
そしてどんなに頑張ったって、結果にならないことだってあるんよ。
夢から醒めるのが恐いから、夢を見ることをやめる。
失うのが怖いから、手に入れようとしない。
縛られたくないから、与えようとしない。
心が。体が。壊れてしまわないように、生きようとしていない。
そんなん許せん。
死んでる様に生きていても仕様がない。
痛いこともあるし、辛いこともあるけど、生きていくのってそういうことだ。
変わることが恐怖なら、死んでしまえばいい。
言ってくれれば、あたしが殺してやりたい。
でもそうじゃないでしょ?
あなたは、夢見ることの素晴らしさだって知ってるし、人を好きになることの美しさだって知ってる。
なら、引っ張り上げるだけだ。
奥にある熱を。
隠した希望を。
臆病になった心を。
閉じ籠った世界から引き摺り出してやる。
自宅に帰りシャワーを浴びたあたしは、着替えてすぐに出掛けた。
この間と同じ様に、狭い小階段を降り、空気の悪いフロアを抜け、薄いガラスのドアを押す。
「いらっしゃいませ」
バーテンダーが、代わり映えしない笑顔を寄越した。
一番奥のカウンターに腰を掛ける。
ここから見える景色を、何日か前の彼女と共有する。
平日だからか、人は疎らだしステージに立つ人もいない。
「歌いますか?」
「え?」
「いえ、つまらなそうな顔なさったので。失礼ですがね」
「歌えるんですか?」
「ええ。よく飛び入りの方、歌ってらっしゃいますよ。凡非凡はさて置き」
「そうですか……でもあたしは」
「残念です」
「こないだと同じものを。覚えてらっしゃいます?」
「勿論です。かしこまりました」
大袈裟な動きのバーテンダーを見つめる。
彼女がここに来る理由が少し分かった気がした。
簡単なことだ。
この人が、上手だからだ。
この空間は、求められているのが分からないくらい繊細に、確かに求めている。
side.K
衝動的な感情の欠点は、冷静な思考が停止するところだ。
彼女の部屋の前で、暫し居竦む。
乱れた呼吸を整える。
それでも、気持ちは分かりやすい。
衝動は短絡だから。
シンプルな感情が吹き出した結果、あたしはここにいる。
会いたい。
他に何が要る?
何も要らない。
インターホンを押す。
いつまでうじうじ考えていても、埒が開かない。
一番簡単な方法。
彼女に聞けばいい。
返事はなかった。
居ないのかな?
一本連絡してからくれば良かったんだけど、それができるなら苦労はしない。
もう一度インターホンを押す。
間の抜けた音が、静かなマンションのフロアに鳴り響いた。
居ない、ね。
そう思った瞬間、携帯が鳴った。
ディスプレイには彼女の名前。
途端に早鐘が打ち始める。
「……もしもし」
『ゆかちゃん?』
「うん」
『今、うちの前にいるでしょ』
「……うん」
声を聞いて、泣きそうになる。
懐かしさと、僅かに含まれる拒絶の声色。
感じないはずがない。
『帰って』
ほら。
いるなら、顔くらい見せてよ。
わざわざ携帯に電話してきて。そんなに会いたくないの。
「……どうして?」
うざがられるかな。
面倒臭いだろうな。
あたしの喉から出る声は、既に震えていた。
『今は、会えない』
「どうしてよ!?」
『……ごめん。たった今、あたしあ〜ちゃんを抱いた。ごめんなさい』
辺りから、音が消えた。
元々静かだったけど、あたしの心臓の音も聞こえなくなったから、尚更。
あ〜ちゃん?
あ〜ちゃんってなによ。
誰のことよ。あのあ〜ちゃん?
昨日の夜。あ〜ちゃんが、あたしの部屋に来た時のことを思い出した。
「……開けて」
『だから……』
「開けて!」
それだけ言うと、あたしは携帯を切った。
彼女の事だ。
これで放っておける人じゃないのはあたしだって知ってる。
案の定、暫くするとカチャリと鍵の開く音がした。
あたしはゆっくりドアを開ける。
俯いた彼女の顔は見えない。
だけど、あたしが今どれだけ醜い顔をしてるかは、安易に想像できた。
〜続く〜
最終更新:2009年08月01日 22:29