吐いた。
いや。正確に言えば、吐きそうになった。
昔からそうだ。
顔を知ってる人のそういう話を聞くと色々想像しちゃって、
妙に生々しくて、気持ちが悪くなる。
ましてや十年くらい一緒にいて、一人はのっちが大好きな人で、
話を聞いたどころかこの目にしてしまったら。
お手洗いに駆け込んで正解だった。
ほんの一瞬しか見てないはずなんだけど、目を閉じるとはっきりと浮かぶあの光景。
ゆかちゃんが彼女を壁に押し付けて。
ゆかちゃんが彼女に噛み付くようなキスをして。
ゆかちゃんが彼女のワンピの下から手を入れて。
その手の向かう先は簡単に予想がついた。
「うっ…」
なんでだろう。
自分がそんなことしてても何も思わないのに。
自分以外の人間には潔癖なのかな。
「はぁ…はぁ…っ」
何も吐けないけど、何か吐いた方が楽になることを知ってる。
洗面台で頭を上げて鏡を見ると、すっぴんで涙目の悲惨な自分の顔が目に入ってなんだか笑えた。
「次の撮影、いつからだっけ…」
ある程度落ち着いてから、鏡の中の自分に問いかける。
携帯も楽屋に忘れてしまって、最悪。
楽屋に戻りたくないと再び顔を俯けた時、誰かが入ってきた。
「のっち?!どしたん?」
ゆかちゃんだった。
「建物出た途端、なんか気持ち悪くなっちゃって…」
「帰って来るの遅いって思ってたら…言ってくれればよかったのに。ほんと、大丈夫?」
言ってたら、ゆかちゃんは彼女とあんなことしなかったの?
「…携帯、持ってくの忘れてさ」
携帯忘れたのっちが悪いの?
「もう…」
ゆかちゃんはのっちの背中を摩ろうとして一瞬戸惑い、先に簡単に手を洗った。
そりゃそうだよね。
さっきまでその手で彼女を犯してたんだもん。
そのコンプレックスに塗れた手で。
またあの光景が蘇る。
だけど今度は大丈夫だった。
楽屋に戻ってから、彼女からも心配された。
今までだったらこんなに嬉しいことはなかったのに。
楽屋であんなことしてた人が、自分の心配を心からしてくれてるなんて到底信じられなかった。
どうせ頭の中、『ゆかちゃん』なんでしょ?
二人がどういう経緯でそうなったのかはどうでもいい。
彼女の気持ちが自分ではない人に完全に向いてしまったのが嫌だった。
「あ〜ちゃん、また蚊にかまれたの?」
「ん?なんで?」
「首元紅いから」
「えっ、ほんと?」
慌てて彼女は鏡で確認する。
ないよ。
紅いとこなんて。
「嘘だよ。」
「…な、なんなんそれ!」
いいじゃん。
嘘くらい。
今に始まった訳じゃないもん。
携帯を開いて届いていたメール。
こんなメール、もう要らない。
内容もろくに見ずに、返信した。
『今まで恋人ごっこに付き合ってくれてありがとう。
別れましょう。さようなら。』
あなたを使ってじゃ、彼女を振り向かせられないから。
こんなにのっちが想っているのに、彼女は振り向くことはないから。
つまり彼女は、のっちのことなんて何とも思ってない。
ほら。
こんなとこまで。
おわり
最終更新:2009年08月01日 22:56