震えた気がして、慌ててポケットからケイタイを取り出した。
だけど、その画面は数分前と何ら変わることはなくて。
さっきから何度もケイタイを開いては閉じ、開いては閉じ、、を繰り返している。
この期に及んで、何を期待してるっていうの?
『西脇さん、ぜんぶ、知ってたよ』
『その上で、付き合い続けてたなんて健気な彼女だね』
『まぁ、アンタにすれば、そんな子騙すのなんて簡単なんだろうけど』
身から出た錆、、か。
まったく、、その通りだよ。
自嘲する心の声に従って、沈黙したままのケイタイの電源を落とした。
真っ黒な画面を閉じたら、ちょうど電車は目的地に着いたところだった。
向かう先は、いつものクラブ。
何度も通い慣れた道を目に焼き付ける。
そして、これが最後になるんだ、と自分に言い聞かせる。
川沿いの細い通りに入ったら、懐かしい香りが広がった。
それはどこかの庭に植えられた金木犀の香り。
そういえば、もう、そんな季節だったね。
あ〜ちゃんものっちも、この金木犀の香りが好きだった。
二人とも、その香りに気がつくと鼻歌を歌い出すんだ。
きっと、あたしだけが知っている。
対照的な二人の共通点。
あたしはその上機嫌なメロディーを聞きながら、繋がれた手をそっと握り直して、その温もりを確かめるの。
だから、あたしもいつの間にか好きになってた。
金木犀の香り。
この道を、よくのっちと二人で歩いたね。
大好きな金木犀の香りを嗅いだり、台風で増水した川を見て子供みたいにはしゃいだり、夜が明けて薄明るくなってきた空に日が昇るのを見たりして。
いつも手を繋いで、たまには暗闇に紛れて腕を組みながら。
ほろ酔い気分で歩く夜の隙間も。
遊び明かして真っ白な朝も。
いつからか、のっちが隣にいることが当たり前になってた。
昨日はおんぶしてもらったんだっけ。
昨日のことはなんとなくしか覚えてないけど、月がキレイだったことはしっかり覚えてるよ。
そして、のっちの背中は泣きたくなるくらい優しかったこと。
そう、いつだって。
のっちは優しかった。
「ゆかちゃん」
あたしを呼ぶ、真っ直ぐな声も。
あたしを抱きしめる、しなやかな腕も。
「好きだよ」
あたしに向けられる、迷いのない眼差しも。
あたしに触れる、まあるい指先も。
「ゆかだけ、だから」
あたしをとろけさせる、熱の篭った吐息も。
あたしを惑わす、たまに意地悪な唇でさえも。
ぜんぶが優しくて。
さり気ない優しさに溢れていて。
泣きたくなるくらい
いつも、幸せ、だった。
その甘い時に、溺れていたかったの。
その心地に、囚われていたかったの。
何度も同じシーンをリプレイするみたいに、
その時を終わらせたくはなかった。
夢じゃないって言って欲しかったんだ。
夢じゃなくても、
終わりはやってくるのにね。
『もうこれ以上、彩乃の邪魔しないでよ』
『ぜんぶ、アンタがしてきたことでしょう?』
うるさいな。
そんなリプレイはいらないんだよ。
もう、終わりにするんだから。
ぜんぶ、終わらせるんだから。
だって、もう崩れちゃったの。
壊す間もなく、崩れちゃったんだよ。
あたしには、特等席もパラダイスももうないの。
帰る場所なんてないんだよ。
だったら、最後の幕くらいはあたしの手で降ろさせてよ。
「本当に、終わり、、なんだってば」
だけど、声に出してまで、自分に言い聞かせなきゃいけないのは、
きっと、まだ未練を棄てきれないから。
そんなに早く切り替えができるほど、本当は器用じゃないの。
そんなに強くもなれないの。
だから、
幸せを、もう一度だけ。
甘い時だけを、もう一度だけ。
リプレイでもいいから、もう一度だけ。
ねぇ、のっち
最後のキスはどんな味がするのかな?
はじめてキスした時みたいに、とろけるくらい甘いものだったらいいね。
to be continued...
最終更新:2009年08月22日 21:45