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side.K


部屋に入った瞬間から、涙が止まらなかった。
何も言わないのっちは、ソファにそっと座って俯いている。


何もない簡素な部屋。
生活を感じさせない空気。
それなのに、部屋一杯を充たしていたのは、紛れもない女の匂い。
只でさえ目眩がしそうなのに、どうやらこれは、あたしも良く知っている彼女の残していったものらしい。


これは、彼女の匂いだ。


気持ち悪い。
吐き気がする。
どうにかなりそう。


抱いたんだ。
のっちが。あ〜ちゃんを。

なんで?
どうして?
一体なにがどうなったら、そんなことが起きるの?
少し前まで、あたしと付き合ってたんじゃないの?
昨日、あたしのところに来てくれたのはなんで?

もうダメだ。
もう全部、わけがわからない。


捨てられた。
騙された。
馬鹿にされた。
裏切られた。


なんでこう、昔っからあたしっていうのはこんな役どころばかりなんだろう。


いよいよあたしは床に崩れた。
泣いた。喚き散らした。
なんで? って。何度叫んでも出てくるのはその言葉だけだったけど。
あとは止めどなく流れる涙。
のっちは微動だにしない。


あたしはきっと、のっちが誰か知らない男の人と二人で歩いてるところを見たって、こんなに取り乱したりはしない。
それなら納得がいくから。
あたし達みたいな関係なら、破綻の理由はわざわざあげるのが馬鹿らしいくらい、腐る程ある。

やっぱり男の人と。っていうなら、こっちとしては引き下がる以外ない。

でも、なんで?
それも、依りにも依ってあたし達の大親友。

なに考えてんの?
二人してちょっとおかしくない?


……分かってる。
なにか考えてるんだよ。
そんなの知ってるよ。
のっちとあ〜ちゃんだ。
特にあ〜ちゃんは、なにか考えでもない限りこんな事しない。
それもきっと、あたしとのっちの為に、ってことも分かってる。
だからあたしは“なんで?”としか言えないんだ。
文句も不満も言えない。

本当は言いたいのに。

物凄くイヤなのに。

いくらなんでも許せないのに。

それでも、言えない。
気持ちが分かるから。
分かってしまうから。
だから、言えない。




side.N


泣き続ける彼女の声を聞いていた。

普段は取り乱したりなんか絶対にしない彼女が、そうしてるのは自分のせいだ。
全部、そうだ。
あたしのせい。


はっきりしない気持ちのまま、彼女と繋がろうとしたのが間違いだったのかな。
でも、あたしは彼女を愛してた。間違いないよ。それは、間違いない。
今だって愛してる。


だから、あ〜ちゃんを抱いた。
あたしはきっと、あたしの為に、彼女を抱いたんだ。

暫くすると、辺りが静かになった。
落ち着いたかな?
そう思ったけど、さっきからあたしの視界には、自分の膝しか見えていないから判断のしようがない。
取り乱すなんて、珍しいね。なんて。そんな調子で話しかけようかなとも思ったけど、畳み掛けられるのが目に見えたから、それもやめた。


好きになったから。
大切になったから。
その分、怖くなったんだよ。
楽になりたかった。
だから、抱いた。
そうすれば、嫌いになってもらえるから。
あたしから、離れていくだろうから。
そうすれば、悩んで考えて怖くなることなんてなくなる。楽になれる。


その為には、彼女は打ってつけだった。
恐らく、世界で一番。
他の誰よりも、嫌悪感を抱かせる相手だろう。


そんなこと考えてる割りに、現状に焦るあたし。
どうしようもない。
自ら突き放してるにも関わらず、周りに誰もいなくなることも恐れてる。
いよいよ、救い様がない。


「……ゆかちゃん?」


何を言うつもりなんだろう。分からないけど、顔を上げると、両手を床について項垂れる彼女の姿が見えたから、呼吸するみたいに声が出た。
勿論、返事はない。


ごめんね、か?
いや、それは違う。
あたしはこうなることを望んで彼女に手を出した。
それに今更謝るなんて、ゆかちゃんにとってもなんの意味も成さない。

あたしはこうなることを望んでたの?
今、冷静に考えれば随分馬鹿らしい。
でも、そうだ。楽になりたいって思ったのは、絶対だ。
その為の方法が、これしか思い浮かばなかったのもそう。

でも、この空気は堪え難い。楽になる為の最後の心痛?
ホントにそうかな?


「ねぇ……」


音のない部屋に突然ゆかちゃんの声が響き、あたしの心臓がひとつ高く跳ねた。

思ったより落ち着いた、低い声だった。


「ゆかのこと……すき?」



今度はあたしが黙る番だ。
答えられる訳がない。大体どう答えるのが正解かなんて、あたしには到底分からない。


静かすぎる部屋に響く声は、凶器の様。
彼女の声がすれば、あたしの体は強張り鼓動は跳ねる。
それどころか、自分の発する声にさえ驚かされる。

望んでいた世界とは少し違っていたけど、どうってことはない。どうせ、大差ない。


「じゃあさ……」


また、彼女の声が響く。
鼻にかかって甘えたな、いつもの声。あたしを癒す、和ませるその声。
恐いのは、なぜ?
なにを言うか、わからないから? 後ろめたさかな。


彼女がゆっくり頭を上げ、こちらに視線を寄越した。
不安、悲哀、期待、懇願。色んな感情をごちゃ混ぜにした様な顔で、瞳に一杯の涙を溜めて、あたしを見た。

あたしの全神経が、彼女に向けられる。
世界が止まってしまった様な、そんな感覚。


「嫌いになった?」


震えた声で、そんなことを言う。
あたしが、あなたを?
そんな訳ない。あたしは小さく首を横に振った。
あたしが嫌いになったのは、あたし自身。当然あなたもそうじゃないの?


首を振ったあたしを見て、ほんの少し、本当に弱々しくふわりと微笑んだ彼女は、何も言わずに近付いてくる。
できれば触れないでほしい。できれば触れさせないでほしい。


あたしの右腕。洋服の袖口をちょこんと摘まむと、そのまま背を向けあたしを引っ張る。
導かれる先は、想像するまでもない。


「できないよ!」


あたしの声なんて聞こえていない様に、そのままの行動を続ける彼女。


「ねぇっ、やだよ。できない」


振り返りもせず立ち止まると、小さくどうして? と呟く。

どうしてもなにもない。できるわけない。そんな気になれるわけない。


「……違う女は抱いたくせに」


“違う女”
彼女の言葉に、ひどく胸が苦しくなった。
ギリギリだ。今の彼女は、片足で平均台の上に立っている。少し押せば、あちらに倒れ二度とあたしのもとには来ないだろう。そして少し引っ張れば、いとも簡単にあたしの腕に帰ってくる。


そんなの決まってる。押せばいい。望み通り。
ベッドを目の前に、ゆかちゃんは立ち止まった。そして振り返る。瞳から溢れた涙が頬を伝っている。涙目で真っ直ぐみつめるその瞳に、あたしは簡単に射抜かれた。


「きっとのっちと一緒だよ」

小さく呟く。

「一人に……なりたくない」

そう言って一際涙を流した彼女を、殆ど衝動的に押し倒した。

ほらみろ。選択を迫られれば、あたしはどうせこんなもんだ。
散々傷付けたくせに、結局するんじゃん。たった今あ〜ちゃんを抱いたこのベッドで。
最低。なにやってんだよ自分。


何されたって良い。
そんな様子で瞳を閉じるゆかちゃんを、見下ろした。


〜続く〜





最終更新:2009年08月22日 22:05