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それは、梅雨の合間の出来事。
束の間の晴れ渡った空の下、
ゆかちゃんから、突然のメールが届いた。
「 もう歌いたくない 」
ゆかちゃんは、ここのところ様子がおかしかった。
レコーディングでも振り付けでも、なぜかうまく出来ず、
ひとりで何度もやり直していた。スランプかもしれない。
こんなに悩んでいたなんて、…気づくのが遅すぎた。
あたしは走った。息を切らして、全力で駆け抜ける。
目指す場所に着くと呼吸を整える暇もなく、玄関のチャイムを鳴らした。
待っても返事がないのでノブを回すと、扉が開いた。
ほんの少し身を乗り出して、奥に向かって声をかける。
「こんにちは!」
反応がない。思い切って中を覗き込んでも、人の気配がない。
たたきに上がって、もう一度声をかける。
「お邪魔します…、ゆかちゃん、いますか?」
静まり返った玄関に、あたしの声だけが響いた。
「…ゆかちゃん、おるんでしょ?勝手に上がるけぇね!」
みんな留守なんだ。ただ一人を除いては。
家の中をずんずん進んで、目的の部屋の前に来ると、
深呼吸をひとつして、ドアをノックした。
「ゆかちゃん、返事して。」
なにも返ってこない。時間が、止まっている。
部屋に鍵はついてないから、ノブを回せばドアは簡単に開く。
ノブを握ったまま、ドアに頭をつけて耳を澄ます。
「…ね、ゆかちゃん、お願い。…声、聞かせて。」
「――ッ…。」
空気が、かすかに揺らいだ。ためらいながらノブを捻ると、
扉の隙間から、冷えた空気が廊下に流れ出してきた
勇気を出して部屋に入ると、
日差しがゆるやかに差し込む部屋の中で、ゆかちゃんが凍えていた。
小さなベットの上に、シーツを頭からすっぽりかぶって、丸まっている。
「ゆかちゃん…」
真っ白いカタマリに手を触れると、弱弱しくかすれた声が、絞り出された。
「…来ないで。」
途端に心の中に、言葉が溢れだす。
ゆかちゃん泣かないで、どうしたの、何がそんなに悲しいの、
何でも言ってよ、どんな話も聞くから、あ~ちゃん何もできんかもしれんけど、
ずっとそばにおるよ、ねぇ、ゆかちゃん…。
だけど、どんな言葉も、きっと、―――届かない気がした。
シーツの上から頬をあてて、ゆかちゃんの体温を確かめる。
こんなにも温かいのに。震えが伝わってくる。
「…ゆかは、…もう、必要ないコなんよ…。」
「そんなわけないっ!ゆかちゃんは絶対必要に決まっとるじゃろ!
なんでそんなこと言うんよっ!あ~ちゃん、怒るよ!」
ゆかちゃんの言葉にカッとなり、シーツを乱暴に剥ぎ取った。
その中に。
…ゆかちゃんが、ガタガタと震えていた。
髪を乱して顔をぐしゃぐしゃにして、泣いている。
両手で自分を抱いて、赤ちゃんみたいに小さくなって…。
思わずゆかちゃん抱きしめると、耐え切れないように叫びを漏らした。
「…もう、ダメなんよっ…―――ぅぅぅっ!」
「ゆかちゃん!」
ゆかちゃんの隣に横たわって、回した腕に力を込める。でも、震えは収まらない。
(…だめ、こんなんじゃ、ダメ…!)
どんな言葉を連ねても、今のゆかちゃんには届かない。
抱きしめた腕の中が、寂しさと悲しさで一杯になってしまう。
こんなに近くにいるのに。
溢れ出る涙は止めることもできず、あたしの腕を濡らしていく
あたしは、ただ抱き締めることしかできないの、
どうすればいいの、どうして欲しいの、こんな時…。
ゆかちゃんの背中から荒れ狂う気持ちが、零れ出している。
…あぁ。
そう、なんじゃね。
あ~ちゃんも、ホントは知ってる…。
ゆかちゃん。
今のゆかちゃんには、言葉より欲しいものが、あるんじゃろ?
きっと、そうなんじゃろ。
だけどね、それは、…あ~ちゃんに、できるのかな…。
言葉の接ぎ穂を見つけ出せず、無言で背中を撫でていると、
ふいに首を回したゆかちゃんが、消え入りそうな声で、囁いた。
「…ゆか、…あ~ちゃんになら…」
「…何、されても、…いい……、…――――っ」
傷ついた心を、唇を、強いキスで塞ぐ
…ゆかちゃん。わかったから、もういいから。
ゆかちゃんのどんな嘆きも悲しみも、全部あ~ちゃんのものにする。
その代わりあ~ちゃんが持っとるものは、
何でも、すべて、みんな、ぜんぶ、ゆかちゃんにあげる。
そうしよう。それで、いいじゃろ?…
背中から抱きしめたまま、ゆかちゃんの髪にキスをする。
顔を前に戻したゆかちゃんの表情は、見えない
ゆかちゃんの小さな左胸に、手を導かれる
あたしより、もっとドキドキしている。
手に力を込めると、ゆかちゃんが…はぁって、溜息をついた
後ろから抱きすくめたまま、キスの雨を降らせる
弱っていた吐息に甘みが足されて、ダンスをしている時みたいに不規則に乱れ始める
やわらかいカラダが、手の中でしなやかに跳ねる
折れちゃいそうに細い腕は、あたしとはまるで違う生き物みたい
同じ女のコ、なのに。
ゆかちゃんがパジャマ代わりにしている
柔らかいコットンのキャミワンピに手を触れる
長い髪をまとめて左肩に流すと、肩のリボンストラップが見えた
そのリボンに、小さな小さなキスをする
ゆかちゃんは、何も言わない。
戸惑いながらリボンをほどくと、雪のように白い背中が浮かび上がる
はっと息をのむ。…なんて、…綺麗なんじゃろ…
肌に触れる指が震えてしまう
くすぐったいみたいに、ゆかちゃんが体を小さく震わせた
唇をうなじに押し当てて、小さく赤い花を咲かせると
切ない声を洩れてくる。その声がもっと聞きたいの。
ゆかちゃんの首、肩、背骨、それから…天使の羽に、やわらかなキスを。
背中の窪みに鼻先を押し付けると甘い汗と、淡い女のコの香りがする
ゆかちゃんは酸素が足りなくなったみたいに、浅い呼吸を繰り返す
何かをこらえるように、シーツの裾をぎゅっと握りしめて、唇にあてている
時折、堪え切れないほど甘い声が、零れ出す
午後の太陽のやわらかい光の中で、
ゆっくり上昇する温度に、目の前がクラクラしてきた
むせかえるような体温に、意識を保つのも精いっぱいだけど
…でも、ゆかちゃんがあたしを求めている、欲しがっているから…
ゆかちゃん、そんなに苦しまないで
積もった不安と悲しみを、癒してあげる
ねぇ、ひとりで遠くに行かんといて
そんな風に気持ちを閉じ込めんで
あたしはいつだってここにおるよ
気がつくと、
指先がすべるように、ゆかちゃんに…潜っていた
その激しい吐息に操られ惑わされ、夢中になる
吸い込まれるように、もっと深くもっと奥に、
…どこにおるのか、知りたくて
…もっと、もっと…
「ゆかちゃん…」
いつもと違う匂いがするから、いつもと違う温度だから
いつもよりずっと近い距離にいるから
背筋から鼓動を確認するように顔を離さないで、心の中だけで問いかける
(…これで、イイ…?)
あたしのたどたどしい指先に反応する
ゆかちゃんの吐息が、ふわふわと浮いている。
漂う先が見えなくて、たゆたうように熱に浮かされる。
とろけそうな吐息の合間に紡がれた、密やかな囁き
「…ぁっ…、あ~…ちゃっ…、、上、手だ…よ……」
溜息に紛れた言葉が途切れがちに届いて、思わず手を止めた
ためらいを感じ取ったゆかちゃんがかすかに振り向く
熱っぽい眼差しが、不安そうに揺れている
自分の言葉に戸惑ったように、
一瞬合った瞳をそらした、その横顔は、
恥ずかしそうにうつむいて
でも、…何かを、ねだっていた。
あたしは…、
ゆかちゃんが、欲しくて
壊しちゃいそうで、可愛くて、たまらない
怖がらないで、全部を見せて、隠さないで教えて、
もっとそばに来てよ、気持ちを全部伝えてあげる
あたしはどうなったって、かまわないんよ
…ゆかちゃん、ゆかちゃん、ゆかちゃん…
ゆかちゃんが、あたしの腕の中で歌っている。
いつもよりずっと高くて、甘い声。
小さなカラダを丸めて、逃げてしまいそう
どこかへ行ってしまいそうで、消えちゃいそうだから、
ぎゅうぅって抱きしめる。
ゆかちゃん、どこにも行っちゃダメ。
唇から微熱を放つ溜息も、
悲しみも、怒りも、寂しさも、叫びも、寒さも、
何もかも、あ~ちゃんが全部、掬いとってあげるから。
どんどん熱が上がってきて、あたしも泣きそうなの
痛みも、快感も、光の中に、溶け込んでいく
ゆかちゃん
もう
解き放っていいよ…
「―――…ッ!」
腕の中の震えがゆっくりと止まり、
体中の力がクタッと抜けたみたいにもたれかかる
この温かい温度を、この両手の中に、永遠に封じ込めてしまえればいいのに。
頭を撫でて、キスをして。深い吐息で包みこむ
「…こっち向いて?」
「ん…」
顔を下げたまま、体の向きを変えてくる
向かい合ったゆかちゃんの顎に手を添えて、顔を上げさせる
瞳も頬も真っ赤になっている
涙の跡をたくさん残して、まるで子供みたいじゃね
ずっと一緒にいたのにね
知らなかった、こんな顔するなんて
まだ落ち着かない呼吸が可愛くて、唇を合わせる
熱い…、口の中を、探って
舌を捕まえて、離さないで
泣き出しそうな気持ちも奪い去る
こんなことができる自分にちょっとびっくりする
ゆかちゃんが、涙目のまま囁いた
「…あ~ちゃん、…ありがと、ね…。」
「ん…。」
「…ゆか、…もう、大丈夫。」
「――ゆかちゃん、」
愛おしさに強く抱きしめると、甘えるように体を預けてきた。
あやすように、髪を撫でているうちに、すやすやと安らかな寝息が聞こえはじめた
涙の跡を残したまま、穏やかな眠りに溶けていく
その夢を解いてしまわぬように、そっと、腕を開いた
ゆっくりおやすみ
目が覚めた時にはきっと
いつもの元気なゆかちゃんに戻っているから
起こしてしまわないように、
ゆかちゃんの服と髪を静かに整える
も一度頬にキスをしてから、密かにベットを抜け出す
シーツを肩まで掛け直し、前髪をふわりと撫でる
忍び足で扉にたどり着くと、音をたてないようにノブを回した
扉が閉まる寸前に、ほんの少しだけ振り返った
ゆかちゃんの眠る真っ白いベットに、
午後のやわらかな光が小さなシルエットを作っている
キラキラのお日さまが、ゆかちゃんをやさしく包んでいる
(…オヤスミ。)
玄関を出ると、さわやかな緑の風が吹き抜けた。
汗ばんでいたあたしの体、さらさらとほどかれていく。
陽だまりに誘われるように、ゆっくりと歩み始める。
ねぇ、ゆかちゃん
今日は、とってもいいお天気なの
抜けるような青空に吸い込まれそう
だからあたしの気持ちも、この空に溶かしちゃうね
ゆかちゃん、あのね。
気づかなくていい
忘れていい
だけど、あ~ちゃんは。
いつでも、何していても、遠くにいても、近くにいても、
寝ても覚めても、ずっと。。。
あなたを、見ている
あなたを、想っている
おしまい
最終更新:2008年10月11日 02:06