side.A
“生まれ変わったら、一緒になろうね”
こんなに切ない言葉が、他にあるだろうか。
少なくとも、今のあたしには思い付かない。
運命の人に出逢うのなんて、神様のイタズラ以外のなにものでもない。
もう歳をとって、お互い結婚して子供もいるのに『この人だったんだ』なんて気付くこともあるだろう。
そもそも『世界中の誰よりも愛しい人』が、同姓でないなんて保証はどこにもない。
どっちかが、男の子だったら良かったのかな。
違うよね。そんなことじゃない。あたしは彼女が好きなんだから。
じゃああの子みたいに、覚悟をすれば良かったのかな。
それでも良いって、強い気持ちを生み出せば良かったのかな。
できないよ。あたしにはできなかった。
そんなに強くない。
結婚だってしたいし、子供だって欲しい。
なによりそれは、普通じゃないんだって、頭が言う。中途半端に真面目にできてるから、ダメだった。
だからね、言うしかないじゃない。
お互い、痛いくらいお互いの想いなんて分かってた。
ずっと一緒にいたいのに、それを選択できない。
愛し合っているのに、結ばれない。
歯痒いとか切ないとか苦しいとか……
その時はそんな風には考えなかった。
悔しかった。なんで? なんで? って。
でもどうにも出来ないことだって、そんなの当たり前に分かってるから。
“生まれ変わったら、一緒になろうね”って。
多分世界で一番愛してた告白の言葉。
多分世界で一番悲しいお別れの言葉。
ふとしたことでのっちを思い出してしまうと、あたしの思考はそれ以外の仕事を放棄する。普段は意識もしてないのに、とりとめのない時に突然。
頭の中は、のっちのことだけで一杯になる。
それは仕事を終えて職場を出た時、冬の冷たい風が吹き抜けた瞬間。
それは朝起きた時、冷えた空気の中にあたたかい太陽の光を感じた瞬間。
そんな日常の何気ないときに自然に沸き上がる。
そして彼女は、とんでもない勢いを持って、強烈に、鮮明に、あっという間にあたしの思考の全てを連れ去る。
あたしの記憶に焼き付いた彼女の幾つもの表情。優しい笑顔。御機嫌ななめな澄まし顔。息を飲む程美しい横顔。貴重な泣き顔。その全てが、ハイスピードで再生される。
そして、会いたくなる。
でもね、不快ではないよ。
むしろ、安心するんだ。
普段あまり思い出さなくなって、次第に風化していって、そのうち忘れる。そんなのは、絶対に御免。
だからそうならない様に、たまに会いに来てくれてるんでしょ?
『お邪魔しまぁ〜す……』
なんて、いつものあのこちらを窺う様な感じで。
『憶えてますかぁ……のっちでぇ〜す……』
尻切れトンボになる言い方で。
憶えてるよ。忘れる訳ないじゃない。
そして、少し笑う。
あたしの中にね、のっちが一杯になってね、それは幸せなんだ。
最初は少し切なくなっちゃったりするんだけど。
ほんでね、きっと今も可愛い声で話すだろうあの子に、ホンのちょっとだけ嫉妬したりもしてね。
ほんで、ちょびっとだけ、後悔したりしてね……
「綺麗な月……」
今回の“ふと”は、スタジオ帰り。
沢山歌って、スタッフさんと沢山お喋りして、スタジオを出た瞬間。
寒いから、ストールを鼻まで覆う様に巻き直してる最中に、彼女がやって来た。
実際のあなたは今、なにしてる?
おいしいご飯でも作ってもらって、嬉しそうに食べてるかな。
それとも、また考えなしに素っ頓狂なことでも言って、怒らせちゃってるかな。
なんにせよ、幸せにしてくれてたらいいな。
あの日から、どんな時にだってあたしはあなたの幸せを願ってる。
夜になったって中々暗くなんかならない街の中、ビルとビルの間にぽっかりと抜け落ちたみたいな暗闇。その中心に、綺麗な丸い形の小さな月。
その月をぼんやり眺めながら歩く。
駅前まで行くと、月は高いビルで隠れた。あたしは隙間を見つけては、月の姿を確認する。確認しては、ほっと安心する。
黄色い月には、夜会えるから。だからあたしは、今から帰る。
夜だっていうのに、なんでこんなに人がごった返してるんだろうね。
特別変装なんてしなくても、誰もあたしになんか気付かないし。
こんだけ人が多ければ、きっとあたしだって、例えばすぐ横をのっちが通り過ぎたって気付かないかもしれない。
一人で歩きながらそんなことを考えてしまった手前、ふと辺りを見回した。そして苦笑。
夜中に出歩くのは、泥棒と悩めるのっちだけで充分だよ。
一時期、夜一人になっては似合わないお酒に無理してたあなた。
今のあなたの瞳には、月は綺麗に映りますか?
駅の看板を見て、タクシーを捕まえるのをやめた。
味気無く自宅まで一直線に運ばれるより、時間をかけて帰りたかった。
久しぶりに現れた、あなたと一緒に。
改札口で切符を買う。
久しぶりに電車に乗るよ。案内板を見上げ、自宅の最寄りの駅の名前を探す。どうやら此処からあたしの家までは、お洒落なカフェでお茶ができてしまう位のお金が必要らしい。
尤も、いつもは贅沢な夕食ができてしまう位の金額を払ってる訳だけど……
ねぇのっち。
こんなにあなたの事を考えてしまうのは、フラッと現れたあなたのせいだけど。
でもね、いつもこの思考から抜け出す切欠をくれるのも、あなたなんだよ。
一頻り思い出に浸り、一頻り想いを馳せたあと、あたしはいつも想像するの。
実際に、偶然街ですれ違ったら、きっとあなたはあたしを見付けてくれる。
これはね、そうならいいなっていう、願望。
だってあたしはずっと髪型もメイクもあまり変えてない。
そんでね、あたしは気付いてないんだけど『あれ? あ〜ちゃん?』って、話し掛けてくれるの。
振り向いたら、満面の笑みでね。『うっわぁ、変わってないねぇ!』って、嬉しそうにしてくれるの。
きっとそうでしょ?
そん時はさ、軽くお茶でもしようよ。
あたしはあたしの事を話すから、あなたはあなたの事を話して。
昔の話は、ちょっとでいいや。沢山の思い出は、そう簡単には色褪せないから。
でも黒髪の綺麗なあの子の事は、少しは教えてね。
なんて。ね、楽しそうでしょ? その時は、付き合ってくれますか?
柔らかい彼女の笑顔を思い浮かべて、口元が緩むのが自分でも分かった。
ほら、もう少し。
改札を抜けてホームに降りる。
黄色い線の内側に一人立つと、空から白い雪が降ってきた。
うまいことできた世界だよ、ホントに。
あたしがのっちの事を考える時には必ず、なにかしら綺麗な世界を見せてくれる。
春なら桜が目に付いたり。
夏なら空が綺麗だったり。
秋は彩り鮮やかだったり。
冬なら雪が降ってきたり。
あなたのことを考える度に、綺麗なものばかりあたしに与えるもんだから、あたしは益々あなたが愛しくなる。
綺麗だな。真っ白な雪。
周りを見渡せば、いつの間にかみんなが空を見上げている。一体感。
ありがとね、のっち。
あたしはいつでも待ってるから、また会いに来てくれますか?
その時はまた、あたしに綺麗な気持ちとあたたかい笑顔を下さい。
じゃあまたねって、そう言おうとした瞬間、後ろからあの台詞が聞こえた。
あたしが何度も繰り返した勝手な想像。
あたしが生涯忘れない愛しい声。
「あれ? あ〜ちゃん?」
振り向くと、あの頃と変わらない笑顔。
あたしは泣いたみたい。だって彼女はすぐに焦った顔になったから。あたしが泣くといつもそうだったから、すぐ分かった。
え〜っと、どうするんだっけ?
お茶に誘うんだ。帰るの中止。
あ、でも違うや。その前にあたしは笑わなきゃ。
そしたらのっちは言ってくれるんだ。変わらないねって。よし、笑わなきゃ。
あれ? おかしいな。
なんでこんなに涙が出るんだろう……
あたしは必死になって彼女を見つめた。
涙は止まらないし、言葉はでない。
やだな、折角会えたのに。全然違うよね。これじゃ困らせてしまうよね。
あたしはあなたの笑顔が見たいのに……
なにも言えずにただ見つめていると、彼女の右手が伸びてきた。
あたしの頬を伝う涙を、その親指で拭ってくれる。
相変わらずの黒いストールと、相変わらずの優しい眼差し。
「あはは、あ〜ちゃん、変わってないね」
ほら。言ってくれた。やっぱりね。
ねぇのっち。どうやらあたしにはできないみたい。のっちに任せるよ。
だから、ねぇ……その次は?
〜pege5 end〜
最終更新:2009年09月03日 19:42