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結局、江ノ島には行かなかった。その日はのっちと二人で家でダラダラ。次の日も家でダラダラ。会話はほとんど無く、あれからゆかが何も言わなくてもゴミ出しをしてくれるのっちに反省の色が伺えたので、ねちっこいゆかももう責めたりはしなかった。
倦怠期によくあるやつだ。あれだけ喚き散らしてのっちの大事な漫画をボロボロにしといて今更アレだけどなぁ。冷静に判断するとのっちだって分かってた、分かってたけどちゃんと帰ってきてくれたのは素直に嬉しかった。
だからボロボロになったのっちにいたたまれなくなって、抱き締めて傷痕を指でなぞっては「ごめんね」を繰り返した。のっちは首を横に振って、少しだけ泣いた。

「……」
「………」

漫画をボロボロにした事は謝るよ、ごめんね、なんてテレビを見るのっちに寄り添ってみた。のっちは短い溜め息を吐いて、ゆかの膝に頭を乗っけた。こうやって甘えてくんのも久しぶりな気がして、甘やかし方も忘れてしまっていて。あの頃、どうしてたっけ。頭を撫でてあげてたっけ。
とりあえず頭を撫でてあげると、のっちは目を細めて小さく笑った。なんだコレ、凄く懐かしい。ゆかは嬉しくなって顎をくすぐってやると、のっちは子供みたいな声を出してゆかのお腹におでこを擦り寄せてきて。

「のっち…」
「…」
「愛してる」

愛してるなんてずっと言ってなかったな。ただのっちの口から久しぶりに聞きたくなっただけであって、理由はそれ以外の何でもない。たとえ嘘でも良いから言って欲しかった。


「…のっちも」

その薄い唇にキスをすると、ぴくっと震えた。元カノとしたキスはどうだった?本当にキスだけだったの?本当はヤったんでしょ?ゆかは久しぶりにその唇の感触を味わって、虚しさに襲われた。

「明日…スーツ買いに行くんでしょ?」
「うん…あ〜ちゃんと」
「ゆかもついてく」
「…うん、分かった」

別に疑ってるとか、そういうのじゃない。性懲りもなくまた元カノの所に行くとは思えないし。ただこれから就活に励むのっちにスーツの一着くらいプレゼントしてあげようと思って。
そんな事したら、またのっちはあ〜ちゃんに「ヒモのっち」とか変なあだ名を付けられる羽目になるんだろうけど、知らない。なんだって良いから今はのっちの側にいたい、不純な理由でもなんでも、のっちがゆかを求めなくなったら全部終わりだから。




次の日は昼過ぎに出掛けた。相変わらずあ〜ちゃんは元気で、居るだけで空気が華やかになるのが分かった。のっちとゆかの二人だけじゃ、空気が地味すぎるから助かるわ。

「のっちはね、パンツスーツの方が似合うと思うんよ」
「うんうん」
「てかスカート履いてんの見たことないし」
「ゆかも見たことない」

なぜかあ〜ちゃんとゆかで盛り上がってしまい、のっちは退屈そうに窓の外を眺めてた。「どんなスーツでも一緒じゃん」ってのっちは言うけど、一緒じゃないし。
ゆかは正直ワクワクしていた。のっちスタイル良いから絶対スーツ似合うだろうし、格好良いだろうなぁって。きっと最初ゆかがスーツを着た時に興奮したのっちみたいに、ゆかだって興奮すると思うんだ。

「のっち、これ試着してみなよ!」

あ〜ちゃんがそう言うと、のっちは顔をしかめたけど大人しく試着室に入っていった。それを待ってる間、ゆかは一人スーツを見ていたんだけど、あ〜ちゃんが妙に深刻な顔して近付いてくるからなんか緊張した。

「のっちと喧嘩したん?」
「…え、なんで?」
「そんなもん見りゃ分かるんよ」

あ〜ちゃんはあの得意としているおばさんぽい仕草でそう言った。ゆかは少し黙ったまま値札を見つめる。このスーツ高っ…。





「別に喧嘩とかじゃないよ、のっちが悪い事したけぇ叱っただけ」
「悪い事って?」
「黙って元カノの家に泊まってた」
「うわソレ最低、」

あ〜ちゃんはきっとその元カノとのっちはヤっただろうと想像してるんだろうな。ゆかもそう思ったよ。だけどのっちはヤってないって言うから信じてみようかと思うけど。
それでもあ〜ちゃんはドン引いちゃってる。言わない方が良かったかな、のっち嫌われちゃうかな、

「でももう普通だから」
「仲直りしたん?」
「仲直りとかじゃないけど、ゆかもう怒ってないし、のっちも反省してるみたいだし」
「あのね、前から思っとったんじゃけど、かしゆかはのっちを甘やかし過ぎよ、もう少し厳しくせんと調子に乗るよ」

あ〜ちゃんは気付いてないかもしんないけど、あ〜ちゃんがゆかにそれを言うのはこれで三回目だ。本気で心配してるだけに、当たり前過ぎる事なんだろうけどやっぱり耳が痛い。

「ね、かしゆか、あ〜ちゃんはかしゆかの事を思って、」
「もう大丈夫なんだってば、そんな何回も言わなくたってゆかも分かってるよ」
「でも分かっとらんじゃろ、」
「のっちがあんな子だってあ〜ちゃんも知ってるでしょ?分かってるんだったら放っておいてよ、ただの倦怠期なだけだもん」

ゆかの口調は激しくなって、挙げ句の果てには涙まで溢れてきた。「なんで泣くんよ」って言ってあ〜ちゃんも半泣きになるから余計に訳が分かんなくなる。
あ〜ちゃんは今のゆかとのっちがかなり面倒くさい感じになってる事を知らないんだ。だからこんな好き勝手言えるんだ。ゆか超悩んでるんだよ、痛い所を突かないでよ弱って脆くなってんだから。


「何してんの」

試着室から出てきたスーツ姿ののっちに肩を掴まれた。怒ったみたいな、呆れたみたいな顔でゆかを見た。スーツはとても良く似合っているけどそのいかついシルバーアクセサリーが浮いてて変。バランス悪い。

「…帰るよ」
「待って、スーツは」
「また今度にする」

のっちは試着室で着替えを済ませて、ゆかとあ〜ちゃんを後部座席に乗せて車を走らせる。あ〜ちゃんは気まずそうに窓の外を見ている。ゆかはのっちの首筋を眺めてた。


あ〜ちゃんを家に送り届けてから、ゆか達も家に帰った。家に帰ってからはまた沈黙が続いて、ゆかはのっちの首筋にまた視線を向ける。

「…かし、のっちのこと好き?」

ゆかは黙って頷く。

「…そっか」

どうやら別れ話を切り出すらしい。

「…のっちは、分からん」

どうやら違うらしい。

「…もうかしの事、好きじゃないのかも」

なんだかのっちにしては珍しく勇気を振り絞ったような。

「ゆかじゃ不満なん?」
「…分からん」
「……」
「………」


この身の程知らず。
ゆかがいなかったら何も出来ないくせに。ゆかがいなかったらアンタなんて今頃…。悔しいのに、バカにされてる気がしてめちゃくちゃ腹立つのに。それなのに何も言い返せない。

「…かしは、のっちのどこが好きなん」

全部、って呟くと、のっちは眉毛をハの字にした。いつから自分はこんなに弱い女になってしまったんだろう。この犬がゆかの人生を全部狂わせたんだ。本当は今頃もっと格好良い女になってたはずなんだ。


「…愛してる」


ゆかがそう言うと、それ以上のっちは何も言わなかった。ゆかはソファーで眠った。のっちは布団をかけてくれたけど、そんな優しさをくれたって虚しくなるだけで。だけど明日のっちが居なくなったってどうでも良い様に感じたのは、自分の弱さを認めてのっちをしばらく遠目で眺めてみようと思ったからなんだ。



◇05:終◇







最終更新:2009年09月03日 21:14