それから特に二人の間に目に見える様な変化があった訳ではない。至って今までと変わらない生活。今日も早起きしてのっちのご飯とお弁当を用意して。
明日は会社の人と飲みに行く、って昨夜言ったらのっちは「ん」って分かったのか分かってないのか分からない様な返事をした。多分分かってはないんだと思う。化粧をしながら鏡越しに寝顔を見つめると、あの頃と何も変わらない寝顔に心が和むのが分かった。
時の流れは残酷だ。全てを過去にしてしまうんだもん。何もなかった様な振りをする事は簡単。だって頭おかしくなった振りすれば良いんだもん。それでも忘れる事なんて出来っこないし、あの頃を懐かしんでも甘い物と苦い物を一度に口に入れたみたいななんとも酷い気分を味わうだけ。
だから昨日もこの家に帰ってきたし同じベッドで眠った。だって恋人らしい事はしてなくても、のっちは非常にゆかの恋人らしいのだ。
「樫野さん、ここ間違ってたよ」
「あ、ホントだ……すみません」
「私が直しておくから、樫野さんは新規のデータ整理してね」
「ありがとうございます」
格好良い大人の女…恋人が出来て同棲でもすれば大人になれる気がしたけどそうでもなかった。本当はあの椎名さんみたいな強くて格好良い大人の女性になりたいのに。仕事も出来て美人でスタイル良くって、子供もいて一児の母としても頑張ってるっていう。
ゆかも子供を産めばあぁなれるのかな、って考えるとそうでもない気がして。男より強くなれるだけで何も変わらない、それにゆかは自分を男より弱いだなんて思った事がないし。それはただ単に自分が今まで関わってきた男が全部ナヨナヨしてたからなんだけど。
「椎名さんのお子さんって、おいくつでしたっけ」
「来月で七歳になるけど」
「来月かぁ、ゆかと同じ12月生まれだぁ」
「樫野さんはまだ21歳だっけ、若いねー」
椎名さんの透明感にはいつも視線を奪われてしまう。綺麗とか可愛いとかそんなんじゃなくて、全部が芸術みたいに美しいと思った。のっちもどこか似ている。人を寄せ付けないオーラを纏っているのは、見た目の美しさだけでなく内面的の暗い部分があるからなのかも。たまに今にも消えてしまいそうな弱々しい表情をする所とかは、確かに似ていた。
多分一言で言うと儚い、で合ってると思う。そうそれ、儚いんだ。
「今夜、樫野さんも来るでしょ?」
「はい行きます、楽しみです」
「樫野さん酔ったら可愛いだろうな」
「なんですか、それ」
なんだか恥ずかしくなって照れて笑うと、椎名さんも笑った。こんなにも笑顔は素敵なのに似合わないなんて、椎名さんは人間でないのかもしれないなんて少し思った。人間が生きていく上で必要不可欠な事が彼女には似合わな過ぎて不思議。彼女みたくなりたいけど一生なれないって分かってる。ゆかはどこまでも人間らしい人間だから。そういった点ではのっちの生活感の豊かさといったら異常かと。
まぁそんな椎名さんはゆかを気に入ってくれているのか、入社当初から優しいし何だって丁寧に教えてくれて、ゆかは凄く信頼してるし大好きだ。周りの先輩達からの信頼も厚いし。
「今夜、楽しみだね」
細くて白い首筋に見惚れながら、ゆかは大きく頷いた。
他人とこれだけ飲んで騒いだのは久しぶりだった。普段は厳しい先輩なんかが酔って壊れてく姿は凄く面白い。ほんのり頬を赤く染めた椎名さんに微笑みかけられると、ゆかは「えへへ」ってだらしのない笑顔を返した。ゆかも相当酔いが回ってきてるみたいだ。
「樫野さん、全然飲んでないじゃん」
「ゆか弱いんですよーお酒ぇ」
「そんな感じだね」
「椎名さぁん、もう十時ですよ?息子さんは良いんですかー?」
「大丈夫。親友の家に預けてるから」
「へえー」
椎名さんに親友とかいるんだ。ちょっと意外で驚いた。椎名さんとどこまで仲良くなったら親友の域に達するのだろうとか、親友とどんな会話をしたりするんだろうとか、少しだけ興味が湧いた。
「椎名さんはお酒強いんですねー」
「そうでもないって」
と言って、彼女はバックから煙草とシルバーのZIPPOを取り出した。火を点ける姿すらセクシーだ。煙草が似合うって凄いと思う、こんなにも華奢なのに。ゆかには到底無理。のっちなら似合うかも………って、こんな時までのっちの事を考えてる自分はアホだ。
もうすぐお開きか、という時にのっちからメールが届いて驚いた。「飲んだんなら迎えに行こうか?」って、そのメールは実に恋人っぽい。複雑な気分だけど、ゆかは「〇〇のお店!お願い」ってハートの絵文字付きで返信した。すぐに「了解」って返ってきた。意味分かんないおにぎりの絵文字が付いていた。
「メール見てニヤニヤしちゃって、樫野さん気持ち悪い」
その低めの声にハッと我に返ると、椎名さんは白い煙を吐きだしながら目を細めて笑ってた。体温が上昇するのが分かる。ゆかは顔を手で覆った。ハイライトメンソール、苦手だった煙草の匂いが少し好きになった瞬間だった。
続々と周りがタクシーやらで帰宅してく中、のっちが迎えに来てくれた。
「あ、来た来た」
「お迎えなんだ」
「はい、」
先輩達に挨拶をして助手席に乗り込んだ。みんな運転席ののっちに釘付けだ。手を振る椎名さんに頭を下げた。のっちは車を走らせる。
「かなり飲んだの?顔真っ赤だけど」
「チューハイ二杯しか飲んどらん」
「そう、楽しかった?」
「うん楽しかったぁ」
ゆかは完全に酔っ払いのテンションで、のっちは絡み辛そうに苦笑いをして音楽のボリュームを上げた。ゆかの大好きな曲だ。さらにテンションが上がる。
「さっきの人、綺麗だったね」
「椎名さん?椎名さんはめちゃくちゃ綺麗よー」
「椎名さん、か」
「バツイチ子持ちで今年30歳よ、見えんよねー」
「え、子供いんだ」
のっちは驚いたみたいな表情。驚くよね、ゆかも最初聞いた時は驚いたもん。泣いてる赤ん坊にベロベロばぁってやる椎名さんを想像したら若干怖いし。
「…楽しかった?」
「楽しかったってば」
「良かったね」
ほら、まただ。
今にも消えてしまいそうな顔をする。椎名さんと一緒、綺麗な顔がまるで砂みたいにサラサラ風に飛ばされてしまいそうな、そんな表情。なんでそんな表情が似合ってしまうのかは分からない、怖いくらいに綺麗なのに、ゆかはカメラにおさめたいとは死んでも思わない。儚いんだ。やっぱり、椎名さんとのっちは同じ匂いがする。
「のっちなんでいんの」
「暇だったから迎えに来た」
「ゆかが部長にセクハラされたから?そんな気がして迎えに来てくれたん?さすがのっち、エスパーじゃ」
「あはは」
スタバのコーヒーを片手に運転席でのっちはご機嫌な様子。その姿があまりにも普通じゃなくて違和感を覚えた。
先週の金曜の夜先輩達と飲んで、今日はもう月曜で仕事がめちゃくちゃ忙しい。鈴木さんなんかは今日の分が終わんなくて今もパソコンと格闘してるけど。ゆかは頑張って早く終わらせたよ。
「のっち腹ペコだ」
「ゆかも。夜ご飯何が良い?」
「何でも良いよ」
挙げ句の果てには流れる音楽に合わせて熱唱し始めたのっち。違和感の原因は、ご飯を食べてる時にのっちがポロッと口走った一言ですぐに察しがついた。
「煙草が似合う女の人って、なんか格好良いよね」
なるほど、そーゆー事ですか大本さん。
特に興味は無い風を装って「そだね」って小さく呟いた。のっちは少し顔色を変えて借りてきたらしいアニメのDVDを見ている。前から見たいって気になってたヤツだよね、タイトル覚えてるよ。
ねぇ、のっち。
あんたヒモの分際で、生意気なんよ。迎えに来てくれたんだ、ってぬか喜びしたゆかの間抜けには心底ガッカリだよ。
「樫野さんのお友達、可愛いね」
休憩所で煙草を吸うその横顔はやっぱり見惚れちゃうくらい素敵だった。お友達、ですか。散々あんなやらしい事をしておいて良く言うわあの犬。だけど怒りとか嫉妬とかじゃない、ゆかはのっちと椎名さんが並んでる姿を想像すると妙にリアルっぽくて笑っちゃいそうになるんだ。
「彩乃ちゃん、だっけ?同居してるんだってね、今流行りのルームシェアってやつだ」
「はい」
「あの子面白いね、ルックスとのギャップが」
「あはは、そうですね」
「なんか大きい子供みたい」
「それめっちゃ分かります」
悔しいけど、のっちは誰からも好かれそうだもんな。最初は取っ付きにくいけど、慣れたら優しいし甘えん坊だし。
「私も二十歳ぐらいの時はあんな感じだったかな」
なんて言って椎名さんは笑った。なんとなく想像がつく。ゆかも釣られて笑った。
のっちはこの人を好きになったんだ、と思うとなんだか嬉しくなった。やっぱり趣味が合うね、ゆか達。もし新しく好きになった子がゆかみたいな女の子だったら、きっと頭に来てたと思うんだ。
だけど椎名さんだもん、ゆかの大好きな先輩だもん。のっちが惹かれるのは痛い程よく分かる。ゆかは優しく見守る事に決めた。ただ一言言わせてもらうとすると、笑っちゃうくらい二人は似合わないって事くらいかな。
それからのっちは何度となく椎名さんと会って距離を縮めていったみたいだ。ゆかには何も言わなかったけど、会社でたまに椎名さんが話してくれたから。
そしてある休みの日に昼間から出掛けたのっちは深夜に泣きながら帰ってきた。ゆかが手を広げると胸に飛び込んできて、
「あんたなんかにあの人は釣り合わんよ」
って言うと、のっちは子供みたいに顔を埋めて「のっちはかしゆかで良い」って蚊の鳴く様な声で言った。ゆかは強く抱き締めて、頭を撫でて慰める。
「で、ってなんなん、で、って」
咄嗟にベッドの下に隠したハイライトメンソールは、ゆかが吸っても苦くて煙くて咳き込むだけで、何の格好もつかない事はこの数日で良く分かった。
◇06:終◇
最終更新:2009年09月03日 21:31