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目を逸らして避けてしまっていると、自分の背中の方でドンドン大きく重くなっていくんだ。
ふとそれが目に入っちゃうと、もうどうしようもないことに感じてしまって、慌ててまた目を逸らす。
そんなことしたって何にもならないのに、気付かないフリして。でも気になって、眠れなくなって、辛くて苦しくて……
そのうち段々と嫌になってきて、どうでも良くなって全部お仕舞いにして。そんで楽になって、あぁ良かったって。

そんなことしてる間に、いつの間にか大人になって、簡単に投げ出せるものばかりではなくなった。
昔なら別に良いやって諦めてばっかだったけど、どうしたって諦められない、手放せないものもできた。
だったらどうすればいいかなんて、流石のあたしだって分かってる。


嘘を吐かなかったのは、向き合う覚悟を決めているところだったから。
一人になったのは、優しい時間に甘えてしまいたくなかったから。


問題と真正面から向かい合って、まじまじとソイツを睨み付けてやる。
向かい合ってみたら、なんのことはない。そりゃあたしだ。恐かないし、意外と親しみやすそうな表情してんじゃん。
目を逸らしてたのはね、知ってたから。
こんなもん、随分昔から知ってたよ。
拍子抜けも良いところ。
向き合ってしまえば、殆ど答えは出ていた。



「思うようにいかないな」


一人で歩く夜の道。ぼんやりと灯る街灯。静かに呟いた言葉が、高く高く真っ暗な空まで昇っていった。
近い様で、遠い空。
距離にしたらさ、大したことないんだよ。今あたしがいるこの場所と、あたしが住んでる部屋までの方がよっぽど遠いよ。
でもね、部屋には走れば行けるけど、あの空には行けない。手を伸ばしたって、絶対に届かない。
近いのに、掴めない。それは、なにかにとても良く似ている。

もう慣れた小階段を一歩ずつ進む。最初はこの店に入る時、緊張したっけ。
でも、安心もしたんだ。地上から少し潜って、似た様な人間で溢れてて、そして誰かがいつも音を奏でてる。
きっと、今日も。
どんな状況になったって、あたし自身どんな状態になったって、自分には音楽は必要なんだ。絶対に。
そんな簡単なことを、当たり前に見つめ直す機会をくれたのは……


少し重い扉を開ける。
隙間から落ち着いたJAZZが流れてきた。心地好い。
真っ赤な絨毯の上、少し煙たい空間を横切る。横目で見るステージの上のバンド。ドラムスが退屈そうに拍を刻む。
もう見馴れたドアを開けると、これまた見馴れた顔。
「いらっしゃいませ」
声と同時に申し訳なさそうに顔を歪める。
なに? 小首傾げて伺い返す。瞳を流した彼の視線を追いかけると、なるほどあたしが勝手に指定席にしているスツールには先客がいた。
「気にしなくていいのに」
二つ隣に腰を掛けると、バツが悪そうに笑った。一番奥の席の女性が此方を窺う。あたしと彼のやり取りを見ていたらしい。どうやら彼女は、酒を呑みに来ている訳ではなさそう。
あたしは小さく手を合わせた。ごめんね。
「こないだと同じものを。覚えてらっしゃいます?」
「勿論です。かしこまりました」
そう言った彼は、なんだか嬉しそうだった。
声には出さないけど、珍しく顔を崩して笑っている。

なにかあたしは、おかしなことでも言っただろうか。
スツールをひとつ挟んで座る女性。ロンググラスに綺麗なブルーのカクテルが注いである。深い海の様な色のそのカクテルは、殆ど口をつけていないのか、並々と残りグラスは水滴が覆っている。
傍らには、吸いかけの煙草が天井に向かって一直線に白い煙を上げている。
忙しい人だな。
「ねぇ〜、今日は何時に上がるのぉ〜?」
不快な声。その場に合ったボリュームってもんを少しは考えて欲しい。
「恐らく今日はうんと遅くなると思いますよ、お客様」
チラリと此方に視線を寄越して応えるバーテンダー。なんかすいませんね、ホントに。
「えぇ〜、ちょ〜つまんない。帰る」
彼女は煙草もグラスもそのままに席を立った。
取り敢えず、相手にされてないことだけは、あたしにも分かった。



すぐに綺麗に片された一番奥の席。
「モテるんですね」
促されるまま、二つ隣に移動する。
「こないだの仕返しですね」
からかってるつもりはなかったけど、彼は少しハニカンで見せた。意外とかわいい。
「いつも遅くまで働いて、彼女さんはなんか言わないんですか?」
「大丈夫です。子供と一緒にさっさと寝ちゃいますから。むしろ稼がないと」
なんだ、妻子持ちか。見えないな。
「いくつですか?」
「三つになります」
「じゃあかわいい盛りだ」
「ええ」
お待たせしました。落ち着いた声と共に目の前にグラスが置かれる。店内には、二人。なんかいつもあたしが来る時には人が少ない。
「奥さんは、一番大切で一番愛しい人ですか?」
グラスを傾けて聞いてみると、また少しバツが悪そうに笑った。
「難しいこと聞きますね」
「難しいなって思ったから、あなたに聞いたんです」
「そうですねぇ……一番大切なのは間違いないですけど」
「愛してないんですか?」
「いえ、勿論愛してます」
苦笑い。困らせてるな。そりゃそうだけど。
「一番大切な人と一番愛してる人が同じ人なら楽だと思うんです。悩むこともない、その人と一緒になれば良いんだから」
「一緒じゃなくても、良いこともありますよ」
「やっぱり、誰かいるんですね」
「いえ、正確にはいたんです」
あぁ。そういうこと。
「ごめんなさい」
「いえ」
シンクに水が流れる。毎日グラスを洗い続けるこの人の手をあたためている人は、どんな人だろうか。
「私は幸せなことだと思ってます。今大切な人と生活をして、土産話を沢山作って向こうに行けば、今度は一番愛している人が待っててくれている。そんな幸せなことはない」
答えを出さざるを得ない状況になれば、それはそのほうが良いのかも。不謹慎で申し訳ないけど、あたしだってそんな立場だったら無理矢理にでも答えは出す。


「二つのうち、どちらか一つを捨てなきゃいけないと考えるから、悩むんですよ」
「でもそういうことじゃないですか」
「いいえ。どっちもで良いんですよ」
「どっちも?」
「選ぼうとするから悩むんです」
そりゃそうだけど……


この先をずっと共にするだろう、大切な人。大切にすべき人。
この先もずっと想い続けるだろう、愛しい人。きっと、同じ道は彼女は選ばないだろう。そんなことは良く分かってる。
今のあたしの気持ちは?

好きな人を抱くのはいけないこと?
大切な人を傷付けるのはいけないこと?
自分の気持ちに正直に生きるのは、いけないこと?
自分に嘘を吐くのは、いけないこと?


〜続く〜





最終更新:2009年10月22日 16:55