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折り畳み自転車は、確か四万円くらいしたはずだ。のっちがなんで買えたのかは不思議だったけど特に聞いてみたりなんかしなかった。そんなのどうでも良く思えた。それに、自転車をくれたのはただゆかが欲しがっていたから、という以前に理由があんのかも、なんて考えたりもしたけど。


「のっちー」
「んー?うわ、ビビった、何入ってきてんの」
「久しぶりにのっちと一緒にお風呂入りたいなーと思って」
「えー…まぁ…良いけど」

温かい浴室、飛び込んでみるとのっちは思っていた通りの反応だ。入浴剤でピンク色に染まった湯船に突入、のっちの体に寄りかかると、のっちは「せめぇ」と言いながらも体を少しずらしてゆかのスペースを作ってくれた。
そんなのっちの長い腕を自分の腰に巻き付けながら、水面に鼻まで浸かってブクブクと泡を吐いた。

のっちの手はゆかの体を確認するみたいに優しく動いて、しばらくしたら最初の腰の位置に戻ってく。そのくすぐったさに息を漏らすと、のっちは笑ってゆかの耳を舐めた。

「のっち…?」
「ふふ」
「くすぐったいー」

足をバタバタさせたら、水面がじゃぶじゃぶ揺れた。揺れる圧力を感じながら、のっちのゆかの腰を掴む手の力は強くなった、気がした。


明日、のっちは実家に帰るらしい。福山の実家でいつもと同じ様にだらだら過ごして、たくさんの親戚にたくさんお年玉をもらって帰ってくるらしい。ゆかも大晦日には帰るけど、今はまだ仕事が忙しいし。
帰ってくるのは一月二日でのっちと同じ、それでもしばらく会えないと思うと急に戯れ合いたくなった。ゆかの誕生日からずっと二人はこんな感じで、今まで感じていた虚しさとかを誤魔化して忘れようとしているみたいだけど、それで爽やかに年が越せると思うと心は晴れ晴れとしていた。

「二日は、同じ新幹線に乗れそう?」
「のっち三時のやつで広島出るつもりだけど」
「じゃあゆかもそれで」
「うん…東京帰ったら、一緒に初詣行こうね」
「うん」

のっちはゆかの肩に唇を押し付ける。舐めたり、軽く吸ってみたり、何かを持て余して物足りないみたい。

「どしたん、のっち」
「ゆかの肩甘い」
「甘い?入浴剤の味だよ」
「うん…」
「どうしたん?のぼせたんか?」
「…んーん、大丈夫」

のっちの声は眠い時みたいな甘さを増している。それでもゆかの肩に唇を押し付け続けて、くすぐったいけど物足りなさを感じたのはゆかも同じだった。だけど性的な物ではなくて、きっとこれは、何かもっと別の。


「…ゆか…」
「…」

振り返ったら、優しいキスが待っていた。腰を抱き締める手はいつの間にか優しくて、のっちの舌を吸い上げたら、熱い息を吐いて唇は離れた。
しばらく見つめ合った後、のっちは手を解いた。

「あー可愛いなー」

って冗談ぽく呟いて笑う。変なのっち。ゆかは立ち上がって頭と体を洗った。たまに横目で見ると、のっちはさっきのゆかみたいにブクブク泡を吐きながら、物思いにふけているみたいだった。





のっちが居なくなったら、部屋はあり得ないくらい広く感じた。部屋にいてもつまんないから、ちょっと自転車に乗ってコンビニまで行って。そこで雑誌と肉まんとミネラルウォーターとガムを買って、肉まんをかじりながら帰った先にはあ〜ちゃんがいた。

「あ〜ちゃん」
「あ、かしゆかー誕生日遅くなったけどおめでとうー」

鼻が赤いあ〜ちゃんは、大きな紙袋を抱えて笑ってた。ビックリした。

「ありが…とう」
「今のっち広島帰っとるんじゃろ?一人じゃ寂しいかなーと思って、ていうのはまぁ冗談で、あれからあんまり会えてなかったから勝手に心配して会いに来ただけなんだけど」

早くその大きな紙袋から解放してあげたいけど、生憎ゆかは自転車とコンビニ袋で手一杯だし。すぐに玄関のドアの鍵を開けて中に入ってもらった。暖房の熱がまだ残っていて、ほんわかと温かい空気がゆか達を包み込んでくれた。


あれから、っていうのは前に三人でのっちのスーツを見に行ったあの日からだ。あの時は今まで経験した事のなかった倦怠期という物を実感して一人でモヤモヤしてどうしようもなく参っていたから、あ〜ちゃんのちょっとした一言に心を掻き乱されて泣いちゃったりもした。
その時の事、あ〜ちゃんは今も心配してくれていたみたいだ。のっちがいなくて二人で会うのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。

「あの自転車、めっちゃ可愛いね」

あ〜ちゃんはソファーに腰を下ろして、玄関を狭くするアイツを指差した。ゆかは温かいココアを二人分カップに用意して、冷蔵庫にあったロールケーキもついでに切って出した。あ〜ちゃんは「美味しそー!」って可愛い悲鳴をあげた。

「あの自転車、のっちが誕生日に買ってくれたんだよ」
「え、うそー負けたわぁ…お誕生日プレゼント、遅くなったけどあ〜ちゃんからね」

あ〜ちゃんはあの大きな紙袋を差し出した。意外と軽くて驚いた。中を覗くと、そこにはモコモコした何か…出してみて正体が分かった。可愛いロングコートだ。
あ〜ちゃんが前に好きって言ってたブランドのだ。あのブランドは本当にあ〜ちゃんっぽくてゆかやのっちなんかにはあまり似合わない様なまさにザ・女の子な感じなんだけど、それでもゆかでも着れそうなシンプルなデザインで、一瞬で気に入った。

「ありがとう!めっちゃ可愛い!」
「じゃろ?じゃろ?かしゆかに似合うと思ったんよ!」
「ちょっと早速着てみようかな」
「着てみて着てみて、絶対似合うと思う」

立ち上がって袖を通してみるとサイズはぴったりで。鏡の前に立って自分を見ると、すっごいニコニコしてる自分の顔に若干引いた。それでもコートは似合ってると思った。

「可愛い!かしゆかめっちゃ可愛い!」
「ありがとう、めちゃめちゃ着るわコレ」

あのショップで、きっとこのコートは隅っこ辺りであまり人の手には取られない様にひっそりしてたんだろうな。それをあ〜ちゃんに発掘された訳だ。そんなあ〜ちゃんの姿を想像すると、なんだか微笑ましかったし、嬉しかった。


「えへへ、良かったぁ、かしゆか元気そうで」
「うん…元気だよ」
「あれからのっちとうまく行ってるんね?」
「うん、」




あ〜ちゃんは「そっか」って優しい顔して笑った。ゆかは少し照れて俯いて、脱いだコートの柔らかいファーを撫でる。
そうだ、今はもううまく行ってるんだ。そうだよね、一緒にお風呂に入ったり、チューしたり。一度は離れたのっちの気持ちも、修復できたんだって思って良いんだよね。

「いや、でもね、あ〜ちゃんはかしゆかが凄いと思うよ、あ〜ちゃんだったらあんなんと付き合えんもん」
「あはは、それ前も言ってたよね」
「一緒に暮らしてても何も家事とかしてくれなさそうだし、ずっと漫画読んだりゲームしたりしてそう」
「基本的にインドア派だからね」
「インドアじゃなくて、あんなんはただのぐうたらよ!だらしないだけじゃわ、全く」


そうやいやい言うあ〜ちゃん、いつだって正論なあ〜ちゃんだけど、やっぱりそう言い出すと心の中で冷たい何かが渦を巻いてゆかを飲み込もうとするんだ。それは自分の嫌いな女の部分。
付き合えんとか言って、最初から女と付き合う気なんてないくせに。人の恋愛に口出しばっかしないでよ、同棲した事ないくせに。働いてもいないくせに。あ〜ちゃんなりの優しさだって分かってる、分かってるけど、やっぱり苦手だ。


「でも、かしゆかとのっちはお似合いだと思うよ」
「…」
「なんかね、羨ましいもんすっごく。のっちみたいに生きるのも、かしゆかみたいに生きるのも、あ〜ちゃんには無理だから。だからすっごく、格好良いなって思う、だから凄く好き」


あ〜ちゃんの言ってる意味はイマイチ分からなかった。もしかしたら馬鹿にされてんのかもしんない、って思ったけど優しい目をしてたし。のっちはあ〜ちゃんを尊敬してる。ゆかは、そこまでまだ仲良くなれてないから分かんないだけなんだと思うけど、わがままな今時の女の子にしか見えないし。
こんな風にのっちと一緒に何か言われるのは初めてだったからかもしんないけど、凄く落ち着いた気分になった。あ〜ちゃんが目を伏せると長くて濃い睫毛が震えるのが目に入って、心の中であ〜ちゃんを馬鹿にしていた自分を悔やんだ。


「のっちと付き合えて、良かったな」
「どしたん急に」
「だってのっちと付き合ってなかったら、あ〜ちゃんと友達になれんかったじゃん」

一文字一文字を噛み締めながら言葉にしたら、凄く胸がドキドキした。あ〜ちゃんも照れたみたいにはにかんで笑った。その顔は凄く可愛かった。


それからなぜか小学校の頃に流行ったたまごっちとかアイドルグループとかの話で盛り上がって、気が付いたらかなりの時間で慌ててあ〜ちゃんは家に帰っていった。どうやら門限があるらしい。
のっちがいれば車ですぐ家まで送ってあげる事が出来たんだけどな。きっとまた寒さで鼻を赤くしてるに違いない。


「あ…、良いお年をって、言うの忘れてた…」


一人でのんびり部屋の掃除をしながら、コートをハンガーにかけてふと思った。少し悩んだ後に、あ〜ちゃんのメールアドレスも電話番号も知らない事に気が付いて。
それでも広島から帰ってきたら三人で初詣に行く約束もしたから、その時に「あけましておめでとう」って言えればそれで良っか。



◇08:終◇







最終更新:2009年10月22日 18:18