目が覚めると、辺り一体真っ白だった。直径20メートルくらいだろうか、丸く広い部屋の中心。
一度クルリと見回す。その部屋には1から7までの数字が書かれたドアが七つ。時計が一つ。スピーカーが一つ。
抱いた感想も一つだった。此処は何処だろうか。
時計が丁度12時を示す。コチコチと秒針は進む。
『SEVENTH HEAVENへようこそ』
「は?」
スピーカーから女の声が聞こえた。時計はコチコチ音を鳴らして進む。
『SEVENTH HEAVENをご存知ですか?』
バカにしてんな。
「えっと……ヘヴンは天国で、セヴンスはぁ……」
『違います』
「へ?」
『単語は組み合わせる事に依って新しい意味を持ちます』
「へぇ〜」
『この場合SEVENTH HEAVENは、この上ない幸福を意味します』
「あ、そう。どうでもいいけど、んなことより此処は何処?」
『あなたにはこれから、そのこの上ない幸福を差し上げます』
「ねえ、こっちの質問は無視?」
『これからルールを説明致します。一度しか説明は致しませんので、どうかご静聴下さいませ』
「聞いてないね?」
それからスピーカー越しの女性は長々と部屋の説明を始めた。剰りに長いもんで良く聞いちゃいなかったけど、要はどのドアか一つを選んでその部屋に入り、其処に用意してある幸せをくれるらしい。
まぁ幸せなんて素敵なものタダでくれるんなら、そりゃ貰うけどさ。あ……
「ねぇ、タダだよね? コレ」
『勿論で御座います』
「なんだ質問答えられるんじゃん」
部屋を見回す。1から7か。迷っちゃうね。
『それでは参りましょう。1番のドアに入りますか?』
「入りません!」
『承知致しました』
女性の声とほぼ同時に、背後からコツコツとヒールの歩く音。あたしは振り返る。あ。
「あ〜……ちゃん?」
違う。あ〜ちゃんの様だけど、あ〜ちゃんに瓜二つだけど、違う。あ〜ちゃんじゃない。
無表情で、あたしの呼び掛けにも何一つ反応を示さないそのあ〜ちゃん擬きは、流れる様に1番のドアに向かう。
まるでそれだけがプログラムされているロボットの様な動きだったけど、姿形はそのままあたしの良く知っているあ〜ちゃんだった。
あたしの経験上、こういうのは初っぱなから良いもんは置いてないね。長年のゲームやってきた経験だけだけど。
ガチャ。あ〜ちゃん擬きがドアのノブを回す音。あたしは何があるのか気になって、部屋を覗き込もうとした。その瞬間。
ターン……ドサッ
物凄い爆発音が広い部屋に響いて、あ〜ちゃん擬きが真っ直ぐ真後ろに倒れる。頭が床に激突する時に、ゴン、と鈍い音がした。
恐る恐る覗き込む。
「ひっ!……」
額に穴が明いていた。頭からドクドクと、とろみのありそうな血が流れ出る。撃たれたんだ。
「ちょっと! これのどこが幸せなんだよ!」
足がガタガタ震えた。恐い。なにコレ。夢?
『全てからの解放です。生物の中で死を幸福だと感じるのは恐らく人間だけでしょうが、間違いなくそういった人は存在します』
「帰ります。帰して下さい」
『ご安心下さい。1番はどうやら愚かな幸福でしたが、そうでないものもあります』
なにが、どうやら、だ。
全部知ってるくせに。わざわざ説明までしといて。
「いりません、幸せ。帰ります」
『この部屋からは、どれか一つのドアからしか出られません』
「はぁ?」
なんなんだよ。なんでこんなとこ連れて来られたんだよ。なんであたしがこんなことしなきゃなんないんだよ。
チラリと恐らくは死体に目をやると、黒い影みたいなものがあ〜ちゃん擬きの両足を掴んでズルズルと1番の部屋に引き摺り込んだ。
パタン、と閉まるドア。すると1番のドアがスーっと消えて、ただの白い壁になった。床には引き摺られた真っ赤な血の跡が残っている。
『それでは参りましょう。2番のドアに入りますか?』
「入んないよ! どこにも入んないってば!」
『承知致しました』
感情の感じられないスピーカー越しの声に腹を立てた。するとまた背後からコツコツと歩く音。まさか。
「あ〜……かっしー?」
今度はかしゆか。擬き。
なにもかも同じに作られていようが、中身がないと全く知らないモノに見える。
不思議だ。あれはあ〜ちゃんだったし、これはかしゆかだけど、紛れもなくそれではないと容易く判断できる。無駄とは分かりつつも声を掛ける。
「危ないよ、ドアは開けない方が良い」
勿論、あたしの声には微々たる反応すら示さない。
ガチャ。2番のドアが開かれる。恐いけど、ここでそっぽを向いてられる程強心臓でもない。
ゆっくりと開かれたドアの先。あれ? あの部屋って……
「かっしーの部屋じゃん」
迷うことなく部屋に足を踏み入れたかしゆか擬きは、シェリフの上に置かれたケージの前に立ち止まる。
あれには確か、ハムスターだかモモンガだかなんだか小動物が飼育されているはずだ。
ケージからその小動物を取り出すかしゆか擬き。右手に乗せたその小動物を左手で撫でている。
あれが、幸せなんだろうか。そう思っていると何を思ったかかしゆか擬きは、小動物を乗せた右手をそのまま強く握りしめた。表情に変化は微塵もない。
「っ!」
なにを……
そのままかしゆか擬きは“それ”を床に落とす。そして細く美しい曲線を描くその脚で“それ”を……
あたしは思わず口を手で覆い目を逸らした。
「なんてひどいこと……」
『破壊です。性的欲求に近いものと言われていますが、捕食以外の目的でのこういった行動はあまり例を見ません』
こんなの全然幸せじゃないよ。これで幸せだと思う人がいるの? ホントに?
いつの間にか2番の部屋のドアも消え、部屋の中の白い壁が幾分広くなっていた。残るは3から7のドア。
『それでは参りましょう。3番のドアに入りますか?』
「ちょ、ちょっと待って! パスパス。これパスとかできないの?」
『3番のドアをパスされますか?』
「なんだできんの? それならパスパス」
良かった。もう見たくないよあんなの。ちゃんと説明聞いておけばよかった。幸せなんか要らないから、全部パスしよう。
ふと部屋を見渡す。
白い壁白い壁白い壁白い壁白い壁。
あれ? ドアが6番と7番二つになってる……
「ねぇ。なんで一気に三つ減ったの?」
『3番の部屋をパスされましたので、三つ分のドアを消去致しました』
「あ、そう。別に良いけど。手っ取り早くて」
『それでは参りましょう。6番のドアに入りますか?』
「パス」
『できません』
「え? パス」
『できません』
「なんでよ!」
『残りのドアは二つなので、6番のドアはパスできません』
「なにそれ……」
『6番のドアに入りますか?』
「ヤダよ、入らない。入りたくない」
『承知致しました』
あたしは思わず後ろを振り返る。大体おかしいんだよ。なにもないこの部屋のどこから湧いて出るんだよ。
ところが今回はドアを開ける人が誰も来ない。お次はあたしか、なんて思ってたから拍子抜け。
向き直ると6番のドアは勝手に開いていた。奥の部屋からは、聞き慣れた声が聞こえる。
「……今度はあたしの部屋かよ」
聞こえてくるのは、自分が普段は絶対に出さない自分の声。親にだって聞かせたことはない、本当の秘めた声。
お相手は、あ〜ちゃん。
「良く知ってんね、あたしのこと」
ダラダラに汗ばんだ身体をくっ付け合って、だらしなく口が開いて、そこから短く吐き出される乱れた吐息。
ゆらゆら身体を揺らして擦り付け合って、口の周りがべちゃべちゃになるまで口付けし合って、あんなに大きく足を開いて腰を動かして。
幸せかって? 当人はそりゃ幸せなんじゃない? 好きな人と濡れたことしてるんだから。
端から見せて欲しくなんかないけど。てか、見たくないよ自分のあんな姿。
『説明は不要かと思われますが』
「うん、そうだね。要らない」
ああいう行為ってさ、身体が熱くなって、心はあったかくなって、もっと欲しくなって……そんで相手を最高に悦ばせたいと思うんだけど。
なんだかタダ見せられると、妙に冷静に見てしまう自分がいるのは何故だろう。
もうウンザリだし、もう沢山なんだけど。
『それでは参りましょう。7番のドアにお入り下さい』
「お入り下さい?」
『7番のドアにお入り下さい』
「あたしが決めるんでしょ。入らないよ」
『7番のドアにお入り下さい』
要らない。こんな幸せ要らない。そもそもこんなんで幸せなの?
渡されて、これがあなたの幸せですよって? そんなバカな。
違うよ。いきなり劇的な変化が訪れて、突然今から幸せになりました。って、そんなもんじゃない。
そんなの本当の幸せじゃない。自分で作るもんじゃん。一生懸命努力して手に入れるもんじゃん。
そっからでしょ? 貰ったり与えたりするのは。誰かが用意するもんじゃない。
「ねぇお願い。なにも要らないから此処から出して」
普通でいいよ。三人で力合わせて、笑ってられる様に努力したり、問題に立ち向かったり、たまに泣いたり。それでも普通に三人で過ごせるのが一番幸せだよ。
『7番のドアにお入り下さい』
「聞いてって!」
『7番のドアにお入り下さい』
「……ちょっと?」
『7番のドアにお入り下さい』
さっきから同じ言葉の繰り返し。抑揚も声質も。今まで間違いなくあたしと会話をしていたスピーカーからの声が、録音された声をリピートしているだけの様になった。
『7番のドアにお入り下さい』
頭痛くなるよ。てか、遂に一人ぼっちにされた気分だよ。
部屋を見渡す。
「あれ? なんかさっきより狭くね?」
目を凝らす。なにもかも真っ白な世界。時計は気付けば、1時を指して秒針まで停止している。
慌てて走る。ドアとは反対側の壁に辿り着き両手を当てる。
「っ!」
間違いない。
「この部屋縮んでる!」
『7番のドアにお入り下さい』
「ちょっと!」
『7番のドアにお入り下さい』
「ねぇ! 聞いて!」
『7番のドアにお入り下さい』
部屋はどんどん狭くなる。心拍数は上がっていく。焦りは身体を熱くする。呼吸は乱れ、さっき見た自分の姿が脳裏に浮かび上がった。
もう無理だ。このままじゃ潰されちゃう。
『7番のドアにお入り下さい』
「ねぇ!」
『7番のドアにお入り下さい』
「ちょっと聞いてよ!」
『7番のドアにお入り下さい』
「入らなかったらどうなんの!?」
『……御察しの通り、潰れて死にます』
スピーカーが違う事を喋った。それと同時に、ブツッとなにかの接続が切れる様な音が聞こえた。
「ちょっと?」
もうスピーカーは喋らない。
「ねぇ……ねぇってば」
時計の音も聞こえない。
なんの音もないところにいると、自分の心臓の音がはっきり聞こえることを知った。
入りたくない。恐い。
けど、このまま死ぬのも嫌だ。
どうしよう……あたしは優柔不断なのに……
こんな大それた選択、いつもならパッパと決めてくれる人がいるのに……
あたしなんかの幸せは、そんな大それたことじゃないのに……
あ〜ちゃんとかしゆかが傍にいるだけで、別に他にはなにも求めてなんかなかったのに……
いよいよドアを開くのには恐らくギリギリだろうところまで部屋が縮まる。
あたしはゆっくりドアノブを回す。普段自分の部屋でも開けるかの様に、カチャリとそれは軽く回った。
今思えば、一人でっていうのだって、初めてじゃない。
いつだってあたし達は、先なんか分からない中を手探りで進んで来たんだった。
足が震えた。その足を右手で一度張った。ちゃんと痛い。
お金なんか要らない。名誉も要らない。男も要らない。願うは只一つ。
「……せ〜のっ!」
あたしは意を決してドアの先に飛び込んだ。
「あ……あれ?」
見馴れた風景。レギュラー番組の収録控え室。
「だれ〜?」
奥から声が聞こえて心臓が一瞬止まった。聞き慣れた声なのに。此処は、どんな“幸せ”の部屋なんだろうか。
「あ、あたしはぁ〜……」
「なんだのっちか。ねぇちょっと来てぇ」
恐る恐る部屋の奥に進む。鏡台の前であ〜ちゃんが、両手で髪を束ね頭上に掻き揚げている。
「ねぇちょっとここで結んでくれん?」
「えっ?」
「いやなん?」
「いや」
「あ〜ちゃんだってホントはゆかちゃんが良かったんよ」
いつもの様に悪態を吐くあ〜ちゃん。なんだこれ? あたしの幸せってあ〜ちゃんの髪を結ぶこと?
あ〜ちゃんが口でくわえていたゴムを取り、髪を結ぶ。途中下から「痛っ、いたたた」と声が聞こえた。
「ありがと」
「あ〜ちゃん?」
「ん?」
あ〜ちゃんが初めてこちらに顔を向けて寄越す。どうにもおかしなところは見当たらない。
「キスしてもいい?」
「どしたん?」
冷静にあしらうあ〜ちゃんの顔がみるみるうちに赤く染まる。これもいつも通り。
「二人きりだし、いいでしょ?」
「ん〜……うん」
照れて歯を見せながらこちらに向き直り、顎を上げ瞳を閉じた。顔は真っ赤。いつも通り。
「キリン、レモン。キリン、レモン。キリンレモンキリンレモンキリン、レモン」
可愛い歌声が聞こえる。かしゆかだ。声からしても選曲からしても間違いない。
「のっちぃ〜」
「ん?」
「騙しよったな! 二人きりとか言いよるけぇ安心しとったんに、ゆかちゃんおるじゃん!」
「え……? え!? 違うよ今入って来たんだよ!」
「好きにな〜ったらキリン、レモン」
「もう知らん!」
「どうでも良いけどそろそろ始まるよ〜」
そっぽを向くあ〜ちゃん。控え室を出ようとするかしゆか。時刻は1時……5分。
あ、そういえば……!
「かっしーちょっと待ってそのドア!」
あたしは慌ててかしゆかを追い掛けた。
「ドア? なに?」
既に開かれたドアの先。あれ? スタジオの廊下……
あたしはドアから首だけだして左右に視線を投げる。スタジオの廊下……
すると頭に激痛が走った。
「イッ! たぁ〜……」
「騙した罰じゃ」
「グウは痛いよ」
「知らん。行こゆかちゃん」
「は〜い」
パタン、と音を立てて閉まるドア。部屋を出ていく二人。一人残った控え室。
幸せですかと問われるなら、幸せです。
人間極限で求めるものは、普遍的な日常なのかもしれない。
“あなたの幸せは、なんですか?”
控え室のスピーカーを見つめる。なんで局の部屋にはスピーカーが付いてるんだろう。
「SEVENTH HEAVENへようこそ」
呟いて控え室をでた。
少し先には、どうやらあたしを待っていてくれたらしい、二人の姿が見えた。
あたしの姿を確認すると、クルリと背を向け並んで歩き始める。
あたしはその背中を追いかけた。
〜END〜
最終更新:2009年10月22日 18:58