side.K
暫く会いに来ないで下さい。
暫くって、どのくらい?
メールを貰ってから、もどかしい時がただ過ぎて行く。気が付けば秋も深まって、いつの間にか街を歩く人の服装は重たそうになった。
黒いストール。見る度に彼女を思い出すなんて、そんなことはない。いつだって頭の中は彼女で一杯だから、彼女とのなにかを思い出す暇なんてない。
今だよ。離れてしまっている今、一緒にいたい。
離れてみて気付いたなんて、そんな良く言う感情もない。いつだってあたしは彼女だけを見つめてきた。彼女だけを欲してきた。彼女の傍にいれる幸せだけを噛み締めてきたんだ。
仕事を終え、コツコツ鳴る静かなフロアを抜け、部屋に入る。コーヒーを淹れ、邪魔な服を脱ぎ捨て、重たい体をソファに沈める。
毎日同じことを繰り返すって、このことだ。職場と部屋を同じ道を使いひたすら往復する。
本当はそこにあるはずの、毎日のちょっとした変化。
景色、空気、温度。
なにも感じない。どうやらあたしの、人間を人間足らしめる感性や感覚は、根刮ぎ彼女に拐われたらしい。
あの子とは会ってるんだろうか。
もしかしたら会ってるかもしれないな。
切っても切れない縁だなんて分かってるし、切って欲しいなんてことも思わない。
それでも、納得はいかない。
あたしはもうこんなんになっちゃってるのに。
もう全て準備なんて整ってるのに。
でも、あの子は?
違うじゃない。そうではないじゃない。
彼女だって知ってるはずじゃない。
それなのに……
深く深く沈んで、なかなか浮上できない。
見える海は綺麗だけど、深く潜れば、そこには光さえ届かない。
埋もれる前に思うこと。
会いたい。
声を聞きたい。
その柔らかい空気であたしをつつみ込んで欲しい。
涙を流す事を躊躇わなくなった。
体重も、減った。
結局いつも、わざわざ淹れたコーヒーは冷たくなって朝を迎える。
side.N
「どっちもなんて、贅沢ですよね」
「ええ。贅沢でいいんです。我が侭でいいんですよ」
「でも、できません」
「人生一度きりですから」
「あたしには、できないんです。そんなに器用でもないし」
グラスを空ければ、同じものを作る腕。同じグラスで良いと言っても、わざわざ新しいグラスを用意する。
洗い物を増やしてしまったら、あなたの大切な人に怒られてしまうよ。
洗い物を毎日し続けた彼の手は、荒れてしまっている。
あたしなら、どう思うだろう……
自分の為に一生懸命働いた結果、荒れてしまった手。ありがとうって言って、薬でも塗ってあげるかもしれないな。
「この曲……」
「はい?」
「あたしが一人になるといつも流すこの曲、なんて曲ですか?」
「ああ……私が好きでかけてるんです。あなたになら許される気がして」
そう言った彼は、少し照れて笑った。別にいいと思う。仕事中だろうと自分の店で自分の好きな曲をかける。寧ろ素敵だ。
「素敵な曲だと思いました」
「The Rose」
「ろーず?」
「アールオーエスイー」
「ああ……ローズ。薔薇か……」
意外とストレートなタイトル。捻りがないって言うかなんと言うか。
「綺麗な花には刺がある的な?」
「ははっ」
ははっ、だって。鼻で笑われたよ。まさかそこまでどストレートではないか。
「恋の歌ですよ」
「恋の歌ですか……」
「いや、愛かな。もしかしたら、人かもしれないな」
「人を歌った歌ですか」
「まぁ人生なんて色恋沙汰でまわってますから。今のあなたにはピッタリかもしれませんよ」
詩を知りたい。あたしより少し長く生きて、あたしよりずっと大人なこの人が、堂々好きだと言うこの曲の詩を。
「バラには形や色で物凄い沢山の花言葉があるんです」
「花言葉か……花は詳しくないなぁ。ロマンチックなのはどうも……」
「あなたに似合うと思いますよ、バラの花」
「そうですかね……」
ゆかちゃんの店の向かいにあったな、花屋。そりゃゆかちゃんみたいな子にはきっと似合うだろうな。
「誰が歌ってるですか?」
「Bette Midler」
もう外は明るくなる頃だろうか。夜に仕事の旦那を持つのって、大変だろうな。
でも、誰かの帰りを待つのは、幸せなことのはずだ。
一人の時間。誰かと過ごす、一人の時間。
日に日に思考は良いバランスで巡る。
柵を捨てたあたしの気分は軽い。
近頃のあたしは、柵を抜け出す決意を少しずつ作り上げながら朝を迎える。
side.A
暫く会いに来ないで下さい。
向き合うことを嫌う彼女が、きっと今自分と向き合ってる。
面倒なことは後回しにしたり、真面目に物事に向き合わなかったり。そんな風にしてきたから、少し時間がかかるかもね。
今年彼女は、また一つ歳を重ねる日を一人でどう過ごしたんだろうか。
よっぽどお祝いメールでもしてやろうと思ったけど、彼女の最後のメールからあまりにも近々の出来事だったから我慢した。
代わりにあたしは歌う。
彼女を想って、歌う。
こんな風に彼女のことを想いながら歌えるのは、あとどれくらいかな……
スタジオをでると、肌寒い空気が吹き抜けた。
もうすっかり冬の準備にかかってる空に、ぼんやりとした月が浮かぶ。
黒いストールを鼻まで覆う様に巻き直した。
「ふふっ、のっちみたい」
彼女のことを考えながら帰路に着く。
タイミングは難しいけど、きっかけはあたしがつくろう。
彼女から来ることは、多分ない。
でもきっと、このままじゃお互い進めない。
もしかしたら、もう彼女は待ってるのかもしれない。
幸い忙しく仕事をさせてもらってるから、衝動的にのこのこ出ていくことはないけど……
それでもきっと我慢出来なくなっちゃう時が来るだろうな。
だってこれから冬だ。
一番人肌恋しい季節だ。
特に彼女はあの空気を持ってる。
傍にいるだけでつつみ込んでくれる様な、あったかくて柔らかい空気。
ほら、触れたくなった。
すぐ、会いたくなる。
でも明日も朝から仕事だから。スケジュールは詰まってるから。
会いに行けない理由はあるから、会える日を楽しみにして眠りにつく。
彼女を想って眠りにつけば、やっぱり彼女を想って朝を迎える。
最終更新:2009年10月22日 19:28