K-side
5月の代々木は暑かったらしい。
朝早くにハコ入りしてから一歩も出ていなかったから、
夜はまだ冷えるしあったかくしておいた方がいいですよと、
スタッフさんに言われるまでは知らなかった。
武道館が終わってから久しぶりのワンマンは、成功に終わった。
採算や利益のことなどは相変わらずわからないけれど、まあ知ろうともしていないけれど、
ステージからはけた先の、廊下にびっしりと並んだ笑顔でよくわかった。
成功してうれしい。うれしいけれど、どこかすっきりしない。
こんなにしあわせなのに、何かが足りない。
あ〜ちゃんとのっちと話せば、それが何かわかるだろうか。
ライブが終わった後の撤収の喧騒にまぎれながら、
MCでのあ〜ちゃんの言葉を思い出していた。
「見捨てないでください」
青春だとも言ったし、Perfumeがなくなればなんにもなくなるとも言った。
確かにそのとおりだけどすこし大げさだなと思った。
きっとのっちも落ち着いたときに話せば同意するだろう。
実際なくなってしまえば、それはそれで成り立つような気さえする。
あ〜ちゃんは、曲も詞も書いてない自分たちに何ができるのかいつも不安がり、
ライブをするたび今がピークなのではないかという気持ちを見え隠れさせていた。
お客さんの顔が見えなくなる、彼女はいつもそう思っているみたいだった。
私自身も、今までは心を込めて手を握っていれば、伝わった気になったし、
それでもだめだったらあきらめもついた。
だけど、今はそれができない。届いているのかすらよくわからない。
楽しそうな笑顔も、そのうち理由もわからずに消えていってしまうだろう。
ちっさなステージで踊って歌って喋って、
それを間違えずにできることで満足してた頃とは違って、
今は何に満足するかすら自分たちで決めなくてはいけなかった。
そのうち、Perfumeであること自体の意味も、問われる日が来るのかもしれない。
だから、あ〜ちゃんの痛いくらいのストイックさは理解できた。
今までみたいに何かに頑張っていなければ、到底耐えられなかったんだと思う。
食べたいものをほとんど食べなくなったし、
メイクを変えたり耳を出してみたり、きっと恋人ともほとんど会っていないのだろう。
そしてそのほとんどを、ゆかたちに愚痴としてこぼすことはなかった。
のっちには、いい恋してるなんて適当なこと言ったけど、
Perfumeを続けていくために、三人でい続けるために、彼女はたくさんの我慢をしている。
楽屋を出ても、二人の姿は見当たらなかった。
まさかまだあのオレンジの衣装を着てるってことはないだろうけれど、
視界に二人がいないことに急に心細くなる。
おつかれさまでした、と口々に声をかけてくれるスタッフさんたちに会釈をしながら、
アンコールの場面がまた思い出された。
初めに歌い始めたのっちと私を待って、自分の番がくるまでの間、
うつむいては歩きながら、何度も涙を拭っていた。あの涙はなんの涙だったんだろう。
きっと聞いてもよくわからない答えしか出てこないだろうな。
手を伸ばして肩を抱くことも手をつなぐこともできない距離で、別々の方向を見ながら。
今日はどんな気持ちで泣いた?それはゆかたちと同じ気持ち?
今までの90cmの距離じゃなかったね。それはこれからどんどん増えてくね。
急にあ〜ちゃんに会いたくなる。ちょっとあ〜ちゃんのことを考えすぎてる。
不意にステージ脇までたどり着いたとき、見慣れた背中を見つけた。
身ぐるみはがされたような、もう何もない無骨な真っ黒いステージの上に、二つ並んでいた。
願いで見たオレンジの背中越しの客席は、
いつの間にか誰もいないシートの水色で埋めつくされている。
いつ見ても、空席はなんとなく悲しい。
さっきとは違って、ずいぶん頼りない背中だと思った。
私にはあの手を握る権利はあっても、その資格はないのだろうか。
その不安を刈り取ってあげられるだけの能力も自信もなかったし、
ただそばにいて、それにこっそり共感する以外の何もできなかった。
だけどのっちはこうやっていつも、いつの間にかあ〜ちゃんの隣におさまっている。
その不安でつぶされそうな手を握るのは、のっちの方がふさわしい気がした。
「なんかさみしーね」
体育座りを崩して、のっちが足をばたばたさせて言った。
ときどき見せるこういうストレートな感情表現は、
私のもやもやを的確に言い当てられているような気がする。
たしかに、さみしいね。のっちでもそんなこと思うんだね。
「ね。いつか誰も見てくれんようになっても」
自然と二人に向かって歩く私の足音に、あ〜ちゃんの声が重なっていく。
そのすぐ後ろまで歩を進めて、黙って耳を傾けた。足音が邪魔しないように。
彼女の声をきちんと聞き取れるように。
「ゆかちゃんはあ〜ちゃんのこと見続けてくれるんじゃろ?」
やっぱり振り向いてはくれなかったけれど、それは確かに自分にだけ向けられていた。
息が漏れる。なんて返せばいいかわからなくて、黙ってその場で頷いた。
振り返って頷きを確認したのっちが、不満そうな声をあげた。
「あ〜ちゃん、のっちもおるんですけど」
「あんたは言わんでもここにおるじゃろ」
あ〜ちゃんは、笑って人差し指を下に向ける。
そして私の手をとって、隣に座るようにうながしてくれた。
静かに微笑むあ〜ちゃんは、私の名前を呼んだ。
その瞬間、問いに対する答えが降りてくるのがわかった。
それはひらめきみたいだった。
名前をつけないでいた思いがなんなのか、
その事実から逃げられないとわかってしまった。
それは何度も何度も口にして盛り上がっては笑って泣いた、
身近でよくなじんだ部屋着みたいなものだった。
あこがれと呼んでもさしつかえなければ、それでもいいだろうと思っていた。
けれどそれだけでは解決しない後味の苦さがその結論に異を主張する。
あ〜ちゃんの横に静かに腰を下ろすと、のっちが笑った。
三人そろっただけで、いまだにいつもうれしそうに笑うんだ。
私もそうだった。そう思おうとしていた。たぶんさっきまでは。
並んだ三つの背中は、久しぶりに肩が触れ合って気持ちが良くて、
今までだったらこれがすべてだった。けれど今は信じられないくらい遠い。
自分に触れていても、この人は私の気持ちじゃない。
真っ直ぐに客席に視線を据えて、あ〜ちゃんは何かを考えている。
みんないなくなってしまう未来を浮かべながら、その運命に抗うように、祈るような顔つきで。
その体から漏れる空気をまるごと吸い込んで、理解を示してあげられたらどれだけいいだろう。
いつかは理由もなくいなくなってしまう何万人のうち、
何人の人の中に彼女の思いが残るというのだろうか。
いじらしいほどにひたむきなその横顔を見ていたら、急に自分が不謹慎に思えて情けなくなった。
「何泣いとん」
さしあたっては今夜。考えることがなくなったら、縛られて動けなくなる。
メールも呼び出しも、何の意味ももたなくなる。
困ったな。まいった。でもこれは。
「今はあ〜ちゃんが泣くところじゃろ」
あ〜ちゃんが笑った。もたれられた右肩が熱い。
私が小さく笑うと、理由はそれ以上追及されなかった。
私を見上げてかしゆかが変じゃと笑う声の、その甘さに、
もっとぴったり合う言葉を探してとうとうあきらめた。
飽きるくらい見てきた互いの涙は、今日は違う色をしている。
伝わることのない心の中の会話は続く。
心の中で一人話し続ける私は、最後の言葉を言いたくてしょうがないらしい。
「なんでもない」
涙を拭ってそう答えた。
こんなの今さらなんでもないのはほんとだった。
おかしいよね。でももう観念するしかないみたい。
なんでもないけど、ゆかはあ〜ちゃんが好き。
だから、こんなにさみしいよ。
(つづく)
最終更新:2009年10月22日 20:16